2021年7月23日金曜日

前川サチコとグッドルッキングガイ:『My Romance』(Panomatea Label / PNMA-0001)


 
関西で活動するシンガー・ソングライターの前川サチコが主宰するバンド、前川サチコとグッドルッキングガイがサード・アルバム『My Romance』を7月25日にリリースする。(全国流通は8月25日より)


 前川は昨年10月に弊サイトで紹介したArgyle(アーガイル)の7インチ・シングル『DOWN TOWN』でゲスト・ヴォーカルとして参加していたので記憶に新しいと思う。 
 そもそも彼女は、個性派シンガー・ソングライターの原田茶飯事がフロントマンだったクリームチーズオブサンのメンバーで同バンド解散後、同じくドラマーだった仲井信太郎(ANATAKIKOUのメンバーでもある)と共に、前出のArgyleのリーダーでキーボード兼ボーカリストの甲斐鉄郎と、ワンダフルボーイズのベーシスト峠せめ彦(芸名が笑)を誘い、2012年秋に前川サチコとグッドルッキングガイを結成した。
 その後メンバー・チェンジを経て、現在は前川、仲井、甲斐の他にギターの高田亮介(clap stomp swingin'他)、ベーシストの遠山タカシ(Argyle他)の個性的な5名で構成されている。またホーン・セクションのサポート・メンバーとして、トランペットの長山動丸、サックスの川上拓也、トロンボーンの古御門幹人の3名もレギュラーで加わっている。 
 これまでに『セレモニー』(2013年)、『ラストステージ』(2015年)の2枚のアルバムと、『ときめきトゥナイト/ロビンソン』(2015年)、『都会』(2016年)の2枚の7インチ・シングルをリリースしており、衣装や演出など完璧にショーアップされた彼女達のステージングに魅了される熱心なファンも多いのだ。


 6年振りとなる本作『My Romance』は、昨年からのコロナ禍によるライヴ・イベントの開催制限によるステージ活動の激減などの状況から、バンドの在り方を考えた末に自主レーベルを立ち上げてリリースすることを決意したという。その設立資金とレコーディング費用をクラウドファンディグにて募集し、見事に目標金額を達成してこの度リリースに至ったのである。このように真摯に音楽活動に向き合う彼女達のスタンスには敬服するばかりだ。
 なおレコーディングは大阪中央区にあるAlchemy Studio(アルケミースタジオ)でおこなわれ、エンジニアとミックスは北畑俊明氏、マスタリングは福岡直子氏がそれぞれ担当している。


 さてここでは筆者による収録曲の解説と共に、前川とバンドのアレンジャーである甲斐がソングライティングやアレンジのイメージ作りで聴いていた楽曲をセレクトしたプレイリスト(サブスクで試聴可)を聴きながら読んでいただきたい。 

 冒頭の「涙がでちゃう」は、前川のソングライティングによるネオ・アコースティックをルーツに持つポップスだ。アコギのカッティング、ホーンやヴィブラフォンのオブリ、爽やかなコーラスなどそのサウンドは、嘗てのギターポップやスウェディッシュ・ポップのファンには強くお勧め出来る。 
 続く「ふたりの足跡」はシティポップ・サウンドで、前川の精細なボーカルは大貫妙子にも通じる。キャラクターやステージ衣装の派手さとは裏腹にシンガーとしての前川は極めて正統派で、それを支える甲斐のアレンジとメンバーの演奏力が聴きものだ。特にこの曲ではリズム・セクション4名のコンビネーションが素晴らしい。 

 本作中筆者がファースト・インプレッションで気になったのは、唯一甲斐が1人でソングライティングした「City Nights」である。アイズレー・ブラザーズの「Hurry Up And Wait」(81年)、ヴァン・マッコイの「The Hustle」(75年)、ザ・フォー・トップス「I Just Can't Get You Out Of My Mind」(73年)、デニース・ウィリアムスの「Free」(76年)など70~80年代ソウル・ミュージックの影響下にある良質なシティポップで、昨年甲斐がArgyleでカバーしたシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」にも通じる。この曲をこよなく愛する山下達郎ファンやマニアックなVANDA読者は、一聴してその素晴らしさに気付くと思う。 


