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本稿出稿の9月は日本においては本来行楽シーズンではあるが、米国も同様に9月の初旬は祝日Labor Dayにあたる時期はバカンスに向けられる。
Wilson家も世間に合わせて父Murryの取引先の夫婦同士Mexico旅行に出かけることとなった、Brianをはじめとする子供たちはお留守番。食費として受け取ったなけなしの小遣い数十ドルが彼らに火をつけた!Alが開口一番
「これで楽器を借りてみんなでBrianの作った曲を歌おうよ」
「バンドとしてモノになるならレコード出そうぜ!」
そこでプロ仕様のレンタルを行っていたHogan's Music(地図中16)へ車を走らせ楽器を借りてくることを計画した。計画は直ちに行き詰まる、食べ盛りのお年頃故に軍資金の大半が飲み食いに消え万事休す!
そこで金策に走るためAl Jardineの実家に急遽白羽の矢が立ったのだった。
実家(地図中19)にはAlの母がおり、AlがBrian宅でした話を伝え、投資を懇願した。内容次第なら対応するとの事だったのでAl宅で臨時オーディションが行われた、披露したのはFour Freshmenのカバー「Their Hearts Were Full Of Spring」。
当然一撃で了承をもらい数百ドルを手に入れ見事計画実行となる。
Brianの部屋に楽器を運び込みセッションは始まり、近所の友人も呼び込んで自作「Surfin'」は何度も演奏されたのだった。
バカンス後帰宅した父Murryの目に映った息子たちの姿は、父親としては不行跡に激怒したものの、音楽家のはしくれとしては息子たちの音楽の魅力に合格点を与えざるを得なかった。この日以降The Beach Boysの歩みが始まるのはその後の歴史が示す通りである。
そう、Alの母の投資が何万倍にもなって帰ってきたのだ!
1972年発表Carl and The Passions『So Tough』のジャケット裏側にはこう書かれている
『 Thanks to Allan's mom for renting the bass fiddle on the first session.』
バンド演奏を決行する前から、小規模ながら何人かで近所の友人とBrianがセッションを重ねてきたことが判明している。地図中1には初期メンバーDavid Marksが住んでおり、Carlと一緒にギター教室に通っていた。そこで教えていたのが伝聞によるとJohn Mausという少年で、後にJohn Walkerと名乗りWalker Brothersを結成する。
Carlはこの件についてノーコメントではあるが、Davidの方はどうかといえば2015年発表の『 LIVE ON SUNSET 2010』ではゲストにJohnを迎え師弟共演?を果たしている。
Brianの近所の地図中10に住むGil Linderの実家は雑貨屋兼テレビの販売/修理業を営んでいた。店舗や倉庫の空きスペースを借りてDavidやCarlなどの兄弟や隣人とセッションしていたようだ、時折来るBrianの同級生にZekeと呼ばれるものが居た、Ezekiel Montantez、後の弊誌でお馴染みのChris Montez。
セッション後よく出かけたのは地図中15にあるPizza Show読んで字のごとくピザ店で開店以来父Murryの代から通っていた店で、デビュー後の小規模なライブの後も、メンバーがよく立ち寄り胃袋を支えてきたそうで、正に青春の味。
Gilの家でオルガンを弾く後ろ姿のDennis。
左側のテレビはBrianが自身のギターと交換し自身の部屋へ運ばれた。
デビュー以降快進撃を続けたThe Beach Boysの売りはなんと言ってもCalifornia南部のライフスタイルとサウンドだ、車にサーフィン永遠のパーティーを楽しもう!
