8回目の11月号は今年7月9日に逝去された「ジャニーズ帝国の総帥/ ジャニー喜多川」を偲び、氏に追悼をこめた「ジャニーズ特集」。彼の長い歴史は一回の特集では無理があり、前後半の二部に分け、今回は「昭和年間」。
トップは「昭和」を代表する「たのきんトリオ」の「マッチ」こと近藤真彦のデビュー曲<スニーカーぶる~す> <スニーカーぶる~す> この曲は新人としてオリコン初の初登場1位、ミリオンセラー(104.7万枚)を記録、1981年のセールスで年間3位の驚異的ヒット。この年この曲の上位は、寺尾聰<ルビーの指輪>(132.7万枚)、竜鉄也<奥飛騨慕情/>(128万枚)の2曲、なんと松山千春<長い夜>(86.6万枚)よりも大きくセールスを伸ばしている。
最初のBGMはABC-Zの<Never My Love>、後で触れますがこの曲はジャニーさんにとって残念な歴史を物語る曲。まず彼の芸能界参入は1962年6月、当時所属タレントはジャニーズ。彼らは同年8月にNHK『夢であいましょう』で田辺靖雄のバックが初仕事。 その年12月の<若い涙>で歌手デビュー、そして1966年には渡米してワーナーブラザーズと契約し、レコーディングを行うも、その音源は未発表となっている。その1曲が<Never My Love>で、同じワーナー所属のThe Associationがリリースし、全米2位のミリオンセラーとなり、ジャニーさんにとっては遺恨を残す出来事になった。この事実はジャニーズのメンバーだったあおい輝彦が1977年リリースの『あおい輝彦 オンステージ』でコメントしている。
その翌年に帰国したジャニーズは、GSブームにのってテレビ・ドラマの主題歌<太陽のあいつ>などをヒットで人気グループに。なおこの曲は少年隊が平成4年の「NHK紅白歌合戦」でカヴァーした「ジャニーズ・クラシック」としても長く引き継がれている。そんなジャニーズは、1967年11月にわずか5年で解散。 そんな彼らの後継者はバックダンサーを務めたフォーリーブス。この当時から次世代には先輩格のバックを務める形態は始まっている。
そのフォーリーブスはこの年10月にスタートの『プラチナ・ゴールデンショー』のレギュラーを務め、翌年9月にCBSソニー国内契約1号として<オリビアの調べ>でレコード・デビュー。 そのフォーリーブスのメンバー一番人気は「こーちゃん」こと北公次。このグループは元々彼をデビューさせるために結成され、彼はアイドルで初めてバク転パフォーマンスを演じている。一般に名前が通っていたのは、特撮番組「マグマ大使」で村上マモル役を演じていた「トシ坊」こと江木俊夫。そして「こーちゃん」と人気を二分し音楽面を支えた「ター坊」こと青山孝、「マー坊」ことおりも政夫の4人。この「坊」というニックネームはいかにも“昭和的”。
そんな彼らは「歌って踊れる」スタイルで、1970年にはNHK紅白歌合戦にも出場するトップ・アイドルになって、人気は全国区に。実は私、著書の「よみがえれ!昭和40年代」の掲載用に、江木さんにお会いする機会を持っている。彼から当時のことを伺うと「僕たち人気はあったけど、大ヒットはなかったんだよね。」とコメントされた。その言葉通り彼らの代表的なヒット曲といえば、1971年に渡米して<Season Of The Sun>のタイトルで録音した<夏の誘惑>や、江木さんの「だって地球は丸いんだもん!」のセリフで知られる<地球はひとつ>の10位が最上だった。
そんなジャニーさんのアイドル発掘手腕を決定的にしたのは、間違いなく郷ひろみを見出したこと。彼は1971年にスカウトされ、他のアイドルの卵たち同様に、先輩であるフォーリーブスのバックダンサーとしてスタート。そんな彼のユニ・セックス的で抜群のルックスは、デビュー前にファンクラブが結成されるほどだった。 そして1972年1月にはNHK大河ドラマ「新・平家物語」で俳優デビュー、8月には<男の子女の子>で歌手デビュー、8位のヒットを記録。なおこの曲はGSオックスの<ダンシング・セブンティーン>の作者である筒美京平さんが改編したもの。
そして1973年には野口五郎、西城秀樹と共に「新御三家」と呼ばれ、あっという間にトップ・アイドルに。個人的には郷さんのお父さんが私の父と同じく「国鉄職員」だったということに親近感を覚えた。
