今回紹介する「VANDA26」が発行された2000年は、ネットの「WebVANDA」に続き、5月からは放送メディアであるラジオ番組「Radio VANDA」をスタートさせるという、佐野さんの存在が大きくクローズ・アップされた時期だった。
そんな佐野さんではあったが、彼はきわめて自然体なスタンスだった。ある時、「サンデー・ソング・ブック」(以下:サンソン)で山下達郎さんが彼のことを絶賛するコメントをいれたことがあった。その放送を聞いた私は、即座に彼へ連絡を取り「すごいじゃないですか!」と伝えるも、彼は聞き逃しており、「なんとかその放送音源手に入れてくれませんか?」と頼まれてしまった。当時はまだ「ラジコ」もなく、録音した方にダビングしてもらうしかなく、かなり苦労して入手した。それを収録したカセットを送ると彼は無邪気に喜んでくれた。そんなことがあり、それ以来「サンソン」はチェックするだけでなく、ダビングをするのが常となった。
話は「26」に戻るが前回でもふれたように、ここでは私と佐野さんのノリで決めた「ライブ・アルバム特集」がトップを飾っている。このコラムは当初佐野さんと二人でまとめる予定だったが、せっかくやるなら何人かで取り組んだ方が面白くなるはずということになり、中原さんと松生さんにも参加していただくことにした。その役割分担はそれまでの経歴から自然に決った。
そんな佐野さんではあったが、彼はきわめて自然体なスタンスだった。ある時、「サンデー・ソング・ブック」(以下:サンソン)で山下達郎さんが彼のことを絶賛するコメントをいれたことがあった。その放送を聞いた私は、即座に彼へ連絡を取り「すごいじゃないですか!」と伝えるも、彼は聞き逃しており、「なんとかその放送音源手に入れてくれませんか?」と頼まれてしまった。当時はまだ「ラジコ」もなく、録音した方にダビングしてもらうしかなく、かなり苦労して入手した。それを収録したカセットを送ると彼は無邪気に喜んでくれた。そんなことがあり、それ以来「サンソン」はチェックするだけでなく、ダビングをするのが常となった。
話は「26」に戻るが前回でもふれたように、ここでは私と佐野さんのノリで決めた「ライブ・アルバム特集」がトップを飾っている。このコラムは当初佐野さんと二人でまとめる予定だったが、せっかくやるなら何人かで取り組んだ方が面白くなるはずということになり、中原さんと松生さんにも参加していただくことにした。その役割分担はそれまでの経歴から自然に決った。
まず佐野さんは当然ながらSoft Rock系を中心にThe BeatlesやBeach Boysなどのビッグ・ネームを中心に、中原さんには彼の専売特許であるソウル系、Cliffマニアの松生さんには1960年代のヴォーカリストをメインということになった。そして雑食系の私は三人から外れたリユニオンものやアイドル、それにニュー・ウェーブ系など、あまり語られることのないものについてジャンルを問わず万遍なくということになった。また佐野さんは音源のみだけでなく、「25」に引き続き映像作品を取り上げた「Rock & in LD & DVD Part 2」を7Pにも及ぶボリュームで気合のこもったレビューをまとめている。
さてこの特集だが、それまでのVANDAとは一線を駕するような企画だったが、4人4様の視点での持論を展開し、かなり興味深い読み物になった気がする。その内容は多くの音楽ファンに好意的に受け入れられたようだった。それはしばらくしてRC誌が「ロック・ライブ・アルバム1960-1979」(2004年1月)の特集を組んだことでも、その注目の度合いが高かったことように感じられた。ただ個人的には、佐野さんが担当した『Four Seasons Reunion(Curb)』『Beach Boys I Concert(Brother)』『Association(Warner Bros.)』や、中原さんの『Four Tops(Dunhill)』『Spinners(Atlantic)』については思い入れが強く、いつか何らかの形でまとめてみたいという想いは残った。
さてこの特集だが、それまでのVANDAとは一線を駕するような企画だったが、4人4様の視点での持論を展開し、かなり興味深い読み物になった気がする。その内容は多くの音楽ファンに好意的に受け入れられたようだった。それはしばらくしてRC誌が「ロック・ライブ・アルバム1960-1979」(2004年1月)の特集を組んだことでも、その注目の度合いが高かったことように感じられた。ただ個人的には、佐野さんが担当した『Four Seasons Reunion(Curb)』『Beach Boys I Concert(Brother)』『Association(Warner Bros.)』や、中原さんの『Four Tops(Dunhill)』『Spinners(Atlantic)』については思い入れが強く、いつか何らかの形でまとめてみたいという想いは残った。
なおこの「26」で私は恒例の「Music Note」も寄稿しているが、この「1975年」ともなると、まとめていく過程で当初スタートした時期とは違う方向に向いているのが気になった。元々、ラジオ番組のヒット・チャートのチェックから当時の音楽傾向を探るということから始めた連載だったが、この頃になるとあらゆる情報網から得た音楽シーンの傾向をまとめているように感じた。それはこの年に私が夢中になっていたものは、Three Dog Nightの「You」のように日本独自ヒットもあったが、ほとんどは英米でのヒット曲が中心で、日本のチャートでは下位に属していたものが多かった。
