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2023年10月21日土曜日

Let's Have A Luau!

Luauの数々(Candix-X-Ariola 筆者蔵)


 Hawii州Maui島を先日山火事が襲った、現在も復興中であり1日も早い復興を祈念する。Maui島には偶然Kokomoという地名があるが、The Beach Boysのヒット曲で脚光を浴びた当地はカリブ海に比定されている。Hawaii繋がりで言えば、The Beach Boysの記念すべきデビュー盤(1961年Candix 331)のB面「Luau」がある。後年「Pet Sounds」製作時にメンバーがあしげく通ったレストランもThe Luauだ、インスト曲「Pet Sounds」の南国風味はこれらの影響か?



 Luauとは何か?Hawaii旅行の経験があればLuau showなどの名前で催されるディナーショーなどでLuauの名を耳にしているだろう。現代のLuauは、Hawaiiの観光業において重要な位置を占めており、観光客にとってHawaii文化を体験する素晴らしい機会となっている。

Luauはそもそも、Hawaii文化における重要な伝統的な祝祭の一つであって、彼の地の歴史や文化を祝うために何世紀にもわたりさまざまな目的で開催された。出生、結婚、戦勝などの重要な生活の出来事を記念するためと同時に、宗教的な儀式や酋長や高位の人物を称えるためにも使用された。

 数百年前に遡る伝統で、古代のLuauは「ʻahaʻaina」とも呼ばれた。"aha" は「集まり」を意味し、「aina」は「食事」を意味する。一般的に、通常のLuauよりも各式のあるもので、伝統と儀礼に焦点を絞ったイベントであった。この名称は、タロイモの葉とココナッツミルクで調理された伝統的な地元の料理にちなんで名付けられた。Luauは広範な準備を必要とした、準備には数日から数週間かかることがあり、参加者は食べ物を集め、料理を用意し、儀式のための建造物を建て、装飾を楽しんだ。Luauはしばしば宗教儀礼で始まり、神々への食物の捧げ物やチャントや祈りで客人をもてなした。古代のLuauは単なる食事だけでなく、コミュニティが一堂に会してその機会の喜びを共有した、それは「ohana」(家族)と「hō'ike」(共有)の感覚を強化することとなる。

 近世Hawaii王家は従来の閉鎖的な慣習から無礼講を趣とする開明的なものへと転換した。従来の慣習では女性や社会の下位階級の人々は男性と一緒に食事をしてはならず、祭りで供される特定の食べ物、通常はバナナ、豚肉、モイなどの一部のリーフフィッシュは食べてはいけないとされていた、一般的な料理、たとえばポイ、サツマイモ、他の種類の魚のみ許可された。しかし、1819年、Kamehameha2世王が女性を食事に招待し、「Luau」として知られるようになった。Kamehameha3世の1847年のLuauでは、4,000本以上のタロイモの植物、271匹の豚、482個のポイ(タロイモのすりつぶし)、2,245個のココナッツ、および5,000匹の魚を注文し、出席者に贅沢な祝宴でもてなした。同様に、自身を「陽気な君主」と称するKalakaua王も、1883年に彼の50歳の誕生日のLuauを開催し、1,500人以上のゲストを3回に分けてもてなした。

 Kamehameha3世の1847年のLuauとKalakaua王の1883年のLuauは、壮麗さと豪華さを垣間見せてくれる。これらのLuauは、Hawaiiの歴史の一部として根付いてきた豊かな文化的伝統とおもてなしの重要性を示しており、Hawaii文化における食べ物、エンターテインメント、共同体の精神が重要な役割を果たしてきたことを反映している。Kamehameha3世とKalakaua王は、Hawaiiの歴史を形作る上で重要な役割を果たし、彼らのLuauはその系譜と伝統を象徴している。


 Hawaiiがアメリカ合衆国の一部となった後もLuauは文化的な慣習として維持され、後に観光業に取り入れられ、Hawaii音楽やフラダンスのパフォーマンス、伝統的な衣装を披露している。

 一方でThe Beach Boysによる楽曲の「Luau」からはあまりHawaiiの風土が与えてくれる大きなおもてなし感がない、ややトロピカルなムードはあるものの、surfin’ musicらしささえも遠く感じる。本盤の前年1960年のヒットAnnette Funicelloによる「Pinapple Princess」のB面に「Luau Cha Cha」がある。

