通称「となりのミヨちゃん」こと浅田美代子は当時(今も?)都内でも屈指のお嬢様学校、東京女学館高等学校に在籍していたお嬢様のひとり。そんな彼女が芸能界入りするきっかけとなったのは芸能事務所からのスカウトだった。当然ながら身内は反対、更に芸能界入りを簡単に許諾する校風もなく、人気番組『時間ですよ!』の新人オーディションの結果で芸能界入りを認めることになった。そのオーディションへのに応募は25,000人に及ぶも、見事に栄冠を勝ち取り、シンデラ・ガールとして1973年芸能界デビューしている。
そして同年、この番組内で挿入歌として彼女自身が(天地真理も)歌っていた<赤い風船>で歌手デビューを果たす。ただ当時の彼女の歌唱力はNHKの歌番組に出演するためのオーディションを5回も落ちるほどだった。とはいえ、この曲を手がけたのは「歌い手ファースト」が信条のヒット・ソングのマエストロ筒美京平で、そんな彼女でも無難に歌いこなせるシンプルなものだった。
そのデビュー曲は初登場2位、翌週には1位に駆け上がっている。その記録は1980年に近藤真彦が<スニーカーぶる~す>で初登場1位を記録するまで破られないほどのものだった(女性歌手の初登場1位は1990年内田有紀<TENCAを取ろう!~内田の野望>この曲も筒美作)。またセールス実績も50万枚に迫るほどで年間10位という華々しいもので、一躍トップ・アイドルの一人となった。
そんな当時の彼女に人気は、デビュー年に冠番組『ひーふー美代ちゃん』(東京12チャンネル;現テレビ東京)をもつほど絶大なものだった。とはいえ、歌手“浅田美代子”としては相変わらずで、後に清水ミチコ等の歌モノマネ定番としてずっといじられることになる絶好のターゲットだった。
にもかかわらず、1975年までにトップ10に2曲(<ひとりっ子甘えっ子>(10位、14.5万枚)、<しあわせの一番星>(7位、22.1万枚))を送り込んでおり、彼女を代表する上位三曲が全て筒美作品だったというのも最高のデビューが飾れた要因だろう。またトップ20ヒットも4曲あり、そのうちのひとつ1974年の<じゃあまたね>(12位;9.1万枚)の楽曲提供者が1977年に結婚する吉田拓郎だったのはファンには恨めしい出来事だったはずだ。
その後の彼女の役どころは映画作品では「釣りバカ日誌7」以降のみち子さん役等、2019年には故樹木希林初企画の作品となった『エリカ38』で45年ぶりの主演。またテレビでもNHK連続テレビ小説『花子とアン』など数多くの作品に出演し、幅広く活躍を続けている。
またいっぽうでは、明石家さんまのバラエティ番組などに、天然キャラとして欠くことのできない存在となっている。
また彼女は歌手としてもカムバックしており、その第1作は1992年、嘉門達夫とのデュエット<デュエット替え唄メドレー>(28位:6.1万枚)で、バラエティ番組で見せていた天然キャラが引き立つ傑作ナンバーだった。
『第1回リサイタル・ライブ』
1974年12月10日
CBS/SONY / Epic/ECLL-8 / オリコン 50位 0.4万枚
<第一部 ミュージカル「美代子18歳・秋」>①オープニング、②しあわせの発見、③すれちがいの青春、④対立、⑤みんなは兄弟、⑥君は今、⑦18歳・秋、
<第二部 ヒット・パレード>⑧赤い風船、⑨私の宵待草、⑩恋は真珠いろ、⑪しあわせの一番星、⑫ひとりっ子甘えっ子、⑬虹の架け橋、⑭じゃあまたね、⑮春の坂道
1974年9月15日、東京芝郵便貯金ホールでの模様を収録したもの。この時期はリリースされたシングルがすべてトップ20にランクされるほど絶大な人気を保っており、この会場でも熱狂的ファンの野太い歓声が飛び交い、いかにもトップ・アイドルのコンサートらしいものとなっている。
アナログ片面がオリジナル・ミュージカルだった。当時はいずみたくのヒット・ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』が、南沙織とフォーリーブスによって再演(1973年)され話題になっており、そのタイミングもあって美代子も挑戦したのかも知れない。
来場者にとってミュージカルの体験はまたとない絶好の機会だっただろうが、ファンにとってはオリジナル・ヒットを中心としたB面はがお目当てだったのはいうまでもないだろう。
『美代子のページ』 1976年2月25日
CBS/SONY / Epic/ECLL-16 / オリコン 圏外
①Overture、②I Can't Give You Anything (スタイリスティックス:1975)、③Proud Mary(クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァル(以下C.C.R.):1969/ アイク&ティナ・ターナー:1971)、④Medley・赤とんぼ(Chorus; Time Five)/赤い風船/一番星みつけた/しあわせの一番星/叱られて/ひとりっ子甘えっ子、⑤この胸にこの愛に、⑥MAMMA、⑦Medley・ A. Top Of The World(カーペンターズ:1972/1973) / B. Jambalaya(On The Bayou)(ハンク・ウィリアムス:1952 / カーペンターズ:1973)/C.忘れていた朝(赤い鳥:1969)、⑧Medley・ A. Early In The Morning(クリフ・リチャード:1969/ヴァニティ・フェア:1969) / B. Breakfast At Tiffany’s)(ヘンリー・マンシーニ:1961) / C. 虹の架け橋 / D. Sugar Town(ナンシー・シナトラ:1967) / E. I Will What For You Top(ダニエル・リカーリ:1964)、⑨想い出のカフェテラス、⑩20才の出逢い
このセカンド・ライブは1975年12月7日東京芝郵便貯金ホールでのもの。ファースト・ライヴとは打って変わって洋楽カヴァーが多く収録されており、ジャケット裏面のスナップに見られるように、彼女のノリノリぶりが微笑ましい。
