Pages

2020年7月25日土曜日

Stay Home (California編 part 1)




前回『Stay Homeからの続き
 苦労の末家族を呼び寄せたBuddyであったが、経済的苦境から脱して住処を見つけ ることがこれからの課題であった。
 そしてそれを可能にしたのはたどり着いた Hungtington Beachそのものであったのだ。当地周辺に油床が発見され、オイル ブームに沸いていた。今では想像できないが、海岸に油田採掘の足場が林立しており全国から投資が行われていた。


 油田採掘の工事が増加したおかげで配管技術を持つBuddyは糊口をしのぐどころか小金ができたので、上地図のPasedenaに貸家を見つけ一家はようやく落ち着いた。
 後年Buddyの孫たちが”パサディナのお婆ちゃん”という歌を歌うことになるのは 妙縁である。さらにBuddyは配管技術を生かして当時まだ農村地帯が多かった Los Angeles南部の農業用水施設の修理で生計を立てることになる関係で 上地図⑧のInglewoodへ転居した後⑨の家に定住することとなった。
 巷間伝わっている話では泥酔や家庭内暴力が絶えなかったという、しかし 家族団欒の時は親子で合唱や楽器の演奏を楽しんでいた、特に子Murryは音楽への 思いは強く将来は音楽で生計を立てることも夢見ていた。

 Murryは高校卒業後は実家から独立し就職後Audreeと結婚する、その際上地図の① に転居し、Brian, Dennis, Carlを育てていた。
 実家の兄弟も長ずるに及び妹のEmilyがLove家へ嫁ぎ後にMike Loveを産む。Love家は工場経営で成功し、平地が多い周辺地区より小高い③の場所に居を構え ていた。3階建の14部屋もある大邸宅でこの事は後にThe Beach Boysの 『Mount Vernon and Fairway(A Fairytale)』の歌詞でa mansion on a hillと歌われ ている。また、Wilson家もよく招かれMurryの曲を披露したり子供同士での合唱も よく行われた。そして将来のコンビとなるMike-Brian-Murry共作の歌も披露していた。
 しかしながら、Love家の事業が1950年代後半に破綻すると、高台から⑤の平屋へ 転居することとなり、Mikeの実家からの独立と同時にThe Beach Boys結成に向かう。Brian出生後に一家は⑪の現在記念碑が立っているHawthorneへ転居する。


 HawthorneはMurryの父Buddyが配管の修理に出かけていた頃の農村風景が一新されて いた、最大の出来事は当地に1939年航空機メーカーNorthropが創業し周辺産業が活性化され労働人口が増加した為である。
 当時は第二次世界大戦が始まりCaliforniaも軍事拠点としての 機能が拡大していく。また1930年代を通じて米国中西部にDust Bowlと言われる砂嵐が発生し、多くの農家に被害をもたらした為Californiaへ移住する農民が増大した。Hawthornも当時労働者が多く流入し、主にMurryの父祖と同じ中西部訛りで話す隣人が多く住んだ。
 同様に1940年代軍需産業の伸長と共に労働需要に応えるかのように南部からの黒人の移住が 急増する。その中心となったのが⑩を中心とするCentral Avenue周辺であった。当地では 黒人による商店、クラブも多く営まれていたので南部からミュージシャンも多くやってきた。
 閉鎖的なクラブから次第に映画の演奏やレコーディングまで手を広げる者も現れ 多くのJazz, R&Bアーティスト産むこととなった。Central Avenueの価値が大きかった事の 象徴的な出来事があった、当時音楽家は組合(以下AFM)を通してギャラの配分などを受けていたが、各地にある人種別のAFMが通例であった。
 Californiaでも白人系の47支部と767支部の二つがあったが、Jazzを中心とするポピュラー音楽の発展により、とうとう1953年両者は合併し音楽現場での人種の壁が取り払われた。以後西海岸のスタジオワークで様々なミュージシャンが活躍していく素地となる。
 
 MurryはThe Beach Boys結成時自営業であったのは有名であるが、オフィスは自宅から離れた ②の場所にあった。仕事帰りにCentral Avenueに寄ってミュージシャンとの交流があったの だろうか?
 詳細なところは分からないが、実際Murryの曲はCentral Avenueのミュージシャン が取り上げリリースしており何がしかの繋がりがあったことが推測される。



 Red CallenderはPhil Spectorのセッションでも活躍し初期のWrecking Crewともいえる 存在である、同時期に活躍したPlas JohnsonもGold Starで多くの仕事をしており 息子BrianのPet Soundsにも参加している。親子二代に渡り繋がりがあるのも面白い。
 親子二代といえば親子共作による『Break Away』が有名だ、その際Murryは変名の Reggie Dunbarを名乗っている。Dunbarの由来は不明であるが上地図⑩にあった1940年代 までに隆盛を誇った伝説的スポットがHotel Dunbarである。

 先にも述べたが、Brianの祖父Buddyの代ではHawthorneの地は広大な森林や農村が広がり 1939年Northropの創業で一変し一気に都市化へ向かった、それらを牽引したのは主に航空産業である。冷戦終了後、航空産業の勢いは衰えた。しかし近年Wilson家⑪のから近所の⑫に電気自動車で有名なElon Musk率いる宇宙航空ベンチャーSpaceXが創業し、Hawthorneは 再び時代の先端に立とうとしている。
(次回に続く) 



1915年頃のHawthorne-Wilson家の実家近くのKornblum Ave. 

