ワーナーから『Soft Rock
Nuggets』と副題が付いた、1960年代のソフト・ロック・ナンバーを96曲集めたコンピレーションCDがVol.1からVol.4まで4枚、5月31日にリリースされる。コンピレーターはワーナーの宮治淳一さんだ。曲目解説は全部私が担当している。7割はよく知っていてそのまま書ける曲だったが、3割はあまり聴かなかったCDに入っていた曲に加え、ノーマークだった曲もあり大いに勉強になった。素晴らしい曲が揃っているので是非購入しよう。ちなみにリクエストも数多く出したが、レーベルを超えたコンピは難しく、許諾は1曲のみでこのお仕事の大変さを痛感した。宮治さんとは1996年に私が音楽之友社から『Soft Rock A to Z』を刊行し、有名・無名に関わらず高揚感のあるメロディ、洗練されたハーモニーの音楽を「ソフト・ロック」と呼んだ時に、ワーナーから宮治さんからの依頼でソフト・ロックのコンピレーション『Feelin’ Groovy』と『Windy』の2枚の解説を書いたのだが、21年ぶりのソフト・ロックの解説は楽しかった。1996年の時は本に載せたレコードの大半が知られてなく、確か巻頭に「ソフト・ロック・ベスト63」として内容のいい63枚のアルバムを紹介したがCD化されていたのは5~6枚。その後、日本はもちろん、特にイギリスを中心にアメリカも含めどんどんリイシューされ、60枚ぐらいCD化されたのは隔世の感がある。それでも本CDのようにシングルを追うとまだ残された「宝」があるし、トニー・マコウレイ、テディ・ランダッツォなどの大物から知る人ぞ知る才人ロッド・マクブライエンのワークスなどはレーベルがまちまちのため未CD化のものが多く、まとめた作品集が出ることを期待したい。
さてではさっそく『Silver
And Sunshine Soft Rock Nuggets Vol.1』から紹介しよう。冒頭はカート・ベッチャーが自らグループのメンバーだった最古のグループ、ゴールド・ブライヤーズのシングルのみの愛らしい曲からスタート、続いて今や誰も知らない者がいなくなったブライアン・ウィルソンが作曲・プロデュースをしたグレン・キャンベル初期のシングル「Guess I’m Dumb」。説明不要だが、ブライアンが進み過ぎていたことがよく分かる。グレン・キャンベルは翌年にジミー・ウェッブと出会ったことから「By The Time I Get To Phoenix」でグラミー賞を獲得、「Wichita
Lineman」「Galveston」というスタンダードに世界的な大スターになっていく。冒頭のカート・ベッチャーがどれだけ優れたミュージシャンか思い知るのが、カートがプロデュースとヴォーカル・アレンジを担当したアソシエイション初の大ヒットの「Along Comes Mary」で、斬新なヴォーカル・アレンジは今も衝撃だ。続いてアンダース&ポンシアが作ったトレードウィンズは、さらにサウンドが進化したカーマストラでの愛らしい「Mind Excursion」。そしてVol.1のタイトル曲のルッキング・グラスの「Silver And Sunshine」は初めて聴いた方が多いと思うが、このアドリシ兄弟が書いた曲は、記念すべきヴァリアント・レーベルの初期の曲で、マイナーにチェンジする構成など見事なソフト・ロック・ナンバーでだった。プロデュースはレーベルの創始者のヴァリー・デヴォーソン、宮治さんは彼へのインタビューをVANDA30号に掲載してくれたのでアメリカ音楽の歴史の貴重な証言を得ることが出来た。ジミー・ウィズナーのアレンジで持たせたサイドキックスの「Fifi The Flea」、フォークロック・テイストのプアーの「Once Again」は無名だったがメンバーに後のイーグルスのランディ・マイズナーがいたので今は知られている。ヴィジョンズは興味深いバンドだ。ワーナーからこの牧歌的で爽やかな「Black And White Rainbow」など2枚シングルを出した後、ユニからプライス&ワルシュ作のシングル、続いてゲイリー・ゼクリー作のシングルをリリース、どちらも見事なソフト・ロック・ナンバーだったがヒットしなかった。しかしこの両方のコンポーザーは後にグラス・ルーツで「Temptation Eyes」「Sooner Or Later」の大ヒットを書いている。ここからはソフト・ロックの定番で、中間の山下達郎の「クリスマス・イブ」を彷彿とさせるコーラス・ワークが秀逸なトーケンズの「Portrait Of My Love」、ハーパース・ビザールがワーナー移籍第1作でヒットしたヴァン・ダイク・パークス作の「Come To The Sunshine」、大物2世2人がメンバーのディノ・デシ&ビリーのシングルで、ゲイリー・ボナー&アラン・ゴードンの書いた夢見るようなソフト・ロック・ナンバー「Kitty Doyle」は初めて聴く方も多いかもしれない。ブラス・ロックの先駆的存在のバンドのバッキンガムスは、シングルは見事なソフト・ロック・ナンバーに仕上げ、多くのヒットを生み出した。曲はジム・ホルヴェイ、プロデュースはジェームス・ウィリアムス・ガルシオが軽快なホーン・アレンジを付け、5曲連続の大ヒットがこの「Susan」で、流麗なメロディと甘いヴォーカル、ホーンは抑え目にアレンジされ、キャッチーで見事な仕上がりだった。