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2017年5月21日日曜日

諸星大二郎が93P 加筆した「暗黒神話」(集英社)から40年ぶりに刊行された。加筆が大半だが、書き直されたコマも多いので、旧版も必ず手放さず、よく見比べて読んで欲しい。


あさってから入院だが、病気がまた進行して足が動かなくなってしまった。これで4回目だ。厳しい状況だが、なんとか今回も進行をストップするようがんばる。先の事は考えず過ごす事が大事だ。さて本題。諸星大二郎の「暗黒神話」の単行本を初めて読んだのはジャンプコミックスが出たばかりの頃で、電車の中で読みだしたらあまりの面白さに興奮してしまい、「すげえ、本当にすげえ」とぶつぶつ呟き、数日この本の事で頭がいっぱいになってしまった。連載は1976年なので1970年代後半の事だ。これだけの興奮を与えてくれたマンガは、手塚治虫の「W3」以来。マンガ家が1000人かかっても、考え付かない、天才のみが生み出せるこの精緻なストーリーに、今もなお誰も到達できていない。日本神話、仏教、歴史、星座など全ての歴史的な伏線が、SFとして一気にパズルが組みあがってしまうのに驚愕するしかない。平凡な少年・武(たける)が封印されていた古代の神に聖痕を付けられた事でアートマンに選ばれ、本人は望んでいないのに8つの聖痕が全て付けられアートマンになる。ずっと武を見守り続ける、古代に唯一完成したコールドスリープの瓶で数百年ぶりに現れた武内宿禰、武がアートマンに選ばれたことに納得がいかず、殺人もいとわないクマソの子孫の菊池彦。その他にも数多くの登場人物が日本の多くの古墳や寺院に訪れ、スサノオ、ヤマトタケル、邪馬台国、金印、クマソ、施餓鬼寺、比叡山の阿闍梨、曼荼羅、馬頭観音、オリオンの三ツ星、馬の首暗黒星雲など数多くの伏線が、最後に一本につながっていくのだ。武はアートマンになり、全世界を支配する転輪聖王になるか、人々を救う仏陀になるかブラフマンに迫られる。本人は成りたくて成ったのではないと叫ぶが、ブラフマンはヤマトタケルだった武にもう後戻りはできない、もう宇宙の歯車のひとつだ。地球というちっぽけな星の支配者でおさまるか、地球を遠く離れて宇宙の秘密をのぞいてみるか、さらに偉大でさらに恐ろしい運命におもむくかお前の意思一つだと迫る。武は地球に帰りたい、でもそうしたら地球は?分からない…と意識を失い、目の前に赤色巨星となった太陽の下で、餓鬼しか動くもののいない地球にひとりでたたずむ。目の前には武の思うままに動かせる巨大な力を持った馬の首暗黒星雲が東の空から登ってくる。漫画の最後は「武は567千万年後の世界で弥勒になったのかもしれない」で終わる。たった一人で永遠の時間を生きなければいけない武の孤独と辛さに胸が潰れそうになった。「暗黒神話」は諸星大二郎を代表するマンガとして不動の人気を誇り、諸星のファンは手塚治虫から漫画界の名だたる一流マンガ家がみなファンと公言、あの宮崎駿も自分には絶対書けない絵と世界を持っていると大ファンであることを語っている。諸星ほどマンガ家の中で人気のあるマンガ家を他に知らない。「暗黒神話」は185Pの作品だったが、発表から39年後の2014年から2015年にかけて「画楽.mag」という雑誌に再掲され、その際に282P93P も加筆された。そして今年の3月にようやくその加筆された「暗黒神話」が集英社からA5の箱入りの約3500円という豪華本仕様で刊行された。加筆は原本では説明不足と諸星が思っていた部分、そして一番ページが多く加筆された武を追う菊池彦ら菊池一族の追跡劇があるが、重要なのはこのアートマンの出現に気付き、自分たちでできることとしてこの世に現れてしまった餓鬼を調伏する比叡山の阿闍梨の存在である。原作では阿闍梨が旅をしている間に武に偶然出会う形になっているが、改訂版ではその役は慈海という比叡山の僧が担っていて、武がアートマンかもしれないこと、餓鬼が現れしまったことを見てから、後にその阿闍梨に告げるが、阿闍梨は千日回峰行の真っ只中にもかかわらず、修行を中断(千日回峰行の中断は命と引き換えになるほど)して、餓鬼の調伏や曼荼羅を使ってアートマンとなった武をオリオンまで追っていくという原作と同じ役割を担うことになる。他は加筆だが、この部分は違う僧を登場させることから書き直しのコマが多い。そのため、昔のジャンプコミックスも手放してはならない。加筆部分は絵の違いでも分かる。(佐野邦彦)

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