2024年8月17日土曜日

Hully Gully 2024

 先日、夏季オリンピックが閉幕した。次回オリンピックの舞台はLos Angeles!と、なれば我らがThe Beach Boysも最後の一花を咲かせて欲しい、と期待を持ち彼の地での閉会式をTV視聴したものの、浜辺で一節「Hully Gully」でも唸ってくれるかと思えば残念ながら登場せず今回はご縁がなかったようだ。現在は民主党政権であり、Karen Bass L.A市長は民主党系であるので、なかなか出番がまわらないのが現実だ。
 Bass市長は最近Sunset Sound周辺のホームレスコミュニティを解体させ施設等へ移送させている。近年同地周辺に居着いたホームレスの振る舞いが問題となっており、一部スタジオに侵入し機材などの盗難や放火も増えていたという。ある意味The Beach Boysには「恩人」かもしれない。

                                


 The Beach Boysとオリンピックとの関係は一見すると遠いように思えるかもしれないが、実際には興味深い接点が存在する。彼らがカバーした楽曲の一つに、
The Olympicsの「Hully Gully」がある。(1965年『Beach Boys' Party!』収録)
同曲は1960年代初頭に流行したダンス・ミュージックであり、そのシンプルでリズミカルなステップは多くの若者に受け入れられた。The Olympicsというバンド名は、まさにオリンピック競技大会を連想させるものであり、この名前がつけられた背景には、競技のように活気ある音楽を提供したいという意図があったのかもしれない。
 一説によるとデビューの際同名バンドが多いのでたまたまオリンピック開催年にちなんで命名したとのこと、Brianもこの曲を好んだのかデビュー前の高校時代に校内の生徒会選挙に立候補した女生徒の応援歌を歌詞を変えて学友とカルテットのコーラスを披露したという。また、Love家でのパーティーなどで家族の前でBrian兄弟とMikeで歌う曲の定番としてしばらく「Hully Gully」を好んで取り上げていたようだ。The Olympicsは西海岸出身なのでThe Beach Boysのデビュー後共演することもあった。
 アルバム『15 Big Ones』は1976年にリリースされた。このアルバムは、バンドの結成15周年を記念したものであり、タイトルが示す通り、彼らのヒット曲15曲が収録されている。このアルバムのジャケットデザインは、特に注目に値する。ジャケットには、5つの色で構成された円形のデザインが配置されており、これがオリンピックの旗に似ていると多くの人が指摘している。指摘の通りMikeまたはDean Torrenceの発案でオリンピック開催年にちなんでデザインが決定したようだ。



 オリンピックの旗には、5つの大陸を象徴する5つの輪が描かれており、それぞれが異なる色を持っている。このデザインは、世界中の人々が一つの目標に向かって団結するというオリンピックの精神を表している。一方、『15 Big Ones』のジャケットもまた、多様な色使いが特徴であり、これがオリンピックの旗を彷彿とさせるのは偶然ではないだろう。時代の皮肉なのか?実際はこの年を起点にWilson家は不倫・薬物等中毒・死に包まれ自壊していく運命が待ち受けていた。
 1976年の夏季オリンピックは、CanadaのMontrealで開催された。この大会は、冷戦時代の真っ只中にあり、国際的な緊張が高まる中で行われた。Montrealオリンピックは、スポーツが国際政治の舞台でどのように利用され、競技が国家の威信をかけた争いとなるかを象徴するイベントであった。特に東ドイツやソビエト連邦といった共産主義国家が、オリンピックでの成功を国際的な優位性を示すための手段とし、それに対抗する形でアメリカもメダル獲得を目指した。1976年の米国では、Watergate事件による政治的な混乱が続いており、その影響は共和党にとって深刻なものであった。Nixon大統領の辞任後、Fordが大統領に昇格したが、彼の政権は共和党の再建を目指して苦戦を強いられた。Fordは、Nixonの恩赦という決定により、多くの国民からの支持を失うことになった。
 1976年の共和党予備選では、California州知事のReaganがFordに対して挑戦を仕掛けた。Reaganは、保守的な政策を強調し、小さな政府や経済的自由主義を掲げることで、多くの保守派からの支持を集めた。共和党予備選は激しい戦いとなり、最終的にFordが僅差で勝利したが、この対立は党内の亀裂を深め、共和党の将来に大きな影響を与えることとなった。Reaganの登場は、共和党が新たなリーダーシップを求める動きを象徴しており、彼の影響力は後に共和党を保守的な方向へ導く要因となった。同時に伝統的価値に忠実なMikeは共和党への傾斜が始まり(どちらかといえばBush家だが)共和党系のイベントへの出演が増えていくこととなる。

