この年リリースされたシングル「Wreck of the Old '97」の原曲は1903年に起きたサザン鉄道の列車事故を歌ったオールドタイム・バラッドで、カントリーミュージックに大きな影響を与えた曲。 1933年に、この事故現場の地元住民だったDavid Graves Georgeが原作者として名乗りを上げ裁判で認められるも、その後の上訴でRCA Victorの所有となった。 「Wreck Of The Old '97」/「Leader Of The Sect」(Columbia DB7509) 別の2枚のシングルは『The Country Sect』からの曲で、1枚が「I Got Mine」。Tommy Collinsのカバーで、テレビ放送もされスウェーデンでヒットした。 「I Got Mine」/「Waiting In Heaven Somewhere」(Columbia DB7597) もう1枚「Bad Storm Coming」はDon Craine、Keith Grantによって書かれたオリジナル曲で、ヒットには至らなかったものの、他のミュージシャンにカバーされたりと、評判は良かったらしい。 「Bad Storm Coming」/「Lonely And Blue」(Columbia DB7712)
『The Country Sect』の前にも変わったEPをリリースしていた。
『The Sect Sing Sick Songs』(SEG 8438)という4曲入りのコンセプトEPで、1曲目の「I Want My Baby Back」の原曲はJimmy Cross(アメリカのラジオプロデューサー)が1965年にリリースしたノベルティ / デス・ソング。恋人同士でThe Beatlesのコンサートに行った帰り道に交通事故に遭い、彼女が亡くなってしまうという歌。Downliners Sectのカバーでは、セリフの“The Beatlesのコンサート”の部分を“Sect(Downliners Sect)のコンサート”と置き換えて歌っている。 BBCには禁止されていたけれど、スウェーデンのラジオで度々流された。
1966年 ある日ライブに行く途中メンバーはPip Harveyを迎えに行き、家の前で待っていたけれど彼は現れずそのまま行方をくらましてしまう。原因は定かではないけれど、警察に追われていたらしい。 4人になったメンバーは再びロックサウンドに戻り、1966年春、3rdアルバム『The Rock Sect’s In』(Columbia 33SX 6028)をリリースした。
この年リリースされたシングル「All Night Worker」はスタンダードなR&Bのカバー曲で、原曲はRufus Thomas。 「All Night Worker」/「He Was A Square」(Columbia DB 7817) 次のシングル「Glendora」はRay Stanleyによって書かれた、マネキンに恋をした男の歌で、1956年にリリースされたJack Lewis with Zippy Simms Orchestraバージョンが原曲である。同年にPerry ComoやGlen Masonがカバーしている。Downliners Sectは、1963年のBilly Youngのバージョンを直接の参考にしていると思われる。 「Glendora」/「I'll Find Out」(Columbia DB7939) 年の終わり、メンバー達は状況に不満を持ち始める。 音楽シーンは変わりR&Bが下火になっていたことに加え、プロデューサーのMike Collierにも不満を感じていた。メンバーが書いた曲でもクレジット表記を自分に偽ろうとする人物だったらしく、Mike Collier作となっていても実際は作曲に関わっていない可能性もあるようだ。 この時期リリースされたシングル曲「The Cost Of Living」の原作者はGraham Gouldman, Peter Cowap, Harvey Lisberg。 最初のリリースはDownliners Sectと思われるけれど、もともとは別のミュージシャンへの提供曲だったかもしれない。
詳しい経緯がよく分からなかったけれど、Graham GouldmanのHPでは仕事のひとつとしてDownliners Sectのバージョンが記載されていた。Graham Gouldmanのデモをそのまま使用していて、追加録音されたのはアコースティックギターとボーカルだけのようだ。 「The Cost Of Living」/「Everything I've Got To Give」(Columbia DB 8008) 1967年 Don CraineとKeith Grantは新しくDon Craine’s New Downliners Sectをスタートする。ラインアップはリードボーカルDon Craine、ベースボーカルKeith Grant、リードギターBob Taylor、キーボードMatthew Fisher、ドラムKevin Flanagan。 R&Bの要素は維持しつつも、サイケデリックなスタイルへと変化する。
オルガン奏者のMatthew Fisherはバンドに長くは滞在せず、別のオルガン奏者Barry Cooperが加わった。パジャマでステージに立つなど変わった人物で、メンバーと観客の両方を驚かせた。 この新体制で、パイから1枚のシングルをリリースしている。 「I Can’t Get Away From You」/「Roses」(Pye 17261) しかしDon Craine’s New Downliners Sectも長くは続かず、Don Craineが飽きてバンドを去り、その数か月後Barry Cooperも脱退。バンドはKeith Grantが引き継いだ。 1968年~1969年 Johnny Suttonが1968年に復帰するも、この年の終わりKeith Grantもバンドを離れ、実質Downliners Sectは一旦終了する。 1968年~1969年にスウェーデンのレーベルJukeboxから3種類のコンピレーションEPがリリースされていて、それぞれに1曲ずつDownliners Sectの曲が収録されている。 Jukebox(JSEP-5580)(Downliners Sect /Spider収録) Jukebox(JSEP-5584)(Downliners Sect / Lord Of The Ring収録) Jukebox(JSEP 5586)(Downliners Sect / White Caterpilla 収録)
参考・参照サイト http://www.angelfire.com/rock3/yardbird_sect/secthistory1.html http://www.makingtime.co.uk/downliners.html#.W_lCuuj7RPY https://en.wikipedia.org/wiki/Wreck_of_the_Old_97 http://ontheflip-side.blogspot.com/2014/07/downliners-sect-glendora.html?m=1
Smileのbootlegについて音源の流出経路はほぼ特定されていて、1979年に刊行された公式バイオ本の著者Bryon Preissとその周辺と推定されている。 理由は定かではないが、(一説によればBrianがMFQのThis Could Be The Nightをカバーしたかったが手元に音源がなく、第三者に依頼し、提供した報酬としてコピーしたテープを渡したという説もある)米国国内で関係者やライター周辺では通称Preiss Tapeとして流通していたことは確かである。 冒頭に述べたように当時の音楽メディアはテープかレコードしかなく、bootlegのレコード音源はPreiss Tapeの数世代コピーという状態であった、現代のリスナーならば身銭を切って購入するようなことは到底考えられない品質だが、ノイズの向こうから聞こえるセッションの断片は想像力をたくましくさせたものである。 筆者の記憶では80年代中葉では最初の入荷時即品切れとなり西新宿では数万円で売られていた記憶がある。 80年代以降はCDが本格的に普及し、音質も向上し1987年に世界初Smileのbootlegが登場している、こちらもダビングされた音源のコピーか何かが多かったが、それと並行してCapitolもThe Beach Boysの旧作のCD化作業を始めており、Mark Linett(先年、映画のLove and Mercyでカメオ出演している)中心に音源のデジタイズ及びマスタリングの進行を伝えるレファレンス用のテープが作成されており、これらはスタジオ関係者へ配られ、高音質のSmile音源がすでにこの時点で存在していた。
1990年になると当時としては高音質デジタルマスタリングされたと思しきbootlegで、日本製とも言われる名盤?T-2580のリリースがあった、以降は正規盤CDやbootlegの怒涛のリリースが始まるが割愛する。
1966年当時のBrianの息吹を伝えるアイテムを当方のコレクションから紹介しよう。