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2017年8月1日火曜日

☆Favorite Musician 全音源コレクティング邦楽編第6回:GARO



前回で中学生になって一番最初に買った邦楽は沢田研二と書いたが、1971年のことでシングル盤だった。しかし同じ年に、現在物価からすると1万円くらいにもなるLPでいきなり購入したのがGAROだった。1971年なので当然ファースト・アルバム。ラジオで「一人で行くさ」と「地球はメリーゴーランド」を聴いて、日本人でこんなハイセンスな感覚の曲を作れるミュージシャンがいるなんてと驚かされた。前者は開放弦を生かしたイントロから耳を引かれ、そしてCSN&Yを思わせるハーモニーと巧みな変則チューニング、デビュー・シングルではB面扱いだったが、間違いなくクオリティはこちらがA面だった。後者は数あるGAROのナンバーでも最も好きな曲だ。1回聴いたら忘れられないキャッチーなメロディの名曲だが、イントロのざっくりとしたアコースティック・ギター、ベース、ドラムの絶妙な入り方、そして東海林修アレンジのストリングスと、全てが完璧だった。セカンド・シングルはこの曲になり、どちらもメンバーのトミーこと日高富明の曲で、愛らしい「小さな恋」も最高だった。もう一人のソングライターのマークこと、堀内護は不思議な透明感に満ちた「水色の世界」を書き、彼らの最高傑作が全曲オリジナルのこのファーストだったように思う。そしてトミーが書いたのはこの3曲の傑作で他7曲はマーク、このファーストで出し切った感がある。以降はマークが中心になっていくので、グループのパワーバランスがトミーからマークへ移っていく。ただしこれはクリエイティビティな音楽面であって、GAROの場合は興行面が主体になる悲劇があった。

マークとトミーは、あの松崎しげるがいたミルクというバンドに一緒に在籍したことがある。2人はライバル関係にあり、グループを出たり入ったり繰り返し、トミーがいた時の「ハッシャバイ」だけホットミルク名義のシングルとしてリリースされている。2人はその頃には親友になっていてそしてあのミュージカル『ヘアー』のオーディションを受けるが、合格はマークだけで、当時のアルバムの「人のすべて」でリード・ヴォーカルを聴くことができる。そして『ヘアー』の出演者の中にはボーカルこと大野真澄もいた。その後、フラワートラベリンバンドのコンサートの中休みにマークとトミーはゲリラライブを行うが、12弦ギターを貸してくれたボーカルも誘って3人で即興でCS&Nをやったところ、その出来にみな驚き、その後、新興のマッシュルームレーベルより、CS&N路線でのオリジナルで作られた『GARO』でデビューを果たす。しかしヒットせず、セカンドはカバーばかりの内容になってしまう。その中サード・シングルはレーベル・オーナーの村井邦彦が書いた傑作「美しすぎて」だったが、B面の哀調を帯びたすぎやまこういちの「学生街の喫茶店」の方にリクエストが集まったため、AB面を入れ替えると徐々に人気が集まっていく。サードの『GARO3』はマークとトミーのオリジナルで作られ、マークのビージーズのように華麗で美しい「涙はいらない」が4枚目のシングルになるが、ヒットしていったのはA面になった「学生街の喫茶店」の方だった。1973年には7週連続織で1位、紅白歌合戦に出演するまでの大ブレイクになった。GAROの音楽的方向性は有無をいわさずこの歌謡曲路線を強いられる。5枚目のシングルはすぎやまの「君の誕生日」で、いかにも日本人好みの歌謡曲、連続オリコン1位になる。6枚目のシングル「ロマンス」はマークのオリジナルだが、歌謡曲路線は堅持、ただマンドリンを使ったところにマークのセンスの良さが感じられオリコン3位、レコード大賞大衆賞を獲得した。7枚目は村井邦彦のドラマチックな歌謡曲路線のシングル「1枚の楽譜」でこれもヒットするが、この当時、怒涛の路線変更に自分はとっくにGAROを見放していて、アルバムは『GARO3』が最後に買ったLPだった。アルバムは『GARO4』の2/3が歌謡曲ライターだが、その後の『CIRCUS』は全曲オリジナル、もうヒットは生まれないと判断すると続く『吟遊詩人』はティン・パン・アレイ系に依頼したシティポップと迷走し、吉田拓郎に傾倒するボーカルと、ロック路線を目指すトミーが対立、マークはもともと争いが嫌いな人なので、グループはバラバラになっていく。オリジナルの曲はマークとトミーが半々、少しボーカルの曲を入れるという「ビートルズスタイル」になっていたが、トミーの書く曲にはファーストの鮮烈さは無くなっていた。最後のアルバムはソロ録音を持ちよった『三叉路』で1975年に解散している。実質4年程度の活動期間しかなかった。「学生街の喫茶店」が無ければ、GAROはどうなっていたのか、誰も分からない。解散後、マークとトミーはそれぞれ2枚ずつソロ・アルバムを出すがヒットせず、マークは音楽界を引退しテニス場経営に転職、トミーは音楽活動を続けたが36歳の時に自殺(事故とも言われている)でこの世を去っている。音楽的行き詰まりが影を落としたのは否めない。マークは多くの友人に支えられ2007年に音楽活動を再開、2013年に3枚目のソロをリリースしたが、翌年、残念ながら病死している。トミー亡き後のGAROのカタログはもともとボーカルが仕切っており、自分が昔、アルファでGAROの『ソフトロック・コレクション』をセレクトした時には、いきなりボーカルの大幅なチェックが入ったのには驚いた。マークとは2回飲み会の席で一緒だったがとても優しく控えめな方で、ボーカルにはとても意見などできなかっただろう。なお下記のリストでボーカル(大野真澄)の活動には関心がないので掲載しない。