 1960年代に入ると、The Beatlesなどのアーティストが、アルバムジャケットを通じて自曲の世界観を表現し始めた。特に、彼らのアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は、ジャケットアートが音楽の一部として評価される象徴的な作品となった。この時期から、アーティストとレコード会社の間で、アルバムジャケットに関する重要性について意識されるようになった。
 1970年代には、アルバムジャケットがアーティストのブランドとして機能し始め、ジャケットデザインが商業的成功に直結するようになった。この時期には、プログレッシブ・ロックバンドやパンクバンドが、ビジュアルアートを通じて強いメッセージを発信することが多く、アートワークが音楽のイメージを形成する重要な要素となった。
 我らがThe Beach Boysといえば、その辺りには無頓着でWarner移籍の際にもアートワークやパッケージなどのポリシーについては契約上明記していなかった。その重要性についてJan and DeanのDean Torrenceは指摘し、もっとグループのアイデンティティやメッセージを視覚に訴えるよう助言があった。Janはすでにグラフィックデザインの世界で成功しており多くのアルバムジャケットを手がけていた、Warnerでの仕事もあり信頼関係も強く、ビジュアル面についてグループ側からの関与を強化する方向性についてもWarnerを説得しやすい立場にあった。
 『15 Big Ones』のデザインでもっとも印象的なのはグループのネオンサイン調のロゴである。本作で採用以来、半世紀弱も固定して使われている。これもデザインしたJanのアイディアであるが、描いたのはJim Evansというイラストレーターである。Jimは50~60年代のサーフィン文化にインスパイアされた作風で定評がある。70年代にリリースされたSurf musicの名作V.A『Golden Summer』もJimの手によるものだ。














1962年のロゴ

1963年のロゴ

1964年のロゴ 同年でも何種類もあり以後毎年違うロゴを採用


近年はネオン調を活かしつつこちらのロゴが多用されている






(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

P.S 本年初頭に申立てのあったBrianの後見については
本年5月末裁判所で許可された






2 件のコメント:

  1. こんにちは。興味深く読ませて頂きました。
    オリンピックスの"Hully Gully"が発表されたのは1960年、ローマオリンピックの年ですね。
    "15 Big Ones"アルバムもモントリオール・オリンピックの年でしたが、黒を使っていないところに、アフリカ系人種に対する配慮がありますね。
    デザインを担当したディーン・トーレンスは、このアルバムだけのデザイン料しか受け取っておらず、その後もバンドの公式ロゴとして使用されるのなら、もっとデザイン料を取るべきだったと言っていますね。このロゴは現在もマイク&ブルースが使用していますが、
    アーヴィング・エイゾフ体制になってから、ブライアンやアルも含む場合の公式ロゴが変わっています。これもディーンらへのデザイン料支払いの問題があるからなのでしょうね。

    参考
    https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1177352475642954&id=871741876204017&set=a.885145294863675

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  2. 一説によると、The OlympicsはThe Challengersと名乗り活動しておりましたが、音盤デビュー時に同名グループが幾多もあるため改名したとのことです。その年は1956年頃と推定されています。1956年ではMelbourne開催ですからスエズ動乱やハンガリー動乱など東西の衝突が相次いだ背景があり、おまけに選手の亡命が相次ぐ相当荒れた大会だったようで、1956年説とするならば改名はあまり効果がなかったかもしれませんね。ロゴの変更が2010年代でその辺りから終活モードを意識させる動きが見てとれます。

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