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2018年10月3日水曜日

佐野邦彦氏との回想録16



 今年の異常なまでの猛暑もやっと峠を越え、秋の気配が感じられる季節となった。昨年の今頃は佐野さんと共同での「Jigsaw Complete」復刻作業に全力で取り組んでいたことを思い出す。以前、第2回と3回で紹介したように、8月末に910日の『Song To Soul』放映に併せた第一回発売分の選曲と解説を完成させ、9月初旬には発売前のラフに最終校正を終えていた。そして、中旬からは発売元から送られてくる第二回発売分の音源をチェックするという選曲作業を二人三脚で続けていた。今にして思えば、私はフルタイムでの仕事を終えた夜間と休日、佐野さんに至っては末期の病気療養中の体調を気遣いながらというコンディションの中、お互いよく頑張ったものだと感心する。

 綿密にいうなれば、この仕事は佐野さんと付き合いを始めてから最も濃厚な作業だった。当時、体調の関係で電話のやりとりが出来ない佐野さんとの打ち合わせはメールがメインだった。その頃やりとりしていた長文に渡るメールの内容を振り返ってみると、お互い「これが最後」とばかりに後悔の無いよう、こだわりにこだわって取り組んでいたのがよくわかる。ただ彼は、雑誌VANDAの休刊時期にも、放送やネットなどメディアを通じて多くの情報を発信し、また多くのリイシュー盤のライナーやコミケの復刻作業をこなしていた。それに対し私は、個人的な趣味を反映した程度の活動しかこなしていなかったので、彼のレベルに合わせた作業は大変なものだったが、人生で一番充実した時間だったように感じている。

 余談ながら、佐野さんが逝って間もなく一年となる秋の彼岸をひかえたこの時期、毎回楽しみにしている『激レアさんを連れてきた』(注1)で登場した「軍艦島を世界遺産に導いた人」の回を見て、彼と語り合った「軍艦島」の話がよみがえった。彼と付き合いのあった方ならご存知のように、新婚旅行で「冒険ガボテン島」をイメージした「ボラボラ島」(注2)を訪れたほどの離島マニアで「軍艦島」もお気に入りだったが、生前上陸は叶わなかったと聞いている。私は以前在籍していた会社の福岡勤務時に「管理職以上はスキューバダイビング・ライセンス必携」とのオーナー号令により、ライセンス取得に長崎に通っていた。その海上実習時に休憩ポイントでこの島に上陸したことがあった。その話をした際に彼が羨ましがったことを思い出し、番組をダビングして佐野宅へ送付した。到着と同時に奥様から連絡を頂き、「我が家でもこの放送を拝見しており、家族で永久保存版だねと話していたところでした。」と謝辞をいただいた。私にしてみれば、生前の彼には多くのお願いをしたが、彼の依頼には3回ほどしか役立てていない。これはそんなお返しのつもりだったが、予想以上に喜んでもらえ、うれしいやら気恥ずかしいような気分だった。



 
 さて前置きが長くなってしまったが、これまで続けている佐野さんとの回想録を始めよう。今回は「29」発行後の2003年夏以降について進めていく。まず、この時期で佐野さんにとって最も印象的な出来事といえば、2004年夏のThe Who初来日公演(注3)だった。公演当日は、猛暑で炎天下の野外公演だったらしいが、生で見るPeteRogerのアクションは大感激ものだったと興奮気味に話していた。ただ、その日に訪れていた大半を占めた(トリに控える)Aerosmith目当ての観客からの(The Whoパフォーマンス中)「早く終われ的雰囲気」が漂っていて多少不快な気分も味わったようだった。



 
 そして2006年にはビクターより、Jigsawの紙ジャケによる再復刻のオファーを受けている。そこで佐野さんは初復刻となったテイチク盤では実現できなかった未CD化ナンバーをボーナス・トラック収録に奔走し、さらに最新データも盛り込んだ充実したライナーもまとめている。なおこの発売直前の第70回(200622日)のRadio VANDAでプロモーションを兼ねた特集を放送している。ちなみにこの復刻盤は、2017年にコンプリート版が発売されるまで、かなり高額で取引されるほど人気を博している。


 そんな彼をよそに、この時期の私は本業の仕事が多忙で、ライターらしい活動はほぼ皆無の状態だった。ところが偶然にも、仕事を通じた得意先からスポンサーをしているコミュニティFM局のスタッフにVANDA誌のバックナンバーが渡り、ある日突然出演のオファーを受けた。その初出演は2006217日のレギュラー番組(注4)で、担当が地元出身の同世代ミュージシャンだったこともあり、その後も良い付き合いを継続することになった。また、その翌月にはパーソナリティの都合で2時間番組(注5)のプログラムを依頼され、企画書を制作している。しかし局では全音源が揃わず、自己所有の手持ち持ち込みで327日に初DJを体験した。こんな成り行きで、しばらくこの二つの番組に準レギュラーのような形で参加するようになった。



 
 ちなみに2006年に放送したプログラムは、5512日にロック世代の日本語詞特集。この内容は、佐野さんと知り合った頃に盛り上がりVANDA誌にも掲載したネタで、Web7回目でも紹介していたものだ。ちなみに、担当者がこの企画で一番興味を示したのは、Scorpionsの来日公演『Tokyo Tapes』に収録された「荒城の月」だった。そして、712日に映画(~テレビ)『ウォーター・ボーイズ挿入歌特集』、109日には『Bread特集』をオンエアしている。この中でBreadの特集は、未聴取地区でも評判となったことは以前にもふれたが、自分自身が放送を継続させていく自信を持った企画だった。捕捉になるが、佐野さんはこの年の831日(増刊号 Part 1)にRadio VANDAで、それまであまり触れることのなかった和物の特集を組んでいる。この時に紹介したのは、このWebでもお馴染みのスプリングス「Have A Picnic~心の扉」(注6)や、Lamp「ひろがるなみだ」(注7)で、日本の音楽にも造詣の深いところを見せている。ちなみに、スプリングスはかなりお気に入りだったらしく、放送前にサンプル・カセットが届いている。