  このバンドの引き出しの多さを如実に現しているのが、「夢の中まで」と「素直さのかけら」で、前者はコンチネンタルなラテンで後者はスインギンなビッグバンド・ロカビリーのサウンドで舌を巻く。両曲とも前川のソングライティングで、アレンジの骨格も彼女がサジェスチョンしているようだ。 
 同じく前川の単独作の「ゆずれない二人」では一転して、不毛の恋愛を綴った歌詞がエレキ・ギターのアルペジオでレイジーに進行する本作中屈指の青春のラヴ・ソングで、往年のスピッツ・ファンには是非聴いて欲しい、本当に名曲だと思う。 

ゆずれない二人/前川サチコとグッドルッキングガイ

 「セピア」と「恋の眩暈」は作詞:前川、作曲:甲斐のソングライター・チームによる作品で、前者はジャズ・ワルツのサウンドによる大人のラヴ・ソングで、ここでは甲斐のフレンチ・アコーディオン、高田のギターソロの各プレイが出色である。後者はジャマイカン・ジャズの洗練されたレゲエ・ビートで進行する。前川の表現力のある歌唱はさすがであり、仲井と遠山のリズム隊によるタメのある演奏と共にこの曲をより魅力的にブラッシュアップしている。 

 ラストの「京都タワー」は本作の大団円というべき多幸感を感じさせるアコースティック・スイングで、ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックスからギタポ・ファンには根強いフェアーグラウンド・アトラクションにも通じて楽しい。前川による大らかでペーソス溢れる歌詞の世界観も愛すべきポイントだろう。 
 ボーナス・トラックの「Vertige d'amour」は、「恋の眩暈」をテクノ・サウンドでアレンジされた別バージョンで、楽器編成(プログラミング)や音像など含め、80年代初期にベルギーの音楽レーベルであるクレプスキュールからデビューした、フランス人男女デュオのMikado(ミカド)の「Par Hasard」(82年/YMOの3人を虜にした)に通じて好きにならずにいられない。 

 バンドの在り方としては、多彩なソングライティング・センスとカリスマ性を持つ女性シンガーと、それを支える優秀なアレンジャー、手練なミュージシャン集団という構図で、当初は2000年代に筆者が高評価したモダーン今夜をイメージさせた。だが前川達はより世代観やDJ的視点で影響されたサウンドまで分け隔て無く、バンドにフィードバックさせているという点で、関西という土壌が生んだユニークなスタンスではないだろうか。筆者の解説を読んで興味をもった音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。


    【前川サチコ&甲斐鉄郎プレイリスト】

 

●Walkout to winter / Aztec camera
 (『High Land, Hard Rain』/1983年) 
◎「涙が出ちゃう」のアレンジの元になっています。 80年代前半に全盛期だったNEW WAVEブームと対峙するように勃発した、いわゆるネオアコブームの立役者バンド。「(ジョー)ストラマーのポスターを剥がして…」という歌詞がいかにも英国人らしい。
楽曲的にはロディ・フレイムの若年寄っぷりが、逆に青臭くてキラキラしていますね。誰だったか、評論家の方が「シンセドラムが無ければ素晴らしい名曲」みたいに言うてました(笑)。
今となっては年代的な味わいです。(甲斐) 

●ロマンス / 原田知世(『I could be free』/1997年) 
◎これも「涙が出ちゃう」のアレンジの参考にしました。 
当時流行していたスゥェディッシュムーヴメントの立役者、トーレ・ヨハンソンがプロデュースした作品だったと思います。ホンマに趣味が良いポップスですね。(甲斐) 
爽やかな初夏の様なポップスにしたくてホーン・アレンジなど参考にしました。 私自身、あまり歌詞には自分の思い等は入れない様にしているのですが、このコロナ禍が収まり、大変な時期を振り返った時に笑って懐かしめる日が来ますようにと言う気持ちも込めました。(前川) 