 曲調はラテン+ハワイアンという雰囲気の内容で「Luau」には何がしかの影響を与えたものと思われる。「Pinapple Princess」と比べればThe Beach Boysの歌詞自体「南の島だと思って一緒に楽しもう!」というテーマ故にどこかローカル感が漂う趣となっている。
 「Luau」はBrianによる「Surfin'」とともにMorgan家主導でレコーディングが行われたことは明らかだ。それ以前にAlとその学友、Brianと学友、またはWilson兄弟中心のグループが数度にわたってMorgan家を訪問し、ヒット曲のカバーを披露したことが判明している。彼らのデビューの試みは結実せず、結果的にWilson兄弟達へMorgan家からは「オリジナル曲を披露する」という宿題が与えられた。その後の展開は歴史の教える通りであるが、デビュー曲のレコーディングと同時にMorgan家からは楽曲「Luau」が提供された。Morgan家の幾多の訪問の際(時には実父Murryもいただろう)surfin’は社会現象である旨Dennisは吹聴していた。それを面白がったMorgan家のDorinda Morganはsurfin’文化についてDennisから取材し、多くのスラングや流行語を楽曲に取り入れようとしたとのことである。「Luau」の作曲クレジットはMorgan家の子息Bruce Morganであるが、実際はその母Dorindaであった。Bruceはどちらかといえば、家業の録音スタジオのマスタリング等のエンジニアリングを得意とした。Dorindaは有能なソングライターとして全米ヒットを数曲提供している。


「Luau」は「Let's Have A Luau」として登記されていた、日時はWilson兄弟がレコーディンしていた頃と一致する。なぜか翌年更新されている?




Kay Starr「The Man Upstairs」(1954年最高7位)

B面の「If You Love Me (Really Love Me)」は、もともとフランスで「Hymne à l'amour」としてMarguerite Monnot作曲、Édith Piafによって歌詞がつけられた曲が本国でヒットし、Geoffrey Parsonsによって英語の歌詞が付けられ米国でもKay Starr盤が大ヒットした。日本でも岩谷時子の歌詞で越路吹雪が歌う「愛の賛歌」として有名だ。


Bruce名義だがDorinda作?ここでもBMIとなっている

Sonny Knight「Confidential」(1956年最高8位)

 LAのR&Bシンガーでピアニストのスマッシュヒットで、B面は例によって息子のBruce名義だ、おそらくDorindaの手によるものだろう。DorindaはASCAPへの預託が多く、Bruce名義ではBMIが多い、本盤も同じ仕様となっており裏には何かがあるのだろうか?

 Morgan家は楽曲の原盤制作から楽曲の管理そしてマスタリング、レーベル運営を手広く手がけて全米ヒット曲も生み出すコングロマリットだった。経営状態が末期症状を迎えていたCandixに跳梁跋扈しロイヤルティを奪い合った幾多の業界人と、Morgan家が関連づけられて一部の評伝類で音楽業界に巣食う山師の仲間の一味にされているのは残念である。Morgan家の目からすれば、むしろWilson家の方が山師に映ったことであろう。

 「Confidential」はなんとBob Dylanによって1967年に「The Basement Tapes」セッション時カバーされている。後にBrianとBob両雄は初顔合わせしている場所はなんと、Malibuの救急処置室だった!




 「Luau」のカバーは数曲あり、南加Laguna Beach出身のDave Myers and The Surftonesがタイトルを「Laguna Limbo Luau」(Northridge Records NM101 1963年)に変えたバージョンは秀逸だ、”limbo”がついているとおり往時のHawii王家の飲めや歌えに踊らんかなのエキゾチックなインストナンバーとなっている。





 加州北西部はAtascadero出身のThe Surf Teensによる「Luan」(SSU 339 1963年)はラテン風味かつsurf色濃厚のインストナンバーだ。Los Angeles Countyの西に接するSan Bernardino County一帯は驚くべきことに、ロサンゼルスのKFWBとKRLAのチャートに登場する以前から、多くのsurf musicがKMENやKFXMはじめとするSan Bernardino County地場ラジオ局でチャート上位を占めていた。このことから、やや薄口ではあるがラテン風味の「Luau」を加えた理由としては北西部のhispanic系リスナーを意識していたのだろう。

 「Surfin'」は南西部のリスナー(surf music扱いされるには時間がかかったが)を考慮し、両者をターゲットにしたマーケティングをMorgan家が抱いていたことをうかがわせる。


(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

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