1990年代前半に宮治さんと濱田高志さん、そして私で、日本初のロジャー・ニコルス作品リストを作り、コンポーザーとして一押ししたロジャー・ニコルスの最初期の作品、哀調を帯びたヴォーグスの「Just What I’ve Been Looking For」、もう何も言うまでもないラスカルズの大ヒット「A Beautiful Morning」、トーケンズがバックアップしながらトーケンズ以上の成功を収めたハプニングスは、転換期に生まれたフォー・シーズンズそのものの快作「Randy」、ロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズのシングル曲の傑作「Let’s Ride」、サビの高揚感が素晴らしいアニタ・カー&アニタ・カー・シンガースの「Happiness」、ディック・グラッサーの兄弟のパット・シャノンは1958年以来10年後のシングル「Candy Apple Cotton Candy」をリリース、作曲は「Windy」のルーサン・フリードマン、プロデュースはディック・グラッサー、アレンジはアル・キャップスという実力者が付き、ポップで親しみやすいリフレインの佳曲に仕上げた。ロジャー・ニコルス&ポール・ウィリアムス作の「To Put Up With You」はポール・ウィリアムスが歌うホーリー・マッケラルと、コーラス・グループのサンドパイパースの2ヴァージョンが収録されたが、前者がポールのソロ・アルバム『Someday Man』でも取り上げられいつものポール節だが、後者はハイトーンのユニゾン、後半のオーケストラはまさにロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズでこれはおススメだ。コロナドスはシルヴァーバードというグループの前身。そのシルヴァーバードはニューメキシコ出身のファミリー・グループで、父親のレーベン・オーティズを中心に母親と息子、従姉妹の大所帯のメンバーで1972年にコロンビアから『Getting Together』という傑作ソフトロック・アルバムをリリースしていた。コロナドスはその兄弟姉妹のグループで「Good Morning New Day」と「Don’t Start Something」が収録されたが、サンシャイン・カンパニー風の前者に比べ、バーンスタイン&ミルローズの後者は高揚感のある快作で、曲の良さと、プロデュースとアレンジを担当したジミー・ウィズナーのセンスも見事に発揮されていた。60年代のバリー・マンはソロで、年1枚ペースでシングルを出していたが1967年の「She Is Today」はより壮大でロック色を消したヴォーグスのヴァージョンで。トミー・ジェイムス&ザ・ションデルスの『Crimson And Clover』からのカットされた「Crystal Blue
Persuasion」はエディ・グレイ、マイク・ヴェイルとトミーの共作、プロデュースはリッチー・コーデルとトミーで、印象的なギター・リフに載せて最もオシャレなこのナンバーは全米2位となり、トミー・ジェイムス&ザ・ションデルスは2度目の黄金期を迎えている。
『It’s A Happening World
Soft Rock Nuggets Vol.2』はまずブルース&テリーの最高作で、山下達郎がオマージュで「Only
With You」を作った事で知られる傑作「Don’t Run Away」からスタートする。ブルース・ジョンストンはこの曲を書いた後にビーチ・ボーイズに加入している。サークルはこのグループ名になった最初のシングルがポール・サイモンが書き下ろしてくれた「Red Rubber Ball」だったのでいきなり大ヒット、続くシングルがジャック・ケラーらが書いたこの「Turn Down Day」で、少し哀愁を帯びたこの曲も大ヒットになる。カート・ベッチャーがプロデュースを担当しながら後のミレニウムなどのメンバーのリー・マロリーのシングル「Many Are The Times」をレコーディングしていると、あまりの斬新なハーモニーに隣のスタジオのブライアン・ウィルソンが飛び込んできたというエピソードは有名。あのSFテレビシリーズ『タイム・トンネル』の時を放浪する2人のうちのタートルネックの科学者トニー・ニューマン役がジェームス・ダーレン。「All」は1967年にリリースしたシングルで、レオン・ラッセルのアレンジが心地よく、快調なポップ・ナンバーに仕上がった。続いてカーマストラ時代のセカンド・シングルのB面の「I Believe In Her」はコンサート用のメンバー3人が書いた曲だが、ファルセットを生かした流麗なメロディの快作でA面よりはるかに出来が良かった。ハーパース・ビザールの最初のシングルでS&Gのカバー「The 59th Bridge
Street Song」はレオン・ラッセルが木管を使うなどオールドタイミーなアレンジに仕上げていた。ジャック・ニッチェのプロデュースでサウンドを劇的に変えたドン&ザ・グッドタイムスは「I Could Be Good To You」をフィル・スペクター・タッチのソフト・ロックに仕上げグループ初のヒットになる。アソシエイションはセカンド・アルバムが華のない出来だったのでボーンズ・ハウをプロデューサーに招き、ドラムにハル・ブレインを招くなどサウンドを強化して2曲目の全米1位になった「Windy」を生み出す。サジタリアスの原型はカート・ベッチャーらのボールルームで、20曲近い曲を録音したもののリリースはシングル1枚のみ。そのデモ・テープを聴いたゲイリー・アッシャーはすっかり惚れ込み5曲はそのまま、1曲はバック・トラックをそのまま生かし、ここに6曲を追加してソフト・ロックの名盤として知られる『Present Tense』を発表する。第1弾シングル「My World Fell Down」は、新たに録音した、分厚いコーラス・ワークと、作者のジョン・カーターらしい哀調のあるメロディを歌う天使の歌声を持つカートのリード・ヴォーカルが見事に組み合わさり全米70位にランキングされた。次のポップ・サイケのモーニング・グローリーズの「Love-In」はシングル1枚のみだがアレンジャーにアル・キャップス、プロデューサーにディック・グラッサーという実力が付いた。ブレイズ・オブ・グラスはアメリカの4人組のポップ・バンドでジュビリーから「Happy」でデビュー、ゴージャスなハーモニーと流麗なストリングスで最高の出来となり、ヒットしたサンシャイン・カンパニーより遥かに出来が良かった。以降シングル4枚、アルバム1枚をリリースしている。従来のサウンドを一変させたトミー・ジェイムス&ザ・ションデルスの6枚目のシングル「I Like The Way」のB面が「(Baby)Baby I Can’t
