11月3日「文化の日」は、2015年から「レコードの日」に制定されています。これは、この日にアナログ・レコードを集中してリリース・ラッシュをしようという “アナログ・レコードの祭典”です。アナログ・レコードは昨年に2001年以来の100万枚超えを記録し、今年は再発も含め140以上のアイテムが発売になるという盛り上がりをみせています。そんなことから、レコード・コレクター歴48年の私がレコードについての話題で出演することになりました。
まず1曲目に選んだ曲は、The Beatles『SGT Peppers Lonely Hearts Club Band』B面2曲目に収録された<When I’m Sixty-Four>。何故この曲かといえば、歴史的大傑作『SGT.』はこの曲から始まったというスタートにひっかけ、また「チコちゃん」(注1)風に「ろくじゅうよんさ~い!」とはじけられない私の登場テーマにしました。そう私は、あと1年で年金支給年齢に到達する年齢になります。
次に選んだ曲はアン・ルイスさんの<恋のブギ・ウギ・トレイン>。これは今年の「レコードの日」に発売されるカタログの中にあった、1979年8月に山下達郎さんがプロデュースしたアン・ルイスさんの『ピンク・キャット』(注2)から発生したシングルということでのチョイスです。当初、このアルバムの初回盤はレコード盤がピンクだったということでも話題になっていましたが、今回の再発盤は180g重量仕様(注3)だそうです。
ちなみにこの曲は当時のヒット曲ではありませんが、熱心な達郎フリークに支持され、翌年6月5日には英語詞の<Boogie Woogie Love
Train>も発売されています。その隠れた人気ぶりは、近年「タイムスリップグリコ」の「青春のメロディー」シリーズの「シークレットバージョン」にも選ばれているほどです。ちなみに、作者の達郎さんにはスタジオ録音はありませんが、ライヴ・アルバム『Joy』に収録され、最近のツアーでも欠く事の出来ないレパートリーになっており、最近ではE-Girlsもカヴァー(注4)しています。
では3曲目になりますが、(初代)ジャニーズの歌っていたテレビドラマ主題歌<太陽のあいつ>。この曲は私が中学2年(1967年)に初めて購入したレコード(ハジレコ)で、当時の価格は330円。当時は音楽に全く興味がなく、購入動機はこのレコードに「ベル・マーク」が付いていたからなんです。この頃の私はベル・マーク集めにはまっており、何か購入するときには必ず「ベル・マーク」をチェックしていました。このビクターから発売されていたレコードには、ジャケットの右上にマークが印刷されています。
そして次の曲ですが、これもジャニーズにまつわるナンバーになります。初代ジャニーズは全米進出を計画(1966~67年)していた時期があり、渡米したメンバーのあおいさん(注5)がある曲をレコーディングしています。ただ諸事情でお蔵入りとなり、その曲をアメリカのグループThe Associationが録音して大ヒット(全米2位/年間20位)させています。その曲とは、現在活躍中のジャニーズ・アイドルABC-Zが2013年11月20日に発売した5枚目のシングル<Never My Love>です。この事実は熱心なABC-Zファンならご存知かと思います。実際ジャニー喜多川氏もその残念な想いをコメントしていますし、あおいさん自身も彼のライヴ・アルバム(注6)でその事実を語っています。なお、1970年代にはあのキャンディーズもライヴのレパートリーに取り入れていました。ただ彼女たちがベースにしたのは、スウェーデンのバンドBlue Swedeが1974年にトップ10入り(全米7位)させたカヴァー・ヴァージョンでした。ということで、<Never My Love>をオリジナルのThe Association、そしてキャンディーズがお手本にした1974年のヒットBlue Swedeのカヴァーの2曲どうぞ。