 
 また余談になるが、この20061129日には佐野さん待望の『Garo Box(10CD+DVD)』(定価23,100円)が発売になっている。ただこのBoxは発売前に告知された商品と正規流通商品とは一部内容が違っている。その詳細は、DVDに収録される予定だったCSNカヴァー2曲(「Guinnevere」、「青い目のジュディ(Suite:Judy Blue Eye)」)の映像が許諾を得られず、Garoのオリジナル(「姫鏡台」「ビートルズは聴かない」)に差し替えとなっている。とはいえこの回収作業は発売直前だったため、都内大手ショップへの出荷分は徹底回収されていたようだが、中小のショップまでには間に合わなかったようだった。そのため、近所のレコード店に予約していた佐野さんは運よく差し替え前の商品を入手することが出来た。この事実は即彼から連絡を受け、映像をダビングしてもらい、その差し替え前の映像を見る恩恵にあずかっている。そこには当時和製CSN”と称されていた時代のGaroの姿があり、映し出された演奏に大感激した。その後、この商品はヤフオクにも出品されていたが、既に23倍となっており、現在でも10万円前後で取引されているようだ。



 
 話は私に戻すが、ライター活動は開店休養中だったが、翌2007年からはFM局パーソナリティの依頼もあり、休日のハッピー・マンディを利用して、ラジオのDJ活動を活発化させている。そのプログラムは、これまでVANDA誌に掲載したものを中心に組んだ。それは212日の『America』、430日『The Osmonds』といったものになる。とはいえ、この時期に最も集中してまとめたプログラムは、この年の327日に逝去された1960年代を代表するスーパー・スター「植木等」の追悼特集だった。この放送はチューバ奏者S氏の番組60分枠をほぼ提供していただき615日にオン・エアした。当日はサントラやライヴ音源まで網羅し、稀代のエンタティナー植木さんを偲んだ。このVANDAを想定しないで取り組んだプログラムは、それまでの佐野さんを意識したものよりもスタッフ受けが良かったので、以後はこのような独自プログラムも組むようになった。



 
 ちなみに、これ以降に放送したプログラムは、『Hatch Potch Station替え歌特集』(7/7) 、『Dunhill RecordThe Grass Roots』(7/16)『Hatch Potch Station 替え歌特集Part 2』(8/14)などで、年末の1224日には実に18年ぶりの新作『run』をリリースし、当時「再結成は今回限り」(実際は、2018年現在も活動中)とコメントのあったチューリップを全曲ライヴ音源で選曲した特集を企画した。このように、私のプログラムは佐野さんとは方向性が違う、やや大衆的でコアなものになっている。当然ではあるが、彼が「Radio VANDA」の音源を送付してくれたように、私も彼に放送音源を送付していた。そんな彼から「鈴木さんの引き出しの多さに頭が下がります。」と評価していただき、以後もこのスタンスで継続した。

 そんな中、松生さんより「昭和の音楽や映画などをネタにした「脳の活性化」についての企画が通ったので、制作に協力してくれませんか?」という依頼があり、この年の後半はこの企画の資料集めに奔走している。なおこの活動は2012年に発売する私名義の本の出版や、2013年のVANDA30の掲載内容に繋がっていくことになるのだが、話が長くなってしまうので、今回はここで留めておくことにする。
(鈴木英之)

(注1)実際に激レアな体験をした激レアさんをゲストに招き、その体験談をひも解いていくプログラム。テレビ朝日月曜日2315からの60分番組。

(注2)南太平洋フランス領ポリネシアのソシエテ諸島にある1周約30Kmの本島と、その周囲を約40Kmのリーフ(岩礁)に囲まれている。島中央にそびえるオテマヌ山(727m)の姿がアニメ「ガボテン島」を連想させる。

(注3)大塚製薬協賛、ウドー音楽事務所主催で200472425日に渡って横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)と大阪ドーム(現:京セラドーム)で同時開催された「POCARI SWEAT BLUE WAVE The Rock Odyssey 2004」。出演者はAerosmithThe WhoPaul WellerLenny KravitzRed Hot Chili Peppersなどで、両会場を日替わり交代で参加した。

(注4)市内(旧清水市三保)出身の東京芸大卒のチューバ奏者S氏がパーソナリティを務める毎週金曜日19時からの音楽番組「ワープ、ワープ、ワープ“Boss Jun アワー」(メインは吹奏楽)。Boss Junは、彼がサントリー缶コーヒーのイラストに似ている事と本名とを併せた合成語。また彼は吹奏楽振興のために全国行脚し、開催現地の吹奏楽経験者を集めた「自由音楽会」をライフワークにしている。

(注5)毎週月曜日10時(再放送は日曜13時)から放送されていた2時間枠の情報バラエティ番組パステルタイム。私は2006年以降の祭日月曜(ハッピー・マンデー)に自作自演のプログラムを自己所有の音源持ち込み(紙ジャケ展示で7080分)で出演した。

(注61995年にヒロ渡辺を中心に結成された音楽ユニット、19962月『SPRINGS』でデビュー。この曲を収録した199710月リリースの『PICNIC』は和製ソフト・ロックの最高峰と話題をよんだ。

(注72000年結成、20034月『そよ風アパートメント201』でデビューした3人組バンド。この曲は2004年のセカンド・アルバム『恋人へ』の収録曲で、ウチ氏より萩原家健太氏に紹介され読売新聞のコラムでも紹介されている。

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