ー リリース・インタビュー後編 ー
(インタビュー前編はこちら)
『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、
どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと
●コラムでも触れられていましたが、VANDA誌との出会いを詳しく聞かせて下さい。また当時影響を受けて聴き込んでいた楽曲を挙げて、その魅力を語って下さいますか。
◎吉田:1995年頃に大学時代の友人から『VANDA 18号 Soft Rock AtoZ大辞典』を借りたのが出会いでした。それ以来、手に入るバックナンバーは全て買い揃え(その年に、地元である徳島に帰省した際、今は無き「アダムと島書房」で18号を手に入れる事ができた)読み耽り、若い頃に多大な影響を受けました。
その頃は、ソフトロックばかりでなく、モンド/イージー・リスニングも、新譜の12inchをよく買っていたテクノ/ハウスやD’n’Bやビッグ・ビーツやガバも、当時はダサいとされていてほとんど見向きもされていなかったテクノポップ/テクノ歌謡も、和洋問わず60’sも70’sもソウルも、クラシックも現代音楽も、当時のUKロックもと、当然限度はありますが、訳隔たりなく聴いていた(J-POPは好んでいなかった)様に思っていて、当時の聴いていたものの記憶といえば音楽それ自体よりも、それぞれのジャンル毎に話せる友達はいても、全てに話が通じる友達がいないという悩みを抱えていた事がパッと頭をよぎります。
脱線してしまいましたがVANDAの話に戻すとやはり、「赤い鳥 / LOVE HIM」「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」になります。
「赤い鳥 / LOVE HIM」はVANDAの出会いとほぼ同時に出会っていまして、僕のコラムでも紹介したテープに入っているのですが、LOVE HIM含むアルバム『赤い鳥 / WHAT A BEAUTIFUL WORLD』は「え?こんな内容が良くて音も良いレコードが評価されずに500円コーナーで売られているの?」と本当にショックを受けて、何度も聞いたし何度も買ってプレゼントしたものです。音楽的な面以外にもレコードの買い方に多大な影響を受けたと思います。
「INSTANT CYTRON / Adventure monsters」は本当に大好きで未だにDJでも使うし、自分がDJでかけた中でも1番使っている曲です。真似するという意味ではなくですが、こんな曲を一生に一度でも書いてみたい、と思っている曲で、端的にいえば聴いた人は全員が好きになる曲だと僕は信じて疑わないので言葉にならないです。言葉はいらない、というか。選曲したプレイリストを聴いて貰えばわかりやすいと思うのですが、音はちゃんと(当時の)新譜の音なのに旧譜と混ぜても違和感がない、でもやっぱり新譜の音という。曲やアレンジの素晴らしさもさることながら、僕が理想とするミックス(音像)を当時から既にやられているという、全方向に魅力のある曲です。この辺りは僕が作編曲家での仕事の際、指針にしているくらい、多大な影響を受けています。
インスタント・シトロンといえば名曲「STILL BE SHINE」がありますが、現在カノサレ(旧ユニット名・彼女のサーブ&レシーブ)が歌い継いでいます。そして、カノサレといえば名曲「Cheerio!」はDJで僕は必ずと言っていいほど使いますし、シトロン結成初期に制作されていた楽曲です。
こういう音楽の世界観を持ったアイドルもいるので、WebVANDA読者さんでアイドル聞かず嫌いな方がいらっしゃいましたら、それは勿体無いので、よかったらアイドル楽曲にも触れてみて下さい。
『VANDA 18号Soft Rock AtoZ大辞典』
吉田哲人 プレイリスト
●熱心なVANDA誌の読者だったようですね。現在の音楽活動に少なからず影響を与えていれば、弊誌創刊者の佐野邦彦氏や当時の関係者も喜んでいると思います。
それで赤い鳥ですが、確かにその高い音楽性とは裏腹に過小評価されていますね。シングル『竹田の子守唄/翼をください』(1971年)はミリオン・ヒットとなり、「翼をください」は後世に残る名曲になった訳ですが、同曲作曲者でプロデューサーの村井邦彦氏は、彼らを和製フィフス・ディメンションにしたかったんでしょう。それが70年初頭の日本では広く受け入れられる土壌がなく、早過ぎたと言えます。
