下村 誠(しもむら まこと / 1954年12月12日-2006年12月6日)という音楽ライター兼シンガー・ソングライターをご存知だろうか。
1974年武蔵野美術大学在学中から劇画製作プロダクションでアシスタントを務め、その人脈を切っ掛けに翌年ロサンゼルスに渡米し、当時のリアルなライヴ体験をしたことがその後の人生に強く影響されたと考えられる。
帰国後月刊誌や週刊誌に音楽評を寄稿したことで、本格的に音楽業界に関わることになり、76年には自由国民社の新譜ジャーナルに入社する。同年バンド「舶来歌謡音楽団」を結成し、本格的な音楽活動も開始していく。このバンドには後に佐野元春をバックアップするTHE HARETLANDのメンバーとなり、セッション・キーボーディストとして知られる西本明が参加していた。
79年12月の新譜ジャーナル退社後は、フリーの音楽ライターとして多くの音楽誌に寄稿していて、音楽家としても精力的に活動し「下村誠バンド」や「ラスタマンバイブレーションズ」(ボブ・マーリィから影響されたであろう)など複数のバンドを並行して始動させている。80年12月にはインディー・レーベル「ナッティレコード」を設立し、若いミュージシャンを発掘し育成して、2004年までに30作程のシングルやアルバムをリリースしていた。
また佐野元春との交流も彼のファンには知られていて、ヒットしたサードアルバム『Someday』(82年5月)収録の「Happy Man」と「Rock & Roll Night」、それと「So Young」(シングル『スターダスト・キッズ』カップリング/82年11月)のレコーディングにコーラスで参加している。筆者が10代前半だった頃、当時佐野氏がパーソナリティーを務めていたFM番組のリスナーだったが、下村氏がゲストで出演した回も聞いていた記憶がある。
NHK-FM サウンドストリート 佐野元春
ゲスト: 下村誠 1984.5.14 ※
この様に人並外れた濃い音楽人生を20歳代の若さで送った、下村誠という人物に興味を惹かれる読者は多いのではないだろうか。
今回紹介する『音楽(ビート)ライター下村誠アンソロジー 永遠の無垢』は、音楽ジャーナルとして彼を敬愛していた大泉洋子によって、多くの音楽誌に寄稿されていた批評記事やインタビュー記事の中から厳選し、思い入れが強いとされるミュージシャンを50音順に編集していて、生前交流があったミュージシャン達へのインタビュー記事、同業者として同時代に活動したベテラン音楽評論家達からの特別寄稿文など新たに追加した記事も多く含まれ、この書籍でしか読めない貴重なものである。
弊サイト絡みでは、VANDA誌1993年度のVol.10と12、1995年度のVol.18からエッセイがピックアップされており、弊誌佐野編集長との交流関係を伺い知れた。
全体を通して感じたのは、自らもシンガー・ソングライターである下村だからこそ執筆できたであろう、ミュージシャンとその作品に真摯に向き合った文章、彼を回想した様々なインタビュー記事や特別に寄稿された文章など、溢れ余る音楽愛に尽きるのだ。
興味を持った幣サイト読者や音楽ファンは是非入手して読んで欲しい。
【目次】
第一章 音楽(ビート)ライター下村誠の仕事1
アルフィー/伊藤銀次/エコーズ/大塚まさじ他
第二章 時代と音楽シーン
シンプジャーナル元編集長 大越正実 インタビュー
第三章 音楽(ビート)ライター下村誠の仕事2
ザ・ストリート・スライダーズ/ザ・ストリート・ビーツ/ザ・ブルーハーツ
/篠原太郎/シバ/白鳥英美子/ジュンスカイウォーカーズ/高田渡他
第四章 アーティストからの言葉(インタビュー)
西本明 スズキコージ
第五章 仲間たちからの言葉
三輪美穂 若松政美 村田博
付録 下村誠の詩(うた)/1954~2006
下村誠と彼が生きた時代の音楽シーンと世相年表
特別寄稿
田家秀樹 山本智志 中川五郎
※:FM番組のエアチェック動画ですが著作権を侵害する場合は削除します。
(テキスト:ウチタカヒデ / 画像提供:大泉洋子)
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