NHK「探検バクモン 奈良文化財研究所 驚き!平城京の民のホンネ」は最高だった。今から1300年前の奈良時代、日本には漢字が入ってきて、平城京で働く下級役人は、紙の代わりの木簡という小さな木に漢字を書き、消しゴムがないからそれを薄く削って何度も再利用していた。その大量の木クズが奈良の湿地帯の中で見つかってその一部で解析されたものだけ3148枚が一挙に国宝に指定された。水を含んだ泥の中でだったので保存できたのだが、そのまま普通に乾かすと縮んでダメになるため特殊処理を施し機械乾燥するまでの水に漬けたままのものがまだ膨大に残っているし、その前のただの木クズとしか思えないものを丁寧にはがしてゴミをハケで取ると文字が出てくるものもある。今後、国宝に追加されるものは数千点以上あるだろう。この木簡の凄いところは、当時の人間の仕事・生活・本音が分かることにある。例えば「給食の飯がまずい」「早く昇進させて欲しい」「借金お願いします」と書いたものや、上司の勤務評定があり「日勤320日夜勤185日」などとブラック企業もビックリの勤務実態が見てとれる。もちろん役所の指示書も多く軍の配置命令が日付入りで書かれていた。また名前の下の左横に指先と第1、第2関節の位置がマーキングされていてIDカードの先駆けが既にあったのには驚かされた。木簡の中には明らかな外人の横顔のイラストが描いてあるものがあり、当時の文献では平城京にペルシャ人が働いていたとあるので、これは真実。いたずら書きや、木で作った様々な玩具など、1300年前も今と変わらない庶民の生活が分かる。今までは貴族、その後は上級武士が作ったものばかりが残されているので、そこに「生活感」など出てこない。だからこそこの木簡は貴重で一気に国宝になったのだ。この時代の漢字は、中国から習ってきて時間が経っていないので、崩した漢字がないので、今の我々でも読める。時代を経て武士の間でのやり取りになると漢字が崩されていてもう我々にはヘビがのたくったようにしか見えなくなる。昔TVで「ビートたけしの教科書に載らない日本語の謎」という特番があって、文字のない時代から戦後、文語体を捨てて今の日本語になるまでを追った最高の内容だった。その中の奈良時代を見直してみると、最初、日本語を中国語の当て字にしていたら一音一音同じ発音の漢字を当てはめていたら漢字の量が膨大で大変なので、日本語の当て字で弥麻(ヤマ)は中国語の山(サン)と同じ意味だという事で、日本独自の訓読み、つまり山を(ヤマ)を読むことにして万葉仮名が出来上がり、日本語が画期的に進歩。「古事記」「日本書記」「万葉集」などが生み出される。ひながなが出てくるのは次の平安時代。奈良時代の日本語は8母音と今より3つも多く、「はひふへほ」は「パピプペポ」、「さしすせそ」は「ツァツィツゥツェツオ」、蝶々は「ディエップディエップ」と発音していたそうなので、「母上様、蝶々が飛んでいますよ」が「パパウエツァマ、ディエップディエップガツォンデイマツゥヨ」で会話していた。聖徳太子のいた日本ではこんな日本語を使いながら、僅かな数の貴族は自分の屋敷の中に馬の手配をする役所を置くなどの贅沢な生活を続け、それ以外の大半の庶民は一生、頭打ちの下級公務員ばかりで平城京に暮らし、昼も夜も休みのない過酷な勤務、役所が用意する食事はまずく、それでも少しでも出世したいと願う…などという実態が見えた。ただ役所には個人確認のIDカードがあり、ペルシャ人も働くなど国際性もあった。そして手作りで玩具を作り、落書きもするなど、息抜きの部分もちゃんとあり、生活は今と大きく違わなかったようだ。未解読の木簡が解読されれば、当時の庶民の本音がますます分かるだろう。日本の歴史で文字として残っているのは武士と貴族の残したものばかりで、庶民、それも本音が分かるものは江戸時代まで何もなかった。その間の900年間を埋めるものが唯一、この木簡なのだ。これからの解析が楽しみ。ちなみにNHK総合のレギュラーで一番好きなのは「ブラタモリ」だが、続いて「探検バクモン」。他では「ドキュメント72時間」、Eテレの「ねほりんぱほりん」も必ず録画する。残念なのは総合の特番で超力作なのに、全く再放送しない番組があるのが惜しい。4回に渡った「大アマゾン」の「ガリンペイロ」と「最後のイゾラド」は、ドキュメンタリーの頂点。いずれ紹介したい。(佐野邦彦)
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2017年10月29日日曜日
2017年10月23日月曜日
☆宮治淳一:『茅ヶ崎音楽物語』(ポプラ社)
宮治淳一さんから「茅ヶ崎音楽物語」が届いた。これは嬉しい。いつ買おうかと思っていたが、最近は本を買っても体調で読み切る気力がなく、10冊以上読んでない本が積んであり本の購入は全て止めていたのだ。しかしこの宮治さんの本には格別な思い入れがあり、実際に届くと一気に読んでしまった。ただこの土日は体調が悪くパソコンを開く気にもなれない有様、でも気分が良くなった時に一気に読了した。加山雄三、加瀬邦彦、喜多嶋修、そして桑田佳祐を生んだ茅ヶ崎という奇跡の町の存在は知ってはいたが、それだけでなく、古くは中村八大、そして平尾昌晃、尾崎紀世彦も茅ヶ崎に住んでいたと知ってさらに驚いた。今でこそ、茅ケ崎の名は知られているが、小さな漁村で、古くは別荘街として売り出されたこの場所に、日本のポップス史上の最重要ミュージシャンがこんなに生み出されたなんて奇跡としか言いようがない。茅ヶ崎の人口は現在でも24万、ここにこれだけの才能が集まることはなぜなのか?生まれてから茅ヶ崎を離れたことがない生粋の茅ヶ崎人である宮治ささんはその事をさらに深く知ろうとし、こうして本にしてまとめ、映画にもなってしまった。この作業は音楽を愛し、何よりも茅ケ崎を愛する、宮治さん以外できない仕事だった。勤めは都心で通勤時間はかかるが、川を越えると自分の頭は会社から離れ、好きな音楽の世界の切り替わると宮治さんから聞いたことがあるが、このスイッチングがいいのだろう。自宅の一部はBrandinとレコード&カフェ(夜はお酒も)で、膨大な「宮治コレクション」を聴き、お客さんが持ちよって聴こともあり、音楽好きの楽園のような店を勤め人の傍らで作り上げた。これも今思えば、「音楽のまち」茅ケ崎への宮治さんの貢献だったのだろう。