Take It No More」で作曲はリッチー・コーデル&トミー、プロデュースはリッチー&ボー・ジェントリー、アレンジはジミー・ウィズナーでA面よりメロディが美しく、サウンドもハーモニーも非常に洗練されていた。ハープシコードのバックで、ハーモニー全開で歌うガス・カンパニーの「If You Know What I Mean」だが、シングル4枚全てをジャック・ニッチェがプロデュース、最後のシングルのB面曲だった。「Mr. Dieingly Sad」などのヒットで知られるクリッターズだが、このメンバーのジム・ライアン作の「Don't Let The Rain Fall Down On Me」は物憂げな歌いだしがメジャーに変わると転調をしながら一気に盛り上がっていくまさにソフト・ロックという快作でスマッシュ・ヒットになっている。第1集にも登場したトーケンズ。バリー・マン作の「It’s A Happening
World」は、見事なファルセットのリード・ヴォーカルにしっかりと低いコーラスを入れ、展開に合わせてコーラス・パターンを変えていくので高度なテクニックでこの曲もスマッシュ・ヒットになっている。ゲイツ・オブ・イーデンはワーナーからこのポップ・サイケのシングル「No One Was There」1枚のリリースだが、作曲はあのクラウス・オガーマン&スコット・イングリッシュだった。アザー・ヴォイシズもシングル1枚のリリースでA面はダニー・ランデル&サンディ・リンツァ―による「May My Heart Be Cast Into Stone」で快作だったが、こちらはメンバー作のB面の「Hung Up On Love」で、牧歌的な歌いだしから「My World Fell Down」のようなコーラスに変わるかなり複雑な構成をしている。イギリスでトップ20ヒットを25曲も書いたロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェイ作の「I’ve Got You On My Mind」は、ホワイト・プレインズのセカンド・シングルで最高の仕上がりだったが、本CDでは珍しいヴォーグスのヴァージョンを収録した。プロデュースのディック・グラッサー、アル・キャップスのアレンジは同じドラム・ビートに乗せて淡々と歌い、曲の一部で突然、ア・カペラにするアレンジが面白い。アンクル・サウンドは後にシールズ&クロフツを結成し、一世を風靡したポップ・デュオのジミー・シールズのアーリー・ワークだ。ポツリポツリと4枚のシングルをリリースし、最後のシングル「Beverly Hills」は、ハンド・クラップも交えながら軽快なビートに乗せたポップ・チューン、バックにはヘヴィなギターが鳴り、シールズ&クロフツのサウンドとは違う。第1集にも入ったディノ・デシ&ビリーはディーン・マーティンの息子のディノ・マーティン、デシ・アーネツの息子のデシ・アーネツJr.という人気者の二世2人に、アジア系のビリー・ヒンチの3人で作ったグループで、1968年になってオリジナル曲で挑戦、ビリーが書いた「Tell Someone You Love Them」は、、ラテン・パーカッションを効果的に使ったボサ・ノヴァの影響を受けた軽快な仕上がりになり全米92位と僅かにランキングした。謎のグループのコングリゲイションだがこの「It's A
Natural Thing」は、作曲がピーター・アデル&ゲイリー・ゲルドの名コンビ、プロデュースはスナッフ・ギャレット、アレンジはアル・キャップスというゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの鉄壁のコンビという最強布陣。高揚感に満ちたなかなかの快作である。次のペパーミント・レインボウの「Will You Be Staying After Sunday」は、今やソフト・ロックを代表する名曲で、アル・カーシャが書いた、高揚感に満ち収束しそうで収束しないメロディと、ポール・レカのプロデュースのサウンドにより見事な傑作となり全米32位のヒットになっている。どのディスクにも入っているハーパース・ビザールだが、この「Me
Japanese Boy」は3枚目のアルバム収録曲で、一瞬よくある勘違いの中華風かと思いきやさすが作曲がバート・バカラック、アレンジはニック・デ・カロで郷愁を覚えるメロディ、巧みな転調で、アルバムの収録曲の中でも最高作のひとつになった。1964年のオリジナルのボビー・ゴーズボロより出来がいい。ラストのアドリシ・ブラザースの「Time To Love」は、作曲はもちろんアドリシ兄弟、プロデュースはレニー・ワロンカー、そしてアレンジにはボブ・アルシヴァーとレイ・ポールマンという実力者が付いた。ユニゾンから幾重にもハーモニーが付き、そして転調を繰り返していく快作で、後半になればハーモニーがさらに複雑になるところなどまさにアソシエイションだった。
