2022年3月12日土曜日

青野りえ:『Rain or Shine』(FLY HIGH RECORDS / VSCF-1776/FRCD-071)リリース・インタビュー


 女性シンガー・ソングライターの青野りえが、セカンド・アルバム『Rain or Shine』を3月16日にリリースする。音楽通のシティポップ・ファンの間で話題となった2017年のファースト・アルバム『PASTORAL』(VSCD-3197)から約5年、前作同様に鬼才シンガー・ソングライター関美彦のプロデュースにより、待望のニュー・アルバムが完成したのだ。
 筆者は2月初頭にマスタリング音源を入手し、聴き続けた結論から先に言ってしまうが、「2022年に必ず聴くべきアルバム」ということを弊サイト読者にお伝えしておく。

 レコーディングには、弊サイトでも高評価している流線形のサブメンバーでもあるドラマーの北山ゆう子とギタリストの山之内俊夫をはじめ、Negicco等のアレンジャーとして活躍するユメトコスメ主宰でキーボーディストの長谷泰宏、細野晴臣や堀込泰行のレギュラー・サポート・ベーシストである名手の伊賀航が参加している。またミックスとマスタリングは近年多くの良作を手掛けているマイクロスターの佐藤清喜が担当と、ベスト・スタッフが脇を固めている。 
 青野は昨年9月に弊サイトで紹介したThe Bookmarcsのサード・アルバム『BOOKMARC SEASON』(VSCF-1775)収録の「君の気配(duet with 青野りえ)」に参加し、その縁もあり洞澤徹の作編曲とプロデュースにより配信限定シングル「Never Can Say Goodbye」を10月末にリリースしたのも記憶に新しいだろう。 何よりヴォーカリストとして実力派である彼女の最新作をいち早く紹介出来て筆者としても非常に嬉しい。
 ここでは本作『Rain or Shine』の曲作りやレコーディングについて、青野へのテキスト・インタビューと、ソングライティングやレコーディング期間中にイメージ作りで彼女が聴いていたプレイリストをお送りするので聴きながら読んで欲しい。




●ファースト・アルバム『PASTORAL』(VSCD-3197)から約5年経った訳ですが、この期間はどのような活動をされていましたか?
また2019年に配信リリースされたThe Bookmarcsの「君の気配」に参加された経緯と、その後の活動にプラスになった点はあったでしょうか? 

◎青野:『PASTORAL』以降はしばらくライブもあまりせず、のんびり過ごしていました。humsやfeeloops(いずれも青野を中心とするユニット)で新曲を作ったりデモ制作は少し行っていました。 
The Bookmarcsのお二人と会ったのは『PASTORAL』のリリース直後くらいで、ライブにお邪魔した時に「何かあったらご一緒したいですね」、という話をしていました。 こういう話は社交辞令で終ることもあるんですが、洞澤さんはちゃんと覚えていてくれて、半年後くらいに連絡が来て、コーラスをお願いしたい曲があるということで送られてきたのが「君の気配」でした。 元々、音楽性も近いものがありましたし、この時のコラボがとても楽しくしっくりきたので、2021年10月のシングル「Never Can Say Goodbye」の制作にも自然に繋がったと思います。

「君の気配(duet with 青野りえ)」/「Never Can Say Goodbye」

●ブクマ洞澤君の律儀さが滲み出た良いエピソードですね。僕は「君の気配」に青野さんをコーラスでオファーしていることは、確か2019年の5月頃ブクマのお二人と飲んでいた時に聞いて、それから『PASTORAL』を聴いたんです。 
洞澤君とのコラボ曲「Never Can Say Goodbye」もメロウ・グルーヴ然とした素晴らしい曲で、7インチなどフィジカルでのリリースを待望しています。 

『PASTORAL』に話を戻しますが、冒頭のタイトル曲を一聴して関美彦さんのアレンジの引き出し力や参加ミュージシャンの巧みなプレイ、そして何より青野さんの歌唱力や表現力に惹かれました。
この曲でスティーヴ・ガットを彷彿とさせるドラムを叩いていたのが、Carnival Balloonのメンバーの頃から知人である北山ゆう子さんだったというのもポイントでしたね。 ところで関さんや参加ミュージシャンの方々との出会いの切っ掛けや時期は? 