●Summer connection('7 single version)/ 大貫妙子
 ('7 single / 1977年) 
◎「ふたりの足跡」のアレンジの参考にしました。 アルバムバージョンより、疾走感があるグルーヴが心地良いシングルバージョンが好きです。大貫さんのボーカル、各プレイヤー(特に故・村上ポンタさんのドラム!)のプレイも素晴らしいのですが、何ちゅうても坂本龍一氏のアレンジ力があっての事でしょう。
 (甲斐/サブスクはアルバムVerです)

●雪のメジェーヴ / Henry Mancini
 (『Charade original sound track』/1963年)
◎「夢の中まで」のアレンジの参考にしました。 ヘンリーマンシーニが音楽を手掛けた映画「シャレード」のサントラより。
本格的なラテン音楽より、映画のサントラのソフィスティケートされたラテンが好きですね。(甲斐)

●Rock This Town / The Brian Setzer Orchestra
 (『The Dirty Boogie』/1998年) 
◎「素直さのかけら」のアレンジの参考にしました。
ロカビリーやスウィング・ジャズにハマっていた頃があり、いつかビッグバンド的なアレンジでやってみたかったので、この曲をそういう風にしてもらいました。(前川) 

●冷たい頬 / スピッツ(『フェイクファー』/1998年)
◎「ゆずれない二人」のアレンジの参考にしました。
私の世代的に、90年代スピッツやイエローモンキーやミスチル等に影響を受けており、あの時代のキラキラした王道J-POPソングにしたいなぁと思って作りました。(前川)

●L'accordéon / Serge Gainsbourg
 (『French cafe music』/2006年)
◎元々は'62年の楽曲ですが、のち(80〜90年代?)に再録セルフカバーしたバージョンの方を「セピア」のアレンジ、特にギターのプレイの参考にしました。 このギターがあるから成り立っているアレンジですね。 変態ゲンズブールのダンディズムが此処に在る。(甲斐)

●Pense á moi / France gall
 (『フランス・ギャルのシャンソン日記』/1966年)
◎まずは短調のワルツの楽曲を創りたくて、「セピア」の参考にしました。 拙いロリィタ歌声と渋いオルガン・ジャズが合わさってタマリマセンな。(甲斐)

●Perfect / Fairground Attraction
 (『The First of a Million Kisses』/1988年)
◎これもネオアコと括れるのかな?88年なんてダサいモノしか無い時代に、古き良き時代の温故知新サウンドが新しかった。 「京都タワー」のアレンジの参考にしました。(甲斐) 

●Moonlight in vermont/Jazz Jamaica
 (『The Jamaican beat vol.2』/1995年)
◎特にこの曲、という訳では無いですが、Jazz Jamaicaのアレンジを「恋の眩暈」のサウンドの参考にしました。
Jamaican oldiesはイナタイほど良いですが、こういう洗練されたのも良き良き。(甲斐)

●Par Hasard / Mikado(『Forever』/2017年)
◎「Vertige d'amour」のアレンジの参考にしました。というか、パクりました。
最後に転調を繰り返してサウダージなコーラスが絡むとこまで(笑)それぐらい好きです。テクノポップスが衰退しかけた'82年頃に新しい道を示唆してくれたおフランスの彗星☆そしてエスプリ。(甲斐)

●僕らが旅に出る理由 / 小沢健二(『LIFE』/1994)
◎このアルバムみたいに何年経っても飽きない作品を作れたらと、音楽を初めてからずっと目標にしているアルバムです。(前川)


(本編テキスト:ウチタカヒデ)
 

2021年7月17日土曜日

吉田哲人:『光の惑星 / 小さな手のひら』(なりすレコード/NRSP-796)

