今年から始めた私の新投稿シリーズ、著書『よみがえれ!昭和40年代』に掲載出来なかった未公開の私的「時代考証」「昭和40年代史」 。前回は新聞掲載に見るT.V.とラジオの勢力図を紹介しました。今回は著書にも一部掲載したT.V.番組のスポットを振り返ってみた。
2.TVの番組スポンサー
CM 昭和40年代にはテレビ番組のスポンサーは1社のケースが多くスポンサー名が大きく登場していた。それゆえ番組タイトル・ソングのエンディングでは提供するスポンサーの名前連呼やメーカー・ソングのオンエアのオンパレードだった。
その元祖といえば、私の著書のP8でも紹介しているに大村崑主演の『トンマ天狗』(昭和34年~)主題歌に登場する「姓はオロナイン、名は軟膏~」という「オロナイン軟膏」(大塚製薬)のCMともとれるフレーズ挿入。 またこれも著書のP22で紹介した『てなもんや三度笠』(昭和37年~)の藤田まこと扮する「あんかけの時次郎」お約束の名言「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」単一スポンサーならではの風物詩。このフレーズはSMAPのヒット曲や缶コーヒーCM(注1)にも登場するほど「殿堂入り」級だ。
そしてこのパターンの代表格といえば、この当時に放映されていたアニメにはあって当然のパターンだった。著書P11でもふれた『鉄人28号』(38~41年)や『遊星少年パピイ』(40~41年)『遊星仮面』(41~42年)といったの主題歌エンディングに挿入されている、「グリコ、グリコ、ぐ~りぃ~こぉ~」とスポンサー「江崎グリコ」の社名を連呼になるだろう。故佐野邦彦氏のような熱狂的アニメ・マニアはこの「グリコ」連呼が入らないと、正式なテーマ・ソングとみなさないのは常識といったところだ。
鉄人28号
メーカー連呼といえば、『ジャングル大帝』(40~41年)でもエンディングに「サンヨー、サンヨー、サンヨぉー電機」が挿入されていた。もっとも、サンヨー電機がこの番組のスポンサーとなったのは、初の国産カラー・アニメ(注2)を触れ込みにカラー・テレビ販売促進の一環だったと言われており、なるべくしてなった結果だろう。ちなみに「サンヨー」(現:Panasonic)提供番組は榎本健一(エノケン)の歌う「うちぃ~のテレビにゃ色がない、隣のテレビにゃ色がある!ありゃまキレイとよく見たら、さ~んよ~ぉカラー・テレビ♬」なる<サンカラーの歌>とセットになっていた。 そんな電機メーカーでは「東芝」がスポンサーとなっていた『高速エスパー』『日曜劇場』等では「光る、光る東芝、回る、回る東芝、みん~なみ~んなあ東芝、東芝のマぁーク」の歌から主題歌が始まっていた。なお昭和44年に放送開始した『サザエさん』では、主題歌のアニメのラストと一緒に「TOSHIBA」マークが登場し、サザエが「この番組は東芝がお送りいたします!」とコメントしていたほどだ。 それに対抗するかのようにしていたのが「松下電器」(現:Panasonic)で、スポンサー番組『水戸黄門』等では番組主題歌の前にダークダックスが歌う「明るいナショナル~みんな家中、何でもナショナルぅ~」といったお決まりの<メーカー社歌(?)>をこれでもかというほど聴かされたものだ。
またその連呼タイプ流れは製薬会社も負けてはおらず、その代表格といえば円谷プロ制作の『ウルトラ・シリーズ』主題歌前には「タケダ、タケダ、タケダぁー」とけたたましい連呼の後に「タケダ薬品」の本社の映像が登場。それに続けて三船敏郎のアリナミンCM「飲んでますか!」(CM出演料1億円!)がペアのように流れていた。また同じ本社映像登場といえば『お笑い頭の体操』(昭和43年2月~)に始まる「ロート製薬」提供の大橋巨泉司会番組でも、「ロート、ロート、ロぉート、ロおぉート製薬ぅ~」の連呼と同時に本社工場から鳩が飛び立つ映像が映し出されるパターンが、二大巨頭といえるだろう。おまけに加えると、忍者アニメ『風のフジ丸』のスポンサー「藤沢薬品」(現:アステラス製薬)も、アニメ・テーマ・ソングのエンディング、唐突に「ふじさわ~、ふじさわ~、ふじさわやく~ひん~」とメロディー・ラインに挿入させていた。ちなみにこのアニメの原作は、白土三平の『忍者旋風』だが、アニメ化に際しスポンサーに合わせ「フジ丸」に変更されたものだ。
シャボン玉ホリデー
さらにバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』では、番組冒頭でショート・コントがあり、そのオチには必ずスポンサー「牛乳石鹸」のトレードマークである牛が登場して「もぉお~」雄たけびを上げ、ピーナッツが「牛乳石鹸提供、シャボン玉・ホリデー!」とコメントしてからスタートしていた。 また「プラチナ万年筆」が提供していたバラエティ番組『プラチナ・ゴールデンショー』も、オープニング&エンディング・ソングがまさにスポンサー名が耳にこびりつく連想ソングだった。その歌詞は「プとラとプとラとチとラ~♪プラチナ♬」というもので、この曲の歌唱担当は司会を務めるフォーリーブスの役回りだった。
