このアイドル・ライヴのコラムは1970年代に限定だが、ことジュリーに関しては1980年代も絶対に必要だと思っている。それは個人的に彼がExoticsを率いた時代があまりにも衝撃だったからだ。
そもそも私自身のジュリー遍歴は、高校時代の親友にザ・タイガースの『ヒューマン・ルネッサンス』の洗礼を受けてからだった。それ以降、ソロもきっちりチェックしていたが、ライヴを見てみたいというまでのファンではなかった。
それが一転してのめり込むようになったのは、宇崎竜童司会の『ファイティング80’s』(注1)1981年8月14日に放映された「Julie & Exotics」のパフォーマンスを見てからだった。 オープニングはヒット中の<ストリッパー>だったが、続く<Bye Bye Handy Love>で「佐野元春」というクレジットを見て、「お!」となった。当時の私にとって佐野元春はかなり気になる存在の一人で、この曲は彼が6月にリリースした<Someday>のカップリングだった。続く3連符のロッカバラード<そばにいたい>と<Darty Work>は、当時松田聖子のソングライターとして注目されていた小田裕一郎。さらに<Under My Thumb>風のイントロで始まった4曲目<The Vanity Factory>(注2)も佐野元春の曲。続くギターが<(I Can’t Get No)Satisfaction>風の5曲目は名コンビ加瀬邦彦作のロック・ナンバー<Noise>、この曲のシャウトがStonesの<Get Off of My Cloud>風でやたらカッコイイ!アンコールはお馴染み<気になるお前>だったが、そこでのギターがClashやJamを連想させるようなパンキッシュなカッティング。わずか30分番組ながら完全にはまりまくり、ここから私のジュリー遍歴が本格的にスタートした。
1980年代は1980年早々に井上バンドと決別(解散)、同年にはAlwaysを率いた活動をはじめている。その1980年のスタートとなったのは1月1日リリースの29作目シングル<TOKIO>だった。しかし、この曲は前年11月25日に発表した『TOKIO』の収録曲で、井上バンドを率いた7月28-29日の渋谷公会堂の公演ではアルバムに先がけ披露されている。
このように<TOKIO>は70年代の曲だが、80年代ジュリーを語る上で絶対に外せない。とはいえ、この曲は彼の最大ヒットでも1位に輝いたナンバーでもない。それはシングルに合わせた電飾を施した赤スーツのコスチュームと白のパラシュートを背負っての歌唱があまりにも衝撃的だったからだ。このパフォーマンスがジュリーの存在をより多くの聴衆に焼き付けることになった。
その過激なパフォーマンスは、同年4月にリリースした<恋のバッド・チューニング>(13位:17.2万枚)でも貫くことになる。ここでは両眼にカラー・コンタクトをはめ、未来的なデザインの衣装に、光る蛍光管を内蔵したスケルトンのギターを持って歌い、まるで未来系パンクを連想させた。なおこの曲でソロ・シングルのトータル売上が1,000万枚を突破(グループとの通算は1977年達成)し、記憶・実績共に残る絶対的な存在となった。
そして5月24日の横浜スタジアムでのコンサート『JULIE Present’80 BAD TUNING』のバックはALWAYSが務めている。その後7月21日にリリースした第14作『BAD TUNING』では前作以上に過激なジャケット、またサウンドはテクノ化が加速化しており、半分以上の楽曲にAlwaysが参加していた。
これに続き、年末には再びALWAYSを従え「80年代型グループ・サウンズ」をコンセプトにした15作目のオリジナル・アルバム『G.S.I Love You』を発表している。このアルバムでは新たに佐野元春が作家陣に参加、アレンジャーには伊藤銀次を迎えて“80年代ジュリー”が構築されている。それはスピードあふれるパンキーな<彼女はデリケート>(注3)や、前出の<The Vanity Factory>によく表れている。またロカビリー仕上げのシングル<おまえがパラダイス>(16位:13.9万枚)では、ギターの柴山和彦の髪をかしむしる印象的なパフォーマンスでロッカーらしいエネルギーが満ち溢れていた。補足になるが、このアルバム初回盤には沢田からのメッセージとザ・タイガースの<君だけに愛を>を収録したソノシートが封入されていた。
そんなこの当時はGSブーム再燃時期であり、1981年1月に「さよなら日劇ウエスタン・カーニヴァル」には・タイガースの」メンバーとして参加。そんな往年の名グループが勢揃いする中、そのステージにはAlwaysを率いて現在のナンバーも演奏している。
