Pages

2022年4月23日土曜日

Back In The USSR

 筆者がかねてから予想していた 60周年」 ツアーが開始されている。 しかしながらBrian 閥の合流はない。Scott Totten, Brian Eichenberger, Christian Love, Tim Bonhomme, John Cowsill, Keith Hubacher and Randy Leagoらの同道がアナウンスされており、チケット購入サイトでもBrian,Al,Davidの出演がないことを購入の際の注意としているほどだ。



本年(2022年)のツアーロゴ-欧州ツアーも予定されている


 Brianサイドの本ツアーへの反応は無く、2月下旬がUkraine事変と重なったためにTwitterでは同国の窮状に向けたメッセージを掲げている


226日のBrianによるTwitter


 Ukraine事変後ツアーに専念している様子がMikeTwitterからも伝わるが、一方でネット上で流れている下記の画像は別の事情を物語っている。


CPACに登壇するMike


 CPACとは共和党保守派支持団体が主催する保守政治行動会議のことであって、近年Donald Trumpの言動で注目を集めているイベントだ。CPACにはTrump以外にも共和党右派の論客が集まり、Putin体制賛美を公然と主張する者までいる。TrumpUkraine事変当時には後に撤回しているがPutinの事変に対する手腕を賛美していた。

 MikeTweetもこの党派性からの影響下にあるものと伺われるが真実は如何に?

 対照的にBrianUkraineへ心を寄せている、そして米国は物資のみならず軍事的援助も行う。現地の通信インフラを支えるのは電気自動車メーカーTesla社の創業者Elon Musk率いるSpaceX社のテクノロジーだ。同社はHawthorneに本拠地を置く。HawthorneBrian誕生時は航空産業が花開き、独ソ戦にあったソ連邦へ多くの援助が行われた。約80年後の今日にあって同種の援助は露国に対峙するUkraineへ行われる。映画と音楽の都であると同時に軍都である加州の歴史がBrianTweetの背景にあると筆者は考える。

 またその死後も思慕し続けていると思われる、Phil Spectorの父Benjaminの出生地はUkraineKhersonSpectorまたはSpektor姓は東欧に古くからあるユダヤ由来の姓と聞く。



Phil Spectorの父Benが帰化申請時の書類

Cherson Russiaとなっている


 RussiaつながりのThe Beach Boysに関する話といえば、1968The Beatlesが渡印し現地に滞在していたMikeが「Ban In The USSR」作詞の指南をしたエピソードが有名だ。


滞在中のMike


 ソ連邦でのライブは1978年企画されたものの立ち消えとなったが、それに先立つ1969年にThe Beach Boysは東欧圏でライブを行っていた。



 五度目の欧州ツアーが計画され5月下旬から一ヶ月余の期間のうち、6/17~6/19Czechoslovakiaでの公演が充てられた。この間の映像はドキュメンタリー「American Band」で今日でも見ることができる(ただし、時代考証に誤りがあり1968年となっているが)。

 当時のCzechoslovakiaはご存知のとおり政治的に緊張した状況にあった、いわゆる「プラハの春」である。

 1968Alexander Dubčekを中心に各種改革を進めていたが、ソ連邦を盟主とする周辺国は同国の改革は悪影響と考えていた。ソ連邦との関係改善も芳しくなく、遂にはCzechoslovakia国内の臨時革命政府からの「要請」によりソ連邦とその同盟国軍は「演習」目的で同国に侵攻する(最近どこかで聞いたような話だが)その後Dubčekは政権から遠ざけられ、The Beach Boysがライブで入国した時点では、完全に政治上は無力化されていた。

ライブ会場となったLucerna Hall


 米国と現地の音響設備のギャップは大きく、現地ではマイク1~2本立てる程度がフルセットであるのに対してThe Beach Boysサイドでは20以上の入力があるコンソールが必要であったので、大量の電源を要した。そのために駐留ソ連軍上官のはからいで装甲車からバッテリーをいくつか持ち込み窮状をしのいだそうだ。さらに無い物づくしは続く、ハモンドオルガを調達したが国内に数台しかなく、しかも状態も良いものしか見つからず困窮する。また空調もほとんど機能せず東欧といえどもかなりの湿気と暑さに悩まされ、聴衆の大声援も加わり大きなカオスとなっていたという。Lucerna Hallで印象的なシーンは前日US国内でリリースされたばかりの「Break Away」を演奏する冒頭「この曲をDubček氏に捧げます」と見得を切るMike

「Break Away」とはソ連邦隷属からの決別を意味するのか?

一説によるとDubčekも賓客の中に居たという。

 The Beach Boysのライブが触媒というわけではないが、1968年以降Czechoslovakiaのバンドは政治状況もあり先鋭化するものが多い。

 Lucerna Hallでも共演したThe Blue EffectJazz Rock~民族音楽~サイケまで包摂する音楽性で定評がある。その他のバンドでさらにアンダーグラウンドな活動で有名なのはThe Plasutic Population of The Universeだ。

 The Velvet UndergroundFrank Zappaの世界観を体現したサウンドは唯一無二であり、そのメンバーは政権当局から睨まれ逮捕・投獄が相次いだほどだ。彼らの理解者であり、庇護者となり同国へのThe Velvet Undergroundの紹介者であるのが劇作家Václav Havelだ。

 Havelは彼らの救援活動から始まり人権擁護運動から国内の民主化運動の中心となり、とうとう文字通り68をひっくり返した’89年にCzechoslovakia大統領へ就任する。

 1968年の軍事クーデターではなく無血革命であったためビロード革命(Velvet Revolution)と称されている。実はHavelの祖父は実業家でLucerna Hall建立の立役者だったのだ。Lucerna Hallが取り持つ縁なのか?

 Havelの政権樹立後、永年失脚していたDubčekは国会議長へ返り咲き政界復帰する。当のDubčekへエールを送ったMikeはといえば、2019年の33次欧州ツアーで50年後に当たる616日の公演をLucerna Hallでしっかり行っている。


(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

0 件のコメント:

コメントを投稿