3.テレビ番組の時差
昭和40年代(60年代から70年代初頭)までは、地方には首都圏のキー局となるテレビ局はほぼ一局状態だった。主要都市に育った都会っ子と地方出身者では、テレビ番組をどの時間帯で見たのか全く違っていた。
ちなみに静岡生まれの私は昭和40年代前半までTBS系放送局のみだったので、一部の人気番組を除きTBS系以外の番組は首都圏とは異なった時間帯で見ている。これは昭和44年大学入学で上京後、首都圏出身の友人が出来てから判明した事実だ。
ではほんの一部ではあるが、当時の人気番組での放送時間枠を較べてみることにする。まず一般参加の買い物ゲーム『オリエンタル、がっちり買いまショウ』(NET系:現テレビ朝日)(注5)は首都圏では日曜日12:45~13:15の放映だが、この時間帯は日曜のお昼時間帯はTBS系の『ロッテ歌のアルバム』のため 静岡では土曜の14:00~14:30だった。
当時のアニメは「子供向け」という認識があり、テレビの主導権は親が持っていたこの時代、民放テレビ局の少ないこの時代のアニメは、ほぼ時差放映という差別を受けていた。まず前出した『風の藤丸』(NET系)の放映時間は都心部では火曜日18:30~19:00(後に19:30~20:00)だったが静岡では日曜の13:00~13:30、ちばてつや先生の傑作『ハリスの旋風』(フジ系)(注3)も木曜19:00から放映だが同じく日曜午後(時間は度忘れ)に放映されていた。
クレイジョー・キャッツを中心にナベプロのオール・スターが総出演していた人気番組 『シャボン玉ホリデー』(NTV系)でさえも日曜18:30が、金曜18:30(※金曜は「ホリデー」ではない!)。私が初めて洋楽に熱中体験をした番組『ザ・モンキーズ・ショー』(TBS系)(注5)は首都圏では金曜19:00~19:30というゴールデン・タイムに放映されていた。しかし、静岡では火曜18:00~18:30というクラブ活動を無視しなければならない時間帯だった。
ザ・モンキーズTVショー
そして、当時特撮物に目がなかった私の大好きな『マグマ大使』(日本初の特撮カラー放送)は首都圏の月曜19:30(フジ系)に対し、土曜の14:30からという、これまたクラブ活動をさぼるしかない時間帯放映だった。 また桂小金治司会で「名物指圧師:浪越徳次郎先生」が登場する『アフタヌーン・ショー』は12:00(NET系)の1時間番組だったが、当時の静岡では15:00からの放映と小中学生ではほとんど見ることの出来ない時間帯に放映されていた。
ただキー局でなくともほぼ全国同時放映番組がなかったわけではない。その代表格は金曜20時からの『プロレス中継』ではないだろうか。何故ならタッグ・マッチの合間にはリング上の清掃作業がお決まりだったが、その掃除機は番組スポンサー「三菱電機」の「風神」だった。それを実況中継アナウンサーもコメントするので、我々世代で掃除機といえば「風神」という一致回答からもうかがうことができる。
そんな地方のローカル・テレビ局も、昭和43年頃からUHF局として続々設立(静岡最初のUHF局はフジ系テレビ静岡)され、徐々にではあるが時差が解消されることになる。とはいえ、放送局が多かった首都圏では地方と違って放送番組不足していたようだった。その番組数の不足を補うために、再放送も多かったらしい。特に娯楽等で外出の多かった日曜日の午後枠等、あまり視聴率の稼げそうにない時間帯には、アニメの再放送が頻繁に流れていたと故佐野氏から伺ったことがある。ビデオが存在しない昭和40年代には、そんな再放送は都会の小中学生格好のエサ箱で、こぞって見あさっていたというのだ。その影響もあって熱心なアニメ・ファンは都心部に集中していたというのは彼の説だ。
注1)宮藤官九郎作詞のSMAPの2005年7月発売の37枚目シングル<BANG! BANG! バカンス!>。アサヒ飲料「WONDA」のAKB48を起用したCMの2014年8月からスタートした「モーニングショット」シリーズでのコメント。
注2)本邦初カラー・アニメは米MGM制作『トムとジェリー』が昭和39年5月より放映開始。『ジャングル大帝』の放映スタートは昭和40年10月より。ちなみに新聞紙面のカラー放送表示は昭和39年頃から登場している。昭和41年11月からは確認しやすくするために番組名の頭に黒に白抜き表示されている。
注3)漫画自体が当時No.1ガム・メーカーだった「ハリス」(現:クラシエフーズ)から使用承認を受けてスタートしており、アニメ化の際のスポンサーは当然といえるものだった。
注4)3組の一般公募による参加者が、司会の漫才コンビ夢路いとし・喜味こいしの「5万円3万円1万円運命の分かれ道」(当初)という掛け声で、体を張ったゲームに挑戦して買い物金額を競い、ショッピング金額をゲットできる人気番組。
注5)昭和42年10月6日に「青春コメディ」として放送開始。このフレーズは同年6月に『米エミー賞』で「最優秀コメディ賞」受賞から表記されたようである。
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