ただその間に一度だけ参戦をチャレンジしたことがある。それは受験を控えた1973年はじめに開催が発表された「ザ・ローリング・ストーンズ特別公演」(注1)だった。
こんなことをやっていた私は受験は失敗し、浪人となった。ただ「第一志望はYゼミナール」と断言していた首謀者のTは、私が冗談でほのめかした「受験科目が1教科と、小論文と面接のみ」という埼玉のD大学を受験し、見事に合格している。
この公演については、後に参議院議員に当選する糸山英太郎氏(注2)が仕掛けたという話題も手伝い、テレビや新聞報道を始めマスコミを賑わせていたのでご存じの方も多いかと思う。この武道館公演の前売り発売は12月3日となっていたが、特別予約(注3)も同時にアナウンスされていた。
当時の私は「熱狂的ビートルズ・フリーク」でストーンズにさほど興味があったわけではなかった。そこに誘ったのは中学時代の友人Tで、彼から「徹夜購入」の誘いを受けてのことだった。彼は「キース・リチャードのフレーズであれば全て弾きこなせる」ほどのマニアだった。そんな彼の計画は、入手を確実にするため「3日前上京で2日徹夜」というものだった。かなり無謀な誘いだったが、ノリの勢いで承諾してしまった。
そして11月28日の午後に上京、東京から東急本店のある渋谷に向かった。(注4)現場に到着したのは夕刻だったが、そこには既にかなりの行列ができており、配布していた整理券を受け取ると(確か)1,600番代だった。その札を受け取り待機場所にしてされた地下駐車場に向かったが、先頭が見えないほどだった。その後行列は実際に3,000人にも及んでいたらしい。
そこでの徹夜行列の模様は新聞各紙では「段ボールで寝泊まり」と報道されていたが、私たちの周辺にはそんなグループはおらず、どこにいたのかさえも分からなかった。実際は1日に3回点呼を取るので、その時点に確認が取れればそれ以外はどこに行っても自由というものだった。
当然、私たちは宿泊場所を決めているわけではなかったので、夜は渋谷や新宿を転々としていた。1泊目はTが以前から行きたいと言っていた、新宿にある喫茶店「Rolling Stone」(注5)に出向いた。2泊目は渋谷界隈を探索した。
そして先行発売当日、どの日程を購入するかを相談し、「初日と最終日は集中する」との予想から、中日を目いっぱい各自4枚予約購入して戻った。とはいえ自宅の弟以外には内密での行動で、両親と学校にはこの3日間の行動をごまかすのは大変だった。
なおこの件は学校には体調不良ということになっていたが、親友のQに話したところ校内中のうわさになってしまった。担任の耳には入らなかったものの、同級生のストーンズ・ファンが私のもとにチケット詣でとなり、それまであまり目立った存在ではなかった自分だったが、しばらくヒーロー気分を味わっている。
とはいえ、年明けには「ミックの麻薬不法所持歴」という理由で中止が発表され、受験校の視察を兼ねて上京した際に渋谷で返金することになった。 ただ熱狂的ファンだったTは、中止の理由に納得がいかず怒りが収まらなかったようだった。その腹いせは「来日記念盤」になるはずだった『Goats Head Soup(山羊の頭のスープ)』に付属していた「山羊のスナップ」に向かって「バカヤロー!」を浴びせていた。
そして1973年4月から新宿の親せき宅に居候で、予備校に通うことになった。ただ夢にまで見た東京生活は静岡よりもはるかに音楽生活が充実しており、誘惑に弱い私には明らかにマイナスだった。
そんな環境のなかで、この年に出す曲全てが大ヒットと日の出の勢いでスター街道を突っ走り、もはやスーパー・スターという存在になっていたエルトン・ジョンに夢中になっていた。元々は東京で同じ浪人生活を送っていたもエルトンのファンだったT(注6)の影響で、『Honkey Château』(1972年第5作)に収録された<Rocket Man>あたりから気になる存在ではあった。
そんな受験も追い込みに見入った秋に、エルトンの再来日公演(注7)の発表があった。そのキャッチ・フレーズは当時のヒット曲<Crocodile Rock>に引っ掛け「クロコダイル・ロックン・ローラー再来日」というものだった。
この1974年のツアーは、1973年末にリリースされたエルトンの代表作ともいえる初のWアルバム『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』に伴うツアーだった。ある意味このタイミングでの公演は、長いエルトンの活動時期でも絶頂期にあたり、この公演はこれ以上ないものになるはずだった。
その公演日程は1974年2月(注8)とあり私大受験受験メインの私にとっては「鬼門」ともいえる時期だったが、欲望が抑えられなかった。そこで、受験日までやや余裕のある国立大志望のTに誘いをかけたところ「OK」の返答が得られた。
とはいえ、お互いなるべく受験勉強の妨げにならぬよう、間隔が開くように初日のアリーナ・チケットをゲットした。ただそれは大きな間違いで、後の祭りということになってしまう。
(以下、Part-2)
(注1)1972年11月に発表された「ロック・エクスプロージョン・ニューイヤースペシャル」1973年1月28日(日)29日(月)30日(火)31日(水)2月1日(木)
S.2,800円 A.2,400円 B.2,000円 C.1,600円
(注2)後の総理大臣・中曾根康弘氏の秘書を経て、1974年の参議院議員選挙にて32歳という若さで初当選している。
(注3)12月1日(金)2日(土)渋谷東急本店1階特設会場。
(注4)先頭は11/28渋谷東急本店閉店後に神奈川かけつけた二人組の女性。12/1(金)朝日新聞23面に「11/30昼過ぎには1,000以上の行列」掲載、12/2(土)9面「一週間前からファン集まる」掲載。
(注5)新宿で1972~2014年にかけて営業していた老舗ロック喫茶。当時の音楽雑誌に「ミックが叫び、ジャガーが吠える」という広告で知られていた。
(注6)1972年Zep初来日公演の同行者。
(注7)初来日は1971年10月5-6日渋谷公会堂、7-8日大阪厚生年金会館、10‐11日東京厚生年金会館の6公演。
(注8)1974年2月1日,2日日本武道館、3日,4日,5日大阪厚生年金会館、7日 福岡九電記念体育館、8日 広島郵便貯金ホール、9日京都会館、10日大阪フェスティバル・ホール、11日 名古屋市公会堂、13日東京厚生年金会館の11公演。
(文・構成:鈴木英之)
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