(text by MaskedFlopper)

2020年7月19日日曜日

名手達のベストプレイ第7回~スティーヴ・ガッド


出典 :www.drummerworld.com

 孤高のドラマーという名が相応しいスティーヴ・ガッド(本名:Stephen Kendall Gadd)は、1945年4月9日にニューヨーク州北西部、オンタリオ湖岸に位置するロチェスターで生まれた。
 彼が初めてドラムに触れたのは7歳で、軍楽隊でドラマーをしていた叔父の勧めでレッスンを受けるようになる。ドラマーとしての才能を開花させたガッドは、ロチェスターにあるイーストマン音楽学校に入学しクラシックの打楽器奏法を身につけ、校内では木管アンサンブル・バンドで演奏し、夜はジャズ・クラブでチック・コリア、チャック・マンジョーネなどプロ・ミュージシャン達とのセッションを早くも始めていたようだ。
 イーストマン音楽学校卒業後、徴兵により陸軍の軍楽隊に3年間所属し除隊後にはロチェスターに戻りビッグ・バンドに参加していた。1972年になるとイーストマン時代にルームメイトだったトニー・レヴィン(ピーター・ガブリエル・バンド、キング・クリムゾンetc)、マイク・ホルムスとトリオを組んでニューヨークに進出するが成功に至らず解散する。その後スタジオ・ミュージシャンとして幅広く活動するようになり、1973年にはチック・コリアのReturn to Foreverに短期間所属した後、アル・ディ・メオラのElectric Rendezvous Bandに参加するなどジャズ~フュージョン・シーンでも頭角を現し、CTIレコードや同系列のKUDUのアルバムなど多くのセッションで常連となっていく。
 同時にバリー・マニロウやジム・クローチ、サイモン&ガーファンクル解散後ソロに転じたポール・サイモンなどシンガー・ソングライター系のセッションからのラヴ・コールにより、彼の技巧的且つ曲を演出する多彩なプレイは評判になっていくのだった。

 1976年にはソウル系プロデューサーのヴァン・マッコイのセッションに参加したニューヨーク派のミュージシャン達(ゴードン・エドワーズ、リチャード・ティー、エリック・ゲイル、コーネル・デュプリー、クリスパーカー)と共にフュージョン・バンド“Stuff”を結成し5枚のアルバムを残した。
 手練のミュージシャン集団として1970年代後半から1980年代前半にかけて様々なレコーディング・セッションに参加し、名盤請負人衆として音楽業界でも認識されていく。その後Stuffは各メンバーの多忙さにより自然消滅するが、1986年にはガッドを中心にリチャード・ティー、コーネル・デュプリーにベーシストのエディ・ゴメス(ビル・エヴァンス・トリオetc)を加えてThe Gadd Gangを結成してフュージョン・シーンを再び盛り上げる。
 近年ではポール・サイモンの他、エリック・クラプトン、ジェームス・テイラーなどレジェンド達のレギュラー・ドラマーとしてレコーディングやツアーに参加して、その唯一無二のプレイを聴かせている。
 
 ここではそんなスティーヴ・ガッド氏を心より敬愛するミュージシャン達と、彼のベストプレイを挙げてその偉業を振り返ってみたい。今回は参加者の内ドラマー(経験者含め)が3名おり、テクニカル面でも解説してくれた。
サブスクリプションの試聴プレイリスト(3時間32分!)を聴きながら読んで欲しい。

 出典 :www.drummerworld.com


【スティーヴ・ガッドのベストプレイ5】
●曲目 / ミュージシャン名
(収録アルバムまたはシングル / リリース年度)
◎選出曲についてのコメント
※管理人以外は投稿順により掲載。



Drums & Percussion 奏者/じゃむずKOBO 代表/S.A.D.ドラムスクール 講師


●Rocks / 深町純 (『Jun Fukamachi & The New York All Stars Live 』/ 1978年)
◎1978年9月の後楽園ホール&郵便貯金小ホールでのライブ盤。
1:03から始まりを告げるリズムにワクワクします。
スタープレイヤーがこんなにも集まっちゃって凄い。。。
個人的にはGaddのハイハットのキレが大好きです。

●September Second / Michel Petrucciani,Steve Gadd,Anthony Jackson
 (『Trio in Tokyo 』/ 1999年)
◎このアルバムで1曲を選ぶのは苦労しました。
ドラムがこんな綺麗にメロディへ絡みハーモニーを作ることができるんだ!と感激した曲です。
3:10からの激アツプレイに心が踊らされたのは僕だけじゃないはず!