明治時代に市川團十郎が広大な別荘を作ったことから茅ヶ崎は別荘地として知られていったらしい。山田耕筰や中村八大も住んでいたという。しかし本書の前半で最も思い入れを持って書かれているのは、加山雄三である。還暦を少し超えた宮治さんはほぼ私と同じ音楽体験をしてきているので、宮治さんが受けた衝撃は、自分とほぼ直結している。宮治さんの幼少期、茅ヶ崎の有名人といえば上原謙で、その息子が加山雄三として俳優デビュー、俳優でありながらシンガーソングライターという前例のない才能を持つ加山は1966年には「君といつまでも」が350万枚という大ヒット加山に夢中になった。しかし宮治さんがより好きだったのは同時発売されたエレキインストの「ブラックサンドビーチ」のシングルの方で、まだ小学生だった宮治さんはさすがに上原邸の玄関のベルを押すことはできなかったが、庭から加山とランチャーズが演奏するエレキインストが聴こえてきて、これが初めて生で聴くエレキコンボの演奏でずっと聴いていたという。なんと羨ましい想い出だろう。田園調布から2歳の時に環境の良さを考えて茅ヶ崎に引っ越してきた加山だが、有名俳優の息子ということもあって町中では遊べず、自作の手漕ぎ船で烏帽子岩まで行ってサザエなどを取っては夏休みを過ごしていたというワイルドなエピソードもあるほど。慶応高校に入学すると周りは政財界や文化人の有名人の子息が集まるセレブ校だったので、加山は特別視されず過ごしやすかった。この慶応高校時代には、裕福な家庭に育った平尾昌晃は湘南中学から家族や親戚がみな通った慶応高校に進学、加山を電車の中ではよく見かけたそうだが、高校時代は一度も会話したことはなかったいう。平尾はその当時、熱狂的に盛り上がったロカビリーに魅かれ歌手としての実力も評価されていたので、思い切って慶応高校を中退し、プロ歌手の道を選んだ。しかしロカビリーの大ブームはほどなく消えてしまうが、作曲ができる平尾は作曲家の道を選ぶ。布施明に書いた「霧の摩周湖」でレコード大賞作曲賞を受賞した平尾はヒットメイカーとなり、五木ひろしに書いた「夜空」がレコード大賞になるなど見事な転身を遂げた。話は戻って加山は、大学時代はカントリーバンドを作って進駐軍のキャンプなどで歌っていたが卒業で進路選択しなくてはいけなくなり、造船技師の夢はあったが就職すると俳優にはなれない、上原謙の息子という恵まれた立場を生かすべきという進言を受けて、東宝のニューフェースとして入社することを選ぶ。慶応幼稚舎出身の加瀬邦彦も田園調布に住んでいたセレブで、茅ケ崎へ引っ越してきたが、慶応高校時代に加山の妹に恋心をいだき、ボーイフレンドとなって加山の家へ足繁く通うようになり、エレキギターの魅力に魅かれて、バンド活動を開始する。「ワイルド・ワンズ」の名前は加山が名付けたものだった。そして作曲ができる加瀬は自信作の「想い出の渚」でデビュー、大ヒットになったのは存知のとおり。加瀬は加山の下にいるのでなく、最初はスパイダースに加入するものの意見が合わずに3カ月で脱退、その後寺内タケシとブルージーンズに加入し、またそこも辞めて自分のバンドのワイルド・ワンズを作る…という積極性がGSの人脈を増やしたのではないか。GSブームは3年ほどで収束してしまうが、加瀬は作曲家に転身し、沢田研二のヒット曲の多くを書き、「危険なふたり」で日本歌謡大賞を受賞するなど、後の活躍は見事の一語。そして茅ヶ崎には岩倉具視の子孫である喜多嶋修も住んでいて、母方の親戚でもあった。喜多嶋がギターを弾けるのを見た加山は茅ヶ崎に来る時は、まだ湘南学園の1年生だった喜多嶋とセッションを重ね、メンバー4人でバンドを作り、加山が茅ヶ崎に入る時はセッションに励んだ。そして1966年2月には加山は喜多嶋のランチャーズをバックに、全曲加山の英語の作詞作曲のアルバム『Exciting Sounds Of Yozo Kayama And The Launchers』をリリース、洋楽扱いで発売されたこのアルバムは。日本のポップス史に残る画期的かつ唯一無二の傑作となった。ちなみに驚く事に高校生の喜多嶋はフェンダーのジャズマスターのギターを持っていて、今の価格では200万くらい。こんなギターを買えたのはさすが岩倉一族としか言いようがない。しかしこの後のGSブームからエレキ=不良という「エレキ排斥運動」が全国の高校に吹き荒れ。湘南高校も禁止に。慶応大学に進学した喜多嶋は、加山にランチャーズとして単独で活動したいと告げ、喜多嶋の書いた「真冬の帰り道」がヒット、GS史上に残る傑作となった。GSブーム終了後、喜多嶋はロスに移住し海外での音楽活動に拠点を移す。そして尾崎紀世彦がいた。尾崎もGSブームの中ワンダースというグループにいたがヒットは無く解散する。しかし同じレコード会社でズーニーヴ―というGSのシングルの「ひとりの悲しみ」の可能性を信じていたプロデューサーが、阿久悠宇に歌詞を変えさせ、ソロになった尾崎に持ち前の声量を目いっぱい生かした「また逢う日まで」に変えてシングルにすると大ヒットになり1971年のレコード大賞まで獲得してしまう。尾崎はプロシンガーの道を極め、ローカル色を一切出さなかったので、茅ケ崎との関係は知られずじまいだったが、茅ケ崎の祭りの神輿かつぎに毎年来るなど茅ヶ崎愛は深かったという。
そして最後はもちろん桑田佳祐だ。宮治さんとは小中で同級生、中学では同じ野球部で、ビートルズのレコードを全部持っている桑田の家に放課後によく通ったという。高校は別の高校へ進学したが、自分の高校の文化祭に桑田のバンドを呼ぶなど交流は続いた。大学受験は現役で青山学院に合格していた桑田はバンド活動を開始していて、一年遅れて早稲田に合格した宮治さんに、ある日、名前の無かったバンド名に名前を付けてくれと依頼され、その時夢中で聴いていたニールヤングの「サザン・マン」と、ラジオで宣伝が流れていたファニア・オールスターズ来日のニュースを組み合わせて「サザン・オールスターズ」と名付けた。以降40年も使っているわけだが。宮治さんと桑田さんの細かいエピソードは本で読むのが一番。それまで尾崎紀世彦の家庭は分からないが、加山雄三から喜多嶋修までまあみな絵にかいたような裕福な家庭で、慶応つながりというセレブな関係がまぶしい。一般の家庭が出てくるのは桑田佳祐からだ。ただ裕福でセレブというだけでは音楽の才能など現れない。やはり茅ヶ崎のという場所が育んだとしか思えない。(佐野邦彦)
2017年10月14日土曜日
ウィキペディアの間違い情報発見!甲本ヒロトの1996年の参加CDだが、そのコピペが流布され、間違いが全体に広がっている。ここで正しい参加CDを紹介しよう。曲はあの「The Weight」
先の7月29日に更新した「Favorite Musician 全音源コレクティング邦楽編第2回ソロの真島昌利と甲本ヒロト」だが、ウィキペディアを見てみたら、自分が作った参加作品リストより抜けが多くスカスカの内容だったが、逆に持っていないCDが数点あり、さっそくamazonとヤフオクに注文をかけて聴いてみた。自分は自分の耳で聴いてみないと信用しないので、その中の1枚で、1996年リリースのライブ盤『Lightning
Blues Guitar Live Lightning Vol.2』(発売元江戸屋レコード・販売元BMGビクター/EDCR20003)の「The Weight」に甲本ヒロト参加とあるのでまずは、多数参加のライブ盤なのでライナーにあたる部分にヒロトの名前を捜したが、最後のSpecial thanks toまで一切のクレジットが見られなかった。そこで曲を聴けばバックコーラスでもヒロトの声は分かるので、再生してみる。CD上のクレジットは「The Weight-石田長生,西慎嗣,仲井戸“CHABO”麗市,CHAR」でやはりヒロトの名前はなく、3回聴いたがまったくヒロトの声はなかった。そこで同じ1996年のザ・バンドのカバーの「The Weight」が入ったCDを調べると、石田長生の『Juke Box』(Meldac/MECR25043)に「The Weight」があり、そこでヒロトがリード・ヴォーカルを取っていると書いてある記事を見つけ、amazonに注文して今日届いたので聴いてみたらこのCDが該当品だったのだ!1、2、5番を石田長生、3番を三宅伸治、4番を甲本ヒロトが歌っていて、5番では高いパートで藤井裕も参加していた。ヒロトはいつものパワフルなヴォーカルで最高。<br