その後2作目の<ちいさな体験>がベスト5(4位)入り、<愛への出発(スタート)><裸のビーナス><魅力のマーチ><モナリザの秘密>と4作連続2位となり、フォーリーブスに変わり事務所のトップスターになった。当時私のお気に入りは8作目の<花とみつばち>。それはThe Doorsの全米1位曲<Hello I Love You>風で、その元ネタKinksの第4作<All Day And All Of The Night>にもよく似ていた。 なお郷さんが1位を獲得したのは1974年の10作目<よろしく哀愁>のみ。個人的には<ブルーシャトー>風の歌謡曲ど真ん中風のアレンジはあまり好みではない。
郷さんをトップ・アイドルに押し上げ、先輩格のフォーリーブスには『見上げてごらん夜の星を』のようなミュージカルを中心の活動をさせている。そして1974年になると「ジャニーズJr.第1期生」を「フォーリーブス」と「郷ひろみ」のバックダンサーにチーム分け、翌1975年にフォーリーブス組から「JOHNNYS’ジュニア・スペシャル」として<ベルサイユのばら>でデビューさせた。ただこの方針は、「郷ひろみ」側の主力メンバーたちの不満をあおり、彼らは事務所を脱退し脱退組でメッツなるグループを結成。これが引き金となって彼らと親密だった郷さんまでが移籍するという騒動に。とはいえ、ジャニーさんはその後も「アイドル最高傑作は郷ひろみ」であると断言されている。
このように、郷ひろみという看板タレントを失った事務所は、引き続きジャニーズJr.からスター候補を輩出。その中には、「孤児院出の捨て子」という豊川誕を「不幸キャラ」を売りに<星めぐり>等のヒットで人気者に。そして1977年には郷ひろみ系譜の美少年川崎麻世を発掘。彼はジャニーズJr.だけでなく、NHKの「レッツゴー・ヤング」のサンデーズの主力メンバーで、後輩たちから「麻世先輩」と慕われていた。そんな彼はピンクレディーが元祖の日清食品「焼きそばUFO」のCMにも起用されるも、デビュー曲の<ラブ・ショック>以降16枚のシングルは全てトップ40圏外。 そしてフォーリーブスは1977年に<ブルドック>で起死回生をはかるも、トップ40入りがやっとで、翌1978年には全国ラストツアーを行い解散。
このように1970年代後半は潜伏期間のジャニーズ事務所は、1979年に始まった武田鉄矢主演の『3年B組金八先生』に生徒役で出演した所属タレントたちで1980年代以降は再び快進撃が始まる。そのトップバッターは、川崎麻世のバックダンサーを務めた経験のあるトシちゃんこと田原俊彦。なおこの番組で共演したマッチ(近藤真彦)とよっちゃん(野村義男)の三人で「たのきんトリオ」として人気を博した。
「郷ひろみ~川崎麻世」に続く美少年系譜のアイドル、トシちゃんは1980年6月にLeif Garrettの<New York City Nights>をカヴァーした<哀愁デート>で鮮烈なデビューを飾った。ただこのデビュー曲は、特大ヒット<ダンシング・オールナイト>に阻まれ1位を逃した。とはいえ2曲目の<ハッとして!Good>3曲目<恋=Do!>は連続1位、その後デビュー曲から37作連続トップ10入り(通算38曲、12曲は.1位)を獲得、「新御三家」からトップ・アイドルの座を奪い取った。
また彼はMicheal Jacksonを彷彿させるダンス・パフォーマンスでも存在感を際出たせており、久保田利伸がデビュー前に書下ろした<It’s Bad>(1985.11.28. 24th.4位)や、『教師びんびん物語』の主題歌<抱きしめてTONIGHT>(1988.4.21. 32th.3位)などで見せたパフォーマンスはその代表。そしていかにもトシちゃんらしいナンバーといえば、ゴージャスな雰囲気に仕上がった<ラブ・シュプール>(1982.12.18. 12th.3位)。この曲は、たのきんトリオ出演映画『ウィーン物語 ジェミニYとS』の主題歌だったが、30万枚限定発売のためにファンが必死で探し回っていたようだ。