●Layla/ Eric Clapton (『One More Car,One More Rider』/ 2002年)
◎人生で一番聴いているライブ盤。
全編に渡りドラムってなんて気持ち良いんだと感じさせてくれます。
その中でも有名な「Layla」は曲中の素晴らしさはもちろんですが、お待ちかねのアウトロでの”ドドパ~~~~~ン”、、、最高です。

●She Curves,She Curves / Michael Blicher,Dan Hemmer,Steve Gadd 
(『Blicher Hemmer Gadd』/ 2014年)
◎小気味の良いリズムから始まりフルートとオルガン、ドラムのご機嫌なサウンド。
後半のドラムソロでは絶妙なハイハットワーク、歌心溢れるフレージングにドラム小僧はニンマリするのでした。

●Somehow It’s Been a Rough Day  / Ai Kuwabara with Steve Gadd & Will Lee 
(『Somehow,Someday,Somewhere 』/ 2017年)
◎アルバムの始まりを告げる1曲。桑原あいの繊細で軽やかなピアノプレイからWill Leeの腰のあるベースが続き、Gaddの軽快なブラシワークがメロディを乗せてゆく。
3人の”生きる音”を楽しめる素晴らしいアルバムです。


Layla / Eric Clapton



サックス吹きでもありベーシストでもあります。


●You Make Me Feel Like Dancing / Leo Sayer
(7”『You Make Me Feel Like Dancing』 / 1976年)
◎軽快なシャッフル系ビートに乗り、軽やかに歌うレオセイヤー1976年の楽曲。
一聴するとガッドらしさを感じさせないのだがサビ前のタム回しなど、要所にガッドらしさの光るグルーヴ感溢れる名曲。

●Feel the Night / Lee Ritenour(『Feel the Night』 / 1979年)
◎キレの良いビート感が特徴の渋い一曲。
ガッドらしく後ろにグルーヴを持ってくる気持ちの良いキックやハイハットワークが堪能できる良曲です。

●Glamour Profession / Steely Dan(『Gaucho』 / 1980年)
◎ガッドにしてはソリッドでジャストな演奏。編集によって発音のタイミングが修正されている可能性があるかもしれないが、それにしてもハイハットワークのグルーヴ感はガッドの後ろ乗り感が出ていて良い感じです。

●Just the Two of Us / Grover Washington Jr.(『Winelight』 / 1980年)
◎様々なアーティストがカバーをする名曲もオリジナルメンバーはかなり強力です。
サックスソロでのガッドのビートが楽曲を力強く押し上げていて、その想いが全体に与えている影響は大きいと思います。

●Distracted / Al Jarreau(『This Time』/ 1980)
◎このシャッフルビートをこのテンポで演奏する難しさはミュージシャンにはよくわかってもらえるかも知れない。ガッドはラフさを感じさせながらも実にしっかりとパターンが構築されている。間違えない、グルーヴの理解、当然ながら好演。
しかしバカテクではなく、人を繋ぎながら音楽にしっかりと寄り添い、自身の主張を小気味良い所にちゃんと入れる。本当に素晴らしいドラマーだと思います。


Distracted / Al Jarreau



作詞/作曲/編曲家。 ボーカル、ギター、サックスを担当。 自身のクループ「鈴木恵TRIO」「EXTENSION58」の他、アイドルグループ「RYUTist」への楽曲提供、作家「大塚いちお」氏との共同楽曲の制作等を行う。
TRIO堂(通販サイト)https://szkststrio.theshop.jp/


●My Sweetness / Stuff(『Stuff』/ 1976年)
◎Stuffといえばファンキーナンバーな印象がありますが、彼らのもう一つの得意技、メロウナンバーに是非耳を傾けてほしいです。ガッドと言えばこの曲もまた然りですが、やはりリムショット。リムの美音色と歌を歌うようなダイナミクスが、実にクールなのです。

●Aja / Steely Dan(『彩(Aja)』/ 1977年)
◎腕利きのジャズメンによって録音された作品。ウェザー・リポートの張本人、ウェイン・ショーターを招いているあたりは当時のジャズ→エレクトリックな流れを受けた彼らなりの逆回答ではないかと考えます。中間部のサックスソロと圧倒的なドラムソロの絡み、圧巻です。