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どちらにも石田長生が入っているので勘違いした人が確認無しにこの護情報を載せ(おまけに古いCDなので位置が目立つトップ)、他のサイトはこのウィキペディアを丸ごとコピペするので、間違った情報だらけが広まった。ウィキは便利で自分も良く見るけど、確認作業を行わないと怖いので、丸ごとコピペはやめよう。なお、この修正後の7月29日に更新した「Favorite
Musician 全音源コレクティング邦楽編第2回ソロの真島昌利と甲本ヒロト」はその日の管理で中身だけを修正、ついでに7月27日に更新した「Favorite
Musician 全音源コレクティング邦楽編第1回THE BLUE
HEARTS~THE HIGH-LOWS~ザ・クロマニヨンズ」には、他のアーティストには入れたアルバム・シングルのオリコン・チャートが抜けていたのに気づいたので記入したので是非、再度ご覧いただきたい。ブルーハーツからクロマニヨンズの最新アルバムまで25枚連続アルバムがトップ10入りしているのには驚いた。さすがだね。(佐野邦彦)
与論島では本名で呼び合わず、生まれた時に父方・母方の祖父母から自動的にもらったヤーナー(童名)でずっと呼び合う。役場の職員もヤーナーで。素敵な習俗だ。
与論島には素晴らしい文化があるので紹介しよう。沖縄本島ではヤーナー(童名)は名付けられても使い道がなく廃れているが、与論島では本名は呼ばずにみな大人になってもヤーナー(童名)で呼ぶのが当たり前、長男・長女だったら父方の祖父・祖母のヤーナーをそのまま、二男・二女だったら母方の祖父・祖母のヤーナーをそのままもらって、家族はそのヤーナーでしか呼ばない。友人・知人もだ。だから家族が多ければ同じヤーナーが何人も被るのだがそんなのは関係ない。先祖のヤーナーの誇りを抱いているので愛着がある。幼稚園でも本名とヤーナーは必ず一緒に書かれていて幼児はみな自分の名前は二つあると知っている。インタビューアーが「おじさんには名前がひとつしかない」と言ったら幼稚園児にみな驚かれていた。さらに驚いたことに与論町役場の上司まで職員はヤーナーの「ジャーヤカさん」と呼んでいて、インタビューアーがこの方の本名は?と聞いたら誰も答えられなかった。役場の中の話であるから特に凄い。沖縄の風習でこのヤーナーが最も好き。ちなみに与論は沖縄本島から22㎞ですぐ近くても鹿児島県。でも琉球文化圏だ。これらはNHKの番組「日本人のお名前っ」で紹介された。
次の「屋号」は①同じ苗字の家ばかりなので、昔、その家の特徴で決められた。赤い木が生えたいたから「赤木」のように。苗字はみな同じなので例えばサトウキビの刈順の表は屋号で掲載され、屋号の方が大事という。②苗字は別々でも先代の職業が屋号になる集落もある。同じブリキ屋でも鎌や鍬を作っていれば「カンザイクヌヤー」、ジョロとか作っていれば「ブリキーヤ」というように。③先祖の宗教儀式の「神人」での役割で屋号が決まっている集落がある。ひしゃくで水をあげる人はひしゃくを意味する「ニブヤー」となり、今でも役目はあり先祖の誇りを感じるとか。
沖縄で最も定着しているのは「門中」だろう。昔、中国との交易で中国風の名前が必要だったので「唐名(からな)」を決めたという。例えば「麻」のように。苗字はバラバラでも「麻」の門中の一族で結束は非常に硬い。漁師の町で知られる糸満で、沖縄伝統の船の競争のハーレーは門中単位で行われるので門中ごと同じTシャツを着て一体感を深めていた。門中とは「始祖と同じとする父方の血族一縁」を言うのだ。この番組とは別に、宮古島と橋でつながる池間島では3つの「ムトウ」と呼ばれる門中があり、島の人間はこの3つのどれかに属しているという。自分が読んだ記憶では60歳になった男性は、それぞれの「ムトウ」の集会所というか家があり、そこで長期間共同生活を送り、女性は食べ物を届けるだけで、同じ門中の仲間どうしで親交を深めるのだそうだ。しかし今は池間島も移住者が増え、移住者のための4つ目のムトウができたのだとか。新参者は先祖伝来のムトウには決して入れないという伝統が伝わってくる。しかしこのある意味厳しい門中だが、糸満の門中はこのハーリーの集まりで、同じ門中の遥か年上のおじーなどと交流が出来て、つながりは家族だけでないと実感できてとても嬉しいと語っていた。
このようにとても祖先を大事にする沖縄では、結婚式も葬式も数百人単位、そして家の位牌であるトートーメーを守るのは長男と決まっていて、長男は他の子より昔から特別扱いを受ける。今は法律があるので遺産分割できるが、古代より「長男総取り文化」が続き、長男が親の面倒を見て墓守もするからということでみな許容してきた。ただ長男はトートーメーがあるので沖縄から離れることはできないなど、制約を受け自由がない。いい事も悪い事もあるので、沖縄の習俗が羨ましいとは言えないだろう。でも自分は「家」への帰属意識は失うべきではないと思うし、これからの少子化に合わせて、実家の二子玉川にあるお墓には弟一家も入れるように訪ねお寺には問題ないと言われ弟に伝えてある。(弟の家は娘1人だ)もちろん自分の息子二人も共同で使う。長男だけで使う墓などいずれ継承が困難になるのは必須。祖父は自分が墓を作った時は瀬田の高台にあるので多摩川が見え、それで決めたと聞いたけど、今は建物がたくさん建って多摩川は見えないなあ。多摩川の花火大会は見えるけど、夜お寺には入れないから、すぐ近くの玉川教会の敷地内で見たけど、蚊に刺されまくってそれ以来行っていない。10mくらい手前に巨人の藤田監督のお墓と、その隣に主がいない原前監督のお墓がある。よっぽと慕っているんだねえ。(佐野邦彦)
☆竹迫倫太郎:『UNION』(K&T/KTRE2001)12月6日発売予定