このザ・モンキーズは、当時全米を制覇していたザ・ビートルズに対抗するために一般公募によって結成されたグループです。ただこのプロジェクトに提供する曲はキャロル・キングやニール・ダイヤモンドなど当時のヒット・メーカーを総動員しています。それを彼らが登場するテレビ・シリーズ番組で放送するという筋金入りの企画でした。その成果はデビューした1966年から翌年の1967年にかけて出す曲全てがトップ3入りで3曲はNo.1になったほどです。その功績は“1967年のザ・ビートルズ”の称号が付くほどの大ブレイクでした。ここ日本でも、音楽に全く興味のない時期の私を夢中に(この番組が放送されていた火曜日17:30には、色々な口実を作ってクラブ活動を休んだ)させたくらいですから、当時はザ・ビートルズよりも人気があったように感じていました。
ちなみにこのグループの仕掛け人は、ドン・カーシュナーというフィクサーですが、彼は途中でメンバーから追放されています。しかし彼は、テレビ・アニメでArchiesという架空バンドを手掛け、<Suger Suger>で再び全米制覇を果たしています。1970年代にはモンキーズは解散していますが、彼は自身のレコード会社Karshunerを設立し、実態のあるロック・バンドKansasを大成功させたほどのやり手でした。 そんな彼は2011年に73歳で逝去しますが、翌2012年には“ロックの殿堂”入りも果たしています。
なおこのモンキーズのメンバーは4人中3人が健在で、一昨年(2016年)には結成50周年ツアーを実施したほど根強い人気を持っています。そして彼らの代表曲の1つ<Daydream Beliver>(1967年4週連続全米1位)は、日本においてこれまでも数回リヴァヴァルするほどの人気ナンバーとしてお馴染み。そして、ザ・タイマーズがカヴァーした(1989年)日本語版は今でもCMソングとして流れ、日本では知らない方はいないのではないかと思われるほどの超人気定番曲です。それでは、<Daydream Beliver>をThe Monkeesオリジナルと、タイマーズのカヴァーでお聴きください。
余談になりますが、日本では1980年にこの曲がCM(コダック・フィルム)に使用された時期に、大リヴァイヴァル・ブームが起こっています。その当時に再発された彼らのLPが100位圏内に7枚同時にランク・インしたほどで、メンバーの来日にまで発展しています。
またこのT.V. 『ザ・モンキーズ・ショー』は後のM.T.V.やプロモーション・ビデオに多大なる影響を与えた革命的な伝説の番組で、1986年にそのMTVで再放送されると、本国でも爆発的な反響をよび、大々的な全米再結成ツアーが実施され新作が発表されるほどでした。
まそして1989年にカヴァーを発表したタイマーズですが、これは故忌野清志郎さんを中心に結集した覆面バンドで、バンド名はGSザ・タイガースにひっかけたものと言われています。このバンドでの清志郎さんの愛称はZERRYなる変名は沢田研二さんの愛称ジュリーをパロったものでした。また、バンド名は時計のタイマー以外にダブル・ミーニングされている事は清志郎さんファンにはお馴染みですね。
ちなみにこのザ・タイガースの活動期間はたった4年程ですが、今も根強い人気を持つ伝説のグループです。ヒット曲が多いだけでなく、音楽的にもGS期の大傑作アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』を残しています。1970年に解散後、1982年には「同窓会」(オリジナル・メンバー1人が欠けた)を開催し、その模様を収録したLP『Alive』は何と3枚組でした。そして2013年にはフル・メンバーでの再結成ツアーを敢行しています。そのオリジナル・メンバー全員が勢ぞろいした公演は、43年を経過したにもかかわらず東京ドームを含め10万人を動員したほどです。
ちょっと話はそれてしまいましたが、ここまでは私が音楽ファンでなく、成り行きで購入していた時代について紹介しましたが、ここからは音楽に目覚めてレコードを買いだしてからの話をします。
ちなみに私は小中学生の頃は、漫画家を目指していたほどの漫画&アニメ・マニアで、中学までは音楽には全く興味がなく、一番苦手な科目は音楽だったほどです。そんな私が音楽に目覚めたのは、高校生(1970年)になり、ロック・ファンの友人が出来てからです。最初はレコードを購入する小遣い仕様の優先順位が低く、その友人からレコードを借りたり、安く売ってもらったりしていました。当時の我が家にはステレオがなく、あったのは電蓄と呼ばれていたポータブル・プレーヤーで、レコード針も消耗したら取り替えるといった概念もありませんでした。それまで我が家でのプレーヤーの役目といえば、アニメのソノシートをかけるくらいでしたから、あたりまえですね。