まず、派手なオープニングに続く最新ヒット②は英語詞のまま歌っており、よほどのお気に入りだったように感じる。続くティナ・ターナー調の③は訳詞が美代子本人と、彼女の弾けた意気込みも伝わってくる。
自身のヒット曲はさらりとメドレーにしてファン・サービス程度に止めているのは、「私だってこんなに歌えるのよ!」という自負の表れだろうか。
さてそんな自負をうかがわせるカヴァー曲について触れておくと、まず⑦のカーペンターズ・メドレーは無難な選曲だが、興味深いのは⑧のメドレーだ。まず<A>は日本での大ヒットを反映した選曲で岡田富貴子の訳詞がぴったりはまっている。続く<B>は女優気分のダイアログが良い雰囲気を醸し出している。続く<D>は彼女にお似合いの好選曲だ。そしてラストの<E>はなかにし礼の訳詞が可愛いだけではない大人びた美代子を演出している。バック・バンドのノリも好演奏で、会場の「ミヨちゃ~ん」コールに本人の気分もアゲアゲ。
なお、76年は新曲(⑩はこのアルバムのみ収録の未発表曲)のリリースもなく、これ以降は企画物しかリリースされていない。つまり、この作品が実質的にアイドル時代の浅田美代子ラスト・アルバムとなった。
とはいえここでのパフォーマンスはそんな雰囲気は微塵も感じさせないほどエネルギッシュな内容で、コアなファンには最高のプレゼントになったはずだ。
<カヴァー収録曲について>
②I Can't Give You Anything
邦題:愛がすべて。1971年に<You're a Big Girl Now>でデビューしたスタイリスティックスの1975年発表第5作『Thank You Baby』収録の18枚目シングル。本国では51位に終わるも、全英では3週連続1位年間6位という大ヒット。ヴァン・マッコイによる<Love Is The Answer>をモチーフとしたき煌びやかでメロディアスなサウンドは、当時の日本のディスコで<ザッツ・ア・ウェイ/K.C.&ザ・サンシャイン・バンド>や<The Hastle/ヴァン・マッコイ>などと並びヘビロテ状態だった。結果日本での最大ヒット(20位、21.6万枚)になっている。
③Proud Mary
C.C.R.初のミリオン・ヒット(全米2位)で代表曲のひとつ、セカンド・アルバム『Bayou Country』(69年)に収録。なお、1971年にはアイク&ティナ・ターナーが大ブレイク作『Live At Carnegie Hall』よりシングル・カットされ、こちらもミリオン・ヒット(全米4位)を記録し、ティナを語る上で欠くことの出来ない曲となっている。
⑦<A> Top Of The World
カーペンターズの4作『A Song For You』(1972)の収録曲で、日本では本国に先がけ独自にシングル・カットされ大ヒットした。米国では1973年リリースの初ベスト・アルバム『The Singles: 1969–1973』に、リアレンジされたヴァージョンが収録され、このテイクがシングル・カットされ彼らにとって2曲目の全米1位となった。
⑦<B> Jambalaya(On The Bayou)
カントリー界の大御所ハンク・ウィリアムスが1952年カントリー・チャート1位(全米20位)に送り込んだ名曲。後にニッティ・グリッティ・ダート・バンドが『All the Good Times』(1972)、1973年にはC.C.R.解散後にジョン・フォガティが発表した『The Blue Ridge Rangers』に収録され話題となった。日本やイギリスではカーペンターズ第5作『Now & Then』に収録されたカヴァーが独自にシングル・カットされ大ヒットとなっている。
⑦<C>忘れていた朝
1971年7月に発表した赤い鳥の6枚目のシングル(26位、12.7万枚)で代表曲の一つ。
⑧<A> Early In The Morning
邦題:しあわせの朝。1969年、クリフ・リチャードの来日記念盤として発売され、日本で大ヒット(4位、34.1万枚)。なおこの曲は<夜明けのヒッチハイク(Hictch’ Ride)>(全米5位)のヒットで知られるヴァニティ・フェアとの競作で、英米では彼らに軍配(全米12位)が上がった。なお、クリフにとっては日本での最大ヒットという経緯もあり、来日公演では必ず披露するお約束のナンバーだ。
⑧<B> Breakfast At Tiffany’s
邦題:ティファニーで朝食を。『ローマの休日』(1953)でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、ビッグスターとなったオードリー・ヘップバーンの代表作に数えられる1961年発表のパラマウント映画主題歌。作者は『The Pink Punther』でも知られるヘンリー・マンシーニ。
⑧<D> Sugar Town
邦題:シュガータウンは恋の町。“ザ・ヴォイス”フランク・シナトラの愛娘ナンシーが1966年に全米5位を記録した大ヒット。ちなみにこの年、ナンシーは<にくい貴方(These Boots Are Made For Walking)>、翌1967年には父とのデュエット<恋のひとこと(Somethin' Stupid)>を全米1位に送り込み、人気のピークを迎えている。
⑧<E>I Will What For You Top
邦題:シェルブールの雨傘(原題『Les Parapluies de Cherbourg』)は1964年にジャック・ドゥミ監督によって制作されたフランス映画で、第17回カンヌ国際映画祭で最高の栄誉であるパルム・ドール(Palme d'Or)を受賞。この主題歌はダニエル・リカーリが劇中で歌っているが、ナナ・ムスクーリ版も有名。日本では元トワ・エ・モア白鳥英美子のテイクがよく知られている。
(鈴木英之)
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