また今年は小林を中心としたバンドHarmony Hatch(ハーモニー・ハッチ)の結成から25年で音楽活動のメモリアル·イヤーとして区切りの年でもあるので、同バンドからのファンにとっては嬉しいリリースとなっただろう。そのHarmony Hatchは、空気公団やMaybelle(弊誌VANDA読者だった著名劇伴音楽家の橋本由香利が所属)を輩出したCoa Recordsから2000年にデビューした。その後ソロのシンガー·ソングライターとして、前出のファースト『Looking for a key』を2016年2月にリリースしており、2018年11月には初のアナログ7インチ·シングル『Havfruen nat』、2020年12月には配信EP『Cold And Warm Winter』を発表し、都内を中心に定期的なライヴ活動、様々なバンドのコーラス·サポート等精力的に活動している。
2018年の7インチ・シングル『Havfruen nat』収録の和訳タイトル曲「人魚の夜」は、ササキアツシがmelting holidays時代に書いた「morning star lily」が原曲で、小林が日本語歌詞をつけて完成させた、ソフトロック~MORとして非常に完成度が高い。元melting holidaysのタサカキミアキがプレイする間奏のクリーン・トーンのギター・ソロを含め、当時筆者はかなり気に入っていたので同年の年間ベストソングにも選出していた。本作収録にあたりCD用にリミックスしているとのことだ。
イントロのアルト・サックス含め全楽器をプレイした小園のアレンジによる「海の底で」もMORのテイストがあり、前曲からの流れも良い。元々は小林が、chelsea terraceのmayumi、スイスカメラの梶山織江とのユニット”Lilly chilly blue stars”に提供した曲だが、この小園のアレンジでまた生まれ変わっている。ギターポップ・バンドからスタートした小林にとっても、新境地なサウンドとして歓迎したい。
「forget me not」は「かすみ草のように」同様にThe Laundries遠山のエレキギターをフューチャーした硬質なネオアコースティック・サウンドで、本作中唯一の英歌詞で小林の文才さを計り知れる。全体のアレンジは高口でギター以外の楽器を担当しているが、ピアノのオブリガードやエンディングのソロで光るプレイをしているのでチェックしてほしい。
「小さな夜」は『Cold And Warm Winter』収録ヴァージョンと基本アレンジは同じだが、ボーカルのリバーブが抑えられて楽器も差し替えられてスッキリした音像になっている。アレンジと全ての楽器を高口が担当しており、イントロやオブリで使用されるピアニカが印象的だ。
ササキアツシのソングライティングとアレンジによる「うさぎのウシャンカ」は、『Cold And Warm Winter』収録ヴァージョンをCD用にリミックスしたもので、レコーディング・メンバーは「人魚の夜」と同様、タサカのエレキギター以外の全ての楽器とプログラミングをササキが担当している。このウシャンカも詞曲共に小林好みのウインター・メルヘンに溢れた良曲で、ポール・マッカートニーに通じる美しいコード進行とソフトサイケなアレンジがササキらしい。
「小さな夜」という曲は2020年に『Cold And Warm Winter』で発表した曲ですが、セカンド·アルバムに収録するにあたり再アレンジしてくれて、素朴で幻想的な美しさがアルバム後半の核になるような曲になりました。高口さんは様々な楽器を演奏できるオールマイティなプレイヤーで飄々としてみえますが、きっと人一倍練習して努力を重ねてる方だと思います。コミュ力が高い高口さんがいるといつも楽しい場になるので安心します。
small gardenでは「8番目の月」がすごく好きです。小園さんの作品の優しい太陽の日差しのようなオーガニックな音作りや、反対に深夜のような暗さがあるところも好きでした。小園さんの携わる音楽の、緻密だけれど自然体で、計算されているような、されていないような、華やかなのに派手ではない不自然ではないところが好きでした。
フルートやサックスの演奏もすばらしく、曲が完成に近づくたびに感動していました。「海の底で」はLilly Chilly Blue Starsというユニットでも発表した曲ですが、小園さんヴァージョンはサックスで深い海の底に落ちていくような怖さもあります。それぞれの良さがありどちらも良いので是非聞き比べていただきたいです。小園さんに編曲していただいた2曲も私の宝物になりました。自宅のレコーディングスタジオにお邪魔してボーカル録音させていただき、おいしいコーヒーやお茶を飲みながらお話できたのも楽しい思い出です。