続いては「たのきんトリオ」で最もデビューが待たれていたマッチ。彼はジャニーズ事務所に初のミリオン・セールスをもたらす。そんなマッチは16曲が1位を獲得、1987年の22作<愚か者>でジャニーズ事務所出身者初の(第29回)日本レコード大賞受賞者。 山下達郎ファンとしては彼の書き下ろし<ハイティーン・ブギ>(1982.6.30. 7th.1位)<永遠に秘密さ>(1984.9.13. 15th.1位)がイチオシ。コーラスを竹内まりやとEpoが担当した前者は、今も達郎さんのライヴのセット・リストになっている。また「ちびまる子ちゃん」でお馴染み<おどるポンポコリン>のヒット・メーカー織田哲郎のカヴァー<Baby Rose>も。とはいえマッチを代表するヒットと言えば、やはり<ギンギラギンにさりげなく>(1981.9.30. 4th 1位)。
トシちゃんとマッチの次に送り出したのは、1981年4月にスタートしたさとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』に生徒役の出演者「シブがき隊」。メンバーはフックンこと布川敏和、モックンこと本木雅弘、ヤックンこと薬丸裕英の三人。 彼らは1982.年5月に<NAI・NAI 16>でデビュー、実績としては28作中に1位獲得は9作目の<喝!(カツ)>のみ。そんな彼らを代表するナンバーは「NHKみんなのうた」で大反響をよび、発売前に1985年『第36回NHK紅白歌合戦』で披露された<スシ食いねェ!>、英語版の<OH!SUSHI>まで発売されたほど。 個人的には1983年の7作<挑発∞ (MUGENDAI)>を推す。この曲作者井上大輔が自身の番組「音楽ってなんだ」で、自らが録音したデモの英語版の出来は秀免だった。
そして1983年によっちゃんはTHE GOOD-BYEでバンド・デビュー。メンバーはリーダーでギター担当の通称ヤッチン曽我泰久、ドラムスのこーちゃん江藤浩一、ベースにはハチこと故加賀八郎の4人。彼はバンドで「レコード大賞最優秀新人賞」を獲得し、ジャニーズ事務所の4年連覇。通称「よっちゃんバンド」と呼ばれるも、ワンマン・バンドではなく四人対等。彼らは1989年までにリリースしたシングル15枚中トップ10ヒットが2曲のみながら、よっちゃんは作曲家としてキョンキョンに提供した1987年<キスを止めないで>で1位を獲得。この曲は翌1988年に発表した第8作 8th『Album』に<Don't Stop Kiss>のタイトルでセルフ・カヴァー。
このバンドはユニークな活動でマニアックなファンを獲得している。例えばアルバム・タイトルで、デビュー作『Hello! The Good-Bye』はThe Beatlesの<Hello Goodbye>、6作『#6 DREAM』はJohn Lennonの<#9Dream>、9作『Revolution No.9』はThe Beatlesのセルフ・タイトル・アルバム収録曲と遊び心満載。またシングル12作<マージービートで抱きしめたい>はThe Beatles<抱きしめたい>のジャケットをパロッた大傑作。また<のぞいてFeel Me, Touch Me>はThe Whoの『Tommy』収録<See Me Feel Me>を連想させる改心のナンバー。
ジャニーズではANKHに次ぐ二番目のバンド活動で、ジャニーズにバンドというカテゴリーを定着させた。そんな彼らに続いたのが1988年に<DAYBREAK>でデビューした男闘呼組。メンバーはリーダーでキーボード担当の前田耕陽、リード・ギターの成田昭次、リズム・ギターの岡本健一、ベースの高橋一也の4人編成。彼らはデビュー作から4作連続1位を獲得し、ジャニーズのバンドで『NHK紅白歌合戦』(第39回、40回)に初出場。そんな彼らは最初の2作のアルバムにはシングルを未収録と、The BeatlesやRolling Stonesがデビュー時にイギリスで実践した戦略を敢行。これはアルバムとシングルを明確に分け、ファンに二度買いをさせない姿勢だった。