 
 作編曲家、リミキサーとして多くの作品に携わり、近年シンガーソングライターとしても活動している吉田哲人(よしだ てつと)が7インチのセカンド・シングル『光の惑星 / 小さな手のひら』を7月23日にリリースする。
 彼は大阪芸術大学卒業後の98年にThe Orangers名義でデビューしアルバムやEPのリリースの他、様々なコンピレーションへの楽曲提供やリミキサーとして参加してきた。2001年にはその活躍により小西康陽氏が主宰するReadymade Entertainment所属のマニピュレーターとしてよりメジャーなプロダクションに関わっていく。その後も鈴木亜美やきゃりーぱみゅぱみゅから竹達彩奈、Negicco、チームしゃちほこ、私立恵比寿中学、WHY@DOLL(ホワイドール)など多くのアイドルの楽曲に関わり、その手腕は業界でも一目置かれていた。 


 そんな裏方仕事が多かった彼だが、19年よりシンガーソングライターとして7インチでファースト・シングル『ひとめぐり / 光の中へ』をリリースする。
 荒井由実時代のユーミンが74年にリリースした名盤の誉れ高い『Misslim』を意識したジャケットにまず反応するが、曲調とサウンドはオフコースの「Yes-No」(『We Are』収録/80年)に通じて興味深い。筆者の推測にすぎないが、小田和正氏はサビの展開をクリス・レアの「Fool (If You Think It's Over)」(78年)に影響を受けたコード進行先行で作ったのではないだろうか。筆者も「Yes-No」はリアルタイムに好きで聴いていたので、吉田の「ひとめぐり」には注目していた。そして2年振りにリリースされるのが、ここで紹介するセカンド・シングル『光の惑星/小さな手のひら』なのだ。

『ひとめぐり / 光の中へ』

 さてここでは筆者の解説と、吉田がソングライティングやレコーディング中にイメージ作りで聴いていた楽曲をセレクトしたプレイリスト(サブスクで試聴可)を紹介するので聴きながら読んでいただきたい。

 
『光の惑星』/ Sputrip 

  A面の「光の惑星」は、バーチャル・アイドル・プロジェクトPalette Project(パレプロ)から結成された、シティポップ・アイドルユニットSputrip(スプートリップ)に昨年提供したデビュー曲をセルフ・カヴァーしたものだ。吉田は作編曲の他リッケンの12弦ギターとプログラミングを担当し、ストリングス・アレンジとキーボード類は、以前弊サイトで紹介したユメトコスメの長谷泰宏が参加している。
 サウンド的にはシティポップというより、全盛期のThe Style Councilにも通じるノーザンソウルをベースにしたネオ・アコースティック・サウンドの発展系で、ストリングスのフレーズやグロッケンのオブリガートを効果的にあしらった良質なポップスである。Sputripのヴァージョンとはアレンジと楽器編成が異なるのでSputripのファンはこちらもチェックすべきだ。 

 そしてB面の「小さな手のひら」だが、和製ソフトロックとして完成度が高く、筆者も6月頭に音源を入手してから好んで聴き込んでいた。この曲は吉田が作編曲と全ての演奏、プログラミングをしているワンマン・レコーディングである。
 作詞は元WHY@DOLLの浦谷はるなの書き下ろしで、東京は千代田区神田のイベント・スペース “神保町試聴室” の存続を救うためのドネーション・コンピレーション・アルバムとして昨年発売された『STAY OPEN ~ 潰れないで 不滅の試聴 室に捧ぐ名曲集~』のラストに収録されていた。
 吉田による無垢なメロディラインと浦谷の慈愛に満ちた詞の世界には、一聴して虜になったので多くを語りたくないのだが、チェンバロに弦楽四重奏、バスチューバのベースライン、ピッコロ・トランペットのソロなどバロック風のアレンジが効果的である。そして何より「多くを 与えなくていい たったひとり 抱きしめ 愛して あなたの光で・・・」というサビのパンチラインと、それを歌い上げる吉田の素朴なヴォーカルに心打たれてしまう。
 筆者の本年度の邦楽ベストソング候補であり、弊サイト読者にも強く勧めるので、下記のリリース元レーベルのサイトなどで早期に予約して入手しよう。 