◎青野:2011年にaoyamaというユニットでライブイベントに出演した際、対バンで関さんが演奏されていて、その時にご挨拶したのが最初になります。
そのあとすぐに関さんのイベントに呼んでいただいて、彼のバンドと私の弾き語りのツーマンでライブを行ったんですよね。その時の関さんバンドメンバーは北山ゆう子さん、山之内俊夫さんでした。関さんのバンドメンバー(伊賀さん、ゆう子さん、山之内さん)は当時から(おそらくもっと前から)ずっと固定でした。
メンバーの中で一番交流の歴史が長いのは伊賀さんです。

90年代中頃、まだ私が大学生の頃に、初めてバンドを組んで吉祥寺の曼荼羅でライブをしたんですが、その時対バンだったのがbenzoで、benzoのベースが伊賀さんでした。そのライブがきっかけでbenzoのメンバーと仲良くなり、シンガー・ソングライターのイノトモと私の2人でbenzoのコーラスのお手伝いをしたり、仲良くさせてもらっていました。
まだみんなデビュー前で若くて。伊賀さんも今となっては細野晴臣さんのバンドに呼ばれるようなスター・プレイヤーになりましたけど、昔から気さくなお兄さんという印象で、今でも全く変わらず接してくれるので大好きです。 長谷さんは『PASTORAL』の時に、関さん経由で弦のアレンジをお願いしたのが最初です。 

●成る程、対バンで知り合ったのが切っ掛けというのは自然な流れですね。特にbenzo時代の伊賀さんと古くからの知り合いだったというのは貴重です。現在COUCHを率いている平泉光司さんが中心になっていた名バンドですね。 
ところで本作の曲作りとレコーディングに入った時期はいつだったでしょうか?2020年からコロナ禍もあった訳で、スケジュールに大きく影響されたとお察しします。

◎青野:関さんに話をして具体的に曲づくりがスタートしたのは2021年の4月です。レコーディングは10月〜12月でした。コロナの影響はあまり関係なくて、どちらかというとメンバーの皆さまが超売れっ子なので全員揃う日程が年内3日しかなく、3日でプリブロとベーシックの録音を全て終えました。

後列左からプロデューサーの関、山之内、一人おいて伊賀
前列左から青野、北山、長谷

レコーディング中の特筆すべきエピソードをお聞かせ下さい。
前作から継続参加の方が多いですが、プロデューサーの関さんをはじめミュージシャンの方々の印象についてもお願いします。 

◎青野:関さんが事前に用意するのはギター弾き語りのボイスメモのみで、それを元に口頭でメンバーにアレンジを伝えて、メンバー全員でせーので演奏しながらアレンジを固めていくスタイルです。
時々、関さんが思っていなかった方向にアレンジが進むこともありますが、そちらのほうが良ければそのまま採用されます。伊賀さんやゆう子さんもどんどんアイデアを提案してくれます。長谷さんは細やかなコードの調整をしてくれます。山之内さんは口数少ないですが音で仕掛けるタイプです。バンドメンバーの才能がぶつかりあうマジックで曲がどんどん形になっていく様子はとてもわくわくする体験です。

レコーディングはかなり短時間でしたが、メンバーの皆さんが上手すぎるのでほぼ全曲2テイクでOK。2日で8曲のレコーディングは、かなり無茶ぶりですが皆さんの才能のお陰でやりきることができました。
ポストプロダクションでは関さんがシンセの打ち込みを加えたりしてアレンジを最終的に固めていきます。長谷さんと山之内さんにはリモートで追加録音もお願いします。どの曲も最後に関さんがまとめれば必ず良い感じになるので、やっぱり天才だと思います。

●関さんがイニシアティブを取ってのヘッド・アレンジのようで、一歩間違えれば喧々諤々とミーティングが長引いて時間が掛かると思うんですが、各者の技量と気心が知れたミュージシャン同士ならでのレコーディング・セッションでスムーズに進んだ風景が目に浮かびます。
しかし8曲のベーシック・トラックをたった2日で終わらせるのはかなり早いと思います。
 