Facebookでもお馴染みの竹迫倫太郎さんが、2015年から1年のロンドン生活を経て、満を持して本作、『Union』が12月6日にK&Tレコードより発売される。「マスター・オブ・シティポップ」と呼ばれる竹迫さん、ご存知と思うが医師である。抗インフルエンザ薬のタミフルの原料の「八角」を栽培し、いつか来る危険なパンデミックのためのジェネリック薬品の準備と合わせ、政治・経済的に不安定なミャンマーの復興支援のための「八角平和計画」を歌にした「すべては愛のために(Theme Of S.A.P.P)」も収録して完成させた。ご本人も今までの最高傑作というだけあり、全10曲、高いクオリティの曲ばかりで驚かされた。ご本人は今までBeach BoysのBrian Wilsonの影響を受けた曲が多かったが、今回はイギリスでの一年間の生活も含め、音楽を始めるきっかけとなったPaul McCartneyを意識して音楽原点のひとつであるブリティッシュ・ロックを意識したアルバムを作ったという。まさにPaulとBrian、自分も含め、多くのロックファン(ポップファンとは言わない。「ロック至上主義者」の罠にはまるから。ロックが上でポップが下、ロックでも○○ロックとか勝手な見下したネーミングを付けるヘンなのと一緒になってはいけない)の最も好きな組み合わせで、どちらも意識してサウンド作りをしてくれることは嬉しい。ここで1曲1曲、どこが何の影響で…などという聴き方は逆に全体に制約をかけてしまうので良く無い。だからアルバム全体を聴いたトータルな感想を書かせてもらいたい。曲はみなポップでメリハリがあり、日本的なウェットな感覚は感じらないのがいい。コーラスは全曲に非常に精緻に付けられていて、「Brian風」というものではなく、Brian Wilsonのようなハーモニーの技術でセンス良く曲にハーモニーが施されていた。リード・ヴォーカルは、あくまでも個人的感想だが、クセのまったくない桑田佳祐と言う感じでなかなかいいがどうだろうか。何よりも本作は竹迫さんが狙ったブリティッシュ・ロックへアプローチした曲作りだ。ビートルズ風のコードや歌のこぶしなど直接的なものはない。ただ、冒頭の「SUNDANCE」ようにアコースティックのパワフルなコードにギターが入るとブリティッシュの色が強く立ち上る。カッコいい曲だ。また「すべては愛のために (Theme Of S.A.P.P)」もただ歯切れがよくポップなだけではなく、ギターをリフ風に弾くなど細かいこだわりを見せてくれる。他の曲でPaul McCartney的なアプローチを感じるのは「星堕つ時代を越えて」ぐらいで、それよりもギターの音圧や音色が明瞭で力強く、メリハリの効いたキーボードのバッキング、いくつも織り込まれた様々なパーカッション、鉄琴など、従来のサウンドからブリティッシュも超えた竹迫ワールドが完成されている。シングルカットされる「Master Of Xmas」は、さらにアレンジ、コーラスが凝っていて、歌声と合わせて山下達郎が歌っているように聴こえたがどうだろうか。ご本人が最もBrian Wilson色が出ているという「Humoresque ~父と子の絆~」は最もコーラスワークが聴きものになっているが、間奏で一瞬弾かれる「雨雨降れ降れ」を入れるセンスもさすがだ。(佐野邦彦)
2017年10月9日月曜日
☆Favorite Musician全音源コレクティング邦楽編第12回:L-R
1991年にレコード・デビューしたL-Rは、グループのほとんどの曲を書きリードヴォーカルも担当していた黒沢健一、その弟の黒沢秀樹、ベースの木下裕晴の3人がメンバーで、92年から2年間、嶺川貴子がキーボードで参加していた時期をはさみ、97年までに9枚のアルバム、13枚のシングルを残して、正式ではないが事実上解散している。
メンバーはそれぞれその後、ソロ活動をはじめ、旧メンバーどうしのユニットもあったが、音楽的中心である天才、黒沢健一は2016年に病気のため僅か48歳で他界してしまった。そのためL-Rは永遠にもう再結成することはない。
デビューのミニアルバム『L』は91年11月にリリースされた。冒頭の「Bye Bye Popsicle」で度肝を抜かれた。小手先だけのバンドが多い中、これだけ力強くポップなチューンで、中間部のオルガンの遊びの高度なセンスなど、いったい彼らは何者と驚くばかりだった。この曲は健一、秀樹兄弟の共作で、デビューシングルB面に配された。(A面は次作の「Lazy Day」)そして全編ファルセットの幻想的な「Love Is Real」を聴き、L-Rの音楽は黒沢健一という優れたミュージシャンでシンガーが生み出したものと分かった。
92年4月にすぐにフル・アルバム『Lefty In The Right~左利きの真実』がリリースされる。3曲は『L』から引っ張ってきたが、冒頭の「Lazy Girl」の冒頭のフィリップス時代のフォー・シーズンズのような雷鳴のようなドラムからスタート、曲は遊び心たっぷりで、ファルセットのハーモニーも素晴らしく聴き込んでいたら次の曲へのつなぎが、私がフーのアルバムでも3本の指に入るほど好きな『Sell Out』の曲のつなぎにつかった~wonderful radio London~が出てきて、もう泣けた。このポップセンスはまったく自分の好みと同じ、いやこれから自分でソフトロックと名付けていった音楽をいち早く送り出していたのだ。そして山下達郎、大滝詠一という我々も最も好きな日本のミュージシャンを目指すというだけあってア・カペラで「With Lots Of Love Signed All Of Us」を残すなど、意欲的である。
そして92年11月はサードのフル・アルバム『Laugh+Rough』をリリース、冒頭の「Laugh So Rough」は持ち前の完璧なハーモニーを生かして、ホリーズのようなアコギでスタートした「Laugh So Rough」でまたやるなと心を掴まされる。続く「Younger Than Yesterday」は、また明快なポップ・ナンバーで、ファルセットのリードも素晴らしい。
「Rights And Dues」はその流暢な英語と凝りに凝ったメロディ、ハーモニーで日本のレコードに見えないくらい。ただ私はポップな曲が好きなのでやはりセカンドシングルになった「(I Wanna)Be With You」がポップでハーモニーに溢れ爽快そのもの、ラストを飾るに相応しい。
なおこのアルバムから2年、女性メンバーの嶺川貴子が加わっている。93年6月にリリースした『Lost Rarities』は『L』に未発表曲をプラスした11曲仕様で、大滝のナイアガラの影響か、イントロの曲は英語のジングルで、その後に黒沢秀樹作のキャッチーな快作「Tumbling Down恋のタンブリングダウン」で、秀樹のベスト作品が登場する。この曲はL-Rのシングルで唯一の黒沢健一ではないA面曲だ。
以降は次の曲間に必ず20秒くらいの英語での様々なパターンのジングルが入る。英語なので大滝のナイアガラ時代よりセンスが上。自分は黒沢のポップな曲な大好きなので、アルバムにはロックナンバーも多くあるのだがそれは飛ばさせてもらい、アルバムのハイライトの「Raindrop Traces君に虹が降りた」の登場だ。この流麗なメロディとオシャレな感覚は、黒沢健一のセンスの凄さが溢れる傑作。中間のオルガンの間奏のアレンジが牧歌的でいいスパイスになっていてセンスがいつもいい。
93年12月に時間を置いて2枚組の大作『Land Of Riches』をリリース、2曲目の「Now That Summer’s Is Here-君と僕と夏のブルージーン」はビーチボーイズ風と言われるが、曲自体はL-Rの曲の中でも最上級のポップチューンであり、ビーチボーイズ風は間奏での遊びのみであり、『Pet Sounds』風のベースとキーボードからみと「Good Vibrations」をワンフレーズ入れただけなのにそう書いてしまうライターが低レベル。4枚目のシングルとしてカットされている。