なりすレコード・通販サイト:https://narisurec.thebase.in/items/45522424



 【吉田哲人プレイリスト】
 
●Airwaves / Thomas Dolby(『From Brussels With Love』1980年)
◎2019年末~2020年始めに行ったロンドンでずっと探していたCrépusculeのコンピ『Merry Christmas(TWI 450)』を買えたことでCrépuscule熱が再燃。『The Golden Age Of Wireless(光と物体)』収録のアレンジがなされているver.も好きだが、コロナ禍においては内宇宙的なこちらの方が気分。 

●Cloud Babies / Blueboy(『If Wishes Were Horses』1992年)
◎シングル収録の2曲を作曲していた時期は、このあと世界は如何なるのか先が全く見通せず、国内ではライブハウスはバタバタと消えていっていた。故に音楽をあまり聴きたい気分にならなかったが、それでもたまに聴きたくなるのはこのようにシンプルなアレンジの曲が多かった。
A guitar and that alone sounds like heaven。

Guess I’m Dumb / Louis Philippe(『Ivory Tower』1988年)
◎VANDA読者には言わずもがなの、ルイ・フィリップによるカバー。グレン・キャンベルのオリジナルよりもこっちの方が好みだったりします。こちらシングルカットもされておりそのジャケットを見ていただければ、と。
『Guess I’m Dumb』Louis Philippe(Él / GPO 40)
7インチ・ジャケットのデザインに注目

●’Til I Die -Alternate Mix / The Beach Boys
◎邦題『私が死んでも』。どのように世界が変わっていくのかもしくは変わらないのかが分からない状況の中、音楽も自分の核となっているものを確かめるように聴いていた。オリジナルも当然好きだがこちらの方がより何処かへ遠くへ流されていく様な気になる。僕は大海原に浮かぶコルク 荒れ狂う波に漂っている。

●Such a Sound / Birdie(『Triple Echo』2001年)
◎Dolly MixtureのデプシーとEast Villageポール・ケリーのユニット。制作時はあまり派手なアレンジではない音楽を選んで聴いていたのですがそれにも飽きが来ることがあり、試しにサブスクで適当に流していたときに不意に流れてきたのがこれ。アップテンポながらに煩くない、かつ印象的なアレンジで無茶苦茶ハマった。『光の惑星』の源流のひとつ。

●You Mary You / Louis Philippe(『You Mary You』1987年)
◎うちのカミさん曰く、我が家で1番流れるのはこの曲だそうで。レコードでもCDでもサブスクでもよく聴いている。12inchのB-1に『The Beach Boys / Little Pad』のカバーが収録されていて最高。こういうシングルが作れたらいいのに。作れるように頑張ろうと生きる活力を与えてくれる曲でありシングル。

●くさひばり / 赤い鳥(『書簡集』1974年)
◎大学生の頃、のちに僕と一緒にコンピ『テクノ歌謡(P-vine)』を作る山本ニューさんが「これ吉田くんは好きだと思うよ」と貸してくれたVANDA 18号『特集「ソフトロック大辞典 A to Z」』と同時にくれたLP『赤い鳥 / What A Beautiful World』を聴いて衝撃を受けて以来、ずっと赤い鳥はマイ・フェイバリットなのでやはり聞き返していたのですけれども、この曲は特に何度も聞いた。

●By The River / Brian Eno(『Before And After Science』1977年)
◎『小さな手のひら』制作時はシンプルなアレンジのものかアンビエント感あるものを主に聴いていた。その中に当然イーノも入っていたのですがアンビエントばかりに飽きてきて、ふとイーノのヴォーカルものを久々に聴いてみて妙に感動したというかヴォーカリストじゃない人の歌の魅力を再発見した。Through the day, As if on an ocean Waiting here。

●At Last I Am Free / Robert Wyatt
(『Nothing Can Stop Us』1982年)
◎邦題『生きる歓び』。CHICのカバー。歌詞の内容は本来男女関係の歌なのですがロバート・ワイアットが『遂に自由になった』と歌うと別次元の歌に聞こえる。「命あっての物種やで、吉田くん」と若い頃にモダン・チョキチョキズのリーダー矢倉さんに言われたのをよく思い出す今日この頃。