「人魚の夜」作編曲、「うさぎのウシャンカ」作詞作曲編曲で参加してくれたササキアツシさんについては、もう20年近くの友人になります。「人魚の夜」は2018年に発売した7インチ「Havfruen nat」の収録曲、「うさぎのウシャンカ」は2020年配信でリリースした「Cold And Warm Winter」で発表した曲をリマスタリングして収録しました。どちらの曲も華やかさと切なさをいったりきたりするような素敵な曲で、とくに「人魚の夜」を好きだと言ってくださる方も多いので、今回セカンド·アルバムにも改めて収録できてうれしかったです。佐々木さんは優しくて繊細で研究熱心で、そしてすごく温かな方です。作る音楽のファンも多い方なので、佐々木さんの曲を歌えることが光栄です。
The Laundriesのライヴに何度かゲスト出演させていただき、レコーディングに参加させていただいていましたが、遠山さんのギターが大好きで自分の曲でも弾いてほしいと思い、今回もお願いしました。とくに「金木犀の部屋」は、遠山さんのギターをイメージして作った曲でもあるので、デモにギターを重ねていただいた時は感動でした。
今月の寄稿で書こう!と思ったきっかけは、今年1月6日の浜田省吾のコンサート「SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2023」(さいたまスーパーアリーナ)で聴いた、この曲。
■浜田省吾「J.BOY」(1986年)
町支寛二による小気味よいギターリフがイントロの「愛の世代の前に」で始まったライブは、サブタイトルの「Welcome back to The Rock Show youth in the “JUKUBOX”」の通り、ビートのきいたロックから、胸にしみるロッカバラードまで、懐かしい曲が続いた。そしてコンサート終盤に演奏され、おぉ、そういえば、これもツインギターによるハモりがかっこいい曲だ~と思った「J.BOY」。
転載した記事の多くは80年代。当時、聴いていた感覚と、いまの年齢で聴く感覚とでは、違うものもあったのか、浜田省吾の音楽がすーっと感情に入り込んできて、あぁ、こんなすごい歌い手だったのかと再認識。ちょうど、下村誠の本をつくっている最中の昨年夏に公開された映画「A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988」も観に行き、誠実で、説得力のある歌声に圧倒されて、すっかりファンになってしまったという、浜省ファン初心者である。
レコード棚の奥に、フォリナーのシングル「つめたいお前(原題:Cold As Ice)」(1977)を見つけて、「シングル盤を買うほど好きだったっけ?」と首をかしげつつも、シングルジャケットの写真を見たら、ギタリストがふたり。これは……!と思い、聴いてみたが、ツインハモりギターではなかった。残念。でもフォリナーのシングルをきっかけに、記憶の扉が開いていく。まず思い出したのがBOSTON。
「BOSTON! More Than Feeling!(1976年) ぜったいギターがハモってる!」と、これはレコードを持っていないので、YouTubeで聴いてみた。ハモってる、ハモってる♬
「ベストヒットUSA」で、ナイトレンジャーの「Rock Me America」(1983年)を観た記憶がある。いま見ると、ミュージックビデオの構成がまだまだシンプルで、ちょっとほほえましい。ナイトレンジャーはツインギターのバンドだが、この曲でのギターのハモりはなかったので、懐かしい~と思いながらも、ツインギターによるギターハーモニーのある曲を探した。
この曲を知ったのは、パラシュートのレコードで聴いたのではなく、大学の音楽サークルの同級生のバンドの演奏で初めて聴いたこと。サークルのたまり場で、ギターの人が練習していたかもしれない。
今回、3曲目に紹介したウィルソン・ブラザーズの「Take Me To The Heaven」が、レコードやラジオではなく、先輩バンドの演奏で知ったのと似ているパターン。
Dodgers移転発表時はBrianにとっては10代後半で、野球やフットボールに明け暮れた年頃から次第に音楽へ軸を移しつつあった時期に重なる。The Beach Boysの立身出世物語とDodgersの発展とは奇しくも一致する。実際には発展していくLos Angeles近郊の都市労働者増加と消費の拡大(Wilson家 Love家の家運と一致する)を元にしたO'Malleyの冷徹な計算が背景にある。Dodgersの成功とともにO'Malleyは西海岸の不動産投資で成功する。ならばBrianもDodgersの大ファンでは?と勘ぐってしまうが、ファンを公言しているコメントはない。唯一確認できるのが自伝『I am Brian Wilson』( 2016)でのコメントだ。意外だったのが「ホントはねDodgersファンじゃないんだよね、僕はYankeesファン」とあるではないか、Brianは野球の腕に自信があったようで特にセンターを得意とした。Mickey Mantleら名選手を擁するYankeesに憧れがあったようだ。