そんな私でしたが、当時のチャールズ・ブロンソンの登場するメンズ・コスメCMソング「マンダム」のテーマ・ソング<男の世界(Mandam: Love Of The
World)>に夢中になり、新譜をレコード店で購入するようになりました。もちろんその化粧品「マンダム」も、ブロンソンのポスター目当てに購入しました。そのテーマを歌っていたのはブロンソンと思っている方もいらっしゃるかと思いますが、Jerry Walleceというカントリー・シンガーでした。
そんな時、タイミングよく映画『Let It Be』が公開中で友人と見に行きました。でも演奏風景だけのドキュメント作品は、当時の音楽初心者の私にとっては非常に退屈なものでした。ところが併映となっていた『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!(A
Hard Day’s Night)』があまりに素晴らしくて夢中になり、即座にLPを購入しています。ただその時の本音は<恋する二人(I
Should Have Known Better)>が目当てでしたが、タイトルがわからなかったのです。店員に「映画の列車シーンで、Johnがハーモニカを吹いて歌っていた曲」と尋ねてもわからず、清水の舞台から飛び降りた気持ちで(笑)1ケ月の小遣い2,000円をはたいてLPを買ってしまったというのが事実です。ではここで、The Beatlesが1964年に全米を制覇した大ヒット(7週1位)<抱きしめたい>、それに<恋する二人>を聴いてください。
とはいえレコードを購入し始めた当時は、クラブ活動もまじめに取り組んでいた頃で、限りある小遣いをどうして工面したらよいかと悩んでいました。そんな時、ある雑誌で亀チャンが高校時代に昼食の弁当代をレコード購入につぎ込んでいた(栄養失調になり親から大目玉を食ったと書かれていた)というエピソードを知り“これだ!”と思い、早速実践しました。仕事をしていた母に“弁当を作る手間を省かせる”という口実を作り、パン購代用にもらう昼食代と、電車とバス通学を自転車通学にふりかえて定期代をうかすというものでした。ただこれには空腹に耐えることと、雨天時には交通費は自己負担といったネックもありましたが。
さらにこの時期には私が音楽にはまるきっかけとなる出来事がありました。それは、まだ家にステレオの無い当時に入りびたりになっていた(ステレオのある)友人宅でのことで、彼のお兄さんが大学へ進学するので古い音楽雑誌を処分するという話を耳にしました。それを聞いた私はそれを譲り受け、自転車の荷台に乗せ何往復もして引き取り、勉強そっちのけで読みふけるようになりました。その本とは1965~1970年に発行された月刊音楽雑誌ほぼ九割というものです。中には1966年のThe Beatles来日記念雑誌もあり、その中にはJohn Lennonが「シェー!」をした写真もありました。またその雑誌を運び終わった3日後に、友人宅が火災で焼失してしまうという事件があり、その雑誌との運命的な出会いを感じました。ちなみに、これらは今も実家にストックしています。
では最後になりますが、私が初めて輸入レコードを購入した話をします。それは先ほどふれた1971年9月24日のZepコンサートの帰りでした。当日の公演は14時開演で夕刻には終演していたので、銀座に寄りYAMAHAにあった1970年発売の『Led Zeppelin Ⅱ』を1,600円で購入しています。そもそもレコードは再販品で新譜も旧譜も定価販売(ほぼ2,000円だった)で、安く購入できることがうれしかったです。それにビニール・シートでパッキング(ヴァージン・シール、国内盤でもSONYの洋盤はこの様式)され、そのシートには「Gold Disc」のステッカーが貼られており、その珍しさもあっての衝動買いでした。日本国内盤のように歌詞カードや解説はついていませんでしたが、オリジナル盤を持っているという優越気分に浸っていました。