次は本来の「歌って踊れる」スタイルの集大成少年隊。メンバーはリーダー「ニッキ」こと錦織一清、「カッチャン」こと植草克秀、そして「ヒガシ」こと東山紀之の三人。彼らはトシちゃんやマッチのバックダンサーとして人気を集め、歌唱力もパフォーマンスも精度が高く、全員バク転ができる本格派。1985年12月12日のデビュー曲<仮面舞踏会>は、マッチに続き「初登場1位」。当時それを間あたりにしたシブがき隊に自ら解散を決意させたほど。なお嵐<a Day in Our Life>は少年隊の<ABC>をサンプリングしたナンバー。個人的には『俺たちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に登場し、<STRIPE BLUE>を歌ったことが印象深い。このコーナーは仮装の偽物や、懐かしの有名人の溜り場で、そこに本物のトップ・アイドルが登場するのは前代未聞の出来事だった。
今回の最後は、1987年にデビューした「最後のスーパーアイドル」光GENJI。そのメンバーは、「GENJI」を組んでいた諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓に、「光」を組んでいた内海光司さん、大沢樹生さんが合体した大所帯の7人編成。平成に入り結成された大所帯のグループの起源は彼ら。そのパフォーマンスはローラースケートを駆使したもので、爆発的なブームとなり一躍スターダムに上り詰めた。 デビュー曲は、1986年の<モーニング・ムーン>以降に上昇機運にあったチャゲ&飛鳥。この二組のタッグはまさにケミストリーで、デビュー曲<STAR LIGHT>は1位を獲得、以後8作連続1位。1988年には1978年のピンクレディー(1.UFO、2.サウスポー、3.モンスター)以来年間売り上げのトップ3を独占(1.パラダイス銀河、2.ガラスの十代、3.Diamondハリケーン)する快挙を達成。さらに7位には<剣の舞>まで送り込んでいてベスト10に4曲、これも1977年のピンクレディーの記録(6位透明人間)に並ぶもの。 この驚異の実績に<パラダイス銀河>で「日本レコード大賞」を受賞、ジャニーズ事務所はマッチに次ぎ二連覇。
今回の最後は「忍たま乱太郎」の主題歌<勇気100%>。この曲は平成年間でも多くのジャニーズにカヴァーされている<平成編>につながるナンバーで、本家は光GENJIだった。
1. スニーカーぶるーす/近藤真彦
~B.G: Never My Love / ABC-Z
2. 太陽のあいつ/ ジャニーズ
3. 夏の誘惑/フォーリーブス
~B.G: ダンシング・セブンティーン / オックス
4. 男の子女の子/ 郷ひろみ
5. 花とみつばち/郷ひろみ
6. よろしく哀愁 /郷ひろみ
~B.G: 見上げてごらん夜の星を / フォーリーブス
7. ベルサイユのばら/ Johnnys'ジュニア・スペシャル
8. 星めぐり / 豊川誕
9. ラブ・ショック/川崎麻世
10.ブルドック/ フォーリーブス
~B.G: New York City Nights / Leif Garrett
11. ラブ・シュプール/ 田原俊彦
12. It's BAD / 田原俊彦
13. 抱きしめてTONIGHT /田原俊彦
~B.G: 夢であいましょう/田原俊彦
14. ギンギラギンにさりげなく / 近藤正義
15.ハイティーン・ブギ/近藤正義
16. 愚か者 /近藤正義
~B.G: スシ食いねェ! /シブがき隊
17. Nai・Nai 16(シックスティーン)(Live) /シブがき隊
18. 挑発∞(Live) /シブがき隊
~B.G: キスを止めないで/ 小泉今日子
19. のぞいてFeel Me, Touch Me / THE GOOD-BYE
20. マージービートで抱きしめたい/ THE GOOD-BYE
21. DAYBREAK / 男闘呼組
~B.G: a Day in Our Life / 嵐
22. 仮面舞踏会 / 少年隊
23. STRIPE BLUE / 少年隊
~B.G: 君だけに / 少年隊
24. 剣の舞 / 光GENJI
25. 太陽がいっぱい / 光GENJI
26. パラダイス銀河/ 光GENJI
~B.G: 勇気100% / 光GENJI
次回12月号は「ジャニーズ特集(平成編)」です。
本放送:第四土曜日11/23(土)15:30~18:00
再放送:第四日曜日11/24(日)8:00~10:30