『Birthday Morning Soft Rock
Nuggets Vol.3』は、第2集に並んでソフト・ロックの定番曲がタイトルに選ばれた。冒頭はジェリー・ロスのプロデュース、アレンジはジョー・レンゼッティというジェリー・ロス組黄金のコンビで作られたキースの「Ain’t Gonna Lie」で、お洒落なメロディとシャッフル・ビートのアレンジでスマッシュ・ヒットを記録した。作曲はトニー・パワーズ&ジョージ・フィショフ。もう1曲も同じジェリー・ロス組の組み合わせで作ったのがジェイ&ザ・テクニクスの大ヒット「Apples.Peaches,Pumpkin
Pie」。このグループは黒人シンガー2人と白人のバックバンドが合体したバンドで、モーリス・アービイの書いたこの曲は、ボビー・ヘブ用の曲だったがパスされ回ってきたもの。バンドはこの曲に乗り気ではなかったそうだが、キラキラ輝くようなポップなサウンドになりいきなり全米6位の大ヒットになった。プロデュースにレニー・ワロンカー、アレンジャーにヴァン・ダイク・パークスを起用したモジョ・メンのシングル「Sit Down I Think I Love You」は、バッファロー・スプリングフィールドのステファン・スティルス作のこの曲をカバー、キーボードとアコーディオン、マンドリンらによってキラキラ輝くバーバンク・サウンドに変貌させた。続いてレジェンドの登場だ。フェリックス・キャバリエとエディ・ブリガティという最もソウルフルなヴォーカリストを2人擁するラスカルズは、デビュー4作目のアルバムまでのヤング・ラスカルズ時代のヒット曲「Lonely Too Long」を収録した。どの曲を収録しても十分だが、本作ではこの曲を入れたというところ。キャバリエのソウルフルな粘っこいヴォーカルが、バッキングのオルガンとホルンにより美しく彩られていた。第2集にも収録したリー・マロリーはシングル2枚のみのリリースだがこの「Take My Hand」はセカンド・シングル、カート・ベッチャー・プロデュースのためCDが出るまで超レア盤だった。1枚目が斬新過ぎたため、サイケデリック色を廃してアドリシ兄弟作の曲に合わせてサウンドもコーラスもオーソドックスでポップに作られた。トミー・ジェイムス&ザ・ションデルスの6枚目のシングルの「I Like The Way」は、1966年の大ヒット「Hanky Panky」から前作の「Mirage」までバブルガム・タッチのアップ・テンポのベースがビンビンなるナンバーだったが、このシングルから曲想が一転する。作曲・プロデュースがリッチー・コーデル、アレンジはジミー・ウィズナーというお馴染みのスタッフの制作だが、トランペットが印象的なミディアム・テンポの牧歌的なナンバーになり、連続ヒットは途切れなかった。第1集に入っているハプニングスはソフト・ロックで重要なグループである。トーケンズに見いだされトーケンズ自身が作ったレーベルB.T.パピーからトーケンズのプロデュースでデビューさせると1966年のセカンド・シングル「See You In September」が全米3位、「I Got Rhythm」3位、「Go
Away Little Girl」12位、「My Mammy」13位と大ヒットを連発した。これらの曲を収録しても十分だが、ここではセカンド・アルバム『Psycle』からトーケンズが書き下ろした「When The Summer Is Through」を収録、ユニゾンから見事なオープン・ハーモニーに展開するのが心地いい、ノスタルジックな快作だった。1979年の全米1位「Sad Eyes」、1971年の全米3位「The Lion
Sleeps Tonight」などの大ヒットで知られるロバート・ジョンだが、ソロ活動を始めたのは1968年のコロンビアのこの「If You Don’t Want My Love」からで、アレンジャーはチャーリー・カレロのセンスもあって、ノザーン・ソウル・タッチで歌ってスマッシュ・ヒットになった。女性1人のリード・ヴォーカルに男性4人のバック・コーラスというサンシャイン・カンパニーは、ママス&パパス、スパンキー&アワ・ギャング、ラブ・ジェネレーションというこの60年代のフラワー・ムーヴメントを体現するグループのひとつで、プロデュースはジョー・サラセーノが担当する。この「It’s Sunday」は、レス・バクスターが書いたサビでアップテンポになってメジャーに展開する構成で聴かせる佳曲だったがヒットには至らなかった。アニタ・カーの作品数は膨大で、とても追い切れる量ではないが、ソフト・ロック・ファンの人気を集めた洗練されたサウンド、ハーモニーで作られたのは「Happiness」収録の1968年の『Sounds』と、バート・バカラックのナンバーを集めた1969年の『The Anita Kerr Singers Reflection The
