2017年12月26日火曜日

佐野邦彦氏との回想録6・鈴木英之

今回はVANDAに参加してから、佐野さんとの雑談から生まれた連載企画「Music Note」を回想してみる。このコラムの始まりも、元々は乱丁本に同封した「感想&リクエスト」手紙の中から発生したものだった。その内容は、VANDA18に掲載されたEdison Lighthouseの解説で「マイナー調の“What’s Happening”は失敗、その後なぜかマコウレイのプロデュースと記されている出来が極めて悪いチープな“My Baby Loves Lovin’”~」と書かれていたが、「“What’s Happening”は「悲しきハプニング」の邦題でAll Japan Pop 20(以下AJP;注1)年間12位、日本では10万枚以上のヒット。“My Baby Loves Lovin’”も「恋に恋して」の邦題で小ヒットしてます。」と書き添えて送ったものだった。

後日、佐野さんからその件について「あそこに書かれていた情報の元は何ですか?」と問い合わせがあり、私は「高校時代に毎週チャートをチェックしていたノートに書いてあるので間違いありません。」「それに「What’s Happening」は売れただけあって、(ローリー率いる)すかんちの「ペチカ」(9512作)にサンプリングされていますよ!」と返答した。そんなやり取りをしているうちに「その手書きした当時のヒット・チャートについて何か書けませんかね?」と彼から進言され、急遽始めることになったコラムだった。

そのはじまりについては私が洋楽を聞き始めた1970年からのスタートを提案されたが、この年の初めはまだ中学生で、当時の私は漫画家を夢見ていた頃だった。当然、音楽情報は全く疎く、せいぜいアニメのテーマ・ソングくらいしか興味がなく、洋楽といえばテレビで見ていたThe Monkeesを知っている程度だった。それに、春以降は大阪万博の話題で持ちきりだったので、この年にThe Beatles(以下、B4)が解散したことはおろか、存在そのものも知らなかった。そんな状態だったので佐野さんの期待に応えられるほどの内容にできる自信がなかった。

高校入学祝いに買ってもらった3バンド・ラジオで洋楽を聞くようにはなったが、正確には地元の静岡放送がオール・ナイト・ニッポン(以下、ANN)のキー局となった7月以降だった。ただ佐野さんからは「この時期、自分はチャート物から離れていた時期なので、当時のヒット状況は是非とも知りたい。」と言われ、さらに「何も概念のない聞き始めの時期に、どんなものに影響されていたかを知るいい機会じゃないですか!」と熱心に勧められ、この年から始めることになった。

そもそも私が洋楽を聴くようになったのは、ANN土曜深夜担当の亀ちゃん(元ニッポン放送社長亀淵昭信氏)の放送を聞くようになってからだった。この番組では「はがきぶん投げ作戦」(注2)なる1万円が当選する企画があり、それを目当てに(読まれも当選もしなかったが)リクエストをせっせと書くようになってからだった。そんなあるとき、「懐かしのゴールデン・ヒット(だったと思う?)」というコーナーで流れたB4の「抱きしめたい(I Wanna Hold Your Hand)」に衝撃を受け、洋楽の洗礼を受けた。


そして、当時上映していた『Let It Be』を見に行き、そこで併映されていた『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day’s Night)』が私の琴線に触れた。その後、この映画で特に印象に残った「Woh Woh, I~」の歌詞が出てくる曲を探しにレコード店を巡り、途中のフレーズだけでは店員も探しようがなく、清水の舞台から飛び降りる心境でLPを購入した。そこでお目当ての曲が「恋するふたり(I Should Have Known Better)」と知り、このアルバムは自宅の電蓄(ポータブル・プレーヤー)で毎日擦り切れるほどに聴きまくった。 
  
そんな経緯で、それ以降洋楽の世界にどっぷり浸かっていった。とはいえその頃のLP1,8002,200円、EP400円という価格だったので、私の小遣いではレコード購入はかなり慎重になっていた。そんな時に亀ちゃんが高校時代に弁当代をため込んでレコード購入にあてていたという話を聞き、即真似をして実践してみたが、23日で空腹に耐えられず断念(・・;)そこで、思い立ったのがヒット・チャート番組『AJP』を聞くことだった。それから地元の放送だけには飽き足らず、電波ノイズと闘いながら東京の放送にも手を伸ばし『TBS.Pops Hot 10(以下TP10;注3)』『ニッポン放送(不二家)Pops Best 10』『Your Hit Parade(以下YHP,文化放送)』などもチェックするようになった。