「American Dance」はジャズタッチのポップチューンでアルバム曲ではもったいない。ミディアムのバラードの「Rad & Blue」は、黒沢のヴォーカルの上手さが際立つ。メロディもいいし、聴き惚れた。
ディスク2では「Equinox」が素晴らしいゴージャスなバラードに仕上がっているなとうっとり聴いていたらオーケストラアレンジがDavid Campbellだった。
アコギをバンドのビートサウンドへの乗せ方が巧みだった「Telephone Craze」もいい出来だ。作曲は黒沢健一と木下裕晴の共作。このアルバムで嶺川は脱退し、L-Rはデビュー時の男3人に戻る。
94年10月にリリースされた『Lack Of Reason』はやはり5枚目のシングルとしてヒットした「Remember」が、L-Rマジックというか、黒沢健一マジックというか、ビートが効いていてこれほどキャッチーというのが本当に見事。そして個人的な好みなのがギターのリフがカッコいい「It’s Only Love Song」。ハーモニーもいいし、もっともリフを生かしたアレンジにすればさらに良かったが…。健一&秀樹兄弟の共作だ。エンディングはビートルズお得意のコードで締める。
アップビートで快調な「Seventeen」もアルバム曲として気分よく聴けるが、間奏がオルガンが少しダサい。ラストは大ヒットした6枚目のシングル「Hello It’s Me」で、明快でポジティブなメロディ、メリハリが付いたサウンドと、L-Rの王道シングルで文句なし。95年12月にリリースされた『Let Me Roll It』は、7枚目のシングルでなんとミリオンセラーを記録した「Knockin’ On Your Door」がやはり素晴らしい。キャッチー、パワフルなシングル用L-Rサウンドに、バックにリフが潜んでいたり、雷鳴のようなドラムを入れたり、総集編のような曲だ。このアルバムは11曲中、黒沢秀樹の単独作が1曲、木下裕晴の単独作が2曲収録される。しかし実際には黒沢健一の曲がその他3枚シングルカットされた。
8枚目のシングル「Bye」は歯切れのいいビートに載せたポップチューンでシングルとしては合格、9枚目のシングル「Day By Day」はアコースティック感を生かしたサウンドに、サビで厚くキャッチーに盛り上がっていく構成が良く、アソシエイション風のコーラスを織り込んだりさすが。10枚目のシングル「Game」は、最もキャッチーなサビを頭に持ってきた構成が良く、これも合格点と、ポップで質の高い黒沢健一のナンバーが並んだ。
97年4月リリースの『Doubt』は12曲中、黒沢秀樹が2曲、木下裕晴が3曲作曲し、黒沢健一の曲は6曲となる。他の2人の曲作りの能力はアップしたものの、黒沢健一のレベルにはやはり遠く及ばず、11枚目のシングルは健一の「Nice To Meet You」で、インド音楽の楽器のようなギターを使いながらポップな曲で快調そのもの、12枚目のシングルも健一の「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」で、今までのL-Rのシングルと違ってビートが強く歌もR&B調だった。
13枚目のラストシングル「Stand」は、ポップなビート・ナンバーで、サビスタートのイントロの後のAメロの展開とパーカッションの使い方が面白い。この曲は前作よりよりシングル向け。
結局、この最後のアルバム2枚は他のメンバーの曲の比率が大きく増したがシングルは7枚全て黒沢健一で、アルバム曲でも、いいフックがあっていいなと思った「First Step」やトロピカルな異色作で面白いなと思った「Couch」は黒沢健一の曲で、L-Rの音楽的中心は変わらないということを逆に証明してしまった。
7年間の活動だが、これだけのクオリティの楽曲を作り続けた日本のバンドは例を見ない。今になってその思いはさらに強くなった。
(佐野邦彦)
★L-R
メンバーはそれぞれその後、ソロ活動をはじめ、旧メンバーどうしのユニットもあったが、音楽的中心である天才、黒沢健一は2016年に病気のため僅か48歳で他界してしまった。そのためL-Rは永遠にもう再結成することはない。
デビューのミニアルバム『L』は91年11月にリリースされた。冒頭の「Bye Bye Popsicle」で度肝を抜かれた。小手先だけのバンドが多い中、これだけ力強くポップなチューンで、中間部のオルガンの遊びの高度なセンスなど、いったい彼らは何者と驚くばかりだった。この曲は健一、秀樹兄弟の共作で、デビューシングルB面に配された。(A面は次作の「Lazy Day」)そして全編ファルセットの幻想的な「Love Is Real」を聴き、L-Rの音楽は黒沢健一という優れたミュージシャンでシンガーが生み出したものと分かった。
92年4月にすぐにフル・アルバム『Lefty In The Right~左利きの真実』がリリースされる。3曲は『L』から引っ張ってきたが、冒頭の「Lazy Girl」の冒頭のフィリップス時代のフォー・シーズンズのような雷鳴のようなドラムからスタート、曲は遊び心たっぷりで、ファルセットのハーモニーも素晴らしく聴き込んでいたら次の曲へのつなぎが、私がフーのアルバムでも3本の指に入るほど好きな『Sell Out』の曲のつなぎにつかった~wonderful radio London~が出てきて、もう泣けた。このポップセンスはまったく自分の好みと同じ、いやこれから自分でソフトロックと名付けていった音楽をいち早く送り出していたのだ。そして山下達郎、大滝詠一という我々も最も好きな日本のミュージシャンを目指すというだけあってア・カペラで「With Lots Of Love Signed All Of Us」を残すなど、意欲的である。
そして92年11月はサードのフル・アルバム『Laugh+Rough』をリリース、冒頭の「Laugh So Rough」は持ち前の完璧なハーモニーを生かして、ホリーズのようなアコギでスタートした「Laugh So Rough」でまたやるなと心を掴まされる。続く「Younger Than Yesterday」は、また明快なポップ・ナンバーで、ファルセットのリードも素晴らしい。
「Rights And Dues」はその流暢な英語と凝りに凝ったメロディ、ハーモニーで日本のレコードに見えないくらい。ただ私はポップな曲が好きなのでやはりセカンドシングルになった「(I Wanna)Be With You」がポップでハーモニーに溢れ爽快そのもの、ラストを飾るに相応しい。
なおこのアルバムから2年、女性メンバーの嶺川貴子が加わっている。93年6月にリリースした『Lost Rarities』は『L』に未発表曲をプラスした11曲仕様で、大滝のナイアガラの影響か、イントロの曲は英語のジングルで、その後に黒沢秀樹作のキャッチーな快作「Tumbling Down恋のタンブリングダウン」で、秀樹のベスト作品が登場する。この曲はL-Rのシングルで唯一の黒沢健一ではないA面曲だ。