このタイガース帯同前の1981年5月にはAlwaysを再編したExoticsを率い<渚のラブレター>(8位:23.9/この曲のみ“渚のラブレター・バンド”名義)をリリース。6月には「Julie & Exotics」(注4)とクレジットされた『S/T/R/I/P/P/E/R』が発表された。このアルバムではジュリーもExoticsのメンバーというスタンスで、伊藤銀次のアレンジにより正統派ロッカーに仕上がっている。それは佐野元春の<Bye Bye Handy Love>、ムッシュの<想い出のアニー・ローリー>、加瀬邦彦の<バイバイジェラシー><テーブル4の女>など粒揃いのナンバーにしっかり刻まれていた。ここでのキラーチューンはジュリー作<ストリッパー>(6位:36.4万枚)できまりだ。なおこのアルバムは「倫敦録音」で、RockpileのBilly Bremner、AceやSueezeで活躍(現Eric Clapton Band)したPaul Carrackも参加している。
タイガース帯同を終えた1982年6月には1年ぶりにExoticsと組んだ『A WONDERFUL TIME』をリリース。このアルバムも前作に引き続きロック色の強いものだが、それはデビュー前の大澤誉志幸を大きく取り上げたことも影響している。それは先行シングルとなった<“お前にチェックイン”>(6位:36.4万枚)や<STOP WEDDING BELL>に集約されている。またNobody作<PAPER DREAM>、佐野元春作<WHY OH WHY>、佐藤健作<A WONDERFUL TIME>といったポップなテイストのロック・ナンバーも多く、Exoticsと組んだアルバムでは親しみ易さは一番だ。
そしてこの年々末には全曲井上陽水書下ろしによる第18作『MIS CAST』発表する。この組み合わせは当時としても大変話題を呼び、テレビでこのアルバムの特別番組が放送されるほどだった。バックはExoticsだが、メイン・アレンジャーが白井良明とあって、当時アヴァンギャルドな路線を突っ走っていたムーンライダース風(注5)のデカダンス的な仕上がりになっている。それは当時発売されたライヴ・ビデオにもしっかり刻まれている。
セールス的には振るわなかったものの完成度は高く、同コンセプトの<6番目のユ・ウ・ウ・ツ>(6位:25.6万枚)とともに奥行きの深いジュリー・ワールドが表現された。元々「陽水とキーが同じ」ということで始まったプロジェクトだが、期待以上の成果が得られず陽水自ら「沢田さんごめんなさい」とコメントしている。肝心の陽水は当時低迷状態だったが、このセッションを通じて傑作『LION & PELICAN』を誕生させる布石となっている。
その翌1983年のジュリーは「源氏物語」をコンセプトにした第20作『女たちよ』、同時にExoticsは単独で『Library』(プロデュースはジュリー) を発表。1984年にはストレートなバンド・サウンドに回帰した第21作『NON POLICY』をリリースするも、9月にExoticsは解散となり黄金のコンビは解消された。とはいえ、メンバーの吉田建と柴山和彦は後にジュリーと再合流(Jazz Master)している。
Exotics解散後にスタンダード<AMAPOLA>を置き土産にレコード会社を移籍。その翌1985年に個人事務所「CO-CóLO Corporation」を設立し、久々に大野克夫が全アレンジを手がけた第22作『架空のオペラ』をリリース。
そして翌1986年には、「2年間一緒にやっていく」という沢田の意思によってチト河内(ex.ハプニングス・フォー)や石間秀樹(ex.Frower Travelin’ Band)など強者を集めてCO-CóLOを結成して第23作『CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜』をリリース。当時、このメンツを見た私は洋楽にもひけをとらないようなロック・サウンドを期待した。ところが中身はほぼAORで肩透かしを喰ってしまった。
とはいえこの時期のジュリーの入れ込み具合の本気度は高く、1986年12月にはアナログ4枚組ライヴ・アルバム『架空の歌劇’86』をリリースした。この後半の「Ⅲ・Ⅳ」は結成間もないCO-CóLOを率いたものだった。個人的には“ジュリーAOR”は、彼の甘いヴォーカルにはフィットしていると思う。ただ「このメンバーで何故AOR?」というのが本音だった。
そんなジュリーにとってCO-CóLOはExotics同様にバックバンドではなくジュリーと一体感を築くもので、『告白-CONFESSION-』(1987年)『TRUE BLUE』(1988年)と円滑に活動を続けた。 とはいえこのCO-CóLOとの活動は、一般が期待する「ジュリー像」にほど遠いサウンドであったと言わざる得なかった。そして2年が経過して当初の計画通り、CO-CóLOは解散した。その後のバックは一時的にだがKris Kringlが務めている。
そして、年号が「平成」に変わった1989年10月には吉田建を招聘し、より本格的ロック・サウンドを再現した26作『彼は眠れない』をリリース。このアルバムは早川タケジのジャケット・ワークが全てを象徴する、まさに“ジュリー復活”を印象付ける作品集だった。
