昭和41年(1966年)
2.-1 電子レンジの加熱システムに「ターンテーブル方式」を初めて採用した家電メーカーは?
A.松下電器(現:Panasonic) B.早川電機(現:Sharp)
C.日立製作所(現:HITACHI)
ジュン:今じゃ「何はなくとも電子レンジ」ってほどなのにね。
スーさん:だいたい今じゃ「電子レンジ」なんて言わないよ。仕上がり音から「チン」って言うくらいだからね。
ジュン:でも(日本で)家庭向けに電子レンジが発売されたのっていつ頃だったのかしら?
スーさん:昭和40年に松下(電器)が発売してる。
ジュン:あのクルクルまわって調理するタイプね。
スーさん:いやそれは、(41年に)「ムラ無く調理できる」というキャッチ・コピーで登場した、ターンテーブル付モデル!
ジュン:それも松下?
スーさん:いや早川(電機)から発売された「ハイクッカー」。ただ値段が198,000円って、とてつもなく高級品で、一般家庭ではおいそれと手を出せるようなしろものじゃなかったんだ。
ジュン:え~、そんなに!お金持ちの証って思ってったカラーテレビよりも高かったのね。
スーさん:そんな家庭用が発売される前は、新幹線のビュッフェ(当時の食堂車の呼び名)で業務用の調理なんかに使っていたらしいよ。
ジュン:そういえば、あそこで食べたカレーは「ボン・カレー」の味がしていたような覚えがあるわ。
スーさん:一般庶民が手軽に使えるようになったのは、万博開催の年に10万円を切る(99,800円)「エレックさん」が発売されてかららしいみたいよ。
ジュン:「エレック」してみませんか♪ってCMあったわね。そういえば家のレンジには「調理完了までドアがあかない」って書いてあったような覚えが…。
スーさん:それラッチ方式モデルの「ハイクッカー」(118,000円)だよ。
ジュン:家のお母さんは昔「クッキング・ジョイ教室」ってメーカー主催の料理教室に通っていたわ。
スーさん:日立がお手軽モデル(89,800円)を発売した46年に宣伝用で開催していたらしいね。
ジュン:元祖クッキング・スクールね!
正解 B
2-2.食品でのベストセラーは数限りなくありますが、そんな以下の大ヒット商品の中で、昭和41年生まれでないのはどれでしょう?
A.ハウス・バーモントカレー B.グリコ・ポッキー
C.亀田製菓・柿の種
クミ:甘いものっていえば「ポッキー」ね!
ヒデ:ポッキーは昭和41年から発売してるベストセラーだからね。今じゃ世界30ヶ国以上で年間5億円以上も売れているんだよ。1時間あたりで6,000個も!
クミ:そんなに!
ヒデ:でも発売当時の商品名は「チョコテック」。
クミ:え、何それ?
ヒデ:テクテク歩きながら食べるという意味で付けらしい。でも先に(他社で)商標登録されていたことが分かって、食べた時の「ポッキ」という音から「ポッキー」にしたって話だよ。
クミ:「改名大成功!」ってことね。
ヒデ:グリコの商品名は頭に「パピプペポ」が付くとヒットしているみたいだよ。「パピコ」「プッチン・プリン」なんか。
クミ:「プリッツ」も!
ヒデ:ポッキーっていったら、京都・大阪のデパートじゃ「Baton d’oll」(501円)って高級ポッキーが限定発売されているみたいだよ。
クミ:ポッキーは、お酒のお供にも欠かせないわ。
ヒデ:俺、つまみっていえば「(亀田の)柿の種」!
クミ:私も!
ヒデ:「柿の種」の発売も同じ年だから「ポッキー」とは同級生だね。
クミ:どっちもおつまみの名コンビね。
ヒデ:「柿の種」はいろんなメーカーから出ているけど、Jリーグ「アルビレックス新潟」の胸に大きくプリントされてる本家「亀田製菓」が断トツのシェア50%!年間売上は200億円、個数にしたら1億個!
クミ:トップ・シェアには何か秘密があるのかしら?。
ヒデ:それは種とピーナッツの割合が絶妙だからさ!
クミ:どんな割合?
ヒデ:「6:4」!
クミ:その割合ってどこから出したのかしら?
ヒデ:10万人アンケートでは、1位「7:3」、2位「5:5」、3位「6:4」なんだけど、実際に食べて飽きないのはこの割合らしいよ。
クミ:そうなのね。
ヒデ:この「柿の種」は料理にも使う事あるよね。
クミ:おつまみ系が多いみたいなんだけど…
ヒデ:ところでクミさんの得意料理ってなんだっけ?
