Jigsawの第一回リイシュー発売をひかえた9月10日には、BS.TBSで『Song To Soul』の「Sky High」特集がオンエアされた。
番組は「Sky High」が誕生するまでの一週間(1975年5月22日~28日)を中心に、メンバーをはじめとする関係者インタビュー、ジグソーの作品紹介、当時の写真や資料等で構成され、「Sky High」が主題歌となった映画『The Man From Hong Kong』の一部映像、ミル・マスカラスの試合風景もしっかり紹介されていた。さすが「報道のTBS」と唸らせる渾身のプログラムで、番組制作スタッフの真摯な取り組みが感じられ、大変よくできた音楽ドキュメンタリー番組だった。
番組ラストの協力者のテロップには、今回のライナー作成で大変お世話になったS氏、そして今回私と「Sky High & Rera Trucks~」のライナーをご一緒させていただいたY氏のクレジットがあり、佐野さんと自分も番組の支えになったようでうれしくなった。
ただ欲を言えば、Tom JonesとFour Topsを紹介するパートで、Tomの「It’s Unusual(よくあることさ)」は欧米向けであれば納得できたが、日本においては、「Love Me Tonight」か「She's A Lady」の方がふさわしいのでは?と感じた。またFour Topsは時代を考慮してか「Ain’t No Woman (Like The One I've Got)」がチョイスされていたが、こちらも「Reach Out I'll Be There」などMotown時のヒット曲が分かり易かったかな?というのが個人的な感想だった。さらにもっと凝るのであれば、Des Dyerが「「Shaft(黒いジャガーのテーマ)」をヒントにして作曲した。」につながるよう、1973年のヒット「Are You Man Enough?(シャフト!アフリカ作戦)」にしても面白かったかなとも感じた。
番組は「Sky High」が誕生するまでの一週間(1975年5月22日~28日)を中心に、メンバーをはじめとする関係者インタビュー、ジグソーの作品紹介、当時の写真や資料等で構成され、「Sky High」が主題歌となった映画『The Man From Hong Kong』の一部映像、ミル・マスカラスの試合風景もしっかり紹介されていた。さすが「報道のTBS」と唸らせる渾身のプログラムで、番組制作スタッフの真摯な取り組みが感じられ、大変よくできた音楽ドキュメンタリー番組だった。
番組ラストの協力者のテロップには、今回のライナー作成で大変お世話になったS氏、そして今回私と「Sky High & Rera Trucks~」のライナーをご一緒させていただいたY氏のクレジットがあり、佐野さんと自分も番組の支えになったようでうれしくなった。
ただ欲を言えば、Tom JonesとFour Topsを紹介するパートで、Tomの「It’s Unusual(よくあることさ)」は欧米向けであれば納得できたが、日本においては、「Love Me Tonight」か「She's A Lady」の方がふさわしいのでは?と感じた。またFour Topsは時代を考慮してか「Ain’t No Woman (Like The One I've Got)」がチョイスされていたが、こちらも「Reach Out I'll Be There」などMotown時のヒット曲が分かり易かったかな?というのが個人的な感想だった。さらにもっと凝るのであれば、Des Dyerが「「Shaft(黒いジャガーのテーマ)」をヒントにして作曲した。」につながるよう、1973年のヒット「Are You Man Enough?(シャフト!アフリカ作戦)」にしても面白かったかなとも感じた。