NOBODY作のタイトル曲、忌野清志郎作で彼とのデュエット<Ki・Ma・Gu・Re>、大羽義光作<むくわれない水曜日>といったロック・ナンバーの冴えは抜群で、久々参加の大澤誉志幸はポップ・ナンバー<Tell Me...Blue>を、さらにユーミン作<静かなまぼろし>や徳永英明作<ルナ>など静寂な曲も美しく響いていた。「もっと早くこの路線を極めればよかったのに」と辛口評論家たちからは呟かれたが、改めてジュリーの存在感を示す傑作となったのは間違いなかった。
なおこのセッションから吉田建を中心に、村上`ポンタ’ 秀一をはじめ精鋭ミュージシャンが集結したJazz Masterが結成した。その彼らを率いたお披露目はアルバム発売翌々日10月13日に東京ベイNKホールに始まるツアーだった。このNKのライヴはNHK BS2で生中継されており、ジュリーを知らない世代にも大きな反響を呼んだ。このバンドのクオリティは歴代のいずれにもひけをとらないもので、1990年代中頃までサポートしている。
またこの年大晦日の平成初の「第40回NHK紅白歌合戦」においてジュリーは、ソロとザ・タイガースという同一回で2回登場するという番組史上初の快挙を遂げている。さらに1991年にはデビュー25周年にちなみ、NHK BS2で「美しき時代の偶像」と題されたジュリー特集番組が5日連続トータル25時間放送され、改めて「国民歌手」を印象付けることになった。
(Outro)
その後、東芝EMI在籍時はそこそこチェックしていた程度で、当時印象に残ったものは、1996年9月からスタートした5代目トヨタ・クレスタのCMに玉置浩二、高橋幸宏と3人で出演し、お得意の<Time Is On My Side>を歌っていたことくらいだった。
21世紀の2000年代になってからのジュリーは、インディーズ制作ながらもJULIE LABELをスタートさせ、新作は特殊ジャケット仕様でファンを楽しませている。その第1弾となった通算39作『忘却の天才』は「ブック型」でシングルは「紅茶缶」だった。ここからは<つづくシアワセ>がネスカフェのCMに起用され、しばらくジュリーの歌声がテレビで流れている。余談ながら、この時期には『つづく幸せプレゼント』なるフェアがあり、運よく「季節の花宅急便」に当選している。
そんな私がまたジュリーを真剣に聴くようになったのは、種無しスイカの切り身パッケージの第45作『ROCK’N ROLL MARCH』がリリースされた2008年だった。この年還暦を迎えたジュリーは初の二大ドーム・コンサート「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年ジュリー祭り」を発表しており、このニュースを聞いた私は当時ゲスト出演していた清水のコミュニティFMで、2週間連続で約3時間に及ぶ特集番組を発案している。
そのプログラムを制作中に、運よく私など足元にも及ばないほど熱い「ジュリー愛」を感じさせるH.P.運営者とコンタクトを持つことができ、納得のいく内容にまとめられた。またその協力者から「東京ドーム公演」のチケットまでも手に入れていただいた。
なお、このドーム公演に合わせてジュリーはまる1日NHK FMで告知番組を放送するという気合の入れようだった。そんな記念すべきジュリー初東京ドーム公演は12月3日に敢行している。このような記念公演であれば、通例ゲストが登場したりしてセレモニー的な色合いがつきものだったが、午後3時からスタートしたライヴはコーラス隊が4曲加わった以外はバンドの演奏のみだった。しかも全80曲6時間半にも及ぶ驚愕ライヴは、途中で休憩時間を20分ほど挟んだだけで、ほぼノン・ストップというすさまじいものだった。それは改めてジュリーと彼を支えるバンドのパワーを見せつけられた。
注1)テレビ神奈川(TVK)で1980年4月4日から1983年3月27日まで(全156回)放送された、ロック系ミュージシャンの公開ライヴ録画放送。MC担当は宇崎竜童、収録場所は東京・蒲田の専門学校・日本工学院の音楽ホール。
注2)1980年沢田の第15作『G.S.I LOVE YOU』収録曲。1981年1月25日「さよなら日劇ウェスタン・カーニヴァル」でもAlwaysを率いて歌唱。佐野元春も1982年第3作『SOMEDAY』でセルフ・カヴァーしたが、沢田がコーラスで参加した。
注3)佐野元春が参加した1982年3月21日リリースの『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』でセルフ・カヴァーし、同時にシングルにもなっている。
注4)メンバーは、吉田建(B.)柴山和彦、安田尚哉(Gt.)上原“ユカリ”裕(Dr.)西平彰(Key.)。この名義でのシングルは34作目の<ス・ト・リ・ッ・パ・ー>から、1974年4月25日リリースの42作目<渡り鳥はぐれ鳥>までの11枚。アルバムとしては第16作『S/T/R/I/P/P/E/R』から1984年6月5日リリースの 『NON POLICY』までの6作。