●ふたりで生きている / オフコース
(『The Best Year Of My Life』1984年)
◎小学校3年生から大好きなアルバムのラストを飾る名曲。オフコースは僕の中では絶対的な存在なので細かく言う事もないのですが、コロナ禍においては生きてい(られ)る、それが『今が僕にとっていちばん素敵な時かも知れない』。歳と経験を重ねて歌詞の理解が深まった。

●切手のないおくりもの / 財津和夫
(『サボテンの花 ~ grown up』2004年)
◎『小さな手のひら』は歌詞を浦谷はるな(ex. WHY@DOLL)さんにお願いしたのですが、その際にこういう世界観の歌詞にして欲しいと提示した曲。世界平和を願いつつ、その第一歩はまず身の回りの小さな幸せから、と常々思っていて。この曲はひとつの理想形。誰が歌っても良い曲だと分かる。本当に素晴らしい。

●The Kiss / Judee Sill(『Heart Food』1973年)
◎『小さな手のひら』は初出が神保町試聴室ドネーションCDという性格ゆえ、それまでの僕の作家としてある種の数や成果を求める楽曲と同じ作り方では意味がない、自分の内側から出てくるものでなければという思いから、明確なインスパイア元はこれといって無いつもり。とはいえ何かしらの影響から逃れる事はポップスにおいては難しく、楽器の編成や一部コード進行はこの曲からの影響だと思う。貴方達の涙は私達が拭い去りましょう。


(本編テキスト:ウチタカヒデ) 

2021年7月10日土曜日

ツチヤニボンド:『にっぽん昔ばなし / Fall In Love』(TOYOKASEI/ TYO7S1028)

 
 土屋貴雅を中心とするソロ・プロジェクト、ツチヤニボンドが7月17日に7インチ・シングル『にっぽん昔ばなし / Fall In Love』をリリースする。 
 土屋は高野山在住の鬼才ミュージシャンとして知られ、2018年のフォース・アルバム『MELLOWS』が今年3月にアナログ盤でリリースされたばかりだ。このアルバムからはリリース当時、筆者の年間ベストソングとして「Urbane」を選出していた。筆者は2011年の『2』からツチヤニボンドの独創的な音楽性を高く評価していたので、今回のフィジカルでのリリースも待望していたのだ。

 なおこの7インチも先月のペンフレンドクラブ『Chinese Soup / Mind Connection』と同様に "RECORD STORE DAY 2021 (RSDDrops)" でエントリーしている限定商品(限定プレス)なので、興味を持った音楽ファンは、リリース日にキャンペーン参加店舗で入手しよう。(店舗は文中リンク先で検索可能)


 ではこのシングルの解説に移ろう。A面の「にっぽん昔ばなし」は1975年1月から1994年3月まで放映されていた同名テレビアニメ作品のテーマ曲で、幅広い年齢層でご存じの方も多いと思う。作詞はこのアニメを監修していた脚本家で作家の川内康範氏で、作詞家としても「月光仮面は誰でしょう」(58年)をはじめ「骨まで愛して」(城卓矢/66年)、「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈/68年)のヒット曲で知られている。作曲の北原じゅん氏はこのアニメの劇伴音楽も担当しており、川内氏とは前出の「骨まで愛して」や「愛ひとすじ」(八代亜紀/74年)でタッグを組んでいた。劇伴では『レインボーマン』や『荒野の少年イサム』などがあるが、やはり『まんが日本昔ばなし』が最も知られているだろう。
 前置きが長くなったが、今回のツチヤニボンドのカバー・ヴァージョンは、フアナ・モリーナの傑作『Segundo』(2000年)にも通じるアナログ・シンセによる音数が少ないエレクトロ・サウンドに、アコースティック・ギターのアルペジオが響くエクスペリメンタルな音像がひたすら気持ちいい。MOOG (モーグ)の MINITAURやmicroKORGなどのシンセ類とギターは、土屋が一人でプレイしたワンマン・レコーディングである。必要最低限の音で挑んだシンプルなプロダクションが生み出したマジックと言えるだろう。