様々な考え方があると思うけど、所謂ソフトロックというのは、60年代中頃から70年代前半の当時の欧米産ポップスの一つのモードなんですね。複雑なコーラスと豊かなオーケストレーションを施したサウンドは、先進国で社会経済状態が高く、文化的水準も成熟しないと受け入れられない。だから当時日本では一部でしか認知されなかった。高度成長期からオイルショックを挟んで社会の経済状態が平均化していった70年後半になってやっと、赤い鳥解散後に5名の内3名で結成されたHi-Fi Setや、村井氏のアルファレコード絡みではサーカスといった、洗練されたサウンドを持つコーラス・グループがヒットしていくんです。
その後80年代後半から90年代初頭の音楽フィジカルの変革期、アナログからCDに移行した時期に多くの過去アーカイブが再発見されます。
再評価された中に赤い鳥の『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』も含まれていたんだろうと思います。推されている「Love Him」は、ほぼ無名の英国人シンガー・ソングライターのピーター・ランサムのソングライティングですが、バカラックの「Do You Know the Way to San Jose」に通じるボサノヴァのリズムを基調とするジョン・フィディによるアレンジが効いていると思います。主にロンドンのエア・スタジオでレコーディングされたこのアルバムは、村井氏と知己のあるプロデューサーのジャック・ウィンズレーのコネクションでしょうね。
INSTANT CYTRONのメンバーは、世代的に音楽フィジカルの変革期に青春時代を送って、かなりのマニアになった方々ですよね。渋谷系のメインストリームには属していませんが、ソフトロック・リバイバルに貢献したと思います。推されている「Adventure monsters」(『CHEERFUL MONSTERS』収録/1997年)は、曲の骨格は東海岸と西海岸ポップスがよくブレンドされていて、The Brady Bunchなどチルドレン・ソフトロック系コーラスが被さっている隠れた名曲です。
初期メンバーの松尾宗能氏と片岡知子さんがカノサレに提供した「Cheerio!」は私も好きで、以前SNSでも指摘しましたがローラ・ニーロのソングライティングの影響下にある名曲ですね。
プレイリストの洋楽では2曲挙げたサークルやカーニバルから、フルーティストでマルチプレイヤーのJeff Afdemが率いたSpringfield Rifleやアラン・コープランド・コンスピレイシーというマニックなグループの曲まで選んでいますね。またブラジリアン・コーラス・グループのトリオ・テルヌーラも気になります。これらの曲への思い入れも語って下さい。
◎吉田:サークルの2曲は僕が影響を受けている曲です。「Turn-Down Day」はサビのベースライン、特に「デレレレデレレレ(DFAFDFAF)」というフレーズは僕のテンポが早い曲によく登場します。
「It Doesn’t Matter Anymore」は、Capsule中田君から『contemode V.A.2』への参加を打診されたときに、どんな曲作ろうかと考えながらプリプロ・スタジオにあったアップライト・ピアノで何となくこの曲のコードを弾いていたらメロディが浮かんできて、それが「キーファー・サザーランドみたいな奴」となりました。コード進行とピアノの左手の方に影響が残っています。『On The Frip Side』が初出ですが、やはりサークルの方が最初に聴いた(手に入りやすかった)のもありますし、影響大です。
「Hope / The Carnival」はイントロから心掴まれますが、サビのオルガンのグリッサンドが特に最高!DJの時はエア・オルガンしているくらいです。皆さんもエア・オルガンをやる際はグリッサンドしている箇所としてない箇所をきちんと覚えてやってみて下さいね(笑)。アルバムには「Love So Fine」も収録されていて、割とみんなはそっちを選ぶけれども、僕は断然Hope!