これらのイメージは初期のコラボレーター、Gary Usher, Bob Norgerg, Roger Christianの手による部分も多いのだが、多くはBrian達の高校時代からのHawthorne町内での暮らしそのものが反映されている。
大ヒット「Surfin' U.S.A」の歌詞1番中 ”All over Manhattan” とあるのは東海岸の同所ではなく地図中12の先の浜辺である。Hawthorne市内からサーフィンの季節になると地図中12にある26番通りに多くのサーファーがたむろした。Wilson家、主にDennisは少し南のHermosa 海岸がお気に入りで、Mikeと魚釣りにサーフィン、そして喧嘩に明け暮れた。
1977年発表のDennsiのソロ作品『Pacific Ocean Blue』のLPではジャケットの見開き右に当たる右上の写真はManhattan Beach の桟橋の下で撮られたものだ。
当時現地にあったサーフショップThe Outrigger(地図中14)のボードをDennisは好んで使い、1962年発表の『Surfin' Safari』にもしっかり愛用のボードが登場している。
撮影は図中13のParadise coveの海岸で行われ、浜辺での写真は同年発表シングル「Ten Little Indian」のピクチャー・スリーブ及び1963年発表の『Surfer Girl』に使用されている。
初期The Beach Boysのもう1つのテーマ、車族いわゆるHot Roddersの生態を見てみよう。生態と言っても極めてシンプルで、車に乗ってHawthorne市内をぐるぐる回るだけである。現地のスラングで『Cruise』と呼んでいた。『Cruise』の主な行動範囲は地図中11にあるA&Wというドライブインから地図中9にあるWICH STANDというこれまたドライブインレストランを貫く大通りHawthorne Boulevardを行ったり来たりしながらボウリングや映画やハンバーガー、アイスクリームや意味のないおしゃべりに興じた。
1964年発表の『All Summer Long』に収録の「Drive-In」は、その辺りの情景が描かれている。またcruiseの中で立ち寄る店も取り上げられている、1962年発表の『Surfin' Safari 』収録の「Chug-A-Lug」はいわゆるノンアルコールビールであるルートビアの歌であって、先程紹介した地図中11の場所にあるA&Wはルートビア・メーカー兼レストランチェーンである。A&Wを目指す時当時のスラングではCruisin' the Aと呼んでいた。ちなみにA&Wルートビアは沖縄では長年愛飲されレストランも県下で展開している。
一説によると、デビュー曲「Surfin'」がラジオから流れるのを聴いた場所がここであるという話もあるそうだ。
地図中8にあるFrostiesはユニークな存在で、サーファーとHot Rodderの溜まり場でサーファーは必ずアイスクリームスタンドに駐車し、Hot Rodderはハンバーガースタンドに駐車した、正にデビューから『 All Summer Long』までの光景だ。
地図中9にあるWICH STANDはHot Rodderの溜まり場で週末は常に満員、Hawthorne市中から離れてやや落ちついた雰囲気で人気があった。The Beach Boysファンの間でリリースが期待されている1963年の未発表曲に同名の「WICH STAND」がある、同時期に「A Joyride Cruise」もあり正にHot Rodderの世界だ。
ちなみに「WICH STAND」はシングル盤「Pamela Jean」で長らくThe Beach Boysの覆面グループと噂されたThe Survivorsのセッションによる録音。
The Survivorsは当時実家から出たばかりのBrianのルームメイトで共作もしているBob Norgergが中心のグループで、住まいは地図中6にあった。当時付き合っていた後に妻となるMarilynの実家が地図中7にあり、WICH STANDは2人のデートにうってつけだったであろう。
再び市内へのcruiseへ戻ろう、実家近くの地図中12にあるハンバーガースタンドFostersは、1964年の大ヒット曲「Fun,Fun,Fun」の歌詞の舞台と言われている。
歌詞の内容は、ある女の子が図書館へ勉強に行くので父の車T-Birdを借りたものの、実際はcruise三昧!といったもの。確かに歌詞で言うところの図書館は地図中17にあり高校は地図中18にあるので舞台としての要件は揃っているようだ。ただしあの疾走感のあるサウンドで、and she cruised through the hamburger stand nowの感じだとあっという間ハンバーガースタンドに着いてしまう感じだ?
またこの歌詞の主人公には諸説あり、Hawthorne市内では都市伝説となっているようだ、Dennisの彼女、はたまたBrianがナンパした女性などなど。
そして地図中18はBrianとAlの母校Hawthorne High School!高校時代の部活を題材にした1963年発表の「Be True To Your School」はヒット曲として有名だ。間奏のフルートのメロディーは本校の応援歌からそのまま使われている。
Mt VernonにあるMikeの元実家
The Beach Boysの結成前夜のマイクといえば、進路は安定せず家業の手伝いもしていたが、ガールフレンドを妊娠させ所帯を持つ身となっていた。地図中4にある高台の瀟洒な豪邸から追い出されガソリンスタンドで働く毎日がMikeの全てであった。豪邸の退去からMikeのキャリア快進撃が始まる。
本年の春先MikeはRancho Santa Feにある1200平米の豪邸の売却を発表した、日本でもある『終活』なのだろうか?
豪邸からの退去は新たなThe Beach Boys再結成のサインなのだろうか?
来年2021年はデビュー60周年、第2の『Still Cruisin'』を奏でる日は近づいているあとはアクセルを踏むだけだ。
(text by MaskedFlopper / 編集:ウチタカヒデ)
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