2021年8月8日日曜日

Cow Cow Boogie

 先日、ミュージシャン星野源の婚約発表があった。思えば2012年
The Beach Boysの結成50周年ツアーに出演してから5有余年、件のドラマ出演
後に星野の存在は社会現象となった。さらに1979年夏に開催されたイベントJapan Jam(The Beach Boysも来日する)に出演したサザンオールスターズは同イベントから5有余年、大作『Kamakura』は大成功を収め、自らの人気を盤石なものとした。


 星野の師匠筋には細野晴臣がいる。近現代の大衆音楽の碩学にして、自ら往時のサウンドの再現に勤しみ世間の評価も高い。
 当人は幼少時、影響を受けた音楽の中でBoogie Woogieを挙げている。

Cow Cow Boogie 細野晴臣

 Boogie Woogieは戦中から戦後の米国音楽の基層をなすものであって、その後訪れるRock'n rollにも大きな影響を与えている。
 当然ながら戦前生まれのBrian Wilsonにも影響がない訳ではなく、近年のインタビューや自伝等の中でBoogie Woogieの果たした大きな影響を述べている。
 Brianは母からピアノを学んだが、母はBoogie Woogie曲「(Pinetop’s) Boogie Woogie」を好みBrianもそれに親しんだという。
 2011年3月2日付け雑誌Goldmineのインタビューでも自身のBoogie Woogie愛を語っている、当時多大な影響を与えたのがFreddie Slackの演奏スタイルである。
 Freddie Slackは自らのバンドによる「Cow Cow Boogie」は大ヒットとなり、リリース元のCapitol Record隆盛の礎となった。
 そもそも(Pinetop’s) Boogie Woogieの作者はPinetop Smithという黒人で、1920年代非業の死を遂げており、Boogie Woogieのオリジネーターである。
 Brianの両親が好んでいた1940年代のBoogie Woogieは黒人コミュニティ限定されて
おらず、幅広く大衆音楽として既に普及していた。戦後以降のBoogie Woogieは黒人音楽の範疇を超えてCountry musicとの混交を激しく繰り返すようになる。
 Brianが好んだ多くのBoogieのフォーマットはHillbilly Boogieであり、言わばRockabilly誕生前夜の音楽でもあった。また、実父Murryの楽曲「Two Step,Side Step」もHillbilly Boogieの前に流行したWestern Swing風のアレンジでリリースされた版が存在する。

Johnni Lee Wills版Two Step Side Step(筆者蔵)

Cow Cow Boogie-Freddie Slack & His Orchestra 
w/ Ella Mae Morse

The House Of Blue Lights-Freddie Slack & His Orchestra 
w/ Ella Mae Morse

 Freddie Slackのピアノ演奏が楽しめる一曲である。Brianのピアノのチューニングは
かなり影響されていてSmile時代でもTack pianoを好んだ。
 The Beach BoysにおけるBoogie Woogieの影響は、Brian節が出始めるアルバム3枚目の『Surfer Girl』からうかがわれる。

 「Little Deuce Coupe」はBoogie Woogieを
基盤としたcar songである。

The Beach Boys-Boogie Woodie

「Boogie Woodie」はタイトル通り、surf musicからのBoogie Woogieへの回答である。一聴してわかる通り幼少時に両親から教わった(Pinetop’s) Boogie Woogieへのオマージュでもある。

Tommy Dorsey Orchestra-(Pinetop's )Boogie Woogie

 この動画の0:40辺りからのピアノソロは明らかにBoogie Woodieのリフとなっている。

The Rocking Surfer

 「The Rocking Surfer」は1950年代に流行したクラシックや伝統民謡を元にしたBoogie Woogieの制作フォーマットを借用している。

Bumble Boogie - Freddy Martin and his orchestra 

 原曲はRimsky-Korsakovによる「くまんばちの飛行」。
 同動画の2:20からのピアノソロは(Pinetop's)Boogie Woogieからの借用だ

Nut Rocker-B.Bumble and the Stingers

 B.Bumble and the StingersはEarl Palmer, René Hall,Plas Johnson,による覆面グループ。1962年のスマッシュヒットNut Rockerの原曲はTchaikovskyによる「くるみ割り人形」である。
 彼らはデビュー曲で「Bumble Boogie」をカバーしている、このプロジェクトの始動に際しては「Bumble Boogie」の作者 Jack Finaの多大な指南があったという。