●Ace In The Hole / Paul Simon(『ONE-TRICK PONY』/ 1980年)
◎ガッドと言えば外せません、このお方ポール・サイモン。映画のセッション・シーンで聴ける「跳ねるビートの曲に対して溜めるスネア」を存分に味わえます。ズバリ曲全体がお祭り騒ぎにならないキーポイントは、ポールの歌い癖に合わせている2、4のスネアの溜めです。

●Signal To Noise / Peter Gabriel(『Up』/ 2002年)
◎プログレ系を探しておりましたら、ありました!まるでオーケストラの一員のようなガッドのドラムが堪能いただけます。折角の「ピーガブ(通称)」のRecにもかかわらず(というのも何だが)、この曲ではトニー・レヴィンとの黄金のリズム隊を聴けないのが残念です。

●Spain / Corea,Gadd,McMride
(『Super Trio (Live At The One World Theatre, April 3rd, 2005)』/ 2005年)
◎スペインが好きで音源探していたらこれにたどり着きました。チック・コリアが元来生まれ持っているラテン魂を奮い立たせるようなフィルイン。情熱をひた隠しにおさえつつも、終始アフロビートで押し上げていく少しだけエイトビート寄りな最強のアランフェス協奏曲。



Spain / Corea,Gadd,McMride



オフィシャルブログ:http://philiarecords.com/


●I Broke Down / Joe Cocker(『STINGRAY』/ 1976年)
◎Stuffの一員として参加したこのアルバムの中でもとりわけ歯切れのいいドラムプレイ。
バスドラの入れ方やタムを絡めたフィルが素晴らしく、ブルーアイドソウル、ジャズファンクなどのドラムの礎となったのではないかと思います。粘っこさよりもキレの良さを重視したドラミングといったらいいのでしょうか。憧れます。

●Nite Sprite / Chick Corea (『The Leprechaun』 / 1976年)
◎ジャズロック、ジャズプログレ系の楽曲です。歌ものポップス系では比較的シンプルなドラミングが多いのですが、こういった技巧系の曲でのプレイの正確さ、各キットを鳴らした時の音の粒立ちの綺麗さを満喫できる曲なのではないかと思います。曲中に何度も繰り返されるテーマでのキメ、そしてドラムソロのかっこよさが印象的です。

●I'm Gonna Miss You In The Morning / Quincy Jones ft. Luther Vandross and Patti Austin 
 (『Sounds ... And Stuff Like That!!』/ 1978年)
◎金物がよく聴こえるミックスになっているので、ライドのタメ具合や丁寧かつグルーヴィーなハットさばきが楽しめる一曲です。ドラム専門誌などでよく語られるパラディドルなどのテクニカルな部分だけでなく、この曲のようにシンプルなドラミングで役割に徹しつつ色を出すことができるのも、彼の超一流たるゆえんだと思います。(よく聴くと全然シンプルじゃありませんが…)

●Little Pony / Georgie Fame(『Cool Cat Blues』/ 1990年)
◎ブラシを用いた歌モノ高速ジャズ。曲の後半でスネアのアタックを強め、ピアノとアクセントを合わせながら曲が進んでいくところが高揚します。男性ボーカル二人のスキャットのようなかけあいが楽しいのも、この軽快なドラムがあってこそだと感じます。

●Home / Michel Petrucciani,Steve Gadd,Anthony Jackson
(『Trio In Tokyo』/ 1999年)
◎スティーヴ・ガッドは、やはりジャズ・ライブでのプレイを聴かなければ本当の凄さは分からないのかもしれません。序盤から中盤にかけてピアノを前面に押し出しておきながら、だんだんとリズムの主導権を握りながら牽引していき、最後にクールに戻っていくのが最高にかっこいいです。


I Broke Down / Joe Cocker




オフィシャルサイト: https://www.kouhando.com/


●Samba Song / Chick Corea(『Friends』1978年)
◎チック・コリアの曲で初めて聴いたのがこの曲、ガッドの名もここで知りました。耳も心も奪われるような、とにかく派手なプレイです。

●When The Cookie Jar Is Empty / Michael Franks(『Burchfield Nines』/ 1978年)
◎とても好きな曲です。跳ねる金物が静謐な雰囲気の中にほのかな躍動感を与えています。

●Ludwig / Bob James(『Foxie』/ 1983年)
◎ベートーベンの「第九」をモチーフにした大作。シンセと掛け合うドラムソロのハラハラする展開は聴いていてとても楽しいです。

●一分間 / 矢野顕子(『峠のわが家』/ 1986年)
◎同盤で参加している「そこのアイロンに告ぐ」のほうがガッドらしいので非常に迷いましたが今の気分でこちらを選びました。メロディックなプレイはまるで矢野さんとのデュエットのようです。

●Take the “A” Train / Michel Petrucciani.Steve Gadd & Anthony Jackson
(『Trio in Tokyo』 / 1999年 ※当該曲は2009年再発版のボーナストラックとして収録)
◎言わずと知れた名ナンバーですが、オリジナルが気楽な鈍行ならこっちはまさに行先不明の暴走列車です



一分間 / 矢野顕子



●Complicated Times / Frank Weber(『Continental American』/ 1974年)
◎時折細かく刻むハット(曲ラストのオープンとか)で、一気に加速する感が気持ちよすぎる。
特に歌とドラムだけになる箇所はグルーヴの極み。

●Black Dog / Deodato(『First Cuckoo』1975年)
◎スティーブ・ガットが叩くツェッペリン。このオールマイティさ加減!

