数年前に放送されていたNHKの対談番組「ミュージック・ポートレイト」を憶えているだろうか?この番組は「自分の人生にとって『大切な10曲』」を持ち寄り、お互いの人生を語り合うというプログラムだった。
その2014年に放送されていた「さだまさしと箭内道彦(やないみちひこ)」の回は興味深いものだった。
それは「TOWER RECORD」のポスターなどで有名な「NO MUSIC, NO LIFE?」発案者であるクリエイティブ・ディレクター箭内道彦氏の10曲だった。<落陽>(吉田拓郎)、<MONEY>(浜田省吾)、<風に吹かれて>(ボブ・ディラン)、<雨上がりの夜空に>(RCサクセション)などのナンバーに交じって、1980年代のトップ・アイドルのひとり浅香唯の<セシル>が入っていたのには驚かされた。
箭内氏は「この曲で人生の進む道を決めることができた」とコメントしていた。
「アイドル音楽」は一般の音楽愛好家からすれば、「低俗なもの」と片付けられてしまうことが多い。しかしそんなアイドルのヒット曲にこめられたメッセージが、箭内氏のような著名人の人生に大きく影響を与えていることを知り、あらためて「アイドル音楽」はあなどれないと感じた。
かくいう音楽マニア歴40年になる私自身もアイドルの音楽に傾倒した事がある。それはなにもかもうまくいかないスランプ時期だった。そんなとき、とあるアイドルの歌声が心の琴線に触れ、何事も前向きにとらえられるようになった。いまから思えば、「ヒット至上主義」として制作されたアイドルの曲に、それまで親しんだ洋楽のテイストが感じられ、すんなり受け入れることができたように感じる。そんなアイドル音楽のもつ人を元気にしたり、癒したり、勇気づけるパワーは、ほかのジャンルにも決して引けを取らないものだと思う。
-1970年代の主流アイドルの多くは『スター誕生』からデビューしていた-
さて、一概にアイドル・ファンといっても、どのようにアイドルの魅力に虜になったかは世代によって分かれるところだろう。1970年代には公開スカウト番組『スター誕生』(以下スタ誕)から続々とデビューするアイドルたちに声援を送っていたファンが多かったように思う。
今回はそんな『スタ誕』からデビューしたアイドルから石野真子にスポットを当てる。 彼女は松田聖子が登場する以前、アイドル不毛の時代といわれる1970年代後半に登場したアイドルの代表格といえる存在だった。そのチャームポイントは頼りなげな垂れ目と八重歯をのぞかせた愛くるしい笑顔で、その魅力にノック・アウトされた男たちは限りなかった。ちなみに、俳優の木下ほうかさんや横浜銀蝿の弟分として活躍した嶋大輔さんも、当時は熱狂的なファン一人だったという。
彼女の『スタ誕』での軌跡は、1977年1月の本選において会場からの得票数だけで合格点(当時250点)をクリア、査員合計で過半数(1,000満点中530点)を上回るという快挙をなしとげている。引き継いで行われた3月の決勝大会では、16社のスカウトが名乗りを挙げ、堂々たる合格を勝ち取った。
そして1978年のデビュー曲にはキャンディーズに<やさしい悪魔><アン・ドゥ・トロワ>を提供しヒット・メーカーの仲間入りをしていた吉田拓郎が起用される。彼が書下ろした<狼なんか怖くない>(17位;10.4万枚)でデビュー、続く<私の首領(ドン)>(26位;8.4万枚)も拓郎の曲と、新人としてはかなり恵まれたスタートを飾っている。彼女はこの年レコード大賞新人賞を受賞している。
そんな彼女の飛躍のきっかけとなったナンバーと言えば、翌1979年にリリースの<日曜日はストレンジャー>(19位;6.9万枚)だろう。この曲は筒美京平によるモータウン調のパワー・ポップ・ナンバーで、彼女の愛くるしさをより際立たせている。続く<プリティー・プリティー>(26位;6.8万枚)もはちきれんばかりのポップ・ソングで、彼女に付けられたキャッチフレーズ「100万ドルの微笑」の本領が発揮されている。
そしてこの年のハイライトとなったのが、4枚目のシングル<ジュリーがライバル>(24位;10.8万枚)で、萩田光雄氏によるジュリーの<危険なふたり>を間奏に挿入するアイデアが注目の的になった。とある音楽番組では、ジュリー本人を前に彼に扮装して歌唱する場面もあり、ヒットの規模以上に幅広い世代にアピールしていた。この曲で彼女は第30回NHK紅白歌合戦に初出場している。
さらに1980年には彼女の最大ヒット<春ラ!ラ!ラ!>(16位;16万枚)で『ザ・ベストテン』に初登場、またラジオでレギュラー番組を持っている。このように大活躍だったこの年も、<ハートで勝負>(15位;9.7万枚)で紅白に出場している。