Hits Of Burt Bacharach & Hal David』の2枚だがこの「All This(He Does To Me)」は1968年のシングルオンリーのアルバム未収録曲だ。アニカ・カーはアレンジに回り、プロデュースはディック・グラッサー、作曲はビル・クリフォードで、シャッフル・ビートのキャッチーな快作となった。ソフト・ロックの代名詞というべきアソシエイションは数多くの傑作があるが、音楽的頂点は間違いなく1968年の4枚目のアルバム『Birthday』で、プロデュースのボーンズ・ハウのもとヴォーカル・アレンジャーにボブ・アルシヴァーを起用、最も洗練されたメロディ・サウンド・ハーモニーに彩られた曲が次々生み出された。「Birthday Morning」はアルバムの最後を飾るジム・イエスター他のオリジナルで、静かな歌いだしから後半は厚いコーラスに変わりアルバムを締めくくっていた。その『Birthday』の冒頭を飾ったのが次の「Come On In」。快調なベースのリフからギターのコード、そしてピアノが順番に入って期待たっぷりのイントロからアップテンポのアソシエイションのコーラスが幾重にも重なり、至福の時間を迎える。エンディングのどこまでも上昇していくようなハーモニー、ブリッジのロックビート溢れるベースランニングとハーモニーのからみは完璧でまさに傑作。、今やソフト・ロック・ファンの間で知らない人はいないのでは思えるほど人気の高いソルト・ウォーター・タフィーだが、私が1994年に初めてこの『Salt Water Taffy』というアルバムに出会った時に、バラエティに富んだ曲の数々と、ビジュアルの良さにすぐに夢中になった。アルバムは2曲を除きロッド・マクブラエンのオリジナルであり、この無名のロッドのワークスを追うとVal-RaysやSage、Spurrlowsなどの素晴らしい作品に出合い、その中でGogglesやAstral Projection、Stark & McBrien、Pebbles & Shellsの曲はCD化されたが、ロッドのワークスはまだまだ未CD化が大半だ。VANDAではロッド自身に唯一生前にインタビューが取れWeb VANDAに全文アップしているので興味のある方は是非。このアルバム・タイトル曲にもなった「Salt Water Taffy」はバブルガム・タッチのポップでハッピーなナンバーで一番最初にシングル・カットされている。そして第3集のハーパース・ビザールはシングルのみの「Small Talk」。A面は「Both Sides Now」で、B面が「Happy Together」の作曲で知られるゲイリー・ボナー=アラン・ゴードン作のこの曲で、ニック・デ・カロのアレンジで白昼夢を見ているようで、最高傑作のサード・アルバムに収録のレベルにまで仕上がっていた。もう1曲はそのサードの『The Secret Life Of Harprs Bizarre』収録曲のメンバーの共作の「Mad」。新しいプロダクションと、アメリカ音楽の源流であるジャズ、カントリー、フォークと言ったスタンダードな音楽への憧憬、この融合こそハーパース・ビザールだろう。ヴォーグスのリプリーズ移籍後の1枚目がノン・チャートだったため、プロデューサーのディック・グラッサーはサウンドをイージーリスリング寄りにチェンジ、アレンジャーはジョー・サラセーノのコンビに変わる。再ブレイクした1968年の大ヒット「Turn Around Look At Me」のB面が、このジミー・ウェッブの曲だった。穏やかな歌いだしからサビで盛り上がっていく感動的なナンバーだ。なお同年にマーク・リチャードソンという歌手がカート・ベッチャーのプロデュースでこの曲のシングルをリリースしていた。第3集のロジャー・ニコルスのナンバーはまずホーリー・マッケラルの「Bitter Honey」。ポール・ウィリアムスが在籍していて詞もポールなのでリード・ヴォーカルも担当している。暖かくキャッチーなメロディの傑作で、ピアノとストリングス、ホーンのアレンジが素晴らしい。そしてロジャーとポールの共作で、この2人の共作曲だけで作ったポール・ウィリアムス初のソロ・アルバム『Someday Man』からタイトル曲の「Someday Man」が収録された。弾けるベースに乗ったAメロと、アーティー・バトラーのアレンジのサビのオーケストラ、コーラスの抒情的な変化が抜群で、アルバムのハイライトに仕上がった。そしてこれもソフト・ロックの代名詞のカート・ベッチャーの最高作がミレニウムのアルバム『Begin』。名曲で満ちたアルバムの中でも最もドラマティックで高揚感のある曲が「There
Is Nothing More To Say」でいいチョイスだ。ソフト・ロックを探していた時代、ほぼ無名なアルバムを聴いていた中で、最も強いインパクトがあった1枚は、スパイラル・ステアケースの『More Today Than Yesterday』だった。ここに収録された「More Today Than Yesterday」はリード・ヴォーカルのパット・アップトンのオリジナルで、ハイトーンでかつ声量のあるパットの声は伸びやかで開放感があり、高揚感のあるメロディに載せて全米12位と大きなヒットになった。アルバムでも、ハイライトになる曲はみなパットのオリジナルで、このアルバムを入手した時にはその才能に驚いたものだ。ネオン・フィルハーモニックはグループではなく、このプロジェクトのソングライター、アレンジャー、キーボードプレイヤーのタッパー・ソーシーが、一流のセッション・ミュージシャンを集め、オーケストラをフィーチャーし、「レコードのオペラ」を作ろうとしたプロジェクトだ。ヴォーカリストのドン・ガントと出会ってプロジェクトは始動、デビュー・シングルの「Morning Girl」は軽いビートに乗った歌いだしが途中からストリングスが入ってくると一気に曲に広がりが出て奥行きが生まれヒットになっている。女性リード・ヴォーカル1人と男性コーラス4人による黒人ヴォーカル・グループのルビー&ザ・ロマンティックスは、1963年に「Our Day Will Come」が全米1位の大ヒットとなるが1965年以降は100位にも入れないほどヒットが途絶えたため、1969年にA&Mへ移籍してこの奇跡の傑作シングルを残した。