「That’s All I Really Need / Springfield Rifle」はソフトロックが好きになったあと東京に遊びに行ったときに、当時、ファイヤー通りに面した建物の2階にあったHi-Fi Record Storeに初めて行った時に教えてもらって買ったレコードの内の一枚です。その時はソフトロックの他にもAORを教えてもらって、それまで聞かず嫌いだったAORはこんなにも魅力ある(ビジュアル除く)ジャンルだったのか!と視野が広がりました。この曲は配った僕のミックスCDにも入れた記憶があります。
「Frenesi / The Alan Copeland Conspiracy」も、よくDJでかけました。この曲は僕がアルバイトで働いたことがある、かつて大阪心斎橋アメリカ村にあり、現在はネット店舗になっている中古レコード屋Siesta Recordで買いました。Siesta Recordは大好きなお店でして、通い始めた頃は雑居ビルのワンフロアをいくつかに区切った(他の店は中古レコード店ではない)中にあって、小さいながらに良いレコードだらけという夢のようなお店でした。
この曲が収録されているアルバムはHi-Fi Record Store監修の『フィンガー・スナッピン・ミュージック』シリーズで世界初CD化されました。そのCDの解説を僕が書いているとかいないとか…(小声)。
『SOFT ROCK The Ultimate!』
僕とVANDAといえば、そう、トリオ・テヌルーラだね。って事情を知らない人からしたら何のこっちゃ分からないと思いますが、2000年頃にキップソーンの中塚武君が、『SOFT ROCK The Ultimate!』(Soft Rock A to Zシリーズ/2002年)でのウチさんのインタビューに答えて紹介していた、『Trio Ternura / same』は、僕がDJでかけていたのを中塚君が聴いて気に入ったようで、見かけたら買っておいてとその場で頼まれました。その後、僕はもう一枚を見つけ、彼に譲ったものが紹介された、という逸話があるレコードです。インタビュー中に僕の名前も出ていましたね。「Sempre Exite Alguem」がそのときにDJでかけていた曲です。
●幣サイトのカラーとは異なりますが、アシッド/テクノ系サイドのアルバム『The World Won’t Listen』についてお聞かせください。
レディメイド時代も含めポップスをマニアックに聴かれていたと思いますが、その対極になるミニマルなテクノ・ミュージックを好むようになって、自ら制作された理由はなんでしょうか?
『The World Won’t Listen』
『The World Won’t Listen』トレーラー
◎吉田:高校2年生の頃に曲を作り始めたのですが、その頃は電気グルーヴの影響もあり、作るものはテクノ志向でした。ですので、どちらかといえば原点回帰の方向性がテクノ、といえます。また、マニピュレーター時代はサンプリングを使用することも多かったのですが、その制作法は今後通用しなくなるだろうと当時から常々感じていたので、辞めた後はコードなり楽器の演奏なりを一から自分で構築する制作スタイルにするために最も馴染みのあるテクノで、となりました。あと、マニピュ仕事やアレンジ仕事などの派手な、いわゆる業界仕事に嫌気がさしていたのでポップスから離れ、独りで完結させるストイックなアーティストになりたかったのも当時ありました。
●こちらのアルバムの曲作りやアレンジ、レコーディング中の特筆すべきエピソードを聞かせて下さい。
◎吉田:このアルバムの楽曲の1番新しい曲でも10年以上経っている曲なので、ぼんやりとしている部分もあるのですが、マニピュ時代はレコードに頼っていたところがあり、どこか罪悪感というか、自分は借り物だ、偽物だという思いが消えず、現状をなんとか打破せねばと思っていたのですが、マニピュをやっている限りは時間も取れず、そういった中で派手にコード展開や装飾が施されるポップスの世界での挫折感もあったため、最後の方はすっかり自信がなくなっていました。辞めた後は、まずは基礎からやり直しと思い、1小節だけをきちんと作っていき少ない素材でいかに展開していくかを再学習し、それが2小節になり4になりと、曲の世界を広げていければポップスもまた作れる様になる。最低限、16小節良いのが出来ればCM仕事にも繋がるだろう、と思っていたのを覚えています。まあその考えが、後に一度引退を決める2012年のクリスマス・イヴを招いてしまう訳ですが。
