また、DVDのみ収録の映画からカットされた部分で母Audreeのシーンがあるのだが、配信のみリリースの「I Can Hear Music:20/20session」に収録されている「Is It True What They Say About Dixie」(ヴォーカルはAudree)は配信されているヴァージョンとは異なりここでしか聞けない。Wilson家母子の微笑ましいセッションだ。
転機になったのは63年で、フィル・スペクターがヴェロニカの特徴ある歌声に興味を持ったことでフィレス・レコードと契約することとなる。スペクターの読みは当たり、同年8月にフィレスからのファースト・シングルとしてリリースした「Be My Baby」(ジェフ・バリー、エリー・グレニッチ、フィル・スペクター作)が全米2位の大ヒットとなる。名ドラマー、ハル・ブレインによるイントロのバス・ドラムが象徴するフィレス・サウンドは、スタジオ・ミュージシャン集団”The Wrecking Crew”の活躍もあり隆盛を迎える基礎となった。
同年11月には同じくバリー&グレニッチ作の「Baby, I Love You」(ツアー中のエステルとネドラの代わりに、ダーレン・ラヴ、シェールとソニー・ボノがバック・ボーカルを務めた)、翌64年6月には「Do I Love You?」(ピート・アンダース、ヴィニ・ポンシア、フィル・スペクター作)、同年10月の「Walking in the Rain」(バリー・マン、シンシア・ワイル、フィル・スペクター作)とトップ40ヒットが続いた。
しかし64年初頭のビートルズのアメリカ初公演を起点とするブリティッシュ・インヴェイジョンの影響は大きく、65年の全米チャートではブリティッシュ・ミュージシャンの楽曲が多くを占めるようになる。同年ザ・ロネッツはシングル「Born to Be Together」(バリー・マン、シンシア・ワイル、フィル・スペクター作)と「Is This What I Get For Loving You?」(ジェリー・ゴフィン、キャロル・キング、フィル・スペクター作)をリリースするが、前者は52位、後者は75位と大ヒットには至らず、徐々に彼女達をはじめフィレス・レコードのセールスにも陰りが見え始める。
66年10月のバリー&グレニッチ作の「I Can Hear Music」は、そのクオリティーとは相反して100位止まりでオリジナル・メンバーとしてのラスト・ソングルとなった。翌67年初頭に彼女達はヨーロッパ・ツアーを終え、ついに解散してしまう。
この期間69年にスペクターのプロデュースのもと、A&Mレコードから「You Came, You Saw, You Conquered」(フィル・スペクター、トニー・ワイン、アーウィン・レヴィン作)を”The Ronettes Featuring the Voice of Veronica”名義でリリースしているが、実質ヴェロニカのソロと言える。またビートルズ元メンバーであるジョンとジョージからリスペクトされていたスペクターが彼らの初期ソロ作を手掛けていた縁もあり、71年4月にはジョージのソングライティングと共同プロデュースでシングル「Try Some, Buy Some」をリリーし、全米77位を記録した。
73年ヴェロニカは心機一転、新しい2人のメンバーとしてチップ・フィールズとデニース・エドワーズを加え、Ronnie Spector And The Ronettesを結成し、ブッダ・レコードから4作のシングルをリリースしたが、フィレス時代のように成功することは無かった。
彼女のキャリアの中で成功の頂点だった、ザ・ロネッツ黄金期がその後も呪縛になっていたことが垣間見られ、ポップ・スターの悲劇を感じて切なくなるが、彼女が偉大な女性シンガーであったことは紛れもない事実である。
ルロイ・アンダーソン、ミッチェル・パリッシュ作のクリスマス・スタンダード・ナンバー。
'63年にフィル・スペクターによるクリスマス・アルバム『Christmas Gift For You From Phil Spector』に於いてロネッツの歌唱でカバーしたもの。
そりすべりの疾走感のあるサウンド、はち切れるロニーの歌いっぷりがいい。