余談になるが、当時友人の兄が大学進学にあたり、60年代の音楽雑誌(Music LifeTeen Beat等)を処分するという話を聞き、約100冊を譲り受けた。この雑誌の運搬は毎日自転車の荷台に載せて一週間かけてせっせと運んだのだが、全部持ち帰った3日後に友人宅は火事で全焼してしまった。そんな経緯もあり、この音楽雑誌の譲渡には運命的なものを感じてしまった。もちろんこの雑誌は今も大切に保管し、私の執筆活動に欠く事の出来ない相棒として活躍してくれている。
話は戻るが、チャート番組を聞くのが日課となってからは、毎週のチャートをせっせとノートに記入するのが習慣となった。その後、「映画音楽」偏重のYHPは放送時間が遅く(日曜深夜)で重荷となり、またニッポン放送はTP10と時間がダブり、TP10で生まれて初めてリクエストハガキが読まれるといううれしい出来事もあり、結果としてTP10の常連となり、AJP 2つに絞って記入を続けていくようになった。以後数年間、この番組は欠く事の出来ない日課となっていたので、テーマ曲やホストのスピーチについては今も鮮明に記憶しているほどだ。

このように1970年はやっと洋楽に馴染んでいった時期なので、佐野さんのアドヴァイスでリアルなチャート・アクションには触れず、この年のトピックスを覚えている限りを列記して紹介することにした。まず、この年と言ったら男性化粧品マンダムのCMUn、マンダム」でお馴染み「男の世界(Lovers Of The World/Jerry Wallace」につきる。起用されたチャールズ・ブロンソンは、その勢いのまま主演映画「狼の挽歌」「雨の訪問者」も大ヒット。また、発売元の「丹頂化粧品」が「MANDOM」に社名変更をするなど、社会現象ともいえるほどの一大ブームとなっていた。


またYHPに象徴されるように、映画音楽がメインストリームにいた時期で、『ボルサリーノ(アラン・ドロン主演)』『さらば夏の日(ルノー・ベルレー主演)』『ガラスの部屋(レイモンド・ラブロック主演)』など人気映画スターの主演映画サントラが大いに賑わっていた。また、後にユーミンがバンバンに提供した曲のタイトルとして有名な『いちご白書』、そのテーマ「サークル・ゲーム(The Circle Game/Buffy Sainte=Marie」も爆発的にヒットしていた。そして映画といえば、B4の『Let It Be』。当時このサントラLPが写真集付3,900円(後に写真集なしで2,000円で発売)という現実離れした価格で販売されていたのが忘れられない。この話を佐野さんにした際、彼は「そんな値段では、欲しくてもとてもじゃないが手が出せなかったですよね。」と同情してくれた。
 ポップスでは、Shocking BlueVenus」の大ヒットでイントロ「B7sus4」コードを自慢げに弾く「にわかギタリスト」をよく見かけた。また、深夜放送の影響もあり「Mr.Manday/Original Caste」、「マルタ島の砂(The Maltese Melody/Herb Alpert & The Tijuana Brass」、「Train/1910 Fruits Gum Co.」など日本のみの大ヒットが続出した。そして深夜放送のみのヒットとして「便秘のブルース(Constipation Blues/Screemin’ J.Hawkins」、も忘れられない1曲だった。そんな日本独自といえば、(私には全く無縁の)ラブ・サウンドの使者Paul Mauriat Grand OrchestraLettermen。この二組は恋人たちのBGMの定番として、必聴アイテムだったことも付け加えておいた。

第一回の1970年はこんな感じでまとめ上げたが、手書きチャートを振り返って書いたわけではなかったので、佐野さんの反応が不安で仕方なかった。ただ、彼は「この内容は本当に面白い!次回以降も楽しみです。」との好反応で、「Music Note」というタイトルまで命名してくれた。こんな疑心暗鬼な船出だったが、VANDA 221971年からは正真正銘手書きヒット・チャート表をベースにした内容で書き、VANDA 261975年まで6回も連載は継続した。私としてはこの連載を始めて、やっとVANDAの一員になれたような気分になった。

ということで、この6回目が2017年最後の投稿とさせていただく。来年最初となる次回は、佐野さんがはまりにはまっていたNeil Sedakaについてのやりとりを紹介する予定だ。では平成年号最期となる来年もよろしくお願いします。


(注11962年にスタートした『9,500万人のポピュラーリクエスト』が、19675月よりこの番組名に改編され、19853月まで文化放送をキー・ステーションに全国34局ネットで放送されていた。当時の日本で最も信頼性の高い洋楽チャート番組。1970年前後のホストは「みのみのもんた」のフレーズが懐かしいみのもんた氏と高橋小枝子嬢のコンビ。当時のテーマは「Star Collector1967年日本独自シングル)/The Monkees」。

(注2ANNでは番組によせられたリクエストの中から毎回一万円を贈呈する企画があった。亀ちゃんの放送では当日まで届いたはがきをDJデスクから部屋中にばらまき、一番遠くに飛んだはがきが当選という名物企画。

(注3197173年にかけて日曜815900TBSラジオで放送していた洋楽チャート番組。ホストの音楽評論家故八木誠氏が独断と偏見で構成していたアメリカナイズされたプログラムが特徴だった。番組のテーマ曲は、「空想の色(Fancy Colours)」「僕らに微笑を(Make Me Smile)」(1969年『Chicago』収録曲)の組み合わせ。


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