このようになったのは、1974年から大学生として東京での生活が始まり、静岡時代よりも数段に情報を収集できる環境になっていたからだった。1975年当時の私は、気になる曲を耳にするとパチンコ屋の景品棚をチェックして、お目当てが見つかればそのレコードを手に入れるために台に向かうことがよくあった。さらに、(今は亡き)Hunter(特に大井町店と都立大店)やDisk Unionなどで中古レコード店の探索巡回といった生活もパターン化していた。ゆえに内容がラジオ番組のヒット・チャートをチェックしたものをまとめるというものではなくなりつつあった。タイトルにしている「Note」は「チャートのチェック記録」でなく、「レコードの購入記録」というマニアックな音楽シーンを語るものに変化していた。
また洋楽中心だった内容も、1971年の『GARO』や1974年に『Take Off(離陸)/チューリップ』を聴いて以来、日本の音楽にも慣れ親しんでいた。また当時の友人でアグネス・チャンの熱狂的ファンに彼女のレコードを聴かされ、そこに参加していたMoonridersやキャラメル・ママなどバック・ミュージシャンに興味を持つようにもなっていた。さらに神保町のササキレコード社の店内に偶然流れていたSuger Babeの『Songs』を耳にして、山下達郎というミュージシャンに衝撃を受け、その後は彼が参加していた作品のチェックを始めた。その中で『MISSLIM/荒井由実』に聴かれる、クリアな美声に強く惹かれ、完全にはまってしまった。そして気がつけば、テレビでは「ナショナルまきまきカール」「不二家ハートチョコレート」などCMで彼の声が頻繁に流れていた。ちなみに、私はSuger Babeのライヴ・スケジュールは「ぴあ」でまめにチェックしていたが、残念ながら参戦は出来ずに終わっている。ただ、当時FM番組でオンエアされたライヴ放送を聴くことが出来たのが、バンドの生体験だった。このように和物についても洋楽並にコアな聴き方をするようになっており、タイトルから内容が逸脱しそうな時期になってきたので、この連載は1975年で封印することにした。
余談になるが、この1975年には元Four SeasonsのFrankie Varriが「My Eyes Adored
You(瞳の面影)」で全米1位にカム・バックしているが、日本ではさほど話題にはならなかった。そんな中、西城秀樹はこの年に行われたツアーのセット・リストにこの曲を加えていた。なお、この公演はテレビ中継もあり、その歌唱シーン(『オン・ツアー』に収録)も放映されている。このことは、その後「VANDA 30」でまとめることになる「1970年代アイドルのライヴ・アルバム」の元ネタとなった。ちなみに、それにもっとも興味を持ってくれたのは、バリバリのジュリー(沢田研二)・ファンの佐野さんだった。
そしてこの1975年を振り返ると、「我が巨人軍は永久に不滅です。」で現役を引退した長嶋茂雄選手が監督となってジャイアンツが断トツの最下位となり、広島カープが球団創設以来初優勝を遂げ、「赤ヘル旋風」が吹き荒れていた。こんな世情を反映して、「がんばれ!ジャイアンツ」(アラジン・スペシャル)なるナンセンス・ソングが一部で大盛り上がりしている。また、私と佐野さんとの最後の共同作業となったJigsawが「Sky High」で大ブレイクを遂げ、彼らが初来日を果たした年でもある。とはいえ、この曲の日本でのブレイクは、ミル・マスカラスが登場テーマに使用するようになった翌1976年だった。
ところで前回の投稿でもふれたが「26」が発売される前の1999年12月には私がはじめて関わった商業本『Pop Hit-Maker
Data Book』(バーン)が発刊されている。そして、2000年3月にはVANDA監修として5冊目となる『ハーモニー・ポップ』(音楽之友社)も発刊している。この本を監修したのは佐野さんだが、ジャンルを「US」「UK」「Jazz」「Soul」「Folk」「Psychedelic」「In Japan」と7つに分け、その巻頭には佐野さんや中原さんなどが序文を書いている。なお、「In Japan」では恐れ多くも私が担当させていただいた。そして、ここでコメントを担当したことが、この年に発刊する『Soft Rock In
Japan』や『林哲司全仕事』に繋がっていくことになったのだった。ただ、その話をここでふれるとかなり長くなってしまうので次回に回すことにする。またこの本では、当時佐野さんが「和製ソフト・ロックの最高峰」と断言していたスプリングスのリーダー、ヒロ渡辺氏に「ハーモニーの音楽的解析」という専門分野での解説を寄稿いただいている。
なお、この「26」が発行されたのは2000年8月と、通常よりも2ヶ月遅れている。これは、彼が超多忙だったからでも、私の原稿提出が遅れたということでもなく、創刊号以来それまで編集に携わっていた近藤恵さんが出産のために引退されるというアクシデントが発生したためだった。この大ピンチを救ってくれたのが、当時音楽之友社に勤務していた(『Soft Rock A
To Z』の担当)木村元さんだった。当時、佐野さんの窮地を耳にした彼が自ら仕事の傍ら編集の業務を買ってくれたおかげで、無事VANDA26は発行出来る運びとなった。これまでの付き合いからとはいえ、本業をかかえながらも好意で引き受けてくれた木村さんに佐野さんは心より感謝していた。とはいえ、この作業は木村さん自身も相当きつかったようで、発行後「今回だけにしてほしい」と佐野さんに伝えたようだった。
最後になるが、「25」発行からこの「26」までは、私も木村さんの担当で3冊の単行本発刊に関わっていただいており、この時期のVANDAは彼なしには成立しなかったともいえる。次回は、「27」の経緯と並行して木村さんとの連携で完成させた本についての経緯についてもふれていくことにする。
2018年4月3日22:00
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