こんな感じで、はじめは安いという理由での購入でしたが、日本盤が出る前にいち早く聴けるという事に気がつきました。ただそんな新作になると2,800円位と値が張るので、なかなか手を出せないのが現実でした。ところが、近所のショップでのバーゲンで国内盤よりも1ヶ月以上早く発売されていたのにかかわらず国内盤と同価格の2,000円だったので(多分、価格の付け間違い?)思わずゲットしました。
その1枚はZepの一般に『Ⅳ』と呼ばれている新作。正式タイトルは無く、バンド名やレコード会社さらにはレコード番号も印刷されていないものでした。今では、そのLPパッケージに添付されていたメンバー四人のシンボル・マーク・ステッカーから「フォー・シンボルズ」ともよばれています。ここには来日公演で披露された新曲も収録されていました。それはZepらしいロック・ナンバー<Black Dog><Rock’n’Roll>と、(ベルリン・フィルハーモニー管弦指揮者ヘルベルト・フォン)カラヤンからも絶賛された一大傑作<天国への階段(Steaway To Heaven)>などでした。このアルバムは全米だけでも2,300万枚をセールスし、今なお売れ続けている彼らを象徴する大ヒット作です。
バンドは1980年にドラムスのジョン・ボーナムの急逝で解散していますが、2007年12月10日に元所属会社の創始者(Atlanticレコード、アーメット・アーティガン)追悼コンサートに再結成(ドラムはジョンの息子ジェイソン)で出演しています。その公演チケット2万席には世界中から2,500万人が応募しています。なおこのペア・チケットにはオークション・サイトでは83,000ポンド(約1,900万円)もの値がつき、それを支払った事実も確認されていたという事で、世界中で大きな話題となりました。では、『Led Zeppelin Ⅳ』からロック史上に燦然と輝く名演奏による名曲<天国への階段>聴いてください。
そしてもう1枚は、当時一世を風靡していたグループCrosby, Stills,Nash
& Young(CSNY)のNeil Youngが発表した『Harvest』です。そのNeilはCSNY名義で1970年に発表した、ケント州立大学の学生紛争で学生の死亡者が出たことに抗議する<Ohio>を書き、現在もFuji Rock Festivalなどにも参加しているカリスマ・シンガーです。この曲の「ブリキの兵隊とニクソン(大統領)がやってきて、オハイオで4人が死んだ(殺された)」と現職大統領を名指しで抗議(コーラス隊は泣きながら唄っている)しているところに、カルチャー・ショックを受けました。
というのも当時の日本ではこのような政治的メッセージのあるレコードは発売禁止(その代表は「頭脳警察」等)になっていたからです。それにゴーサインを出したのは、先ほど名前の出たアーメット・アーティガンなんですが、その自由な精神のアメリカという国にも憧れを持ちました。しかも商業的には、<Teach Your Children>(映画『小さな恋のメロディ-』の挿入歌)という名曲を発売した直後にもかかわらず、強行発売を実行しています。結果、過激な歌詞にもかかわらず大ヒット(全米14位)となっています。そんな経緯もあって、新作が出たら一刻も早く聴きたいと思っていた頃でした。このLPには彼の最大ヒットとなった<孤独の旅路(Heart Of Gold)>が収録されており、擦り切れるほど聴いた記憶があります。では最後に、CSNYをカリスマに持ち上げた傑作<Ohio>、ラストはNeilの最大ヒット<孤独の旅路(Heart Of Gold)>の2曲どうぞ。
今お聴きいただいた<Ohio>ですが、当時の日本盤シングル・ジャケットには、NeilではなくStillsがアップになっています。そして、今ではCSNYではなくNeilのレパートリーとしての方が有名になっています。これは彼が私欲を棄てソロ名義ではなく、グループのレパートリーとしてリリースしたもので、この無欲のスタンスが完全にカリスマとして語られる存在になったと感じます。ちなみに今お話しした2枚のLPはご存知の方は多いかと思いますが、今も名盤としてカタログにも残っている傑作アルバムです。さて、補足になりますが、<学生街の喫茶店>のヒットで知られるGaroはこのCSNYに影響されて結成されたグループです。彼等はヒットを出す前には、「和製CSNY」としてコアなフォーク&ロック・ファンをうならせていました。またこのCSNYの名前は、太田裕美さんの<木綿のハンカチーフ>を収録した大ヒット・アルバム『心が風邪をひいた日』(1975年)の<青春のしおり>(作詞:松本隆)の一節にも登場しています。