『The Summing Up』収録の「昔も今も」(これもサマセット・モームのタイトルより引用)、実は『The World Won’t Listen』収録楽曲が作られていた頃の曲ですが、アンビエントな元のデータを活かしつつリアレンジした曲で、CD収録バージョンは人によって、The High Llamasぽく感じたりTanzmuzikっぽく感じたりするかもしれないのですが、思い返してみると当時、真剣にテクノな曲を作ってはいたものの『The World Won’t Listen』収録曲の大半を俯瞰で見た(聞いた)とき、どこかで結局、自分は(楽曲構造上は)ポップスの人なんだなあと、テクノを作っているつもりでもここはイントロ、ここはAみたいな構成を意識してしまっている自分に気がつき、半諦めの様なものを抱えながら「昔も今も」を作ったように記憶しています。
また、アルバム全体的に見ると声が入っている楽曲が割りと多く、そのことからも割と最初から心の底では意外とポップスを作りたかったのかな、と、今となっては思います。
『The World Won’t Listen』は元々仮タイトル『Deep Purple』としたアルバム収録曲を中心に構成されている(詳しくはCDのライナーノーツ参照のこと)のですが、そのアルバムは発売中止(放棄)を二度も喰らいました。発売中止は当然心に傷を受けてしまうのですが、制作中にポップスの人だと意識したことで自分が出来ることと出来ないことは少し見えたので、その点だけは経験として良かったように思います。
そして、ポップスの人だと気づいたとき、テクノ・テイストのアルバムを出した後に所謂テクノポップな作風という訳でなく、レディメイド時代のような古いレコードが好きな人が作るポップスのアルバムも作り、その両方の作風が作れるアーティスト路線という考えも芽生えましたが、2000年代はジャンルの壁がまだ高かったのか、ポップスとテクノを融合させずに別々に、同時にその両方をやる人、また、それをする事を理解してくれる人(レーベル)は周りにはいませんでした。別々のジャンルを別々のまま同一人物がやるのではなく、それらを融合させようとするのがアーティストの姿勢として当然だ、みたいな時代の空気があったんでしょうか…。今の若い人はいろんなジャンルをやる事も普通ですが、当時、僕のように両方をやろうとするのは、ストイックになれずに、どちらも選べない中途半端な人のように思われていた節があります。時代と合ってなかったんですね。駄目な僕、I Just Wasn’t Made For These Timesって感じ。。。
現在、僕の作品がリリースされる時によく使われる「アシッドからソフトロックまで」というフレーズは、僕が楽曲提供した「竹達彩奈/マシュマロ」「チームしゃちほこ/いいくらし」(発売時期は違うが制作開始はほぼ同時期)を並べて称してくれた、ある友人の言葉から頂いているのですが、僕自身が自己の作品では2012年末に完全に諦めた(この辺りもCDのライナー参照のこと)構想的なものを、翌年(2013年)にアイドルに楽曲提供という形で実現できた事は嬉しくもあり、また、色々な意味で運命的なものを感じたりもしました。
あまりDisc2について話をしておりませんが、自分にはこれらの曲があるから商業音楽の世界を目指せた、と思っているくらい思い入れがあります。特に「Cosmic Soul」という曲は作った19歳のときに「これを超える曲は出来ないや。」とある種の到達点と感じた曲です。そこから違う音楽性を求めて現在に至ったんだな、と。
そういえばDisc2収録楽曲の制作時は相方がいた時期があったのですが、ある日、僕が「こういうのを作りたいんだよ。」と言って『The Beach Boys / Smile』の海賊盤を聴かせたところ「全然わからない。これの何を指して、何を言いたいのかやりたいのかもわからない。」って言われてガッカリしたのを思い出しました…。
●かなり本音を語られていますが、業界仕事としてポップスに深くかかわったことに嫌気がさして、そこから離れてテクノ系楽曲を制作している過程で、“ポップスの人”だと気づいてしまったという下りが、吉田さんの音楽職人としての人生を象徴していて、実にドラマティックでした。極端に表現すると『猿の惑星』(1968年)のエンディングで、核戦争で朽ち果てた自由の女神像を目にして愕然とするテイラー大佐というか(笑)。避けていた人類の愚かさにより荒廃した故郷に、図らずも回帰していたという。
まあ音楽クリエイターをしていて、大いに悩んだ時期があったというのは、ブライアン・ウィルソン・シンドロームなのかも知れませんね?