【FMおおつ公式アプリ】https://fmplapla.com/fmotsu/
トップは「昭和」を代表する「たのきんトリオ」の「マッチ」こと近藤真彦のデビュー曲<スニーカーぶる~す> <スニーカーぶる~す> この曲は新人としてオリコン初の初登場1位、ミリオンセラー(104.7万枚)を記録、1981年のセールスで年間3位の驚異的ヒット。この年この曲の上位は、寺尾聰<ルビーの指輪>(132.7万枚)、竜鉄也<奥飛騨慕情/>(128万枚)の2曲、なんと松山千春<長い夜>(86.6万枚)よりも大きくセールスを伸ばしている。
最初のBGMはABC-Zの<Never My Love>、後で触れますがこの曲はジャニーさんにとって残念な歴史を物語る曲。まず彼の芸能界参入は1962年6月、当時所属タレントはジャニーズ。彼らは同年8月にNHK『夢であいましょう』で田辺靖雄のバックが初仕事。 その年12月の<若い涙>で歌手デビュー、そして1966年には渡米してワーナーブラザーズと契約し、レコーディングを行うも、その音源は未発表となっている。その1曲が<Never My Love>で、同じワーナー所属のThe Associationがリリースし、全米2位のミリオンセラーとなり、ジャニーさんにとっては遺恨を残す出来事になった。この事実はジャニーズのメンバーだったあおい輝彦が1977年リリースの『あおい輝彦 オンステージ』でコメントしている。
その翌年に帰国したジャニーズは、GSブームにのってテレビ・ドラマの主題歌<太陽のあいつ>などをヒットで人気グループに。なおこの曲は少年隊が平成4年の「NHK紅白歌合戦」でカヴァーした「ジャニーズ・クラシック」としても長く引き継がれている。そんなジャニーズは、1967年11月にわずか5年で解散。 そんな彼らの後継者はバックダンサーを務めたフォーリーブス。この当時から次世代には先輩格のバックを務める形態は始まっている。
そのフォーリーブスはこの年10月にスタートの『プラチナ・ゴールデンショー』のレギュラーを務め、翌年9月にCBSソニー国内契約1号として<オリビアの調べ>でレコード・デビュー。 そのフォーリーブスのメンバー一番人気は「こーちゃん」こと北公次。このグループは元々彼をデビューさせるために結成され、彼はアイドルで初めてバク転パフォーマンスを演じている。一般に名前が通っていたのは、特撮番組「マグマ大使」で村上マモル役を演じていた「トシ坊」こと江木俊夫。そして「こーちゃん」と人気を二分し音楽面を支えた「ター坊」こと青山孝、「マー坊」ことおりも政夫の4人。この「坊」というニックネームはいかにも“昭和的”。
そんな彼らは「歌って踊れる」スタイルで、1970年にはNHK紅白歌合戦にも出場するトップ・アイドルになって、人気は全国区に。実は私、著書の「よみがえれ!昭和40年代」の掲載用に、江木さんにお会いする機会を持っている。彼から当時のことを伺うと「僕たち人気はあったけど、大ヒットはなかったんだよね。」とコメントされた。その言葉通り彼らの代表的なヒット曲といえば、1971年に渡米して<Season Of The Sun>のタイトルで録音した<夏の誘惑>や、江木さんの「だって地球は丸いんだもん!」のセリフで知られる<地球はひとつ>の10位が最上だった。
そんなジャニーさんのアイドル発掘手腕を決定的にしたのは、間違いなく郷ひろみを見出したこと。彼は1971年にスカウトされ、他のアイドルの卵たち同様に、先輩であるフォーリーブスのバックダンサーとしてスタート。そんな彼のユニ・セックス的で抜群のルックスは、デビュー前にファンクラブが結成されるほどだった。 そして1972年1月にはNHK大河ドラマ「新・平家物語」で俳優デビュー、8月には<男の子女の子>で歌手デビュー、8位のヒットを記録。なおこの曲はGSオックスの<ダンシング・セブンティーン>の作者である筒美京平さんが改編したもの。
そして1973年には野口五郎、西城秀樹と共に「新御三家」と呼ばれ、あっという間にトップ・アイドルに。個人的には郷さんのお父さんが私の父と同じく「国鉄職員」だったということに親近感を覚えた。