 Fallin In Love / ツチヤニボンド

 B面の「Fall In Love」は今年3月に配信で先行リリースされていたが、前作「Urbane」の世界観を踏襲したアーバン・スプロールの喪失感が漂う、土屋ならでは美学が光っている。ギターとベースのオクターブ・ユニゾンのリフで進行するレゲエ・ビートを基調としながら、手練なミュージシャン達によるインタープレイ的展開がたまらなく、聴き逃せない。
 土屋はヴォーカルとベースを担当し、ドラム兼ヴォーカルには波照間将、パーカッションには弊サイト企画でお馴染みの増村和彦、そしてギター兼ヴォーカルには、本日休演のリーダーでギタリストの岩出拓十郎が参加している。本日休演は今年2月にフォース・アルバム『MOOD』をリリースしたばかりで、昨年末には岩出がプロデュースした『伊藤尚毅の世界』を弊サイトでも紹介したので記憶に新しいと思う。
 なお 土屋はその岩出と共にニュー・アルバムのレコーディングを継続中らしいので、その完成を楽しみに待とう。

 最後に繰り返しになるが、本作はプレス枚数が限られた限定商品であるので、興味をもった音楽ファンはリリースされる7月17日にRSDキャンペーン参加店舗で入手して欲しい。
(ウチタカヒデ)


2021年7月3日土曜日

1974年 Elton John再来日公演(2月1日・日本武道館)Part-1

  私の初ライヴ参戦は1971年高校2年での「レッド・ツェッペリン(以下、Zep)日本武道館特別公演」だったが、高校時代はそれのみで終わった。次に足を運んだ来日公演は1974年2月のエルトン・ジョンでかなりブランクが開いている。
 ただその間に一度だけ参戦をチャレンジしたことがある。それは受験を控えた1973年はじめに開催が発表された「ザ・ローリング・ストーンズ特別公演」(注1)だった。
 

 この公演については、後に参議院議員に当選する糸山英太郎氏(注2)が仕掛けたという話題も手伝い、テレビや新聞報道を始めマスコミを賑わせていたのでご存じの方も多いかと思う。この武道館公演の前売り発売は12月3日となっていたが、特別予約(注3)も同時にアナウンスされていた。 
  当時の私は「熱狂的ビートルズ・フリーク」でストーンズにさほど興味があったわけではなかった。そこに誘ったのは中学時代の友人Tで、彼から「徹夜購入」の誘いを受けてのことだった。彼は「キース・リチャードのフレーズであれば全て弾きこなせる」ほどのマニアだった。そんな彼の計画は、入手を確実にするため「3日前上京で2日徹夜」というものだった。かなり無謀な誘いだったが、ノリの勢いで承諾してしまった。

 そして11月28日の午後に上京、東京から東急本店のある渋谷に向かった。(注4)現場に到着したのは夕刻だったが、そこには既にかなりの行列ができており、配布していた整理券を受け取ると(確か)1,600番代だった。その札を受け取り待機場所にしてされた地下駐車場に向かったが、先頭が見えないほどだった。その後行列は実際に3,000人にも及んでいたらしい。

 そこでの徹夜行列の模様は新聞各紙では「段ボールで寝泊まり」と報道されていたが、私たちの周辺にはそんなグループはおらず、どこにいたのかさえも分からなかった。実際は1日に3回点呼を取るので、その時点に確認が取れればそれ以外はどこに行っても自由というものだった。 

  当然、私たちは宿泊場所を決めているわけではなかったので、夜は渋谷や新宿を転々としていた。1泊目はTが以前から行きたいと言っていた、新宿にある喫茶店「Rolling Stone」(注5)に出向いた。2泊目は渋谷界隈を探索した。

 そして先行発売当日、どの日程を購入するかを相談し、「初日と最終日は集中する」との予想から、中日を目いっぱい各自4枚予約購入して戻った。とはいえ自宅の弟以外には内密での行動で、両親と学校にはこの3日間の行動をごまかすのは大変だった。

 なおこの件は学校には体調不良ということになっていたが、親友のQに話したところ校内中のうわさになってしまった。担任の耳には入らなかったものの、同級生のストーンズ・ファンが私のもとにチケット詣でとなり、それまであまり目立った存在ではなかった自分だったが、しばらくヒーロー気分を味わっている。