●You'd Be So Nice to Come Home To / JIM HALL(『Concierto』/ 1975年)
◎ガッドとロン・カーターのプレイによるプログレッションの加速感がすごく伝わってくる。

●Don't I Know You / Phil Upchurch & Tennyson Stephens (『Upchurch & Tennyson』/ 1975年)
◎うっすら漂うアフロなテイストがたまらなくクール。
途中からの16beatハイハットの加速感が気持ち良い。

●Watching The River Flow / The Gadd Gang(『The Gadd Gang』/ 1986年)
◎コーネル・デュプリーのギターと絡みながら押し出されるスティーヴ・ガッドのドラムの推進力が圧巻。



Watching The River Flow / The Gadd Gang



【松木MAKKIN俊郎(Makkin & the new music stuff / 流線形 etc)】
オフィシャルブログ:http://blog.livedoor.jp/soulbass77/


●Heavy Love / David Ruffin (『Who I Am』/ 1975年)
◎全米No.1ヒットも生んだラフィン=ヴァン・マッコイ=stuffのコラボレーション。バンマスのゴードン・エドワーズ(b)が、終盤に力技でガッドのキメを呼び込む駆け引きは感動的!凡百のディスコ音楽と一線を画す超へヴィなソウルミュージック。

●Just Blue / John Tropea (『Tropea』/ 1975年)
◎ガッドはアンサンブルの達人であるが故に、ツインドラムの名手でもある。最良のパートナーはリック・マロッタ。シンプルに刻むマロッタ、それに対してシャープに切り込むガッド、どちらも気持ち良すぎる。

●The Jealous Kind / Joe Cocker (『Stingray』/ 1976年)
◎もはやドラム単体を云々するのは野暮。阿吽の呼吸で互いを譲り合いながら一つのリズムの塊を作る、stuff全員の「間」の取り方の中で、ガッドもまた非凡なセンスを見せつける。タメてタメて、フェイドアウト直前でスネアを刻むのが心憎い。

●Cracker Jack / 増尾好秋 (『Sailing Wonder』/ 1978年)
◎珍しいT.M.スティーブンス(B)とのコンビネーション。ゴリゴリに揺さぶりまくるTMにビクともしない強靭なタイム感で、一打一打を刺すように繰り返す。シンプルなグルーヴから、後半には「ガッドフレーズ」乱打も有りの嬉しい一曲。

●Woody Creek / Lee Ritenour (『Friendship』/ 1978年)
◎ダイレクトカッティングによる名演。このダイナミクス。一つ一つの太鼓やシンバルの鳴り。ロボットのような正確さと、熱い感情表現が完全な形で融合した究極のドラミング。ストイックなようで、無邪気に音に溺れるような演奏には何度聴いても感動してしまう。




Cracker Jack / 増尾好秋



オフィシャルサイト:https://groove-unchant.jimdo.com/


●A Wilder Alias / Jackie Cain & Roy(『A Wilder Alias』/ 1974年)
◎この曲はラテン、ジャズと複雑なリズムパターンがどんどん切り替わっていく、まさにスティーヴ・ガッド腕の見せ所の曲です。

●I Love Wastin' Time With You / The Brecker Brothers Band (『Back To Back』/ 1976年)
◎ブレッカー・ブラザーズの歌ものなんですが、間奏でのハネまくったリズムパターンがこれまた最高。エンディングにむかってフィルインも多めでテンションは最高潮に。是非ご一聴を!