作曲はブライアン・ハイランドの「Sealed With A Kiss」や隠れた名曲ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「We’ll Work It Out」で知られるピーター・アデル&ゲイリー・ゲルド。ニック・デ・カロのアレンジも素晴らしく、冒頭はボサ・タッチの軽く洒落た歌いだしが、一気に壮大に盛り上がっていくソフト・ロックの傑作になった。コングリゲイションのジュビリーからリリースされたユーフォリアで知られる「Sitting In A Rockin’ Chair」のシングルのB面が「Sun Shines On My Street」。この曲はコーラス部を頭に持ってくる曲で、その後にユニゾンのキャッチーで高揚感のあるAメロが印象に残る佳曲に仕上がった。最後はディノ・デシ&ビリーの「Lady Love」。メンバーのビリー・ヒンチの姉がビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンと付き合い、後に結婚したことからビリーはビーチ・ボーイズのレコーディングに呼ばれるようになり、この曲は、ビリーとブライアン・ウィルソンの共作だった。軽快で爽やかなソフト・ロック・ナンバーだったが、チャートインは果たさなかった。
『Listen To Me Soft Rock Nuggets
Vol.4』は、アイヴィ・リーグの「That’s Why I’m Crying」からスタートする。このグループは、イギリスを代表するソングライターのジョン・カーターとケン・ルイスがメンバーで「Funny How Love Can Be」や「Tossing And Turning」は得意のファルセットのハーモニーを生かしたポップなチューンで順調にヒットが生まれていった。この曲も同じコンビ作のシングルで、洗練されたサウンドと美しいハーモニー、メロディが一体となったベスト・ナンバーで全英22位を記録している。ブリティッシュ・ロック好きなら誰でも好きな、リバプール出身のビート・バンドのスウィンギング・ブルー・ジーンズは、サウンドと歌い方がビートルズの初期そのもので「Hippy Hippy Shake」、「Good Golly Miss Molly」、「You’re No Good」と3連続大ヒットを放つが以降ヒットは途絶え、その後5枚置いたシングルがこの「Sandy」で、アメリカでロニー&ザ・デイトナスがヒットさせたバッキー・ウィルキン作のカバーで、アコースティック色を生かした甘く爽やかなバラードだった。次のギャルス&パルスは、男性3人女性3人がフォーマルな服装でハーモニーを響かせる典型的なジャズ系のコーラス・グループ。歌はまさにイージーリスニングで、メンバーはスウェーデン人、この「My Little Red Book」は変拍子に転調を駆使するバート・バカラックならでは難曲だが、実に軽快に、そしてお洒落に仕上げてくれた。グループのリード・ヴォーカルのピーター・ヌーンのアイドル的ルックスで、英米で大人気を博したハーマンズ・ハーミッツは、アメリカでは1964~68年、イギリスでは70年までヒットを放っていた。このシングルの「No Milk Today」は1966年のリリースで、作曲はグラハム・グールドマン、プロデュースはミッキー・ポストが担当、マイナー調の歌い出しがコーラス・パートでメジャー展開する曲で全英7位のヒットになった。1962年にビートルズと一緒にデッカのオーディションを受け、ビートルズの方が落ちてトレメローズが合格、これで担当が後にクビになったというエピソードが有名だ。最初は「Twist And Shout」「Do You Love Me」などR&B系のヴォーカルでヒットを出したが、その後ヒットは途絶え、CBSへ移籍する。CBS移籍第3弾がフォー・シーズンズの1964年の全米1位「Rag Doll」のB面曲をチョイス、ファルセットと華やかなコーラスというフォー・シーズンズのスタイルでカバーすると、全英1位に止まらず全米11位とトレメローズ最大のヒットになった。作曲はボブ・ゴーディオ&ボブ・クリューの黄金コンビだ。イギリスのポップ・ミュージックを作り出したコンポーザー兼プロデューサーでトニー・ハッチは有名だ。ペトラ・クラークとの多くの洒落たヒット・ソングの数々がまず浮かぶが、このサンズ・オブ・タイムも3枚のシングルを担当、3枚目のシングルが「Love Found A Way To My Heart」でこの中間のゴージャス感なメロディとハーモニーの展開は、さすがトニー・ハッチ。なおトニー・ハッチだけ他のコンポーザーと共作がないのは、昔、『ソフト・ロックA to Z』でトニー・マコウレイにインタビューした時に、「嫌な奴だった」とバッサリ。もう1曲のトニー・ハッチのワークスが、イギリスで1964年にデビューしたモンタナス。1967年にプロデューサーにトニー・ハッチが付き、一気にサウンドが洗練、3枚目はスコット・イングリッシュ、4枚目はアドリシ兄弟の曲で制作するものの、出来はいいのにヒットに結びつかない。そこでいよいよ曲もトニー・ハッチ自身が書いたのが「You’ve Got Be Loved」である。めくるめく転調、高度なハーモニー、爽快なサウンドと全てが素晴らしい傑作だったが、全英58位止まりだった。ャッキー・トレントと言えば、トニー・ハッチと結婚し、おしどり夫婦として有名だった。彼女は1962年にデビュー、1965年に「Where