 本作冒頭の「Waiting for you」の2小節だけのイントロは凄くセンスとインパクトがあって、直ぐに全体の完成度の高さを計り知れました。あとリフレインするコーラスの”Waiting for you・・・”に呼応するコーラスやアナログ・シンセのオブリなど、細部に渡って完璧さを感じましたね。
また「Rain Rain」の後半ブレイクの後、サンバへのリズム・チェンジ、「Blue Moon River」では所謂「That's The Way Of The World」(Earth Wind & Fire/1975年)系のボッサが入ったミッドテンポの難しいグルーヴなんですが、2テイク程で録り終えたのが信じられないです。
関さんのディレクションが的確で、それに応えられるミュージシャンが揃ったということなんでしょうね? 私が挙げた曲など本作のセッションならではのマジックの瞬間を教えて下さい。

◎青野:関さんバンドのメンバーはずっと固定というのもあって、もう関さんがあまり語らずとも、皆さん関さんの頭の中が見えているのかな、というくらいアレンジのセッションはスムーズです。 
関さんが「こんな感じ」と言って例に出すキーワードは一つか二つですが、1〜2テイクでもう関さんからOKで出るので、それがすでにマジックなんじゃないでしょうか。

「Blue Moon River」はプリプロのセッションの最初のテイクでもうほぼ完成形だったと思います。皆さん息をするようにどんどん曲が仕上がっていくので驚異的だと思います。
 「Waiting for you」、「Rain Rain」はベーシックを録った後の関さんによる打ち込みのアレンジが効いています。これも驚異的なんですが、関さんは全てのアレンジをiPhoneのGarage Bandのみで完結しています。スマホ一台であのクオリティです。

今回、一番アレンジでマジックが起きたのは「エンドロール」です。 
プリプロの時はよくあるボッサ系のゆったりした曲調でしたが、レコーディング当日にガラッとアレンジが変わりました。前の感じも良かったのですが、メンバーの皆さんが今までやった事のないテイストのアレンジにチャレンジするような雰囲気になり、皆さん「これは今の時代にアリなのか、無しなのか?大丈夫なのか?」「安全地帯みたいだね笑」と半分冗談みたいな、遊びみたいな感じで盛り上がりました。 アレンジで好き嫌いが分かれるかもしれませんが、個人的に、曲自体は一番好きな曲です。シングルカットしたいくらいです。 
ひと昔前だったら私は避けて通っていた濃厚な80年代テイストも感じますが、今の時代にどんな風に響くのか、とても興味があります。私は80年代角川映画でこれからデビューする女優さんのような心持ちで歌ってみました(笑)。 

今回のアルバムでは全体的に、本気で遊びをするような、そんな雰囲気が少しあるんです。フェイクを楽しむような。そのあたりも楽しんでいただけたらと思います。 

青野りえ「エンドロール」PV

●関さんとバンドメンバーとの意思疎通自体がマジックというのは、エピソードを聞けば聞くほど興味深いです。それとあの完璧なアレンジをスマホアプリのGarage Bandだけで完結させるというのは驚異的です。正に「弘法筆を選ばず」ですね(笑)。 

 「エンドロール」のサウンドにそういう経緯があったとは・・・、確かにアルバム中この曲だけ毛色が違って、これまでの青野さんのイメージとは異なるので意外でした。言われるように80年代角川映画のタイアップ曲でアイドル女優が歌いそうな雰囲気がありますよね、安全地帯というのも分かります。「熱視線」(85年)に雰囲気が近いです(笑)。同時代のイギリスだとフィクス(The Fixx)みたいなニュー・ウェイヴ・ファンクのサウンドね。
関さんは多くの個性的なアイドルもプロデュースされているので、「エンドロール」に関して言えば、そっち方面のテイストを持つサウンドで、バリバリのプロシンガーさんに歌わせてしまったという、一種ミスマッチかも知れないけど逆に新鮮だったという。 

アルバム全体のサウンド的には前作『PASTORAL』よりバリエーションの幅が広くなって、青野さんの新たな魅力が出たのでは、と思いますがいかがでしょうか? 