●Fire Of Love / Dr.John(『City Lights』/ 1978年)
◎軽やかなハイハット裁きと乱れ打つスネアがまさにスティーヴ・ガッド。

●Late in the Evening / Paul Simon(『ONE-TRICK PONY』/ 1980年)
◎小沢健二さんのネタとしても有名な曲、DJとしてプレイするのもイントロのリズムパターンから超気持ちいいです。youtubeにライブの映像あるんですがスティーヴ・ガッドはスティックを2本ずつ計4本でプレイしていました。どうりで音の広がりが違うわけですね。

●Runaround / Rickie Lee Jones(『The Magazine』/ 1984年)
◎リッキー・リー・ジョーンズとも良い演奏たくさんあるんですが、この曲もリッキーのテンションに合わせた緩急あるドラミングが曲の良さをアップさせています。



Late in the Evening / Paul Simon




●The Hustle / Van McCoy & The Soul City Symphony(『Disco Baby』/ 1975年)
◎いきなり掟破りの選曲だが、ヴァン・マッコイと後のStuffの主要メンバー達による”いい仕事”の代表曲。ロールするキックとロータムのアクセントでグルーヴするスリリングなヴァースで胸躍らされ、各サビ前でタムを連打する多彩なフィルでときめきを爆発させられた。幼心にも強く響いたガッド初体験なのでした。

●50 Ways To Leave Your Lover / Paul Simon(『Still Crazy After All These Years』/ 1975年)
◎S&G時代から新たなリズム・アプローチへの探究心が旺盛だったポール・サイモンにとってガッドの存在は大きかった。この曲最大のエレメントとなっているヴァースの唯一無二なドラム・パターンは、ガッドがリハーサルで叩いた軍楽団出身らしいマーチング・スタイルのプレイをポールがそのまま採用したという。

●Tappan Zee / Bob James(『BJ4』/ 1977年)
◎ボブ・ジェームスのアルバムにはファーストから参加しているので名演は多いが、この曲には当時のガッドの典型的プレイが多く聴ける。スイングしまくる絶妙なハイハットワークとミッド・テンポ・グルーヴの気持ちよさ。Stuffからはエリック・ゲイルも参加しているが、2人だけでもStuff印を残している。

●Seven Steps To Heaven / Ben Sidran(『The Cat And The Hat』/ 1979年)
◎ジャズとAORのボーダーに位置するベン・シドランの存在はスティーリー・ダンに近い。帝王マイルスの著名曲に歌詞をつけ、縦横矛盾にリズム・チェンジする構成で楽器のように歌唱するシドランを支えるのは、ガッドの八面六臂のプレイに他ならない。ドラム・フィルの百貨店はここでしかオープンしていませんと言わんばかりに。

●We Belong Together / Rickie Lee Jones(『Pirates』/ 1981年)
◎ドラムの演出力という点では、かの「Aja」に匹敵するかも知れない。アンサンブルの中で自らを発揮するガッドのプレイがなければ、この曲のドラマチックな展開は生まれていなかっただろう。
いきなりファースト・アルバムで大成功したリッキー・リーの真価を問うセカンドの冒頭曲の宿命をガッドも背負い、それを打ち負かしたのだ。


Seven Steps To Heaven / Ben Sidran



(企画 / 編集:ウチタカヒデ

2020年7月10日金曜日

RYUTist:『ファルセット』(PENGUIN DISC / PGDC-0012)


 ガール・ヴォーカル・グループRYUTist(リューティスト)が、17年の『柳都芸妓』(PGDC-0005)以来3年振りとなる4thフルアルバム『ファルセット』を7月14日にリリースする。 
 弊サイトでは16年のセカンドアルバム『日本海夕日ライン』(RYUTO RECORDS/RR-012)からRYUTistの作品を取り上げているが、リリース毎にひと回りもふた回りも成長している彼女達の姿に感服しているのだ。
 リーダーの佐藤乃々子を筆頭に、宇野友恵、五十嵐夢羽、横山実郁の4人組は、生まれ育った新潟のご当地アイドルからスタートし、今や実力知名度共に全国区で知られる存在となってきている。それは日々の鍛錬で養ってきたヴォーカル・ワークとダンスの力量の成果だろう。またスタッフ達の先見性に裏打ちされたサウンド・プロダクションの俊敏なアップデートによって確かな結果へと繋がっているのだ。
 『日本海夕日ライン』のレビューでも触れたが、マニアックな音楽趣向を持つミュージシャンやサウンド・クリエイター達との一期一会的コラボレーションの結晶は、筆者をはじめ弊サイト読者など拘り派の音楽ファンの心を掴んで離さない。 

 本作『ファルセット』収録曲から新たに参加したクリエイター達も実に多彩である。先鋭的なミュージシャンから構成されるフィルハーモニック・ポップ・オーケストラ“蓮沼執太フィル”を組織する作編曲家の蓮沼執太。
 バークリー音楽大学出身でキーボーディスト、トラックメイカー/プロデューサーとして幅広く活動し近年メディア露出も多いKan Sano(カン・サノ)。デスクトップミュージックに特化したユニークなユニットで平均年齢25歳のパソコン音楽クラブ。 
 またKIRINJI (キリンジ)のギタリスト兼ヴォーカリストとして知られる弓木英梨乃、美大と芸大を経てシンガー・ソングライターとなった柴田聡子など女性アーティストの活躍も目立つ。
 前作『柳都芸妓』以降にこのプロダクションに参加したTWEEDEESの沖井礼二(元シンバルズのリーダー)と清浦夏実、ROUND TABLE の北川勝利、インドネシアのシティポップ・バンドikkubaru(イックバル)、若きシンガー・ソングライターのシンリズムが提供したシングル曲も収録されている。そしてRYUTistとは古い付き合いとなるKOJI obaこと大場康司も1曲提供している。