以降は次の曲間に必ず20秒くらいの英語での様々なパターンのジングルが入る。英語なので大滝のナイアガラ時代よりセンスが上。自分は黒沢のポップな曲な大好きなので、アルバムにはロックナンバーも多くあるのだがそれは飛ばさせてもらい、アルバムのハイライトの「Raindrop Traces君に虹が降りた」の登場だ。この流麗なメロディとオシャレな感覚は、黒沢健一のセンスの凄さが溢れる傑作。中間のオルガンの間奏のアレンジが牧歌的でいいスパイスになっていてセンスがいつもいい。
93年12月に時間を置いて2枚組の大作『Land Of Riches』をリリース、2曲目の「Now That Summer’s Is Here-君と僕と夏のブルージーン」はビーチボーイズ風と言われるが、曲自体はL-Rの曲の中でも最上級のポップチューンであり、ビーチボーイズ風は間奏での遊びのみであり、『Pet Sounds』風のベースとキーボードからみと「Good Vibrations」をワンフレーズ入れただけなのにそう書いてしまうライターが低レベル。4枚目のシングルとしてカットされている。
「American Dance」はジャズタッチのポップチューンでアルバム曲ではもったいない。ミディアムのバラードの「Rad & Blue」は、黒沢のヴォーカルの上手さが際立つ。メロディもいいし、聴き惚れた。
ディスク2では「Equinox」が素晴らしいゴージャスなバラードに仕上がっているなとうっとり聴いていたらオーケストラアレンジがDavid Campbellだった。
アコギをバンドのビートサウンドへの乗せ方が巧みだった「Telephone Craze」もいい出来だ。作曲は黒沢健一と木下裕晴の共作。このアルバムで嶺川は脱退し、L-Rはデビュー時の男3人に戻る。
94年10月にリリースされた『Lack Of Reason』はやはり5枚目のシングルとしてヒットした「Remember」が、L-Rマジックというか、黒沢健一マジックというか、ビートが効いていてこれほどキャッチーというのが本当に見事。そして個人的な好みなのがギターのリフがカッコいい「It’s Only Love Song」。ハーモニーもいいし、もっともリフを生かしたアレンジにすればさらに良かったが…。健一&秀樹兄弟の共作だ。エンディングはビートルズお得意のコードで締める。
アップビートで快調な「Seventeen」もアルバム曲として気分よく聴けるが、間奏がオルガンが少しダサい。ラストは大ヒットした6枚目のシングル「Hello It’s Me」で、明快でポジティブなメロディ、メリハリが付いたサウンドと、L-Rの王道シングルで文句なし。95年12月にリリースされた『Let Me Roll It』は、7枚目のシングルでなんとミリオンセラーを記録した「Knockin’ On Your Door」がやはり素晴らしい。キャッチー、パワフルなシングル用L-Rサウンドに、バックにリフが潜んでいたり、雷鳴のようなドラムを入れたり、総集編のような曲だ。このアルバムは11曲中、黒沢秀樹の単独作が1曲、木下裕晴の単独作が2曲収録される。しかし実際には黒沢健一の曲がその他3枚シングルカットされた。
8枚目のシングル「Bye」は歯切れのいいビートに載せたポップチューンでシングルとしては合格、9枚目のシングル「Day By Day」はアコースティック感を生かしたサウンドに、サビで厚くキャッチーに盛り上がっていく構成が良く、アソシエイション風のコーラスを織り込んだりさすが。10枚目のシングル「Game」は、最もキャッチーなサビを頭に持ってきた構成が良く、これも合格点と、ポップで質の高い黒沢健一のナンバーが並んだ。
97年4月リリースの『Doubt』は12曲中、黒沢秀樹が2曲、木下裕晴が3曲作曲し、黒沢健一の曲は6曲となる。他の2人の曲作りの能力はアップしたものの、黒沢健一のレベルにはやはり遠く及ばず、11枚目のシングルは健一の「Nice To Meet You」で、インド音楽の楽器のようなギターを使いながらポップな曲で快調そのもの、12枚目のシングルも健一の「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」で、今までのL-Rのシングルと違ってビートが強く歌もR&B調だった。
13枚目のラストシングル「Stand」は、ポップなビート・ナンバーで、サビスタートのイントロの後のAメロの展開とパーカッションの使い方が面白い。この曲は前作よりよりシングル向け。
結局、この最後のアルバム2枚は他のメンバーの曲の比率が大きく増したがシングルは7枚全て黒沢健一で、アルバム曲でも、いいフックがあっていいなと思った「First Step」やトロピカルな異色作で面白いなと思った「Couch」は黒沢健一の曲で、L-Rの音楽的中心は変わらないということを逆に証明してしまった。
7年間の活動だが、これだけのクオリティの楽曲を作り続けた日本のバンドは例を見ない。今になってその思いはさらに強くなった。
(佐野邦彦)
★L-R
☆オリジナル・アルバム
1991
『L』※5曲入りミニアルバム
1992 『Lefty In The Right』(ポリスター)84位
1992
『Laugh+Rough』(ポリスター)※嶺川含むメンバー4人。97位
1993 『Lost Rarities』(ポリスター)54位
1993 『Land Of Riches』(ポリスター)※嶺川含むメンバー4人。47位
1994 『Land Of Riches Reverse』※前作のアウトテイク「Telephone Craze」「Equinox」「Red & Blue」「Land Of
Riches-2」の4曲のみ。※嶺川含むメンバー4人(ポリスター)
1994 『Lack Of Reason』(ポニーキャニオン)14位
1995 『Let Me Roll It』(ポニーキャニオン)5位
1997 『Doubt』(ポニーキャニオン)9位
1997 『Live Recordings
1994-1997』※4枚組のライブ(ポニーキャニオン)
☆必要なコンピレーション
1994 『Singles & More』(ポニーキャニオン)※「Laugh So
Rough」は『Laugh+Rough』収録のものに比べ歌が始まる前のドラムの2拍がない。「Younger Than Yesterday」は『Laugh+Rough』収録のものは前の曲の「Laugh So Rough」のエンディングがイントロと被るようにつながっていたため、0.5秒くらいイントロが長い。そしてバッキングのドラムの大きくミックスされ、特に後半はかなり曲にメリハリが出ている。40位
1995 『四姉妹物語』(ポニーキャニオン)※同名映画のOSTにL-Rが4曲参加。L-Rの「Dream On」はこれのみ。「Hello It’s Me(Piano Version)」も収録され、ピアノはMasahiro Hayashiでクレジットされている。ちなみに「Hello It’s
Me」はSingle Versionで収録されている。
1997 『L+R』(プロモ盤『R』(「Lazy Girl」「Motion
Picture」「7Voice」「I Love To Jam」「With Lots Of Love Signed All Of Love」「Dounuts