◎青野:関さん曰く、今回のアルバムはアレンジで80年代を意識されているということなので、その点で前作と比べて幅が広がったと思います。ただ関さんの曲の本質はあまり変わってないし、私の歌い方も変わっていないんですよね。 
前作と違うのは関さんがポストプロダクションでシンセを入れたり、打ち込みの作業をしている点です。あとは、佐藤さんのミックスとマスタリングで音がぐっと現代的になったのではと思います。 新しい音が好きな方にも自信を持ってオススメできる作品になりました。


●ソングライティングやレコーディング期間中、イメージ作りで聴いていた曲を 10曲ほど挙げて下さい。

■Maureen / Sade(『Promise』/ 1985年) 

■Vôo sobre o horizonte / Azymuth

■Dream Come True / THE BRAND NEW HEAVIES 

■The Sweetest Taboo / Sade
(『The Sweetest Taboo』シングル / 1985年) 

■Love Theme - From "Spartacus" / Bill Evans
『What's New』 1969年)

■Chovendo Na Roseira / Elis Regina,Antonio Carlos Jobim
 (『ELIS & TOM』/ 1969年)

■A Dream Goes On Forever / Todd Rundgren(『Todd』/ 1974年)

■All The Same feat. Gretchen Parlato, BIGYUKI / 坂東祐大 

■虹の向こうへ / 広瀬愛菜(『17』/ 2020年・関美彦プロデュース作) 



●リリースに合わせたライブの予定があればお知らせ下さい。 

◎青野りえ『Rain or Shine』発売記念ライブ 
●2022年3月26日(土)
●会場:神保町 試聴室 
●時間:16:00開場 16:30開演
●出演:青野りえ、伊賀航、北山ゆう子、山之内俊夫、
     長谷泰宏、関美彦 
●予約:3500円(1drink込み)/ 20名様限定
●ご予約は試聴室まで:http://shicho.org/1_220326/ 


●では最後に本作『Rain or Shine』のピーアールをお願いします。 

◎青野:ここしばらく、世界的に不安な状況だったり、雨がやむのを待ちわびるような時間が長く続いていますけれども、プロデューサーの関さんのつくる曲はこのご時世でもどんなときでも軽やかな明るさがあるんですよね。 
このアルバムを聴いた人が少しでも明るい気持ちになったり、元気が出たり、明るい夜明けの気配を感じてもらえたら嬉しいです。 

 
青野りえ『Rain or Shine』全曲試聴トレイラー

【青野りえのサインCD屋さん】https://aonorie.booth.pm/
※本作の他、大手CDショップのサイトで入手困難となっている1stの『PASTORAL』など過去作品も購入可能なのでお勧めです。

(インタビュー設問作成、本編テキスト:ウチタカヒデ

 

2022年3月5日土曜日

Mott よみがえれ!昭和40年代(昭和40年編)

 
 平成24年(2012年)に発刊した著書「よみがえれ!昭和40年代」に掲載できなかった「子供目線」での事象をまとめている「Mott よみがえれ!昭和40年代」。前回は私的「時代考証」として「昭和40年代」以前も含めた史実を交えて投稿しました。 

 この著書は発売されてかなり経過をしていますが、最近では読者のおひとりから「この本を読んだ痴呆気味の母が刺激を受けて元気になりました」等のお声を頂く機会もありました。そこで今回からは、著書でも使用したクイズ形式フォームで「年度別」に「大人気ない大人たちのつぶやき」という“会話風”も含め、閲覧されている皆さんも追体験している気分になっていただきながら、この時代をリアルに綴っていくことにします。 
 そこでこのシリーズを始める前に、「大人気ない大人」に登場する人物プロフィールを、若干更新して再度紹介しておくことにします。 