そんな彼女の個人的なお薦めとしては、彼女の思いっきり甘えた歌いぷりにノック・アウトされる<恋のハッピー・デート(Gotta Pull Myself Together)>(27位;8.2万枚)だ。この曲はイギリスの人気姉妹グループ、ノーランズのカヴァーだったが、私は彼女のヴァージョンに軍配を上げたい。
ただ1981年になると松田聖子など新たなアイドルたちの登場で、やや影が薄くなった感は拭えなかった。そんな折、ラジオ番組で共演した長渕剛と結婚を前提とした交際を宣言。
そして7月26日から全国18ヶ所で「Bye-Bye MAKO グッドラック・コンサート」を開催し、わずか3年半の歌手生活に幕を引く。なおファイナルとなった8月30日の渋谷公会堂公演はテレビ生中継されている。当時、引退コンサートが生中継(キャンディーズは録画)されたのは彼女と山口百恵だけで、その人気が絶大だったことを物語っている。
そんな彼女の引退は1970年女性アイドルの終焉を決定付ける感もあった。とはいえ彼女は1980年代に入って続々登場したキュートなアイドルたちのプロト・タイプ的な象徴だったように感じる。
-「八重歯」を矯正して再スタート-
とはいえ長渕との結婚生活は短期間に終わり、1983年には芸能界に復帰。1985年には新曲をリリースして歌手活動も再開している。ただ復帰後の彼女を見た私の友人たちの間では、「以前の可愛らしさが無くなった。」とぼやく声が多かった。それは彼女のトレード・マークだった「八重歯」を矯正したからかもしれない。とはいえ、この整った美しい歯並びの彼女は、大人の女性“新生石野真子”再スタートを宣言する象徴だった。
その後の活動は女優としてが目立っていたが、2003年頃からは榊原郁恵、松本伊代や早見優など80年代アイドルたちと組んだ「MUSE×MUSE」ライヴに参加。共演メンバーとのデビュー差は5年近くあるものの、そのキュートなパフォーマンスは衰えを感じさせないもので、往年のファンを喜ばせた。
2010年になるとソロ・ツアーを組み大成功を収め、これ以降もコンスタントにも コンサートを開催し、ミュージカルにも参加するようになっている。そして、近年はギターを手にライヴに臨むという精力的な活動を続けている。
そんな彼女は、デビュー43年となる今年の1月30日に「還暦」を迎えているが、「ちゃん」付けで呼びたくなるフレッシュな魅力は今も健在だ。
『ライブⅠ~「マコ・イン・ファンタスティック」』
1979年11月19日
Victor / SJX-20133 国内チャート 36位 / 1.5万枚
①未知との遭遇、②私は真子(You Light Up My Life )(デビー・ブーン:1977)、③愛するデューク(Sir Duke)(スティービー・ワンダー:1976)、④あなたに愛されたいのに(I Wanna Be Loved by You )(マリリン・モンロー:1959 / クロージャ・バリー:1978)、⑤Grease・Medley:愛のデュエット(You’re the One That I Want(オリビア・ニュートン・ジョン(以下オリビア) & ジョン・トラボルタ(以下トラボルタ):1978)~It’s Raining on from Night (シンディ・バレンス:1978)、⑥人生ひとりではない(You'll Never Walk Alone)(OST:1945)、⑦プリティー・プリティー、⑧七色くれよん、⑨ぽろぽろと、⑨イカルスの子守唄、⑩ジーパン三銃士、⑪苺になるな野いちごよ、⑫日曜日はストレンジャー、⑫私の首領、⑬プリティー・プリティー
内容は前半がカヴァー後半がオリジナルを含むヒット・パレードといった構成。オープニングは当時衛星中継されたエルヴィス・プレスリー(以下、プレスリー)の『エルヴィス・イン・ハワイ(Aloha from Hawaii)』(1973)で、<ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)>(R.シュトラウス:『2001年宇宙の旅(A Space Odyssey)』(1968))が使用されていた影響だろう。
続く洋楽カヴァー②~⑥は、⑥以外はお馴染みのヒット曲で、来場者に配慮してかすべて日本語訳詞で歌っている。聴きどころはモンロー調の歌いっぷりがキュートな④、そして⑤映画『グリース』メドレー<It’s Raining on from Night>で聞かれる真子のチャーミングなセリフだろう。
ファンにとってお待ちかねのヒット曲登場の⑦以降は声援がすさまじく、親衛隊の熱狂ぶりのすさまじさが伝わってくる。
参考1:カヴァー収録曲について
① 未知との遭遇