Are You Now」が全英1位になってようやく成功をつかみ1967年になって2人は結婚するが、この「7.10 From Suburbia」は1968年のシングル「Hollywood」のB面曲である。両面ともこのコンビの曲でA面も十分楽しめるナンバーだが、このB面の方がマイナーの洒落たメロディがブリッジで一気に盛り上がりメジャーに展開するよりトニー・ハッチのセンスが発揮された作品だった。男女2人ずつ4人のコーラス・グループのトゥー・オブ・イーチ。1968年にデッカから2枚のシングルを出すがヒットせず、1969年にトニー・ハッチ&ジャッキー・トレントのプロジェクトに移る。パイ移籍後第1弾はトニー&ジャッキー作、続くシングルのA面はロジャー・ニコルス作の「Trust」をカバー。そしてこのシングルのB面がトニー&ジャッキー作、ジャッキープロデュースの「Trinity Street」である。快活なメロディがサビでスローにチェンジする面白い構成の曲だ。ヴィッキーことヴィッキー・ヴァシリキ・レアンドロス・パパサナシューは1964年にデビューし、1967年にユーロビジョン・ソング・コンテストであの「恋は水色」を歌って4位と大ヒット。6か国語を話せて歌えるのでヨーロッパとアメリカ、カナダで活躍、主に歌うのはフランス語だが、この1967年のシングル「Sunshine Boy」は英語で歌いフィリップスからリリースした。パレードの「Sunshine Girl」のアンサー版で、パレード版よりぐっと華やかなで、見事なソフト・ロック・ナンバーに仕上がっている。ロッキン・ベリーズは、キャロル・キング作の「He’s In Town」をカバーし、ファルセットのハーモニーを生かして大ヒットになってからは、ファルセットやコーラスを使ったポップなシングルをリリースして路線を変える。しかし1966年以降のヒットは途絶えてしまう。この曲は1967年にフォー・シーズンズの名曲をカバーした「Dawn」のB面で、メンバーのゲオフ・タートンのオリジナルだ。このB面の方が、美しいメロディとためを効かせて最もソフト・ロック・テイストの仕上がりになった。1968年にロッキン・ベリーズを脱退したゲオフ・タートンは、ジェファーソンと名乗ってソロ活動を始めた。最初のシングルはバート・バカラック、2枚目はジミー・ウェッブのカバーだったが、ヒットしない。そこで1969年にはバリー・ライアン作の「The Colour Of My Love」を取り上げ、プロデューサーのジョン・シュローダーは、ジェファーソン持ち前の伸びやかで声量のあるヴォーカルを生かし、高揚感に満ちた傑作に仕上げ、全英22位のスマッシュ・ヒットになった。そして4枚目のシングル「Baby Take Me In Your Arms」はトニー・マコウレイが書いたナンバーで、ファウンデーションズやトニー・バロウズも吹き込んでいたが、冒頭の雷鳴のようなドラムから歯切れのいいリズムと、わくわくさせられるトニー・マコウレイ・サウンドに仕上げて全米23位にランクされている。ベルギーの男性4人組のギブソンズ。1966年に2枚のシングルをリリース、1967年にメジャー・マイナー移籍第1弾がこの「She’s Not Like Any Girl」だった。作曲はゲオフ・タートンとあるので、ジェファーソンだ。ミディアム・テンポの美しい曲でファルセットを生かしたリード・ヴォーカルとハーモニーはロッキン・ベリーズより洗練されていてフラワー・ポット・メンなどに近い、北アイルランド出身の女性1人男性5人のコーラス・グループ、マーゴ&ザ・マーヴェツ。デビュー期はシェル・タルミーのプロデュースで2枚シングルを出すが印象に残らない作品だった。そして1967年、パイからリリースされたのがこの「When Love Slips Away」。作曲はジェリー・ロス、スコット・イングリッシュ、ビクター・ミルローズの共作で、シャッフル・ビートにマーゴの伸びやかなヴォーカルが心地よい傑作になり、ジェリー・ロス風のノザーン・ソウル・タッチに仕上げたプロデューサーのジョン・シュローダーの腕も見事な傑作だ。ラブ・アフェアーほどシングルとアルバムでサウンドが違うグループは珍しい。ソウルフルな声を持つスティーブ・エリスを売り出すためにメンバーが集められたが、演奏力には疑問符が付けられていて、レコードはレコード会社主導で制作された。1968年の2枚目のシングルはソウル・シンガーのソニー・ナイトのカバー曲の「Everlasting Love」で、トニー・マコウレイ風のビートとストリングリスでメリハリを付けたサウンドにスティーヴの力強いヴォーカルが映え、全英1位の大ヒットとなった。ダニー・ストリートの詳細は不明だが、イギリスのフィリップスから1963年~1965年に年1枚のシングルをリリース、その後CBSへ移籍して1966~1968年に3枚シングルをリリースしたのがこの「Everyday」だ。この曲の作曲はR.ウェッブ、プロデュースがトム・スプリングフィールド、アレンジはロバート・リチャーズが担当した。全編ストリングスのバッキングによる流麗なメロディ、ソフトなヴォーカルの傑作で、何かの映画のサウンド・トラックの主題歌という風情である。ガリバース・ピープルの詳細も不明だが1966年にパーロフォンからデビュー、同年にセカンド、1年置いた1968年にノーマン・スミスのプロデュースでこの「On A Day Like This」をリリースした。ヒットはなかったが本作が注目されるのはプロデュース、アレンジ、コンダクトがノーマン・スミスであることで、彼はビートルズの『Rubber Soul』『Revolver』のエンジニアの後にピンク・フロイドのプロデューサーとして活躍、1972年にはジョン・レノンの勧めでハリケーン・スミスの名前でソロ作「Don’t Let