その後2作目の<ちいさな体験>がベスト5(4位)入り、<愛への出発(スタート)><裸のビーナス><魅力のマーチ><モナリザの秘密>と4作連続2位となり、フォーリーブスに変わり事務所のトップスターになった。当時私のお気に入りは8作目の<花とみつばち>。それはThe Doorsの全米1位曲<Hello I Love You>風で、その元ネタKinksの第4作<All Day And All Of The Night>にもよく似ていた。 なお郷さんが1位を獲得したのは1974年の10作目<よろしく哀愁>のみ。個人的には<ブルーシャトー>風の歌謡曲ど真ん中風のアレンジはあまり好みではない。
郷さんをトップ・アイドルに押し上げ、先輩格のフォーリーブスには『見上げてごらん夜の星を』のようなミュージカルを中心の活動をさせている。そして1974年になると「ジャニーズJr.第1期生」を「フォーリーブス」と「郷ひろみ」のバックダンサーにチーム分け、翌1975年にフォーリーブス組から「JOHNNYS’ジュニア・スペシャル」として<ベルサイユのばら>でデビューさせた。ただこの方針は、「郷ひろみ」側の主力メンバーたちの不満をあおり、彼らは事務所を脱退し脱退組でメッツなるグループを結成。これが引き金となって彼らと親密だった郷さんまでが移籍するという騒動に。とはいえ、ジャニーさんはその後も「アイドル最高傑作は郷ひろみ」であると断言されている。
このように、郷ひろみという看板タレントを失った事務所は、引き続きジャニーズJr.からスター候補を輩出。その中には、「孤児院出の捨て子」という豊川誕を「不幸キャラ」を売りに<星めぐり>等のヒットで人気者に。そして1977年には郷ひろみ系譜の美少年川崎麻世を発掘。彼はジャニーズJr.だけでなく、NHKの「レッツゴー・ヤング」のサンデーズの主力メンバーで、後輩たちから「麻世先輩」と慕われていた。そんな彼はピンクレディーが元祖の日清食品「焼きそばUFO」のCMにも起用されるも、デビュー曲の<ラブ・ショック>以降16枚のシングルは全てトップ40圏外。 そしてフォーリーブスは1977年に<ブルドック>で起死回生をはかるも、トップ40入りがやっとで、翌1978年には全国ラストツアーを行い解散。
このように1970年代後半は潜伏期間のジャニーズ事務所は、1979年に始まった武田鉄矢主演の『3年B組金八先生』に生徒役で出演した所属タレントたちで1980年代以降は再び快進撃が始まる。そのトップバッターは、川崎麻世のバックダンサーを務めた経験のあるトシちゃんこと田原俊彦。なおこの番組で共演したマッチ(近藤真彦)とよっちゃん(野村義男)の三人で「たのきんトリオ」として人気を博した。
「郷ひろみ~川崎麻世」に続く美少年系譜のアイドル、トシちゃんは1980年6月にLeif Garrettの<New York City Nights>をカヴァーした<哀愁デート>で鮮烈なデビューを飾った。ただこのデビュー曲は、特大ヒット<ダンシング・オールナイト>に阻まれ1位を逃した。とはいえ2曲目の<ハッとして!Good>3曲目<恋=Do!>は連続1位、その後デビュー曲から37作連続トップ10入り(通算38曲、12曲は.1位)を獲得、「新御三家」からトップ・アイドルの座を奪い取った。
また彼はMicheal Jacksonを彷彿させるダンス・パフォーマンスでも存在感を際出たせており、久保田利伸がデビュー前に書下ろした<It’s Bad>(1985.11.28. 24th.4位)や、『教師びんびん物語』の主題歌<抱きしめてTONIGHT>(1988.4.21. 32th.3位)などで見せたパフォーマンスはその代表。そしていかにもトシちゃんらしいナンバーといえば、ゴージャスな雰囲気に仕上がった<ラブ・シュプール>(1982.12.18. 12th.3位)。この曲は、たのきんトリオ出演映画『ウィーン物語 ジェミニYとS』の主題歌だったが、30万枚限定発売のためにファンが必死で探し回っていたようだ。