 

GARO

☆オリジナル・アルバム

1971 『GARO』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

1972 『GARO2』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

1972 『GARO3』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

1973 『GARO LIVE』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

1973 『GARO4』(マッシュルーム))※下記『GARO BOX』収録。

1974 『サーカス』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

1975 『吟遊詩人』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

1975 『三叉路』(マッシュルーム)※下記『GARO BOX』収録。

 

☆必要なコンピレーション(ライブ参加含む)

1971 『メッセージ・フロム・中津川』(フィリップス)※「たんぽぽ」「Teach Your Children」のライブ収録。この2曲は1998年の『1971フォーク・ジャンボリーVol.2(東芝EMI)CD化された。ボックス未収録。

1989 『J-Rock Early Days Strong Selection(キティ)1971年の「Ohio」ライブ収録。『GARO BOX』の音源とは違う。1998年の『ニューロック夜明けURC編』(東芝EMI)でCD化された。ボックス未収録。

1999 『Singles』(東芝EMI)※「覚えているかい」はパーカッションのボンゴが聴こえない、このアルバムだけのヴァージョン。「一人で行くさ(※Single Version)」…アルバムより長いがアナログ・シングルより僅かに短い。「たんぽぽ(Single Version)」「明日になれば(Single Version)」「一本の煙草(Single Version)」「吟遊詩人(Single Version)」「美しすぎて(Single Version)」

2005 『明治チェルシーの唄』(テイチク)※1972年のガロ版「明治チェルシーの唄」収録。

2006  GARO BOX』(ソニー)※オリジナル8枚のアルバムに、『アルバム未収録曲+未発表曲』(アルバム未収録の「美しすぎて(Single Version)」「姫鏡台」「僕は死なないだろう」「ピクニック」「西行き列車」「ビートルズはもう聞かない」、プロモのみの「公園通り」、未発表や放送音源・ライブの「喪失」「春のボート」「時の魔法(未発表Version)」「Love The One You’re With」「Helpless」「Helplessly Hoping」「Ohio」「エプロンドレスの女の子」「銀色の世界に二人」「そば屋」「そして君は」「どこまでも駆けてゆきたい」収録)と、74年のコンサート及び76320日の解散コンサートを18曲収録した『未発表LIVE音源』のCD10枚が収められた究極のボックス・セット。なおボーナスDVDに「暗い部屋」「個人的メッセージ」「吟遊詩人」「Guinnevere」「Suite;Judy Blue Eyes」にニュース映像2つが収められていたが、発売直前にCSN音源が使えなくなり急遽回収、最も見どころの高いTVショーでのライブの「Guinnevere」「Suite;Judy Blue Eyes」が外され、「姫鏡台」「ビートルズはもう聞かない」に差し替えられた。ただ発売延期の連絡は発売日にFAXで来たため、発売日前日に販売した店ではCSNカバーの入ったボックスが入手できた。大変なコレクターズ・アイテムとなっている。下記の写真が差し替え前のボックスとDVDだが、ボックスは同じとしてDVDケースが違っているかは分からない。

 

☆必要なシングル

1971「一人で行くさ(Single Version)」(マッシュルーム)※アナログ・シングルはフェイド・アウトが最も長く歌が無くなってからギターのアドリブの2回目の頭まで聴ける)。未CD化。

1974 「公園通り(演奏)」(アルファ・アンド・アソシエイツ)※渋谷PARCOオープンのプロモで配られた「公園通り」のシングル盤B面のみ収録。未CD化。

 

◎堀内護のソロ(~1994

☆オリジナル・アルバム

1976 『マーク・ファースト六夢』2013 Reissue(Clink)※『マーク・ファースト六夢+1』のタイトルで「蒼いハイウェイ(Single Version)」がプラスされた。

1977 『MARK BRIGHT2013 Reissue(Clink)※『MARK BRIGHT+1』のタイトルで、シングルB面のみの「僕から」がプラスされた。

 

☆必要な参加アルバム

1970 日本オリジナル・キャスト『HAIR1999 ReissueBMGファンハウス)※1969年~1970年に上演された日本版『ヘアー』のサントラで、当時、堀内麻九と名乗っていた堀内護は「人のすべて」でリード・ヴォーカルを担当した。大野真澄、加橋かつみ、小坂忠なども出演者。

1994 グッドフレンズ『ウッドストックの夏』(Vivid Sound)※堀内護は「Good-By Captain America」「ウッドストックの夏」「カーテンコール」「限りない愛の光で」の4曲を作曲し、リード・ヴォーカルを担当した。作曲は他にDewroh The Emon(真中氏)2曲、笹沢一宏2曲、長谷信夫1曲、篠原仁志1曲で計10曲。スプリングスのヒロ渡辺、CASHの太田シノブというハーモニーの達人が参加したので、ガロばりのコーラスになっている。

 

◎日高富明のソロ

☆オリジナル・アルバム

1977 『Tommy』(東芝EMI)…Tommy名義。※未CD

1978 『シークレットゾーン』2013 Reissue(ワーナー)※ネット予約限定のリイシューなので、一般販売無し。1980年にMaMaDoo名義でリリースした1枚目のシングル「ドント・ストップ・ザ・ミュージック/はるかなる旅路」、1981年のセカンド・シングル「フルーツシャワーレディ―/Friday Night」も収録された。

 

☆必要なコンピレーション

1995 VariousGSアイ・ラヴ・ユーVol.1(EMIミュージックジャパン)※日高富明が、松崎しげるなどと在籍したホット・ミルクの1971年リリースのシングル「ハッシャバイ」(東芝音工)収録。トミーはレコーディングに参加していないと思われるが…。

 

(作成:佐野邦彦)



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