70年代後半にイギリスの音楽界にデビュー後、オルタナティブ・ロックや後のブリット・ポップ界でリスペクトされているポール・ウェラーが、自ら選曲したソウル・ミュージックのコンピレーション・アルバム『Paul Weller Presents That Sweet Sweet Music』(CDTOP 1655)をACE RECORDSからCDとアナログLPでリリースした。
ポール・ウェラーはその音楽性だけに留まらず、ファッションやジャケット・アートなど、自身が影響を受けた60年代のムーブメント” Mods(モッズ)”を源流としたセンスにより、世代を超えて多大な影響力に与えており、”モッド・ファーザー”と称されている。日本の音楽業界でもWACK WACK RHYTHM BAND(ワック・ワック・リズム・バンド)の山下洋や、元Cymbalsで現TWEEDEES(トゥイーディーズ)の沖井礼二など、筆者とインタビューで交流のある、拘り派ミュージシャンの間でも信奉者が多く、その影響力は母国イギリスを超えて世界に広がっている。
収 録 曲
1 God Made Me Funky - The Headhunters
2 Spanish Twist - The I. B. Special
3 Breakaway – The Valentines
4 Top of the Stairs - Collins & Collins
5 Don't Let the Green Grass Fool You - The Spinners
6 Black Balloons - Syl Johnson
7 Soulshake - Peggy Scott & Jo Jo Benson
8 I Can't Make It Anymore - Richie Havens
9 You Got to Have Money - The Exits
10 Pull My String (Turn Me on) - The Joneses
11 Run for Cover - The Dells
12 On Easy Street - O.C. Smith
13 It Ain't No Big Thing - The Radiants
14 Summertime - Billy Stewart
15 In the Bottle - Brother to Brother
16 Hard Times - Baby Huey
17 Maggie - Johnny Williams
18 When - Joe Simon
19 Pouring Water on a Drowning Man - James Carr
20 That's Enough - Roscoe Robinson
21 Blackrock "Yeah, Yeah" - Blackrock
22 Golden Ring - American Gypsy
23 Search for the Inner Self - Jon Lucien
24 Life Walked Out - The Mist
25 In the Meantime - Betty Davis
26 Beautiful Feeling - Darrell Banks
弊サイト読者には説明不要であろうが、そんなウェラーのプロフィールに触れておく。1958年5月25日にイギリスのサリー州Wokingで生まれたウェラーは、十代前半にリード・ギタリストのスティーブ・ブルックスらスクール・メイト達とバンドを組んで、ベーシストとして音楽活動を開始する。メンバー・チェンジの末にセカンド・ギタリストのブルース・フォクストンとドラマーのリック・バックラーが参加するも、76年にブルックスが脱退したことで、ウェラーはフォクストンにベースにコンバートすることを勧め、自らボーカル兼ギタリストとしてフロントに立ち、The Jam(1976-1982)を結成させた。
イギリス国内では18曲ものトップ40シングルをリリースし、その内「Going Underground」(1980年)や「Town Called Malice」(1982年)など4曲はナンバーワン・ヒットに輝いたが、新たな音楽的可能性を望んだウェラーの脱退宣言を機に、バンドは1982年12月のフェアウェル・コンサートをもって解散した。
直ちにウェラーはThe Jam末期から音楽的交流があり共通のセンスを持つ、キーボーディストのミック・タルボット(元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、ザ・マートン・パーカーズ)と共にThe Style Council (スタイル・カウンシル/1983–1989)を結成し、1983年9月にミニアルバム『Introducing the Style Council』でデビューする。翌84年3月のファースト・フルアルバム『Café Bleu』ではジャズ、ソウル、ファンクからボサノヴァまでと様々なジャンルの楽曲を収録しており、音楽ジャーナリスト達の間では賛否両論になったが、セールス的にはまずまずの成果を出した。続くセカンド『Our Favourite Shop』(1985年6月)では全英アルバム・チャートでナンバーワンとなり、アメリカを除く欧米と日本でも好セールスとなり、彼ら最大のヒット・アルバムになっている。
その後『The Cost of Loving』(1987年2月)では、彼らが敬愛したシカゴのニューソウルを代表するカーティス・メイフィールド、ルーサー・ヴァンドロスの『Never Too Much』(1981年)などで知られる名エンジニアのカール・ビーティ、また同時代のアメリカン・ソウル兄弟デュオのThe Valentine Brothersにミックスダウンを曲ごとにオファーするなど、ブラック・ミュージックに最接近する。続く『Confessions of a Pop Group』(1988年6月)ではクラシカルな組曲や60年代中後期のビーチボーイにおけるブライアン・ウィルソンからの影響を感じさせ、ポップ・ミュージックとしては振り切り過ぎたサウンドが、当時の平均的な音楽リスナーにとってトゥーマッチだったのか、チャート的には芳しくなく、失速してしまった。