Dreams」)とセット。初回限定盤には「Paperback Writer」「Both Sides Now」のCDシングル付でリリースした。ビートルズのカバー「Paperback Writer」は他では聴けない。「Both Sides Now」は4枚目のシングル「君と夏と僕のブルージーン」に収録)
1997 『Singles & More
Vol.2』(ポニーキャニオン)※「Knockin’ On Your Door(Single Version)」は17秒から33秒までのホーンのミックスが大きい。「Bye(Single Version)」はイントロのギター、エンディングのピアノが大きく間奏のオルガンが小さい。「Day By Day(Single Version)」は1分から15秒くらいの間のオルガンがほとんど聴こえない。「Game(Single Version)」はギターが大きくミックスされているがアルバムより11秒短い。「Nice To Meet You(Single Version)」は歌のAメロなど電気処理したようなミックス。その他「Days(Alternate Mix)」「僕は電話をかけない(Alternate Mix)」収録。なお「Hello It’s M」はAlbum Versionだった。
2012
『Who Is The Stars? Wits+Z
Compilation Vol.2-20th Anniversary Edition』(ウルトラ・ヴァイヴ)※93年のライブ6曲収録
☆必要なシングル ※重要なのは★の14曲
1992 ★「Bye Bye
Popsicle[Version](Single Version)」※最後が『Lefty In The Right』収録のものと同じエンディングがシンフォニックなアレンジのヴァージョンだが、ドラムが『Lefty In The Right』は左なのに比べ、シングルは右。そして1分5秒から21秒までの間奏のドラムが僅かに大きくミックスされた。(ポリスター)
1992 ★「Passin’ Through(Single Version)」※3分14秒以降のエンディング部分はこのシングルのみ。A面の「(I Wanna)Be With
You」は2分22秒から53秒までと、3分10秒から33秒までをEditしたSingle
Version。(ポリスター)
1993 「恋のタンブリングダウン」のシングル:「恋のタンブリングダウン(Edit)」※『Lost Rarities』よりフェイドアウトが16秒短く、その後、間をおいての24秒のジングルがない。「君に虹が降りた(Edit)」※『Lost Rarities』でのフェイドアウト後、間をおいての14秒のジングルがない。★「恋のタンブリングダウン(Reprise)」は1分の後の「素直になれたなら君のそばに届く笑顔を見せておくれ」の歌詞の部分はこのシングルのみ(ポリスター)
1994 ★「夜を撃ちぬこう」※アルバム未収録。A面は「Remember」(ポリスター)
1994 ★「Hyper Belly Dance」★「Hello It’s Me(Instrumental Version)」※2曲ともアルバム未収録。A面は「Hello
It’s Me(Single Version)」で2017年版『Lack Of Reason』にもボーナス収録。シングルは『Lack Of Reason』収録のものに比べヴォーカルにエコーがかかっておらず3分10秒から30秒弱く続くシンバルが小さくミックスされている。(ポリスター)
1995 ★「Music Jamboree ‘95」※アルバム未収録。★「It's Only A Love Song」は『Lack Of Reason』収録のものと比べ曲が終わった後に8秒、アナログのプツンプツンという針音が加えられている。A面は「Knockin’ On Your Door(Single Version)」で『Singles & More Vol.2』にもボーナス収録。(ポニーキャニオン)
1995 ★「Chinese Surfin‘」※アルバム未収録。A面は「Bye(Single
Version)」で『Singles & More Vol.2』にもボーナス収録。(ポニーキャニオン)
1995 ★「Cowlick(Bad Hair
Day)」※アルバム未収録。A面は「Day By Day(Single Version)」で『Singles & More Vol.2』にもボーナス収録。(ポニーキャニオン)
1996 ★「Good Morning
Tonight」※アルバム未収録。A面は「Game(Single Version)」で『Singles & More Vol.2』にもボーナス収録。(ポニーキャニオン)
1996 ★「Game(Live Version)」※1994年のライブでアルバム未収録。A面は「Nice To Meet You」の5インチシングルに収録。「Nice To Meet You(Single Version)」は『Singles & More Vol.2』にもボーナス収録。(ポニーキャニオン)
1997 ★「そんな気分じゃない
("JAM TASTE" Version)」※『Doubt』収録のものとはまったくの別ヴァージョン。演奏もアレンジも別物で、例えば間奏がブルースハープではなくボトルネックギターであったり、アルバムのヴァージョンは完奏するがこちらは37秒短くフェイドアウトする。
1997 ★「Stranded(Single
Version)」※『Doubt』収録のものは冒頭9秒間にスタジオチャット的なギターが聴こえたがシングルではそれがなく、シングルのエンディングは逆に演奏が3秒長いが、パッと終わる演奏の後のカセットのスイッチを切るような音がカットされている。そしてシングルのみ3分12秒から32秒までのギターにジェットマシーンのようなシュワシュワした音がかかっている。A面は「Stand」。(ポニーキャニオン)
参考チャート・イン・シングル
94 Remember 42位、Hello It’s Me 10位、95 Knockin’ On Your Door 1位、Bye 6位、Day By Day 15位、96 Game 10位、Nice To Meet You 14位、97 Stand 26位
●参考:サンプル盤のみ
1992 『Rough And Rough』(ポリスター)※「What "P" Sez?(Long Version)」「Laugh So Rough(Rough Version)」
1993 『Land Of Riches Edit
Sampler』(ポリスター)※「Both Sides Now(Long Version)」「Telephone Craze(Alternate Mix)」
1994 『Listen To The Disc』(ポニーキャニオン) ※『Lack Of
Reason』より。「Easy Answers(Out Take)」「It’s Only A Love Song(Out Take)」