 では筆者が気になった主な収録曲の解説をしていこう。
 冒頭の「GIRLS」は次曲の「ALIVE」をモチーフに、各パートをカットアップし再構築している。本編となる蓮沼作の「ALIVE」はイントロ無しで歌のパートが始まるので導入部として非常に効果的だ。
 蓮沼執太フィルの有機的なアンサンブルによるその「ALIVE」は、本作のリードトラックというポジションにあり、これまでのRYUTistサウンドとは全く異もなる新境地というべきサウンドである。現代音楽やジャズ・マナーの演奏から構築されるサウンド・ストラクチャーに彼女達の歌声が溶け込み、得も言われぬ世界観を生んでいる。
 誤解を恐れずに言えば、BB5の『Pet Sounds』(66年)やチャールズ・ミンガスの『Cumbia & Jazz Fusion』(77年)を初めて聴いたような衝撃が走った。即ちそれまで聴いたことの無い音楽との出会いとはそういうものだ。


ALIVE / RYUTist 

 「きっと、はじまり季節」は昨年10月にリリースされた弓木作の8THシングルで、sugarbeansのアレンジによりタイトなドラミングと多彩なギター・アンサンブルによるサウンド・ウォールを持つドラマティックなポップスとなった。
 個性的な女性シンガー・ソングライターの柴田聡子による「ナイスポーズ」は今年3月に先行配信され、メンバーの横山実郁が1人写るジャケットが話題となった。ストンプ・サウンドを効果的に使い転調を繰り返す構成は斬新である。ブリッジのサイケなコーラスはまるでハーパース・ビザールの「Witchi Tai To」(『Harpers Bizarre 4』収録 69年)のそれを彷彿とさせる。
 「絶対に絶対に絶対にGO!」はROUND TABLE の北川が手掛けた英国風ビート・ポップの新曲で、リフレインする印象的なコーラスのコード進行は彼が18年にNegiccoのNao☆に提供したソロ・シングル「菜の花」(名曲だ)のそれに通じる。緩急凄まじいテンポ・チェンジに呼応するRYUTistのヴォーカル・ワークはやはり凄い。

 「青空シグナル」は18年5月の5THシングルとしてTWEEDEESの沖井と清浦による書き下ろしである。一聴して沖井印と分かるCymbals~TWEEDEESサウンドは痛快で、サビから始まりマイナーキーのヴァースからブリッジでクッションしてメジャーキーのサビに戻るという転回は素晴らしい構成だ。動き回る沖井のベースラインとフィルを多用したドラミング、ハモンド・オルガンの巧みなプレイもじっくり聴いて欲しい。 
 Kan Sanoが手掛けた新曲の「時間だよ」はクラブ・ミュージックとしてDJプレイできるクールなトラックにRYUTistのセクシーなヴォーカルが乗るというナンバーで、筆者のファースト・インプレッションではベスト・トラックだった。”Oh baby, oh baby, is this love?”のコーラス・パートや裏拍で鳴っているアタックの強いブラス・シンセのリフなどとにかく素晴らしい。
 そして筆者が弊サイトで18年の邦楽ベストソングに選出した「無重力ファンタジア」に続く。「青空シグナル」のカップリング曲で、TWEEDEES清浦による幻想的な歌詞と、ikkubaruのリーダーMuhammad Iqbalが手掛けたメロウなトラックが融合して、RYUTistを更に上のガール・ヴォーカル・グループに押し上げた金字塔と言って過言ではない。
 この曲のグルーヴの気持ちよさは、彼女達の美しいコーラス・ワークを邪魔しない帯域と最小限の音数による、引き算の美学で構築されたトラックの完成度の賜物だろう。

無重力ファンタジア〜Blue / RYUTist 

 パソコン音楽クラブによる新曲の「春にゆびきり」は、音源モジュールを使い倒してProphet-5やTR-808&909のサウンドをよく再現している。彼らのスタンスは中田ヤスタカに通じるものがあり、この曲のサウンドも中田が手掛けているPerfumeの初期に近いと感じる音楽ファンも多いのではないだろうか。但しRYUTistの巧みでヒューマンなヴォーカル・ワークはそれとは一線を画しているので聴き比べるのも面白い。