リイシュー第2回発売の3タイトルについては、4・5作が佐野さん、林哲司氏絡みの6作を私が受け持つことになっていた。作業はこの放送直後に、発売元から収録可能曲のマスター・データが送信され、そこから音源をチェックして収録時間内にまとめるというところからスタートした。日中仕事を持っている私はそれを一気に全部チェックするのに手間取り、病床の佐野さんが「1曲でも多く未発表音源を収録する」とばかりに、ものすごい勢いで聴きまくり、各アルバムの構成案をまとめ、収録内容はほぼ佐野さん主導で進められた。こんな流れで佐野さんの意見をベースに、私の提案も多少盛り込ませていただきつつ、9月27日に収録曲はいったん決定した。その後、いくつかの修正を入れ「重要な曲を外すことなく80分収録」にこだわった「レア音源だけ集めたCD」と揶揄されることのない収録リストが9月末までにまとまった。こういった作業となると「さすが佐野さん」と唸るばかりで、以前『The Beatles Anthology』シリーズでの詳細な音源チェック・リストが、当時某レコード会社で社員教育に採用したいとオファーを受けた実績を持つだけはあると頭が下がる思いだった。
とはいえ個人的には、『Song To Soul』で流れた「Sky High」のインスト・ヴァージョン(編曲Richard Hewson)と、1976年にJigsawがエントリーした第7回世界歌謡祭での「Paint The Smile On(恋のクラウン)」ライヴ音源(『第7回世界歌謡祭実況アルバム』)の収録に未練が残った。特に後者は朝日新聞縮小版にて「グランプリ決定世界歌謡祭」(フジ系11/23(火)16:00~)が放映された記事から探し当てたもので、佐野さんも「世界歌謡祭のライヴ音源の発見は凄い!」とその価値を認めてくれていたが、これらについてはマスターの所在が発見できず残念ながら見送りとなった。
とはいえ個人的には、『Song To Soul』で流れた「Sky High」のインスト・ヴァージョン(編曲Richard Hewson)と、1976年にJigsawがエントリーした第7回世界歌謡祭での「Paint The Smile On(恋のクラウン)」ライヴ音源(『第7回世界歌謡祭実況アルバム』)の収録に未練が残った。特に後者は朝日新聞縮小版にて「グランプリ決定世界歌謡祭」(フジ系11/23(火)16:00~)が放映された記事から探し当てたもので、佐野さんも「世界歌謡祭のライヴ音源の発見は凄い!」とその価値を認めてくれていたが、これらについてはマスターの所在が発見できず残念ながら見送りとなった。
この案が決定した直後に佐野さんより、私が受け持つ『Pieces Of Magic』について「林さんのエピソードは一般には知られていないのでそこにスポットを当てるべき」とメールが届き、改めて私ならではの内容にしなければという気持ちが昂った。
またその翌日には、私が6月に出演したテレビ番組の最新プログラムが「昭和ネタ」だったことを引き合いに、私に再度のアプローチを後押しする連絡が入り、佐野さんが元気なうちにこちらの企画もまとめなければと焦るばかりだった。
更に、私の誕生日にはFacebookを通じて「精力的な活動を楽しみにしています。」とお祝いメールを頂き、「全て佐野さんのおかげです」と返信すると、すかさず「どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。その姿勢で頑張ってよりメジャーに!」とあり、なぜか彼からお別れの挨拶をされているような心境になってしまった。
さて話はJigsawのライナー制作に戻るが、私が担当したアルバムのリアルな発売日は1977年2月25日だが、この直前の2月19日にミル・マスカラスが登場テーマに「Sky High」を使用して話題沸騰の最中だった。さらに林さん作の日本盤EP「If I Have To Go Away(君にさようなら)」の発売された3月25日は、その直前の3月21日に「Sky High」がオリコン11位(翌週3位)に登場しており、こんな状況ゆえ新譜としての印象の薄さを物語る不幸な作品だった。ちなみに当時は、プロレス・ファンが多かった私の周りでは、このテーマを口ずさんでマスカラスの必殺技「クロスチョップ」「フライング・ボディ・アタック」の真似をするのがブームになっていたほどだった。Jigsawファンの私でさえ林さんの記事を発見しなかったら、世界歌謡祭の入賞曲「Paint The Smile On(恋のクラウン)」を収録したアルバムくらいにしか認識していなかったのだから、一般での認知が低いのは無理もない話だった。