●では最後に本作『The Summing Up』と『The World Won’t Listen』のアピールをお願いします。
◎吉田:書き散らかした楽曲を集めて自ら歌った『The Summing Up』で自分がどういう人間なのか、歌声もふくめ初めて俯瞰で見られた気がします。ただ、ポップス面だけがクローズ・アップされるとそれはそれで、なんか違う!と悩んでいたのですが、それは『The World Won’t Listen』収録曲を作っているときも同様で「これでテクノ・アーティストとしてだけ見られてしまったら、これからの人生、果たしていいのだろうか…?」と感じていました。この2枚(同時購入特典の『Another of The World Won’t Listen』を含めると3枚)を同時に発売することで、自分はこういう人間だ、と初めて対外的に見てもらえるようになりました。
また、僕がやっていることはNEO NEW MUSICなのだ、と他の人が言われて「ひとめぐり」「光の惑星」「ムーンライト・Tokyo」が並んでいるのをみたとき、それらのシングルはパロディジャケットというのもあり、ニュー・ミュージックの現代版がやりたいのかな?シティ・ポップの言い換えかな?みたいに思われていたかも知れないですが、今回のアルバム(特典CD含む)3枚で、NEO NEW MUSICとはなんぞや、というのをビジュアル面と音楽面で伝えられる作品になっていると自負しております。単にニュー・ミュージックの焼き直しではない、という。その為に3種類同時に出す意味がありました。48歳とずいぶん遅咲きですが、この歳まで粘って良かったと思います。成熟と初々しさが同居する不思議なアルバムとなっていますので、出来ればどちらも購入して頂きたいのですが、各々の音楽的嗜好があると思いますから、どちらかでも構いませんので良かったら手に取って頂けると嬉しいです。
どちらのアルバムもサブスク配信はしばらくございませんので。
【吉田哲人ライブ情報】
11/26に、中野heavysick ZEROにて
『ROMANTIC TECHNOLOGY 96 ~10th Anniversary Party~』。
こちらはテクノのライブ・イベントです。
ROMANTIC TECHNOLOGY 96
10th Anniversary Party
2023.11.26(日)
中野heavysick ZERO
OPEN&START 16:00
ご予約¥3500(1ドリンク別)
当日券¥3800(1ドリンク別)
-LIVE-
おわりからはじまり
吉田哲人
Sigh Society、Cherryboy Function、アシッド田宮三四郎
Mitaka Sound、サトウトモミ、inko、CrazyRomantic
-DJ-
サカエ コーヘイ、FQTQ、本間本願寺、
Kamaida Negami、Cyte、mukuro-jima
−VJ−
PORTASOUNDS、4DK
-FOOD-
ラブエイジア四ツ谷
★
そしてリリース・ライブ・イベントが12/3に、神保町試聴室にて
『吉田哲人”The Summing Up”発売記念ライブ』です。
ゲストにインスタント・シトロンの長瀬五郎さん、カノサレ、Hau.、
ユメトコスメという豪華キャストをお招きして開催いたします。
吉田哲人「The Summing Up」発売記念ライブ
2023.12.3(日)
神保町試聴室
OPEN 16:00 / START 16:30
予約 3500円 / 当日 4000円
(1ドリンク, スナック込)
出演:
吉田哲人
カノサレ、長瀬五郎(INSTANT CYTRON)、
Hau.、ユメトコスメ
★
12/8にはファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
というイベント講座で、「曲、そしてアルバムづくり編」と題し、
アルバムのあれこれをトーク致します。
ファロ大學 芸術学部 講座『ラフからフィニッシュまで』
「曲、そしてアルバムづくり編」
珈琲 FALO
2023.12.8(日) START 19:00
聴講料:2,500円
講師:吉田哲人/作編曲家
★
(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ)
0 件のコメント:
コメントを投稿