本書中第二章で野球話を披露している
Mikeのコメントも確認できないが、DodgersとThe Beach Boysは西海岸の大きなシンボル同士! 経営者としてはこのブランディングを利用しない手はない!と考えたのだろう。ソロ作『Looking back with Love』(1981)のジャケットに佇むのはDodgersキャップのMikeがそこにいる。
かと思えば、1980年代にSan Francisco Giantsの試合にも出演しライブを開催している。San Francisco GiantsといえばDodgersとライバル関係にあり、我が邦の巨人阪神の関係に近いものがある。実は球団の東海岸から西海岸への移転はGiantsの方が先鞭をつけている、いくらなんでも節操無さすぎでは.....と思ってしまうが、90年代以降はDodgersに寄せていることが多い。
こちらはGiantsのユニフォームで登場
San Francisco Giantsで活躍した選手で同姓同名のBrian Wilsonがいる、長い黒髭がトレードマークで名前のみならず風貌が70年代のThe Beach Boysにいても全く違和感がなくファンからも親しまれた。ちなみに50周年ツアーの際ゲストで参加しピアノまで披露している。
Giants時代のBrian Wilson
閑話休題
極私的蒐集譚となるが、ついにBrian Wilson関連盤のうち長年探し求めていた盤に巡り会うことができた。 Dino, Desi & Billy 「Lady Love」(Reprise 0965 1970年)
Brian Wilson関連盤は必ず正規盤とプロモ盤両方を蒐集することとしていたが、本盤のみ長年正規盤が入手できずに歳月は流れ三十余年。プロモ盤は容易に入手できたが正規盤にはなかなお目にかかる機会がない、つまりは売れなかったということか?それからというもの遭遇してもプロモ盤のみの歳月が続き、昨年(2023年)にあっけなく発見することができた。流れ流れて何故かデンマークの業者から格安で入手できた、円安と原油高で本体価格より送料の方が遥かに高いのは仕方がない。 往時、音楽愛好者たちは、デジタルの潮流が押し寄せる前に、アナログのレコードに魅了され、その手に入れるために歩んだ道には数々の困難がひそんでいた。今日の利便性とは異なり、当時のレコード収集は真の冒険であったと言ってもいいだろう。デジタルの世界が未だ顕れぬ時代、音楽情報は乏しく、音楽雑誌やラジオ、友人たちの口コミが唯一の手段であった。新しいリリースや稀少なアルバムについての情報を得るには、膨大な時間と労力を費やす必要があった。当時はオンライン購入がなく、レコード店が唯一の頼みの綱だった。しかし、未知のアーティストの作品を見つけることは極めて難しく、しばしば遠方へ足を運ぶ必要があった。当時のコミュニケーション手段は、手紙や電話が主要なものであり、友人や仲間との交流は限られていた。他のレコード収集者と情報を共有し、アイテムのトレードや販売を行うにも、手書きの手紙や電話で行うことが一般的であった。これらの手間と時間をかけたコミュニケーションが、収集者同士の強固な絆を生み出した。情報の遅れや不確実性が潜む中で結ばれる友情は、現代の瞬時のコミュニケーションにはない特別なものであった。 筆者も米国に存在していたサーチサービス業者に依頼するもことごとく梨の礫、さらには米国の雑誌にトレードやウォントリストを数度掲載するも全くお門違いの問い合わせがほとんどであった。中には大コレクターにつながる妙縁もあり収穫がなかった訳でもなかったが。余談だが
ようやくコレクションに加わった正規盤(右)
一番多かったのはトレードの依頼だった、いわゆる物々交換だ。ゲームソフト数本と貴重な盤と交換することもあった、時代によっては当時出たてのポケモンカード数十枚とトレードしたこともある。アイテムの詳細情報を得ることも極めて難しかった。写真や詳細な説明が容易に手に入らないため、手に入れたアイテムの実物を確認することは難しく、信頼性を確保することは至難の業であった。特に遠方のレコードショップや収集家から購入する場合、自身の判断力や信頼性のある情報の入手が求められる。それが難航することは少なくなかったが、その過程もまた、レコード収集の一環として楽しいといえば楽しい。ネット時代は検索が中心となる、Brian Wilson memorabiliaなどで検索すると幾百のSan Francisco GiantsのBrianの髭面が延々と表示されたのはいい思い出だ。 これらの試練を経て手に入れたレコードは単なる音楽のメディア以上の価値を持ち、30年以上もの歳月をかけて追い求めたレコードが手に入った瞬間、その感慨深さは言葉に尽くし難い。