Carmen Cavallaro-Anitra's Boogie 

原曲はEdvard GriegによるPeer Gyndtの一節より


 元the Stray CatsのBrian Setzerは自ら率いるBrian Setzer Orchestraによる全編Boogie風クラシックの『Wolfgang's Big Night Out』をリリースしている。

The Tri-Five-Come and Get It

 イントロはFreddy MartinのBumble Boogieから頂戴しているようだ
「Come and Get It」はCarlとDennisが加わりThe Tri-Fiveの変名により
(Damark 2400)リリースされているが実態は「The Rocking Surfer」だ。
 「The Rocking Surfer」の作曲クレジットは何かしらの伝統音楽を示唆いるが長らくその起源は不明であった。


 近年の研究で明らかになるうえで、手がかりとなったのは、本曲を当初Brianが命名したのが「Good Humor Man」。当時Californiaでも展開していたGood Humor社は有名なアイスクリーム販売店で街中を同社のトラックが走り回り、アイスクリームを街角で販売していた。


 そのトラックから流れるジングルの一つがチェコ民謡をルーツとする「Stodola Pumpa」であった。創業時のオーナーが用いて以来、1962年のオーナーチェンジまで南カリフォルニアでトラックから流れていた。


 BrianのGood Humor好きはその後も続き、あの『Sunflower』では自らアイスクリーム販売員に扮している。

        

 Cow Cow Boogieに戻ろう、この曲はBrianに多大な影響を与えているだけでなく、間接的に後のrock時代にも影響を及ぼしているのだ。
 フック部分の歌詞で牛追いのフレーズである

Get along, get hip, little doggies

Get along, better be on your way

Get along, get hip, little doggies


をアレンジし

So get along, sweet little woman get along

Better be on your way

Get along, sweet little woman get along

Better be on your way


に変えCow Cow Boogieの女性視点から、男性視点の列車に乗ってきた東部からの女性との逢瀬に転換したのがTiny Bradshawによる「The Train Kept A-Rollin'」だ。

Tiny Bradshaw-The Train Kept A-Rollin'

 本曲はBoogie Woogieの絶対的影響下にあることがわかる
さらにカバーしたのがJohnny Burnette Trioである。
 そろそろお馴染みのアレンジに近づいてきた感のあるThe Johnny Burnette Trio ヴァージョンだ。

The Johnny Brunette Trio-The Train Kept A-Rollin'

 フックに使われる「Get Along」はそもそも戦前の流行歌「The Last Round Up」の

Git along little dogie, git along, git along

の一節から転用している。
 牛追い歌の意で使われるGit alongはその30年後、車と女性にうつつを抜かす。
 Mikeをして「I git around」と歌わしめたのか?
 Hawthorneの風土がその伝世の謎を解き明かしてくれるのかもしれない。

George Olsen and his music版「The Last Roundup」
同曲は戦前日本にも伝播した。
東海林太郎版「カウボーイの歌」

 「The Train Kept A-Rollin'」は60年代に入りThe Yardbirdsによるカバーは一世を風靡する。同曲は世界へ拡散し多くのいわゆる「カバーのカバー」またはそのオマージュが現れる。
 弊誌の読者向けとしてはガレージ感満載の「The Train Kept A-Rollin'」をおすすめする。

Precious Few版

The Up版

Tav Falco & The Panther Burns版
Punk時代のJohnny Brunette回帰が明らかだ。

 メジャーアーティストで最も有名なのはAerosmith版だ。
 アルバム『Get Your Wings』で取り上げて以来同曲はライブの定番曲となっている。
 邦題「ブギウギ列車夜行便」となっている、この洋楽の邦題命名センスはユニークだが、この曲の出自をふまえれば至極伝統に忠実なセンスといえよう。

                           
 「The Train Kept A-Rollin'」は日本へ伝播し九州のバンド、サンハウスにより「レモンティー」として姿を変える。サンハウス解散後はシーナ&ザ・ロケッツにより歌い継がれる。
 同曲が収録されたアルバム『スネークマンショー』のプロデュースはBoogie Woogieで育った細野晴臣だ。シーナ&ザ・ロケッツは「オマエガホシイ」でThe Stoogesの「1970」をカバーした。
 同曲収録のアルバム『Fun House』をプロデュースしたDon Gallucciはかつて、Don and the Goodtimesを率いアイスクリーム売りに扮した。

                           

 「1970」をカバーしたThe Damnedは末期のT.Rexと共演し、T.RexはBoogie Woogieを70年代初頭のロンドンに蘇らせた。
Cow Cow Boogieの縁は果てしない。

(text by Akihiko Matsumoto-a.k.a MaskedFlopper)

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