クミ: “特製スペシャル・カレー”!
ヒデ:それって「ヒデキ、かぁ~んげきぃ~!」の「リンゴと蜂蜜」が入ったあれ使ってない?
クミ:そうよ。あなたのお家も?
ヒデ:いやうちは、「マース・チャツネ」入りの「オリエンタル・マース・カレー」だった。
クミ:私のお家はずう~っとバーモントカレーよ。
ヒデ:「甘口」が発売されたのは東京オリンピックの前の年(昭和38年)で俺は小3、クミさんは“ピカピカの1年生”!
クミ:だから私「カレーは甘いもの」だって思ってたわ
ヒデ:そういう人多いみたいだね。でも辛いカレーが苦手の子供向けに、しばらくは「甘口」だけが売られていたからね。「辛口」や「中辛」が発売されたのはかなり経ってからだから、そうなっちゃうよね。
正解 A
2.-3 2021年前年最下位からセ・リーグを制覇し、20年ぶりに通算6度目の日本一に輝いた「東京ヤクルト・スワローズ」。このチームは昭和41年から球団の愛称「スワローズ」を一時期改名しています。その名前は?
A.パイレーツ B.ロビンス C.アトムズ
ヒデ:俺の務め先の「トラキチ」嘆いてた。
とっち:二度目の「東京オリンピック」の年に「東京音頭」が響く気持ちよさ!
ヒデ:とっちって、昔からヤクルト・ファンだったんだ。
とっち:いやホントは「ジャイアンツ・ファン」、でもアニメ・ファンの喜ぶことやってくれたんで、ひいきしちゃった。
ヒデ:それって「アトムズ」!
とっち:え、ヒデも覚えてるんだ。
ヒデ:ウチはオヤジが国鉄職員で、昔「後楽園球場/国鉄職員謝恩招待試合」ってのがあって、(小学校)低学年頃は毎年夏に家族で見に行ってた。だからスワローズは身近だったんだ!
とっち:静岡で「スワローズ・ファン」ってレアだね。
ヒデ:いやホントは「ジャイアンツ・ファン」だったんで、「国鉄VS巨人」戦観戦して、「ジャイアンツの負け」をおふくろに八つ当たりしていたみたい(-_-;)
とっち:やっぱジャイアンツなんだ。
ヒデ:だって金やん(注:1)だけのチームって感じだったもん。
とっち: 事実だから何にも言えません(-_-;)
ヒデ: だから小6の時(昭和41年)に帽子のロゴが「a」になって「(鉄腕)アトム」のプリントされたユニフォーム見たときは衝撃だった!
とっち:アニメ・ファンにとっちゃ、「イェイ~!」ってとこ。
ヒデ:でも弱かった。ひどい時は首位と45.5ゲーム差(昭和45年:勝率264)だもんね。まるで「千葉パイレーツ」(笑)
とっち:そこまで言う!ただ(昭和)48年に虫プロ(注:2)倒産という事情もあって、翌年(49年)から今の「スワローズ」に戻しているね。
ヒデ:「昔の名前で~出ています♪」だね。
とっち:でも、昔は各地にいろんなチームがあったんだよ。例えば「埼玉西武ライオンズ」の元は九州の「西鉄ライオンズ」の現在形なんだけど、このチームはセ・リーグの「西日本パイレーツ」を吸収合併して出来たんだぜ。
ヒデ:え、「パイレーツ」って日本にもあったんだ!
とっち:たった1年だけ(昭和25年)だけどね。それに京都にもプロ野球のホーム・チームあったんだぜ。
ヒデ:京都のプロ・チームっていえば、今なら「京都サンガ」。
とっち:ところがあそこにも今の「DeNA」に吸収される「松竹ロビンス」(セ・リーグ)があったよ。
ヒデ:昔はプロ・スポーツは野球くらいだったから、今の「Jリーグ」みたいに全国にいろんなチームがあったんだ。
正解 C
2.-4 今や日本の国民食「インスタント・ラーメン」。では以下で発売が一番の後発商品はどれ?
A.日清・チキンラーメン B.エースコック・ワンタン麵
C.サンヨー食品・サッポロ一番
ヒデ:今はSNSなんかで「名店」探しやっているけど、昔は口コミでうまい「インスタント・ラーメン」しか探せなかった。
やっちゃん:そういえば、うちの近所じゃ「チキン・ラーメン」ってあんまり見かけなかったから。
ヒデ:うちの定番は「(マルちゃん)ハイ・ラーメン」や「(エースコック)ワンタン麵」だったね。
やっちゃん:「ハイ・ラーメン」は麵が太かったんで、お湯をかけただけじゃ固くって、いつも鍋で煮込んで食べてた。
ヒデ:だから同じ煮込むんだったら、「ワンタン麵」の方がうまいって感じてた。でも安く売ってるのは「ハイ・ラーメン」だったみたいで、おふくろが買ってくるのはそればっか。
やっちゃん:でも「チキンラーメン」は俺が1歳(昭和33年:1958年)の発売なのに、どうして草薙(注:3)近辺で出回らなかったんだろう?