春にゆびきり / RYUTist  

 ラストの「黄昏のダイアリー」はTWEEDEESの沖井と清浦にROUND TABLEの北川が加わって手掛けた18年11月の6THシングルである。清浦による等身大の歌詞に沖井と北川による巧みなコンポーズがこの曲の完成度を高めている。
 サウンド的にはTWEEDEESとROUND TABLEの魅力が溶け合っており、『DELICIOUS.』(18年)でも聴かれたジェットコースター状態の弦の展開やモッドなハモンド・オルガンのソロなどは沖井のカラーで、RYUTist 4人のハーモニーが奏でるサビの甘美なメロディなどは北川によるものだろう。とにかく両バンドのファンは必聴なのである。

 最後に繰り返しになるが、本作『ファルセット』は、新たなPhaseに入ったRYUTistの魅力を余すことなく堪能出来るばかりか、2020年を通して重要な邦楽アルバムになることは間違いない。
 興味を持ったポップス・ファンは是非入手して聴いて欲しい。
 
(テキスト:ウチタカヒデ








2020年7月5日日曜日

【ガレージバンドの探索・第九回】Thor's Hammer(Hljómar)

 アイスランドのバンドThor's Hammerについて。【ガレージバンドの探索・第二回】 バミューダ諸島のガレージバンドで書いたThe Savegesがカバーしていて知ったバンドなのだけれど、彼らのEP Umbarumbambaは、高額な値がつく希少なコレクターズアイテムとして一部で有名らしい。

Rúnar Júlíusson (13 April 1945 - 5 December 2008) - vocals, bass
Gunnar Þórðarson -guitar, vocals
Erlingur Björnsson (1966-1969) - guitar, vocals
Engilbert Jensen - vocals, drums
Shady Owens (1968-1969) - vocals
Gunnar Jökull Hákonarson (1968) - drums
Björgvin Halldórsson (1973-1974) - vocals
Birgir Hranfsson (1973-1974) - guitar
Pétur Östlund (1966) – drums

 1963年、アイスランドのケプラヴィークで結成された当時は、もともとHljómarというバンド名だったそうだ。本国ではすぐに人気が出て、1965年に1stシングル「Fyrsti Kossinn / Bláu Augun þín 」(SG-hljómplötur / SG-503 )をリリース。同年にEP『Fjögur Ný Lög』(SG-Hljómplötur ‎– SG-506)を出して、以降海外進出に向けての活動を始める。イギリス Parlophone RecordsのオーディションでGunnar Þórðarson作のオリジナル曲を演奏し契約に至る。この時期に海外市場向けとして英語で歌われ、Thor's Hammerというバンド名もついた。

 若手の映画監督Reynir Oddssonが、Thor's Hammer主演の長編映画製作の話を持ちかける。撮影は3ヶ月に渡り、バンドも映画のために多くの時間と費用を費やした。ところが公開された映画は15分、ストーリーも不満のあるものだったようでバンドとディレクターは激しく対立した。映画はアイスランドのメディアで大々的に宣伝されていたものの、ケプラヴィークで2日間上映されただけで終わったそうだ。この映画のタイトルが「Umbarumbamba」。意味はおそらく、南アフリカの愛の言葉らしい。

 数週間後に、映画のサウンドトラックEP Umbarumbamba(CGEP 62, Parlophone ‎– DP 567)が発売されるも、当時はあまり人々に興味をもたれることはなかった。その他のParlophoneでのリリースは「A Memory / Once」(Parlophone ‎– DP 565)と「Love Enough / If You Knew」(Parlophone ‎– DP 567)のシングル2枚のようだ。



 If You Knew / Thor's Hammer

 初期の頃は、荒々しいファズガレージもあれば、The Beatlesのような雰囲気がありながら、独特なメランコリックさをもった曲も多い。
活動はその後も精力的で、1967年にはアメリカColumbia Records からJohn Simonのプロデュースでシングル「Show Me You Like Me / Stay」(Columbia 4-44348)をリリースしている。この時期にはホーンも加わって初期とはまた違った魅力がある。



    Stay Thor's Hammer

 同年、アイスランドのレーベルSG-Hljómplöturから1stアルバム『Hljómar』(SG-Hljómplötur ‎– SG-013)をリリースし、1968年には、同じくSG-HljómplöturからEP『Hljómar』(SG-Hljómplötur ‎– SG-528)、女性ボーカルのShady Owensが加わった2ndアルバム『Hljómar』(SG-Hljómplötur ‎– SG-018)をリリース。セルフタイトルが多くて混乱しそうになる。
1969年に解散し、メンバーの一部はプログレバンドTrúbrotに加わった。

 Thor's Hammerの音源の多くは、2001年にリリースされたコンピレーションアルバム『From Keflavík, With Love』 (Big Beat CDWIKD 206, 2001)で聴くことができる。




参考・参照サイト
https://grapevine.is/icelandic-culture/music/2009/06/09/the-history-of-icelandic-rock-part-4-hljomar-mania/