 <登場人物>  
スーさん(♂):昭和29年(1954)生。静岡県出身。小中学時代は漫画家志望のミニカー・コレクター、高校でビートルズに感化され音楽マニアに豹変。 
マサ(♂):昭和31年(1956)生。大阪出身。プレーヤー視点の評論に定評のある人気音楽評論家。ジェフ・ベックを崇拝するギタリストの顔も持つ。 
クミ(♀):昭和30年(1956)生。北海道出身。小五でジュリーに一目惚れ、コロナにもめげず追っかけ継続中のペンション・オーナー。 
やっちゃん(♂):昭和32年(1957)生。静岡県出身。テニスを愛するスポーツマン。若さを維持するサプリメントが欠かせない鉄道マン。 
とっち(♂):昭和31年(1956)生。東京都出身。宮崎駿監督と富田勲をこよなく愛するアニメ&音楽マニア。ビーチ・ボーイズ研究の世界的権威。 
ジュン(♀):昭和32年(1956)生。滋賀県出身。筋金入り美容エステシャンの傍ら、藤原竜也と孫をこよなく愛するグランマ。 



昭和40年(1965年) 
 1-1.明治製菓から発売されたロングセラー商品「マーブル・チョコレート」。発売直後このCMに起用されていた「マーブルちゃん」の子役は誰?
 
A.四方晴美 B.上原ゆかり C.キャロライン洋子 

 とっち:アニメの『鉄腕アトム』はマーブル・チョコレートのCMとペアだった。 
スーさん:あの当時の定番だった連呼パターン「マーブル、マーブル、マーブル、マーブル・チョコレート♬」だったね。 
とっち:あのCMタレントだった上原ゆかりのトレード・マークは髪の毛をてっぺんで丸めた「お団子結び」。 
スーさん:女の子のCMだと、ドッグ・フード<ビタワン>に出てたキャロライン洋子も思い出すよね? 
とっち:『チャコちゃん』(注1)に出てた四方晴美も<パイゲンC>のCMに出てたよね。
スーさんチャコちゃんといえば超ビッグな子役になったケンちゃん(注2)のおねえちゃん役だったね
とっち:あ、そっちのほうが有名か。でもあの当時のペットの餌っていえば、「残飯」が当たり前で、猫には「猫まんま」の時代だった! 
スーさん:明治(製菓)が(鉄腕)アトムの提供をしていた頃には、マーブルにはアトム関連のマジック・プリントが封印されていたよね。それが欲しくて買いあさったもんだった。 とっち:おまえもかよ!あのシールやプリントは、そこいらじゅうに貼りまくったっけなぁ。けど、そのうちもったいなくなって、机の引き出しに溜め込んでおいたっけ。 
スーさん:え、じゃあ、まだ持ってんのかよ? 
とっち:いや残念ながら、整理されちゃったみたいで見当たらないんだ(涙) 
スーさん:親にとっちゃゴミみたいなもんだったから仕方ないか(汗) 
とっち:そういえばマーブルのCMって色んなパターンがいっぱいあったけど覚えてる?
スーさん:新年だと年始周りバージョンで、年始回りで行く先々のお年玉に「マーブル」を貰うなんて…でもそんな安上がりにされちゃたまんないよね! 
とっち:確かに! 
スーさん:でもあのCMのお約束はフタを開けるときの「スポーン」っていう大砲みたいな効果音! 
とっち:あの音はコカ・コーラの“シュポーン”と双璧だったね。 
スーさん:そういやぁ「マーブル」のキャップ蓋3個で「レーシングカー・セット」が当たるなんて懸賞(40年)もあったよね。 
とっち:30円のお菓子で、レーシングカーなんて気合入っる! 
スーさん:あの頃「レーシングカー・セット」持ってるのはブルジョアの家だけだったからね。 
とっち:話は戻るけど、「ゆかり」といえば大人には<ゆうべの秘密>の「伊東ゆかり」だったけど、俺ら世代だとといえば、やっぱり「上原ゆかり」だよね。 
スーさん:そういえば、(山下)達郎さんなんかのバックでドラム叩いてた「ユカリ」って、苗字が上原(裕(ゆたか))だからだもんね! 
とっち:それくらはだいたい見当つくよ。でも今じゃゆかりちゃんも立派な「おばさん」だ。「私がおばさんになったら~♪」って歌ってもらいたいね(大笑)。 

正解 B 


 1-2.現在、日本のプロ野球で「東京」を冠するチームは「ヤクルト・スワローズ」。では昭和40年代に存在した「東京」を冠していたプロ野球チームとは? 