ヒデ:当時は流通が整備されてなかったからじゃないかな?だって日清は「関西」のメーカーで、静岡は「関東圏」の枠だったから。
やっちゃん:でも「ワンタン麵」は本社大阪の「エースコック」なのに売ってたじゃん。
ヒデ:あれは昭和38年発売なんで、流通がスムーズになっていたのかも?
やっちゃん:大人の事情(笑)
ヒデ:エースコックっていゃ、すぐになくなっちゃったけど渥美清がCMやってた「チャンポン麺」も。憶えてない?「チャンポン麺だね~♪」「おいしいかい?そう、よかったね!」てやつ。
やっちゃん:うん、そういやどっかで聞いた気がする。
ヒデ:ただ「ワンタン麵」といえど、入っているのは「ワンタンの皮」だけ。
やっちゃん:そうだったね。だから、静岡の中華料理店で正真正銘の「ワンタン麵」食べたときにはひっくり返る程びっくりしちゃった! だけど日清から「具入りワンタン麵」も出てたよね!
ヒデ:でもあれは値段が普通の即席麺の倍近くしていて、質より量が欲しかった頃には手を出しにくかった。
やっちゃん:でもインスタント麺の革命は「サッポロ一番」だよ。
ヒデ:うん、あれを初めて食べたのは、友達んちだったんだけど、ラーメン屋の味っぽくってうまかった!
やっちゃん:でも極めつけは、「味噌ラーメン」(43年)と「塩ラーメン」(46年)だよね。特に「塩」に付いている「切り胡麻」は最高!
ヒデ:俺はもう売ってないけど、「ごま(しょうゆラーメン)」好きだったなぁ~。
やっちゃん:でも「オイルショック」で、軒並みの値上げラッシュにはまいったんね(-_-;)
ヒデ:ただ「庶民の食」であるはずの「インスタント・ラーメン」の値上げ発表会見で、あるメーカーの社長は「高いと思う方はご購入されなくて結構」だと。
やっちゃん:それって(高度成長期)池田(勇人)総理大臣(注:4)の「貧乏人は麦を食え」発言に並ぶ暴言だね!
ヒデ:(昔の)ことわざに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ってあるのにね。
やっちゃん:支援者謝恩会を税金使って「花見」する泥棒政治家よりはましなんだけどね!
正解 C
(注:1)昭和30年代「国鉄スワローズ」の絶対的エース金田正一投手の愛称。入団2年目の昭和26年から39年まで「20勝以上・300投球以上・200奪三振以上」を14年連続記録というプロ野球記録を持つ。昭和33年(後のミスター・ジャイアンツ)長嶋茂雄のデビュー戦での4打席連続三振奪取は語り草。昭和40年には巨人に移籍、日本球界不滅の金字塔通算400勝を達成した大投手。昭和48年にはロッテ・オリオンズ(現:千葉ロッテ・マリーンズ)の監督に就任し、「金やんダンス」等のパフォーマンスで、パ・リーグの人気を盛り立てた。 なお翌年チームを日本一に導いている。
(注:2)正式名称「虫プロダクション」。漫画の神様・手塚治虫先生が昭和36年に創立したアニメーション専門のプロダクション。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」等ヒット作を続々世に送り出し、テレビ・アニメの時代を切り開いた。昭和48年には倒産するも、虫プロ出身者がその後の日本のアニメ界を盛り立てた功績は計り知れないほど。
(注:3)現静岡市を横断(静岡~清水間)する静岡鉄道と、JRが交流する唯一の停車駅(旧:清水市)で、静岡県立大学・常葉大学・静岡サレジオ学園が立地する学園タウン。この地名は戦前に巨人・沢村投手が現役大リーガー相手に好投した球場「草薙球場」でもよく知られている。
(注:4)吉田茂総理の右腕と言われた通称「吉田学校」の優等生。多くの閣僚を歴任し、昭和35年以降3期(第58~60代)内閣総理大臣に就任した日本の大物政治家のひとり。そんな彼が昭和25年大蔵大臣就任時に発したとされる失言のひとつ。
(文・構成:鈴木英之)
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