注5)ムーンライダースは1980年の『カメラ=万年筆』でThe Pop GroupやDevo等アヴァンギャルドなスタイルに邁進している。1981年にはその路線をさらにエスカレートさせた『マニア・マニエラ』を制作するも、レコード会社はレコード発売を見送り、当時普及率の低かったCD限定での発売とされた。そのサウンドの中核を担ったのは白井良明だった。
『JULIE Present `80 BAD TUNING』
(VHS & β) 1980年7月21日 / Polydor / VX1001 FX1001
①TOKIO、②お前は魔法使い、③アンドロメダ、④Lover Lover Lover、⑤お月さん万才!、⑥どうして朝、⑦MC 、⑧恋のバッド・チューニング、⑨ミュータント、⑩MC、⑪勝手にしやがれ~カサブランカ・ダンディ、⑫マダムX、⑬世紀末ブルース、⑭夢の続き、⑮(Encor)恋のバッド・チューニング
このライヴでのジュリーは、未来型ロボットやミュータントを連想させるようないで立ちでステージに登場。まさに<TOKIO>の世界を過激に世襲したようなステージを展開している。そのパフォーマンスはまさに1980年型ジュリー・ロックの幕開けの宣言といえる。なおバックのAlwaysは結成してわずかにもかかわらずジュリーとのコンビネーションは抜群でキレのいい演奏を聴かせている。
『さよなら日劇ウェスタン・カーニバル Vol.3(with Always)』
(カセットテープのみ、後にCD化) 1981年3月21日 / Apolon APCA-157
⑩THE VANITY FACTORY、⑪おまえがパラダイス、⑫NOISE、⑬G.S.I LOVE YOU
1981年1月25日 の日劇ウェスタン・カーニバルのライヴから。同日にザ・タイガースとしてステージに上がるも、後半ではAlwaysを率いて現役宣言とばかりに最新曲を聴かせている。
『JULIE CONCERT TOUR `83 MIS CAST』
(VHS & β) 1983年3月10日 / Polydor / 98H-1103
①MIS CAST、②デモンストレーション Air Line、③Darling、④次のデイト、⑤Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde(巴里にひとり)、⑥渚のラブレター、⑦勝手にしやがれ、⑧Band Introducing、⑨背中まで45分、⑩6番目のユ・ウ・ウ・ツ、⑪How Many“Good Bye”、⑫ジャスト・フィット、(Encor)⑬STOP WEDDING BELL、⑭MIS CAST
井上陽水と組んだ『MIS CAST 』の世界観を呈したステージ。オープニングでは白のスーツに身を包んだダンディズムでの幕開け。フランス語で歌い上げる⑤もこのライヴにはよくお似合い、また⑥はハワイアン、⑦はフラメンコ調のアレンジで、ライヴのバランスを整えている。ジュリーのライヴでは異色中のものだろうが、完成度はかなり高い。
『架空の歌劇86』 1986年12月25日 / 東芝EMI CA37-1345~8
Disc-1 ①悲しみのアダージョ、②恋のアランフェス、③朝日の当たる家、④絹の部屋 、⑤砂漠のバレリーナ 、⑥白夜のエトランゼ、⑦吟遊詩人、⑧はるかに遠い夢、⑨影-ルーマニアン・ナイト
Disc-2 ⑩ス・ト・リ・ッ・パ・ー、⑪晴れのちBLUE BOY、⑫気になるお前、⑬許されない愛、⑭灰とダイヤモンド、⑮魅せられた夜、⑯あなたに今夜はワインをふりかけ、⑰夢を語れる相手がいれば
Disc-3 ⑱闇舞踏、⑲無宿、⑳THE VANTY FACTORY、㉑アルフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~、㉒お前がパラダイス、㉓White Room、㉔Stand By Me、㉕Volare
Disc-4 ㉖愛の嵐~スカンジナビア幻想~、㉗流されて、㉘サムライ、㉙ジャスト・フィット、㉚彼女はデリケート、㉛“B”サイドガール、㉜夜のみだらな鳥たち
驚異の4枚組というヴォリュームでリリースされた芸能生活25周年記念盤。 1・2が1986年1月16-18日 NHKホールと、1月21-28日の大阪フェスティヴァル・ホール公演(バックはKris Kringl?)。3・4がCO-CóLOを率いた10月8-9日新宿厚生年金会館と10月10日の大阪フェスティヴァル・ホール公演。 過去のライヴに比べるとややおとなしめ、それゆえ㉕のようなスタンダード・ナンバーの出来が光っている。
Special Thanks 三浦久美子(from 「ジュリーが最高!」)
(鈴木英之)
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