 とはいえ、年明けには「ミックの麻薬不法所持歴」という理由で中止が発表され、受験校の視察を兼ねて上京した際に渋谷で返金することになった。 ただ熱狂的ファンだったTは、中止の理由に納得がいかず怒りが収まらなかったようだった。その腹いせは「来日記念盤」になるはずだった『Goats Head Soup(山羊の頭のスープ)』に付属していた「山羊のスナップ」に向かって「バカヤロー!」を浴びせていた。


  こんなことをやっていた私は受験は失敗し、浪人となった。ただ「第一志望はYゼミナール」と断言していた首謀者のTは、私が冗談で
ほのめかした「受験科目が1教科と、小論文と面接のみ」という埼玉のD大学を受験し、見事に合格している。

 そして1973年4月から新宿の親せき宅に居候で、予備校に通うことになった。ただ夢にまで見た東京生活は静岡よりもはるかに音楽生活が充実しており、誘惑に弱い私には明らかにマイナスだった。 
 そんな環境のなかで、この年に出す曲全てが大ヒットと日の出の勢いでスター街道を突っ走り、もはやスーパー・スターという存在になっていたエルトン・ジョンに夢中になっていた。元々は東京で同じ浪人生活を送っていたもエルトンのファンだったT(注6)の影響で、『Honkey Château』(1972年第5作)に収録された<Rocket Man>あたりから気になる存在ではあった。


 そんな受験も追い込みに見入った秋に、エルトンの再来日公演(注7)の発表があった。そのキャッチ・フレーズは当時のヒット曲<Crocodile Rock>に引っ掛け「クロコダイル・ロックン・ローラー再来日」というものだった。
 この1974年のツアーは、1973年末にリリースされたエルトンの代表作ともいえる初のWアルバム『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』に伴うツアーだった。ある意味このタイミングでの公演は、長いエルトンの活動時期でも絶頂期にあたり、この公演はこれ以上ないものになるはずだった。


 その公演日程は1974年2月(注8)とあり私大受験受験メインの私にとっては「鬼門」ともいえる時期だったが、欲望が抑えられなかった。そこで、受験日までやや余裕のある国立大志望のTに誘いをかけたところ「OK」の返答が得られた。
 とはいえ、お互いなるべく受験勉強の妨げにならぬよう、間隔が開くように初日のアリーナ・チケットをゲットした。ただそれは大きな間違いで、後の祭りということになってしまう。
(以下、Part-2)

 
(注1)1972年11月に発表された「ロック・エクスプロージョン・ニューイヤースペシャル」1973年1月28日(日)29日(月)30日(火)31日(水)2月1日(木) S.2,800円 A.2,400円 B.2,000円 C.1,600円 

 (注2)後の総理大臣・中曾根康弘氏の秘書を経て、1974年の参議院議員選挙にて32歳という若さで初当選している。

 (注3)12月1日(金)2日(土)渋谷東急本店1階特設会場。

(注4)先頭は11/28渋谷東急本店閉店後に神奈川かけつけた二人組の女性。12/1(金)朝日新聞23面に「11/30昼過ぎには1,000以上の行列」掲載、12/2(土)9面「一週間前からファン集まる」掲載。

(注5)新宿で1972~2014年にかけて営業していた老舗ロック喫茶。当時の音楽雑誌に「ミックが叫び、ジャガーが吠える」という広告で知られていた。

(注6)1972年Zep初来日公演の同行者。

(注7)初来日は1971年10月5-6日渋谷公会堂、7-8日大阪厚生年金会館、10‐11日東京厚生年金会館の6公演。

(注8)1974年2月1日,2日日本武道館、3日,4日,5日大阪厚生年金会館、7日 福岡九電記念体育館、8日 広島郵便貯金ホール、9日京都会館、10日大阪フェスティバル・ホール、11日 名古屋市公会堂、13日東京厚生年金会館の11公演。

(文・構成:鈴木英之)