スティーヴン・スピルバーグ監督が1977年に公開した S.F.映画『未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)』(1977)のテーマ。ストーリーは人類と宇宙人とのコンタクトを描くというもの。
② You Light Up My Life
邦題<恋するデビー>。米国の御所パット・ブーンの愛娘デビーの1977年デビュー曲。全米1位を獲得し、年間第3位という大ヒットを記録した。なお、デビーは1978年のグラミー賞で、フォリナー、アンディ・ギブ、ショーン・キャシディなどの強豪をおさえ、「ベスト・ニュー・アーティスト」を受賞している。
③ 愛するデューク(Sir Duke)
スティービー・ワンダーがデューク・エリントンに捧げた作品。1976年リリースの傑作『Songs in the Key of Life』(76年)に収録され、全米1位を記録。補足ながら、このアルバムは2.5枚組(LP2枚、EP1枚)という変則仕様だったが、13週間連続全米1位を記録し、1977年のグラミー賞「アルバム・オブ・ザ・イヤー」にも輝いている。
④ あなたに愛されたいのに(I Wanna Be Loved by You)
マリリン・モンロー主演映画『お熱いのがお好き(Some Like It Hot)』(1959)で歌った悩殺ソング。なおモンローはこの作品でゴールデン・グローブ賞主演女優賞の「ミュージカル・コメディ」部門を受賞している。
⑤ You’re the One That I Want
邦題「愛のデュエット」。オリビアとトラボルタ主演で大ヒットしたミュージカル映画『グリース』の挿入歌。このサントラ盤からは<Grease>(フランキー・ヴァリ)<想い出のサマー・ナイツ(Summer Nights )>(オリビア&トラボルタ & キャスト)<愛すれど悲し(Hopelessly Devoted To You)>/(オリビア)など数多くのヒットが生まれた。
⑥ 人生ひとりではない(You'll Never Walk Alone)
1945年のミュージカル『回転木馬』の挿入歌として書かれた楽曲。同年、フランク・シナトラが吹込み全米9位、1964年にパティ・ラベル&ザ・ブルー・ベルが34位、68年のプレスリー版が90位を記録。
ただこの曲と言えば、英国のジェリー & ザ・ペースメーカーズの1963年10月26日から4週連続で全英1位を記録したカヴァーの印象が強い。彼等はザ・ビートルズがレコーディングを拒否した<How Do You Do It(邦題:恋のテクニック)>を大ヒットさせた事でも有名だ。
現在この曲は英国プレミアリーグ・リバプールF.C.のサポータズ・ソングとして歌い継がれている。
※参考リスト
石野真子に80年代に引退ツアーのライヴがあるが(後にこのライヴを全て網羅した完全版『石野真子さよなら公演完全収録ライブ!』も発売)、このコラムは70年代のリリース分に限定コラムのため、リストのみ掲載しておく。
『BYE BYE MAKO LIVE~8月の太陽より燃えて』(1981.10.05)
<Victor / SJX-30097>
*オリコン 16位 / 2.5万枚
【①ヒット・メドレー・狼なんか怖くない~わたしの首領(ドン)~失恋記念日~ジュリーがライバル、②妹に捧げる唄、③イカルスの子守唄、④苺になるな野いちごよ、⑤春ラ!ラ!ラ!、⑥恋のハッピーデート、⑦恋のサマーダンス、⑧アリババ(1977;マルコポーロ)、⑨ウーレ・ヴー(アバ :1978)、⑨恋すれば勝ち、⑩GOOD BYEは出発(たびだち)
『石野真子さよなら公演完全収録ライヴ!』(1983.03.05)
<Victor / SJV-5081~3>
*オリコン 14位 / 2.3万枚
①ヒット・メドレー・狼なんか怖くない~わたしの首領(ドン)~失恋記念日~ジュリーがライバル、②妹に捧げる唄、③イカルスの子守唄、④苺になるな野いちごよ、⑤ジーパン三銃士、⑥春ラ!ラ!ラ!、⑦ハートで勝負、⑧めまい、⑨彼が初恋、⑩フォギー・レイン、⑪恋のハッピーデート(Gotta Pull Myself Together)、⑫思いっきりサンバ、⑬彩りの季節、⑭恋のサマーダンス、⑮Burning Love(1972;エルヴィス・プレスリー)、⑯Ali Baba、⑰Voulez Vous (アバ:1978)、⑱恋すれば勝ち、⑲I'm in the Mood for Dancing(ダンシング・シスター)(ノーランズ;1980)、⑳GOOD BYEは出発(たびだち)、(Encor)狼なんか怖くない~GOOD BYEは出発
(鈴木英之)
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