続いては「たのきんトリオ」で最もデビューが待たれていたマッチ。彼はジャニーズ事務所に初のミリオン・セールスをもたらす。そんなマッチは16曲が1位を獲得、1987年の22作<愚か者>でジャニーズ事務所出身者初の(第29回)日本レコード大賞受賞者。 山下達郎ファンとしては彼の書き下ろし<ハイティーン・ブギ>(1982.6.30. 7th.1位)<永遠に秘密さ>(1984.9.13. 15th.1位)がイチオシ。コーラスを竹内まりやとEpoが担当した前者は、今も達郎さんのライヴのセット・リストになっている。また「ちびまる子ちゃん」でお馴染み<おどるポンポコリン>のヒット・メーカー織田哲郎のカヴァー<Baby Rose>も。とはいえマッチを代表するヒットと言えば、やはり<ギンギラギンにさりげなく>(1981.9.30. 4th 1位)。
トシちゃんとマッチの次に送り出したのは、1981年4月にスタートしたさとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』に生徒役の出演者「シブがき隊」。メンバーはフックンこと布川敏和、モックンこと本木雅弘、ヤックンこと薬丸裕英の三人。 彼らは1982.年5月に<NAI・NAI 16>でデビュー、実績としては28作中に1位獲得は9作目の<喝!(カツ)>のみ。そんな彼らを代表するナンバーは「NHKみんなのうた」で大反響をよび、発売前に1985年『第36回NHK紅白歌合戦』で披露された<スシ食いねェ!>、英語版の<OH!SUSHI>まで発売されたほど。 個人的には1983年の7作<挑発∞ (MUGENDAI)>を推す。この曲作者井上大輔が自身の番組「音楽ってなんだ」で、自らが録音したデモの英語版の出来は秀免だった。
そして1983年によっちゃんはTHE GOOD-BYEでバンド・デビュー。メンバーはリーダーでギター担当の通称ヤッチン曽我泰久、ドラムスのこーちゃん江藤浩一、ベースにはハチこと故加賀八郎の4人。彼はバンドで「レコード大賞最優秀新人賞」を獲得し、ジャニーズ事務所の4年連覇。通称「よっちゃんバンド」と呼ばれるも、ワンマン・バンドではなく四人対等。彼らは1989年までにリリースしたシングル15枚中トップ10ヒットが2曲のみながら、よっちゃんは作曲家としてキョンキョンに提供した1987年<キスを止めないで>で1位を獲得。この曲は翌1988年に発表した第8作 8th『Album』に<Don't Stop Kiss>のタイトルでセルフ・カヴァー。
このバンドはユニークな活動でマニアックなファンを獲得している。例えばアルバム・タイトルで、デビュー作『Hello! The Good-Bye』はThe Beatlesの<Hello Goodbye>、6作『#6 DREAM』はJohn Lennonの<#9Dream>、9作『Revolution No.9』はThe Beatlesのセルフ・タイトル・アルバム収録曲と遊び心満載。またシングル12作<マージービートで抱きしめたい>はThe Beatles<抱きしめたい>のジャケットをパロッた大傑作。また<のぞいてFeel Me, Touch Me>はThe Whoの『Tommy』収録<See Me Feel Me>を連想させる改心のナンバー。
ジャニーズではANKHに次ぐ二番目のバンド活動で、ジャニーズにバンドというカテゴリーを定着させた。そんな彼らに続いたのが1988年に<DAYBREAK>でデビューした男闘呼組。メンバーはリーダーでキーボード担当の前田耕陽、リード・ギターの成田昭次、リズム・ギターの岡本健一、ベースの高橋一也の4人編成。彼らはデビュー作から4作連続1位を獲得し、ジャニーズのバンドで『NHK紅白歌合戦』(第39回、40回)に初出場。そんな彼らは最初の2作のアルバムにはシングルを未収録と、The BeatlesやRolling Stonesがデビュー時にイギリスで実践した戦略を敢行。これはアルバムとシングルを明確に分け、ファンに二度買いをさせない姿勢だった。
次は本来の「歌って踊れる」スタイルの集大成少年隊。メンバーはリーダー「ニッキ」こと錦織一清、「カッチャン」こと植草克秀、そして「ヒガシ」こと東山紀之の三人。彼らはトシちゃんやマッチのバックダンサーとして人気を集め、歌唱力もパフォーマンスも精度が高く、全員バク転ができる本格派。1985年12月12日のデビュー曲<仮面舞踏会>は、マッチに続き「初登場1位」。当時それを間あたりにしたシブがき隊に自ら解散を決意させたほど。なお嵐<a Day in Our Life>は少年隊の<ABC>をサンプリングしたナンバー。個人的には『俺たちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に登場し、<STRIPE BLUE>を歌ったことが印象深い。このコーナーは仮装の偽物や、懐かしの有名人の溜り場で、そこに本物のトップ・アイドルが登場するのは前代未聞の出来事だった。