また日英米と収録曲が微妙に違い、特に日本盤は「Sky High」未収録の新装ベスト・アルバムといった感じになっていた。しかし、CDリイシューではオリジナルの英国盤がベースになり、ヒット作にはならなかったが、まだバンドとしての輝きが失せていない充実作と再認識させられるものだった。個人的には林さんに繋がった記念碑的作品で、あの当時のことがリアルに頭をよぎり、かなり字数をオーバーしてしまった。そこで冷静に文面を見直し、気になった事を10月17日佐野さんに最終確認をして完成させることが出来た。
また日英米と収録曲が微妙に違い、特に日本盤は「Sky High」未収録の新装ベスト・アルバムといった感じになっていた。しかし、CDリイシューではオリジナルの英国盤がベースになり、ヒット作にはならなかったが、まだバンドとしての輝きが失せていない充実作と再認識させられるものだった。個人的には林さんに繋がった記念碑的作品で、あの当時のことがリアルに頭をよぎり、かなり字数をオーバーしてしまった。そこで冷静に文面を見直し、気になった事を10月17日佐野さんに最終確認をして完成させることが出来た。
その後は、発売元の担当者とタイトルのチェックや、アルバム・ブックレットに掲載するジャケットのレイアウトについてやりとりをしていた。その中で、問題となったのは佐野さんが集大成とばかりにまとめあげたコンプリート・ディスコグラフィがかなりスペースを占めており、私がこだわっていた日英米のLP&EPのオリジナル・ジャケットの掲載スペースが確保できそうにないということだった。ただそんな私が不安視していた案件は、CDトレイの内側を使うという担当者の配慮でなんとかクリアできた。全ての作業が終わって気がつけば、そろそろ秋の気配が感じられる季節になり、佐野さんの健康面を配慮して、メールのやり取りは控え、17日の確認メールが佐野さんとの最後の連絡になるとは予想もしなかった。
10月30日にサンプルCDが届き、休日だった翌日にパッケージを開けて中を確認し、佐野さんに報告がてら連絡文を書き始めた直後、Facebookより彼の訃報が飛び込んできた。
一瞬、この半年間佐野さんとやり遂げたJigsawのことが頭の中を回想した。そして、これはきっと佐野さんの命が燃え尽きる前に、天から贈り物として一緒に仕事をさせてくれたのだと思え、彼に完成の報告をするため、11月4日通夜の葬儀会場に向かった。そこにはまるで眠っているかのような佐野さんに対面、ご親族と彼の生前を熱く振り返った。
翌5日は告別式が執り行われていたが、火葬の最中に放送されていた「サンデー・ソングブック」(TokyoFM)で、山下達郎氏が佐野さんに敬意を評したお悔やみのメッセージと追悼に「Let’s Kiss The Sun~愛を描いて」をおくってくださった。
まさに「神対応」、追悼曲と一緒に佐野さんが天に召されていく情景が浮かんだ。
10月30日にサンプルCDが届き、休日だった翌日にパッケージを開けて中を確認し、佐野さんに報告がてら連絡文を書き始めた直後、Facebookより彼の訃報が飛び込んできた。
一瞬、この半年間佐野さんとやり遂げたJigsawのことが頭の中を回想した。そして、これはきっと佐野さんの命が燃え尽きる前に、天から贈り物として一緒に仕事をさせてくれたのだと思え、彼に完成の報告をするため、11月4日通夜の葬儀会場に向かった。そこにはまるで眠っているかのような佐野さんに対面、ご親族と彼の生前を熱く振り返った。
翌5日は告別式が執り行われていたが、火葬の最中に放送されていた「サンデー・ソングブック」(TokyoFM)で、山下達郎氏が佐野さんに敬意を評したお悔やみのメッセージと追悼に「Let’s Kiss The Sun~愛を描いて」をおくってくださった。
まさに「神対応」、追悼曲と一緒に佐野さんが天に召されていく情景が浮かんだ。
2017年11月29日1:00
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