A.オリオンズ B.フライヤーズ C.ライオンズ 

スーさん:「ジャイアンツ」は昔からユニフォームの胸に「TOKYO」って付けているけど、今は「スワローズ」のものだよね! 
やっちゃんそういや昔、パ・リーグにも頭に「東京」のついたチームってなかったっけ? スーさん:昭和30年に日本一になった「大毎 (た毎日大映)オリオンズ」のことだろ!それが39年から43年まで「東京オリオンズ」っていうネームを使ってたんだ。 
やっちゃん: そのチームって、今はもう無いんだよね? 
スーさん: 今の「千葉ロッテ・マリーンズ」。その当時のオーナーが私財を投入して南千住に完成させた「東京スタジアム」(注3)にちなんでつけた名前だったんだよ。
やっちゃん: そうなんだ。でも「千葉」には“パイレーツ”あったのに(汗) 
スーさん: それは「ジャンプ」(注4)(笑) 
やっちゃん: 映画産業が傾いてきて、業務提携先にガムの業績が「コリス」を抜いてトップになったロッテに声がかかり「ロッテ・オリオンズ」になったんだ。 
スーさん:でも今「東京スタジアム」といえば平成13年調布に建設されたJリーグ「FC東京」と「東京ベルディ1969」のホーム・スタジアム「味の素スタジアム」の正式名だもんね。 
やっちゃん:球場名は野球界からサッカー界に取られちゃった(涙) 


正解 A 


1-3.昭和30年代に稼働し40年には存在していなかった「千住火力発電所」(南千住)。その構内には大きな4本の煙突が設置された。この煙突は当時なんと呼ばれていたか? 

A.おばけ煙突 B.おしん煙突 C.おのだ煙突 

 マサ:その煙突の話、(少年)サンデーで読んだことある! 
スーさん:ひょっとしたら、俺ら世代なら知らない方が珍しいかも。 
マサ:確か見る方向によって本数が違って見えるから「おばけ」みたいだってやつだよね。 スーさん:そう工場の敷地内にそびえ立ってた煙突の立ち位置が「ひし形」陣形になっていて、東西南北によって本数が違って見えるんで、こう呼ばれたんだよね。 
マサ:どんな風に? 
スーさん:まず正門斜めからは4本で全部見えるんだけど、「隅田川」からは3本、また「千住大橋」だと2本。そしてかなり遠くから見ると全部重なって1本に見えたって書いてあった。近くを走っている常磐線からも、本数変わるのが確認できたみたいだよ。
マサ:ふぅ~ん。そうだったんだ。
スーさんでもそこは38年稼動停止になって、39年に取り壊されて40年には更地。 大学時代に地方出の仲間内でよく話題になってた。 
マサ:そういや「こち亀」アニメで「お化け煙突」の話があったような気がするなぁ~ 
スーさんそうそう、「こち亀」でも「お化け煙突が消えた日」って回があった。
マサ: 当時の下町っ子にも気になる存在だったんだ。 
スーさん大学院で「展示学」を研究していたころ、亀有の「足立区立郷土博物館」に当時の写真パネルと縮小模型が展示されているって聞いて、論文の参考になるかと思って、見に行ったんだ。 
マサ: 亀有っていやぁ、駅前に両さん像があるとこだ。 
スーさんそこにあった資料によると、設立当時は予備発電所として限定稼動だったらしい。だから時々動く際に吹出す煙が火葬場みたいに見えて「お化け」となったという説もあるらしいよ。 
マサ:俺も行ってみようかな。
スーさんそこの展示物は傑作なものもあるんでお薦めだよ! 
マサ何が?
スーさん原寸大の「肥溜め」 (笑)

 
 昭和39年まで東京都足立区に存在した
千住火力発電所のお化け煙突

 正解 A 


 1-4.戦後初めて日本人で三冠王を取ったバッターは誰?  