It Die」が全米3位に輝くなど、なかなかの才人だった。本作もアップテンポの高揚感のあるブリティッシュ・ポップらしい佳作に仕上がっている。後にAORで成功するピーター・アレンと、クリス・ベルの2人が組んだデュオがクリス&ピーター・アレンだ。オーストラリア出身の2人はアメリカに渡りABCパラマウントと契約し2枚のシングルをリリースするがヒットしないままで終わる。そこで1968年にマーキュリーに移籍、アレンジャーにジミー・ウィズナー、プロデューサーにアル・カーシャという実力者が付き、唯一のアルバム『Chris & Peter Allen’s Album♯1』がリリースされた。アルバムにはアル・カーシャの書いた浮き浮きするような「Ten Below」があり、他にトニー・パワーズ&ジョージ・フィショフの書いたこの「A
Baby’s Coming」がアルバムのハイライトの1曲だった。愛らしいメロディと華やかなサウンド、まさにソフト・ロックである。メンバーにグラハム・ナッシュ、アラン・クラーク、トニー・ヒックスという3人のコンポーザーを配し、この3人が在籍した1963~68年に、イギリスでトップ10ヒット14曲、アメリカでもトップ10が3曲とイギリスを代表するロック・グループがホリーズだった。ナッシュを中心とした完璧なハーモニーと、ポップ・センス溢れる曲によって1967年のアルバム『Evolution』と『Butterfly』はソフト・ロックの名盤としても知られている。この「Listen To
Me」は1968年、ナッシュ脱退直前のシングルで、作曲はオリジナルではなくトニー・ハザードの作品だった。得意の3パートのハーモニーを生かしたポップなナンバーで全英11位のヒットになっている。エンディングのハーモニーがホリーズらしい。トニー・マコウレイはなんと43曲の全英トップ20ヒットを生んだ、イギリス最高のポップ・コンポーザー兼プロデューサーだ。最初の成功はこのファウンデーションズで、メンバーは黒人・白人5か国の混成グループ、こういう黒いヴォーカルをポップ・ソウルに仕上げるのはマコウレイの得意とするところで、1967年にキャッチーで高揚感に溢れた「Baby Now That I’ve Found
You」を全英1位、全米11位のビッグ・ヒット、翌年に2枚シングルもスマッシュ・ヒットになったが、4枚目の「Build Mu Up Buttercup」は、弾むリズムに乗せたキャッチーなポップ・ソウル・ナンバーに仕上がり全英2位、全米3位と再びビッグ・ヒットになった。フライング・マシーンは1965年にピンカートンズ・アソ―ト・カラーズとしてデビュー、「Mirror
Mirror」は全英9位のヒットになったが続く2枚のシングルはヒットしないまま終わる。ここで再建に乗り出したのが、イギリス最大のヒット・メイカーのトニー・マコウレイとジョン・マクレオド。1969年にグループ名をフライング・マシーンに変え、第1弾シングル「Smile A Little Smile For Me」はトニー・マコウレイとゲオフ・ステファンズの共作で、パワフルさを抑えメロディアスに作られた。イギリスではヒットしなかったが、アメリカでは全米5位と大ヒットし、ポップ・ヒストリーに名を刻んだ。マーマレードはイギリスでベスト10ヒットを8曲も持つ実力派グループだ。1966年の大ヒット、「Lovin’ Things」は既にトニー・マコウレイにつながる高揚感のあるサウンドで作られていた。そして1967年にトニー・マコウレイが書いたこの「Baby Make It Soon」がシングルリリースされ全英8位にランクされた。マコウレイは甘く優しいメロディを書くのも得意であり、かつキャッチーなのはさすがマコウレイ。フライング・マシーンのカバーでも知られている。ジロイス・ウィルキンソンとアンドレア・シンプソンのイギリスの女性デュオのカラヴェルズは、1963年のシングル「You Don’t Have To Be A Baby To
Cry」がいきなり全米3位、全英6位という大ヒットとなるが、1968年のラストシングル「The Other Side Of Love」までヒットは無いまま終わる。この最後のシングルは、力強いベース・ラインに乗せ、ポップでかつパワフルなコーラスも心地よく、曲としてはベストな出来だったが、惜しいかな旬は過ぎ去ってしまった。イギリスのハーモニー・シーンをリードし続けたのがトニー・リヴァースだ。ハーモニー・グラスの前身のトニー・リヴァース&ザ・キャスタウェイズは1962年に結成。ケニー・ロウの加入によりファルセットのハーモニーを前面に押し出したサウンドになり、1968年に1枚シングルを出したあとは、ハーモニー・グラスの名前でRCAと契約、1969年の第1弾シングルがアーノルド・キャピタネリ&ロバート・オコナー作のこの「Move In A Little Closer Baby」で、ドラマティックなサウンドとハーモニーで高揚感溢れる快作となり全英22位にランクされた。同年リリースのアルバム『This Is Us』はトニーのオリジナルが7曲入り、ブリティシュ・ハーモニー・ロックの最高峰のアルバムになった。この曲は同年のキャス・エリオットのカバーも出来がいい。
最後にこの4枚のジャケット・デザインは「ナゲッツ・シリーズ」のデザインを一手に受け持ち、VANDA27号~30号のデザインを担当していただいた奥山和典さんである。(佐野邦彦)
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