今回の最後は、1987年にデビューした「最後のスーパーアイドル」光GENJI。そのメンバーは、「GENJI」を組んでいた諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓に、「光」を組んでいた内海光司さん、大沢樹生さんが合体した大所帯の7人編成。平成に入り結成された大所帯のグループの起源は彼ら。そのパフォーマンスはローラースケートを駆使したもので、爆発的なブームとなり一躍スターダムに上り詰めた。 デビュー曲は、1986年の<モーニング・ムーン>以降に上昇機運にあったチャゲ&飛鳥。この二組のタッグはまさにケミストリーで、デビュー曲<STAR LIGHT>は1位を獲得、以後8作連続1位。1988年には1978年のピンクレディー(1.UFO、2.サウスポー、3.モンスター)以来年間売り上げのトップ3を独占(1.パラダイス銀河、2.ガラスの十代、3.Diamondハリケーン)する快挙を達成。さらに7位には<剣の舞>まで送り込んでいてベスト10に4曲、これも1977年のピンクレディーの記録(6位透明人間)に並ぶもの。 この驚異の実績に<パラダイス銀河>で「日本レコード大賞」を受賞、ジャニーズ事務所はマッチに次ぎ二連覇。
今回の最後は「忍たま乱太郎」の主題歌<勇気100%>。この曲は平成年間でも多くのジャニーズにカヴァーされている<平成編>につながるナンバーで、本家は光GENJIだった。
1. スニーカーぶるーす/近藤真彦
~B.G: Never My Love / ABC-Z
2. 太陽のあいつ/ ジャニーズ
3. 夏の誘惑/フォーリーブス
~B.G: ダンシング・セブンティーン / オックス
4. 男の子女の子/ 郷ひろみ
5. 花とみつばち/郷ひろみ
6. よろしく哀愁 /郷ひろみ
~B.G: 見上げてごらん夜の星を / フォーリーブス
7. ベルサイユのばら/ Johnnys'ジュニア・スペシャル
8. 星めぐり / 豊川誕
9. ラブ・ショック/川崎麻世
10.ブルドック/ フォーリーブス
~B.G: New York City Nights / Leif Garrett
11. ラブ・シュプール/ 田原俊彦
12. It's BAD / 田原俊彦
13. 抱きしめてTONIGHT /田原俊彦
~B.G: 夢であいましょう/田原俊彦
14. ギンギラギンにさりげなく / 近藤正義
15.ハイティーン・ブギ/近藤正義
16. 愚か者 /近藤正義
~B.G: スシ食いねェ! /シブがき隊
17. Nai・Nai 16(シックスティーン)(Live) /シブがき隊
18. 挑発∞(Live) /シブがき隊
~B.G: キスを止めないで/ 小泉今日子
19. のぞいてFeel Me, Touch Me / THE GOOD-BYE
20. マージービートで抱きしめたい/ THE GOOD-BYE
21. DAYBREAK / 男闘呼組
~B.G: a Day in Our Life / 嵐
22. 仮面舞踏会 / 少年隊
23. STRIPE BLUE / 少年隊
~B.G: 君だけに / 少年隊
24. 剣の舞 / 光GENJI
25. 太陽がいっぱい / 光GENJI
26. パラダイス銀河/ 光GENJI
~B.G: 勇気100% / 光GENJI
次回12月号は「ジャニーズ特集(平成編)」です。
本放送:第四土曜日11/23(土)15:30~18:00
再放送:第四日曜日11/24(日)8:00~10:30
【FMおおつ公式アプリ】https://fmplapla.com/fmotsu/
(鈴木英之)
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