黄金期から続くMikeとBrianの麗しきコラボレーションが破綻しているか否か?親Mikeの文脈では当然否である。筆者は、あくまで親Mikeである、この姿勢は単なる判官贔屓ではなく一貫してきた。但しMurryの興したWilson家のファミリービジネスの継承者としての親Mikeなのである。本書は、いわゆる嫌Mike派からの「誤解を正す」目的で刊行されたという。皮肉なことに本書の1ヶ月後にはBrianによる自伝「I am Brian Wilson」が刊行され、こちらは回想録の体裁で記された。
親Brian派から見れば本書は「そこまで言うか?」というくらい当人の正当性主張のオンパレードではあるが、The Beach Boysの現在地とは一貫した企業体であり、思想であり、永続する運動体であることを我々に気づかせてくれる。さらに本書はミュージシャンの自伝には中々使われないlogistics,inflation,cost,board member,asset,agendaが時折用いられ、ワンマン社長一代記のような体裁でもある。巻末のLove家を中心とした写真の数々はMt.Vernonにあった往時のLove邸の様子が含まれており資料としては貴重だ。
知的所有権の一切はBrother Recordsに帰属した。Brother Recordsの支配権は株主が持つ、当初はWilson家三兄弟とMikeから始まり、Alの追加とDennisの死後借金との相殺で持分消滅し、Carlの死後は子らが共同相続している。そのため4者がBrother Recordsを支配する構造となっており、Wilson家は数字の上では50パーセントを支配している。The Beach Boys名義の排他的興行権をMikeが手中に収めたプロセスも明かされる。株主4者の投票を行い、Alは反対しCarlの遺児達とBrianは賛成した、Mike自身は棄権したもののWilson家の支持の多数決によりThe Beach Boysの名跡は事実上Mikeのものとなった。
同時期にAlのThe Beach Boys名称使用権はコンプライアンス違反でAlは使用が出来なくなったのだ。嫌Mike派から見れば見事な簒奪プロセスである、しかしながら株主の構成は変わらない。Mikeは主張する株主に忠実である、と。規定によりMikeの行ったツアー収益の何割かは必ず株主へ還元している、そのためツアーに同道していなくてもツアーがある限り必ずAlもBrianも成功の果実を受け取っているではないか、と主張する。
Brianとは長年家族ぐるみの付き合いがあり友情は途切れたことはない(実際子にBrianと名付けている)、しかし楽曲制作やライブ現場では上手くいかないのだ、と言う。必ず我々の間に有象無象の輩が出入りし邪魔をしてしまうのだ!Smile以降のBrianの才能の閃に、自分を初めとするメンバーの誰も反対していないし当時から深く理解していたのだ、しかしながらいたずらにBrianの天才性だけを強調し我々が足を引っ張っていたかのごとく多くの記事や評伝類で広められて非常に迷惑している。特にその矛先はSmile前後に現場を牛耳っていたDavid Anderleへ向けられる、この人物のせいで現場に薬物類が持ち込まれた。そのせいでWilson兄弟はその後自壊しグループのキャリアを傷つけた。Davidへの追及はさらに続く、自分たちのデビュー以来の楽曲の数々を管理していたSea of Tunesの身売りにDavidは内通し挙句の果てには売却先のA&Mへ論功行賞として入社しているではないか!薬物やアルコールで自壊していくWilson兄弟への支援は手を抜かなかった、一時はMikeの縁者がボディーガードを務めた程だ。
Love家は勤勉と規律を良くした、Wilson家出身の母は芸術の、強いて言えば音楽の庇護者の血統を持つ。生家の大邸宅では演奏会が行われ、職業作曲家としては不遇な叔父Murryの楽曲だけのコンサートまで開催された。宗教はルター派の謹厳実直なプロテスタントであり母系に北部ヨーロッパ系の出自を持ったMikeは明らかに米国のWASP神話を印象づけようとしており、The Beach Boysの代表者であり庇護者たらんと言いたげだ。米国社会の多様性についてはおおらかな点もアピールしている。出身校Dorsey高は当時としては珍しい人種混交のクラスとなっており、Mikeも様々な人種の生徒と接した。日本語からストリートの黒人スラングまで身につけ、作詞に大きな影響を与えている。黒人の友人も多く、R&Bの要素をいち早くThe Beach Boysの中に取り入れたのはMikeその人である。一家団欒しリビングルームで聞く形態からトランジスタラジオの発明で音楽はよりパーソナルとなる、それは家庭内の電話からスマホへの進化と同じだ、とMikeは言う。パーソナル化はラジオ番組をシングル盤中心の内容に変容させる。したがって楽曲もアピールの多いフックなどの仕掛けで、リスナーに関心を持ってもらわねばならない。Brianの美しいハーモニーだけではヒットしない、自分はフックやリフを工夫していくつものヒットに繋がった、と自慢げに解説する。
共和党への傾倒についてはそもそもBush家への接近だった、先年実現しなかったソ連公演に変わり中国本土での公演を目的とした。残念ながら中国本土へのツアーはまたまた実現しなかった。大ブッシュが大統領就任後以降共和党への傾倒が始まった、Bruceと共に地域奉仕活動の支援など保守派の活動に手を染めていく。それでも本書中自分らは政治的には不偏であると言う。実際民主党の連中の前でも演奏したし、政治的というよりは環境問題についてずっとテーマにしてきた、と主張する。
過去の楽曲におけるBrianとの訴訟については、わざわざ一章設けて「Universal Truth」などと大仰なタイトルだが、この訴訟は長年の懸念事項の整理であって、
Brianの名声を傷つける気は毛頭ない、と片付ける。その他Mikeといえば避けて通れないTranscendal Meditationの話は至る所で挿入される、一言でまとめれば「TMのおかげで頭スッキリ沈着冷静」なのだが、幾多の女性遍歴や自身の破産など奥面もなく語られる。
Brianの魔法の消えた70年代中葉以降米国内は、インフレと高金利に加え米ドルは減価し続けていった。本来ならば強い外貨獲得の為海外ツアーを行うところだが、国内のツアーにこだわりついには独立記念日の首都Washingtonでの常連となったのはMikeの功績といっても過言ではない。数十万人単位の大量動員ライブには強力なロジスティックが必要になる、そのため膨大な資金調達にMikeが腐心した様を本書は伝える。スポンサーシップの増加はスポンサー向けコンプライアンスの強化を意味する、すなわちスポンサーに悪印象をもたらさない品行方正なイメージを求められることとなる。通俗化と引き換えに俊豪は去らねばならないのか?いやそれは逆だろう、通俗化が進めば進むほどBrianは神話化されてきたのだ。
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