1995 『Hello It’s Me Rare
Tracks』(ポニーキャニオン)※グリコの抽選でもらえる『四姉妹物語映画先取り缶』に入っていたCD。「Hello It’s Me(Strings Version)」「Hello It’s Me(Alternate Piano Version)」「Making
Of Hello It’s Me(ナレーション入りだがDemo Track)」
1997 『Doubt Promotion
Sampler』(ポニーキャニオン)※「僕は君から離れてくだけ(Alternate Version)」「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック(Alternate
Mix)」「そんな気分じゃない(Alternate Mix)」
(作成:佐野邦彦)
2017年10月1日日曜日
ウワノソラ:『陽だまり』(UWAN-003)
2014年にバンド名をタイトルにしたファースト・アルバムでインディーズ・デビューしたウワノソラが、満を持してセカンド・アルバム『陽だまり』を10月11日にリリースする。
サイド・プロジェクトとしては、15年6月にいえもとめぐみと角谷博栄が"ウワノソラ'67"として『Portrait in Rock'n'Roll』、今年5月には桶田知道がソロ・アルバム『丁酉目録』をそれぞれリリースしていたが、バンド本体のニュー・アルバムを待ち望んでいた、ポップ・ファンも多かったと思う。
ミュージックビデオ「チャンネルNo.1」(『丁酉目録』収録)のレビューでも触れたが、桶田が今年の7月末日をもってバンドを脱退し、角谷といえもとの二人だけになってしまったのは残念であるが、基本的なサウンド・アプローチやスタイルに違いは感じられない。
それはプロデュースからアレンジ、エンジニアリングまでを担当する角谷がこのバンドの柱だったからだろう。
いえもとは初の試みとして、角谷と共作で「ときめきのブルー」の作詞に挑戦しており、今後も作詞面でも活躍してくれるかも知れない。
また桶田は置き土産として、初期の名作と言われる「Umbrella Walking」(アイドル・グループNegiccoのメンバーも好きらしい)と「打ち水」(曲は角谷との共作)のソングライティングを手掛けている。
リリース資料の角谷の文によると、この桶田作の「Umbrella Walking」を軸にアルバムは制作されたという。そこからアルバム・タイトルとなる『陽だまり』という架空映画のサントラのコンセプトが練られており、冒頭の「陽だまり -Prelude-」と「俄雨 -Interlude-」、「夕刻-Interlude-」が同じメロディを持つ変奏曲となっているのはそのためだ。
今回のレコーディングに参加した主なミュージシャンは、ファーストとウワノソラ'67の『Portrait in Rock'n'Roll』を通して関わっている面子が多く、キーボードの宮脇翔平、ベースの熊代崇人、バッキング・ヴォーカルとシンセサイザーに深町仰。新たにドラムには木村恵太、アデショナル・ギターとして西本諭史が参加している。
また初の試みとして、「遅梅雨のパレード」にゲストでカンバス(彼等は最近RYUTistの「想い出はプロローグ」にアレンジと演奏で参加していた)の小川タカシがリード・ヴォーカルを取っているのも興味深い。
では主な収録曲の解説しよう。
アルバムは本作のテーマといえる「陽だまり-Prelude-」から静かに始まる。弦楽五重奏の編成にハープと木管を加えたオケにいえもとのスキャットがリードを取る。アルマンド・トロヴァヨーリやピエロ・ピッチオーニなど60年代末期のイタリア映画のサントラを想起させて麗しい。
続く「画家と絵画」は、Love Generationの「Love Is A Rainy Sunday」やButterscotchの「Don't You Know (She Said Hello)」などソフトロックとブルーアイド・ソウルの良さを融合したような曲で、WebVANDA読者に最もお勧めしたい。筆者もファースト・インプレッションでは、本アルバムのベスト・トラックと感じた。
そして「Umbrella Walking」だが、シティポップ然とした曲調ながらTender Leafの「Countryside Beauty」(『TENDER LEAF』収録 82年)などハワイアンAORの匂いもする。Aメロはシュガーベイブもレパートリーにしていた、伊藤銀次の「こぬか雨」(『DEADLY DRIVE』収録 77年)を想起させる音符を詰め込んだ感じが初々しい。
『丁酉目録』のインタビューで作者の桶田も語っているが、ファースト収録の「摩天楼」同様に紆余曲折あったこの曲を角谷がアレンジで手助けしたのがよく理解出来る。
ラテン・フレイバー漂う「エメラルド日和」は、Aメロはムーンライダーズの「週末の恋人」(『イスタンブール・マンボ』収録 77年)のテイストを醸しつつ、70年代末期のCRUSADERSに通じるラテン・フュージョンのエッセンスも感じさせる。曲の全編で玉田和平による各種ラテン・パーカッションが活躍しているのも聴き逃せない。
続く「パールブリッジを渡ったら」は70年代初期のブラス・ロックとフュージョン・ロックの色が濃く、西本諭史のギター・ソロと横尾昌二郎のトランペット・ソロもそちらのテイストでプレイされている。
アルバム・リリース前に先行でMVが公開された「夏の客船」は、ジノ・ヴァネリの「I Just Wanna Stop」(『Brother to Brother』収録 78年)にも通じるソフティなAOR感覚が漂うサウンドだが、歌詞の世界観は松任谷由実の影響大で、ひと夏の不毛な愛を綴った青春の1ページを現している。理屈抜きに純粋に良い曲である。
「鳥になったようだ」は完全なソフトロック・サウンドで、ブルース・ジョンストンの名作「Disney Girls (1957)」(『Surf's Up』収録 71年)に通じるメロディ感覚やサビのクローズド・ヴォイシングのハーモニーに打ちひしがれるだろう。儚く甘い微睡みが心地よい。
ミナス・サウンドの影響下にある「渚まで」はウワノソラとしては新境地だ。交流があるLamp染谷の作風にも近く、横山貴生のフルート・ソロはベベート(タンバ・トリオ)のそれを想起させる、繊細ながら野性味のあるプレイで聴き応えがある。
ラストの「ときめきのブルー」は、角谷のクラシック・ギターで奏でられるボッサのリズムにいえものとの美しい歌唱が聴く者の心を掴んで離さないだろう。
『Portrait in Rock'n'Roll』やNegiccoに提供した「土曜の夜は」での試みが本作での向上に繋がったのかも知れないが、ファースト・アルバムより数段クオリティが高くなったアレンジやサウンドと、ヴォーカリストとしてのいえもとの表現力は、Lampの『ゆめ』(14年)にも通じる2010年代を代表する「音楽通のためのポップス・アルバム」に仕上がっている。
なお本作は自主制作アルバムなので初回プレス枚数は少ないと予想されるので、興味を持った読者の方は下記のリンクから早急に予約して入手して欲しい。