いかがだったでしょうか?今日お話しさせていただいたのは、私の中学から高校時代にかけての1960年代後半から1970年初めころのレコードの購入奮闘記でした。今では音楽の聴き方は、CDや配信などを利用されている方がほとんどで、もしご自宅にレコードがあったとしても眺めるだけになっていらっしゃるかと思います。とはいえ、今でもレコード・プレーヤーはリーズナブルな価格でも流通しています。デジタル音楽とは違ったアナログの優しいサウンドにも耳を傾けてください。本日お話しした内容は、小学館から発売した私の著書『よみがえれ!昭和40年代』にも詳しくまとめていますので、是非ご覧ください。またアナログでの音楽鑑賞をされたい方はアナログ・レコードの宝庫、金沢工業大学のPMCでボディソニックで堪能されることをお奨めします。
放送終了後に社長の古田氏から大津の音楽事情をご伝授いただきました。まず一般にも有名なGSの「オックス」、人気No.1メンバーだった赤松愛さんは大津の出身ではなく、それも在籍期間はわずか1年ほどしかなく彼の存在でオックスを語られるのにはいささか心外だとのことでした。またもう1つの有名人として「誰がカバやねんロックン・ロールショー」。当時、彼等は「東のおとぼけ(東京おとぼけキャッツ)、西の誰カバ」と称されるほどの時期がありました。そんな彼等はお笑い系でもてはやされて関東進出していた時期があり、もしかしたらザ・ドリフターズの後継者になったかもしれなかったそうです。ただ、ミュージシャンとしての成功を夢見ていたので、お笑いの道には進まなかったということでした。個人的には言わせていただくならば、「誰がカバやねんロックン・ロールショー」というバンド名と、彼らの風貌を見る限り、お笑いの道に進むべきだったのでは?と思えます。とはいえ、このドリフの後継者という話では、故いかりや長介さんがデビュー直後のサザン・オールスターズを見て、桑田さんをお笑いの道に引き抜こうとしていたという話の方が、今の日本の音楽シーンを語るうえで興味深い話ではないでしょうか。
(鈴木英之)
(鈴木英之)
(注1)2018年4月からNHKで放映中のクイズバラエティ番組「チコちゃんに叱られる!」の司会進行役の着ぐるみ少女・チコちゃん。この「好奇心旺盛の何でも知ってる5歳児」が大人にクイズを出し、知らないと「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」と叱られるのがお決まり。
(注2)このアルバムは達郎さんが1978年12月20日発売の『Go Ahead』を引っ提げた全国ツアー「Flying Tour Part 1」の真最中で、10月21日に発売される『Moongrow』の準備段階に制作されたもの。当時、関西では『Go Ahead』からシングル・カットされた<Let’s Dance Baby>のカップリング曲<Bomber>が大喝采を浴びていた。
(注3)通常LPレコード盤の重量は120~130g。重量が重くなると慣性質量の増加により、ターンテーブルの回転が安定し、盤がターンテーブルの密着度が増します。これにより、レコード針と盤の溝の接触が安定して、原音に近い再生を得ることが出来ると言われています。
(注4)20013年10月2日第6作<ごめんなさいのKissing You>(阿部サダヲ主演映画『謝罪の王様』主題歌)のカップリング曲。
(注5)アニメ『あしたのジョー』で矢吹丈の声優、また時代劇『水戸黄門』の助さん役で知られるあおい輝彦さん。
(注6)1977年1月25日発売の『あおい輝彦 オン・ステージ』(1976年10月4日中野サンプラザ収録)。
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