A.王貞治  B.落合博満 C.野村克也 

とっち:小学校のころプロ・スポーツっていえば、やっぱり花形は野球だったね! 
スーさん:あの頃は絶対ON! 
とっち世界のホームラン王って言われた王選手、それに燃える男、ミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄! 
スーさん:小学校だとソフト・ボールなんだけど、みんな「1」や「3」の背番号に付けたがったもんだね。 
とっち:あの頃のスポーツ漫画はほとんど野球で、必ず二人が登場してたよね。 
スーさん:いろんな魔球が出てくる『黒い秘密兵器』(注5)や、「ミラクルA(エース)』(注6)とかにもね! 
とっち:俺たちの小学時代はONの大活躍で完全にセ・リーグ、いや巨人一辺倒になっちゃった! 
スーさん:俺、後楽園球場にジャイアンツ戦を見に行った時、球場前で王選手が目の前歩いてきたんだ! 
とっち:そりゃ、どラッキーだったね! 
スーさん:その時、感激のあまり固まっちゃった! 
とっち:でもバッターの勲章「三冠王」を戦後最初に獲得したのは、ONでもセ・リーグのバッターでもなかったんだよね? 
スーさん:昭和40年の(南海)ホークス野村選手だろ! 
とっち:それにキャッチャーでの「三冠王」は世界初だったらしいよね。 
スーさん:でも王選手は2回も獲ったんだよね。 
とっち: 落合選手はその上をいく3回も! 
スーさん:でも三人は監督になっても、“名将”だったね!

正解 C 



 注1) 昭和37年10月から放映開始したホームドラマ「チャコちゃんシリーズ(37年10月~44年3月)で、第一作は『パパの育児手帳』。最終作は第6作『チャコとケンちゃん』(43年4月~44年3月)まで、

 注2) 「チャコちゃんシリーズ第5作『チャコねえちゃん』(42年4月~43年3月)から登場した初代ケンちゃん(ケンイチ脇康之(現:宮脇健)。ケンちゃん」のタイトルがついた「ケンちゃんシリーズ」の第一作は『じゃんけんケンちゃん』(44年3月~45年2月)。宮脇は第8作『フルーツ屋ケンちゃん』(51年3月~52年2月)で約9年ケンイチを務めた。 

 注3) 荒川区南千住にあった野球専用スタジアム。オーナーは戦後日本映画界の寵児と言われた大映社長永田雅一(通称:永田ラッパ)。彼が私財30億円(土地:10億、建設:20億)を投入して37年5月竣工させた。「ロッテ・オリオンズ」に改名後の45年には10年ぶりの日本一をこの球場で決めている。その後、46年に大映の倒産に伴う連鎖で47年にわずか11年で閉鎖、52年に解体された。

 注4)「週刊少年ジャンプ」に連載されたコミカル野球漫画。作者江口寿史の代表作のひとつで連載期間は昭和52年から55年。 

 注5)「週刊少年マガジン」に連載されたスポコン漫画。主人公である巨人軍椿林太郎投手の投げる剛速球と魔球“黒い飛球”や“魔の飛球”とライヴァルの対決が繰り広げられた。この頃はトレーニング中の水分補給は禁止で、代替は「レモンの輪切り」と教えられた。原作は福本和也、作画は一峰大二で連載期間は昭和38年から40年。 

 注6)「週刊少年サンデー」に連載されたスポコン野球漫画。主人公は読売ジャイアンツ伝説の背番号4を受け継いだエース「拾呂久番太(じゅうろくばんた)」。彼の投法は地面の砂を巻き上げ噴煙でかく乱する魔球や、マウンドからジャンプして投げ下ろしたり、両手投げによる剛速球など、いかにも漫画的だった。極めつけは、プロレスラーのごとくマスクをしての登板だった。作者はスポコン漫画の第一人者で、昭和43年に創刊の「週刊少年ジャンプ」の創成期を支えた貝塚ひろし。連載開始は昭和40年。

 (文・構成:鈴木英之