1989年のシングル「Promised Land」(ジョー・スムースのカバー)ではガレージ・ハウスにチャレンジして、このサウンドでアルバム製作もおこなったのだが、所属レコード会社ポリドールからリリースを拒否され、惜しくも解散してしまった。この幻のラスト・アルバム『Modernism: A New Decade』が陽の目を見たのは、10年後の1998年10月だった。
スタイル・カウンシル解散直後のウェラーは、ソロアーティスとしてレコード契約も出来ないままでいたが、1991年5月シングル「Into Tomorrow」をThe Paul Weller Movement名義としてソロデビューする。翌1992年9月には盟友のビリー・ブラッグが所属するGo! Discsよりファースト・ソロアルバム『Paul Weller』を皮切りに、『Wild Wood』(93年9月)、『Stanley Road』(95年5月)とコンスタントにリリースし、音楽性や商業的にもそのキャリアを復活させて、2024年の最新作『66』までに17枚のアルバムを発表している。
アナログLPレーベル
さて本作『Paul Weller Presents That Sweet Sweet Music』であるが、ウェラーの音楽活動の変遷を垣間見れる、良質なソウルやファンク・ミュージック26曲がコンパイルされていて、彼の熱心なファン向けだけとしてではなく、このコンピを切っ掛けにしてレアな曲をディグしていくのも一興ではないだろうか。
ここからは筆者が気になった収録曲を解説していこう。冒頭の「God Made Me Funky」は、数多のレアグルーヴ・ナンバーの中でも聖典と呼ばれる、The Headhuntersの『Survival of the Fittest』(1975年)収録曲で、グループ名義のファースト・アルバムを代表する曲である。ベーシストのポール・ジャクソンのボーカルにゲストのポインター・シスターズのコーラスが掛け合うシンプルなコード進行で、ジャクソンとドラマーのマイク・クラークによる巧みなグルーヴに、当時20歳前後の若きギタリストのブラックバード・マックナイト(筆者はP-FUNKオールスターズの来日公演で彼のプレイを生で観ている)のファンキーなカッティング、マイルスの『Bitches Brew』(1969年)でも活躍したリーダーのベニー・モウピンによるフリーキーなテナーサックス・ソロが絡んでいく9分40秒の長尺ファンクだ。
そもそもThe Headhuntersは、ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスの弟子筋では最も才能を有して成功した、ピアニストのハービー・ハンコックの12thソロアルバム『Head Hunters』(1973年)を切っ掛けとして、参加ミュージシャンにより結成されたフュージョン・ファンク・バンドだった。因みにウェラーはスタイル・カウンシルのデビュー・シングルを「Speak Like A Child」というタイトルにしており、曲調やサウンド共に全く異なるのだが、ハンコックの6thソロアルバム『Speak Like a Child』(1968年)のタイトル曲からインスパイアしていたのではないだろうか。この様に異ジャンルからの飽くなき吸収力やセンスにウェラーらしさを感じさせる。
Herbie HancockとThe Style Council の
各『Speak Like a Child』
Collins & Collinsの「Top of the Stairs」は、フィラデルフィア出身で父親もミュージシャンだったビル・コリンズが妹トニー・コリンズを誘って組んだ兄妹デュオのシングル曲だ。モータウン黄金期を支えたソングライター・チームで、夫婦デュオとしても活動したニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンから提供され、唯一のアルバム『Collins And Collins』(1980年)にも収録されている。70年代ギャンブル&ハフの元でアレンジャーとして、Soul SurvivorsやThe Three Degrees等のセッションに参加していたジョン・デイヴィスが本曲のプロデュースとアレンジを手掛け、フィリーソウルの本極地であるSigma Sound Studiosでレコーディングされているので、この曲にもフィリーの名残がありつつ、ディスコ・ムーブメントで希釈された70年代ソウルからブラック・コンテンポラリーへのミッシングリンクになるであろうモダン・ソウルが展開されている。とにかくアシュフォード&シンプソンによるソングライティングとデイヴィスによるアレンジが素晴らしく、このコンピレーションの中でも人気曲になるだろう。この兄妹デュオはシングル3枚とアルバム1枚で活動を終えた。
ここからはマイナーながら良曲にも触れたい。イギリスのレアなノーザン・ソウルとしてディグされているのが、The Exits の「You Got to Have Money」だ。彼らはロサンゼルス出身の4人組ボーカル・グループで、60年代後半に4枚のシングルのみリリースして、リードシンガーのジミー・コンウェルは解散後はソロシンガーとなり活動を続けた。この曲は1967年にGemini Recordsからリリースされたデビュー・シングル「Under The Street Lamp」のカップリング曲で、クレジットによるとメンバーの連名によるオリジナル曲だが、TEDDY RANDAZZO(テディ・ランダッツォ)に通じる作風が耳に残って離れない。アレンジ的には2台のギターにベースとドラムの基本的なリズムセクションにコンガを加えているのが注目点で、恐らくH=D=Hが手掛けていた頃のフォートップスを意識していたのだろう。
Brother to Brotherによるギル・スコット・ヘロンの「In the Bottle」(1974年)のカバーは、ノーザン・ソウル・ブームの時期に散々語られてきたので軽く触れるに留めるが、オリジナルのThe Midnight Bandの演奏に比べて、このヴァージョンの方がタイトで巧いのは間違いない。ベーシストのシンコペーションとドラマーの正確なキックを聴けば理解出来るが、彼らはシルヴィア・ロビンソンが設立したTurbo Recordsに所属しており、本作のレコーディングでは、The Momentsのアル・グッドマンとハリー・レイが共同プロデューサーとして仕切っていたので、手練なミュージシャン達が参加していたのだろう。
Baby Huey(ベイビー・ヒューイ)の「Hard Times」もノーザン・ソウル・ナンバーとしてポピュラーで、シカゴのCurtom Recordsから1971年にリリースされた『The Baby Huey Story: The Living Legend』に収録され、同レーベルを設立したカーティス・メイフィールドがソングライティングとプロデュースを手掛けている。当時のカーティス・サウンドに通じるサイケなワウワウをかましたギターをフューチャーした、ブルース進行のファンキーなシカゴ・ソウルである。この曲はThe Headhuntersの「God Made Me Funky」と同様に、多くのヒップホップ・アーティストにサンプリングされているが、サビのホーンのリフ・パターンは、ピーター・ガブリエルが1986年に全米チャートナンバーワンを果たし大ヒットさせた「Sledgehammer」(『So』収録)にもオマージュされている。
残念なことにヒューイは、本作レコーディング期間の70年10月に薬物使用の心臓発作により26歳の若さで急死したため、カーティスが残りのレコーディングを完成させたという。それによりヒューイのバックバンドThe Babysittersの演奏ではなく、Curtomの手練なセッション・ミュージシャン達が差し替えている可能性があり、この曲でも明らかにヘンリー・ギブソンらしきコンガのプレイが左チャンネルから聴ける。
Life Walked Out / THE MIST
The Mistの「Life Walked Out」もマイナーながら良曲だ。ノーザン・ソウルとして注目されていたことで、2018年に日本でアナログ7インチとしてリイシューされたのが記憶に新しい。謎の多いグループなのだが、彼らはカンザス出身の4人組ボーカル・グループで後にThe Visitorsとなる。地元カンザスでThe Chi-litesとのライブ共演により、同グループのユージン・レコードの知己を得てBrunswick RecordsのサブレーベルのDakar Recordsからシングルを4枚リリースしている。このThe Mist時代のシングルはグループには無許可でTwinight Recordsから1971年にリリースされたもので、そのような複雑な契約になった経緯はあるにしろ、この「Life Walked Out」のクオリティには目を見張るものがある。
ソングライティング・クレジットはBilly Durham、Leamon Coxとプロデュースも手掛けたMark Davis(マーク・デイヴィス)の名義になっているが、キーマンのマークに注目したい。若干14歳から名門のChessやVee Jay Recordsでセッション・ピアニストや写譜スタッフを務めキャリアをスタートさせ、弊誌ではお馴染みのソフトサイケ・バンドのRotary Connectionや同メンバーだったミニー・リパートンの初期ソロ作で裏方を務め、その後Motown Recordsでマーヴィン・ゲイやダイアナ・ロス、The Jackson 5といった大物アーティストのレコーディングに関わるようになる。この曲の陰影に満ちたコンポーズの素晴らしさはそんなマークの才能に寄るところが大きい。バッキングは恐らくThe Chi-litesでも演奏しているシカゴ・ソウル系のスタジオ・ミュージシャン達ではないだろうか。
ラストのDarrell Banks(ダレル・バンクス)の「Beautiful Feeling」は、オハイオ州マンスフィールド出身のソウルシンガーのセカンドアルバム『Here to Stay』(1969年)からシングルカットされたミドルテンポの感動的なバラードだ。1937年7月生まれのバンクスはデトロイトに出て、66年にRevilot Recordsと最初の契約をし、その後名門アトランティック系のATCO Recordsや名門のStax系のVoltと契約して生涯で2枚のアルバムと7枚のシングルをリリースした。オーティス・レディング系譜のシンガーとして才能に恵まれなら、悲運にも1970年に警官に射殺され32歳の若さで亡くなっている。
この曲はデトロイトをベースに活動するThe Brothers Of SoulのBobby EatonとFred Bridges、Knight BrothersのRichard Knightの3名のソングライティングで書かれており、名匠Don Davisがプロデュースを手掛けている。豊かなオーボエのオブリガード、それとストリングスはヨハン・パッヘルベルの「カノン」中盤のフレーズを模して奏でるなど、アレンジ的にも凝っていて素晴らしく、このコンピを締め括るに相応しい名曲だ。
最後に総評として、ウェラーの類まれなソングライティング・センスを育んだ、ノーザン・ソウルを主としたソウル・ミュージックの懐の深さを詰め込んだ、良質なコンピレーション・アルバムであると確信した。この解説を読んで興味を持ったポール・ウェラーの熱心なファンや弊サイト読者は是非入手して聴いて欲しい。
(テキスト:ウチタカヒデ)
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