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2017年3月31日金曜日

☆「手塚治虫シナリオ集成1970-1980」☆「手塚治虫シナリオ集成1981-1989」(立東舎)


手塚治虫のシナリオ習性が2冊発売された。1冊は「手塚治虫シナリオ集成1970-1980」、もう一冊は「手塚治虫シナリオ集成1981-1989」と年代別に分冊されている。このシナリオの大半はこの時期のアニメーションのシナリオ。手塚治虫のアニメーション愛はもう半端ないもので、マンガで稼いだ金をアニメーションにつぎ込み、虫プロダクションを設立。1963年の「鉄腕アトム」から1969年の「どろろ」まで手塚の代表作7作がTVアニメになったが業績不振で1971年に手塚は社長を辞任、1973年倒産している。手塚治虫はマンガ家としては自分も含め、永遠のNo1であり、「マンガの神様」である。講談社の手塚治虫漫画全集を揃えただけでは飽き足らず、国書刊行会を筆頭に小学館クリエイティブやジェネオンなどのカラー復刻も集めている熱心なファンである。(手塚ファンは人生そのものの人も多く、書き直しが多い手塚なので掲載誌全てを揃えるレベルの方からは「読んでストーリーが分かればいい」という自分はまだ小僧っこだろう)あの宮崎駿監督も「マンガではどうやっても手塚治虫にかなわないので、アニメーションで凌駕するようにした」と言うほどだが、この言葉の後半で出てくるように「手塚アニメ」の評価は低い。手塚治虫が積極的に関わった作品がより評価が低く、宮崎駿は「手塚さんのアニメーションのアプローチは完璧に間違っている」と断罪するがこれも多く同意できる。アニメ―ションの流れを無視して、突然マンガで通用しないギャグを入れたり、ミュージカルでセリフを言ったり、自分の好きなものをアニメの中に入れ込み過ぎて失敗している。これはこの本にある虫プロ後のアニメ(手塚プロダクション)でも少しも変わっていない。何作は実際に見たが特番は一度見ただけ、TVシリーズは途中で見るのをやめているほど。多くのアニメ評論家に低評価を受けながら、手塚は最後までアニメを作り続けた。子供の頃に見たディズニーの「バンビ」や「白雪姫」や、敗戦目前の昭和45年に公開された「桃太郎海の神兵」の感激を忘れられず、最後まで自分が関与してアニメを作りたかったのだろう。幸いといっては失礼だが、この本はシナリオなので実際にアニメは映らないので、「見てガッカリ」はないので、純粋に本で楽しもう。「手塚治虫シナリオ集成1970-1980」の冒頭は手塚が原案・絵コンテ・演出・総指揮を努め1978年に日本テレビで放送された2時間のスペシャル・アニメ「100万年地球の旅バンダーブック」だ。シナリオでは色々伏線があり、兄であったブラックジャックと共に、自分の父母の仇を内に過去の地球を支配していたマザー・コンピューターを破壊、その後の平和なエピソードもあるのだが、アニメではへんてこりんな宇宙人が意味もなく出てくるなど、いらないカットが多すぎ、面白いアニメではなかった。しかし24時間テレビの中で放送され28%という最高視聴率を取ったため、以降手塚アニメのスペシャル枠が設けられた。個人的にはこのシナリオで十分だ。続いて1980年から1981年まで日本テレビで52話放送された「鉄腕アトム」の中から7話を選んだものだ。私はこの時期にはもう手塚アニメから離れていたので1話も見ていない。ストーリーを読むとなかなか面白く、ここでもブラックジャックが地球最高の名医としてタイムマシンでアトムと行動したり、あの人間に危害を加える事に躊躇しない因子を組み込まれたロボット・アトラスが、この第2作では設定をまるで変えてアトラスの姉代わりのロボットへの恋物語を織り込みながらアトムと対決し、最後は決着をつけずに余韻を残して終わらせていた。最終回の「アトムの恋」はアトムの原型のロボットの少女と淡い恋心を抱くがこの少女は中性子爆弾を内蔵させれていて起動スイッチが押されもう中性子爆弾のある頭と胴体を切り離す以外助かる道がなく、作った科学者も設計図がないのでそれしかないとあと数秒で切り離され爆発は回避される。アトムは残った体をお茶の水博士の元に持っていって、この少女の足を自分の足と付け替えてもらうよう懇願し、それがアトムの足が少女の足のように見える秘密だという衝撃?のエンディングとなる。このシーンは最近、テレビのクイズ問題に出て、正答者はいなかった気がするので、このアトムの第2シーズンは印象に残っていない、思い起こされることのないシリーズだったということだろう。「太陽の石」は1980年にNHK第1ラジオで手塚本人ドラマとして放送されたが、ここに書かれた内容とは大幅に違っていたそうだ。本のシナリオでは縄文人と渡来の弥生人との争いを、現在につなげ、日本は神国という集団には、昔の巨石文明を知られることが困るから…といういかにも手塚らしい左翼的史観が込められ、まあこのまま放送されなかったのは当然だろう。残りは数多い短いシノプシス集。1970年から1977年までのもので、当時の手塚のマンガに使われたものも多い。1970年の「クレオパトラ」は虫プロで大人のアニメ「アニメラマ」として長編アニメ化されたシノプシスだ。21世紀から「クレオパトラ計画」なるものを探るため、古代エジプトへタイムマシンで行くのは同じだが、アニメではパロディ全開でおふさげが過ぎた印象しか残っていない。1977年の「草原の子テングリ」に手塚が原案だったことを忘れていた。雪印の宣伝用22分の短編アニメは大塚康生が作画だけでなく演出までやった唯一の作品であり、宮崎駿が原画で手伝っていたので後にDVD化され、そのため自分も購入していた。音楽が『太陽の王子ホルスの大冒険』の間宮芳生だったので二重に期待したが、どちらも及第点だが傑作ではない。手塚のシナリオは2本あり、2本目が採用されていた。1977年にフジテレビで放送された『ジェッタ―マルス』のシノプシスもあった。善と悪の科学者2人に共同で育てられていく未完成の子供のロボット・マルスが成長していくストーリーだったが、途中で退屈になって見なくなってしまった作品である。かなりのものが残されているそうなので、機会があったら読んでみたいものだ。その他にもたくさんあるが印象に残ったもののみ紹介した。

さてもう1冊の晩年の「手塚治虫シナリオ集成1981-1989」だ。

最初は1981年に日本テレビの24時間テレビ内の2時間スペシャルで放送された「ブレーメン4 地獄の中の天使たち」だ。手塚はブレーメンの4匹を動物の舞台を、某独裁国家によって荒廃させられた国とし、そこで4匹は地球視察に訪れ瀕死の重傷を負った宇宙人を助け、円盤に乗って去っていく宇宙人に1日だけ人間の形に変身できる薬をもらうことができ、4匹はこの力を使って侵略者を追い出す計画を立てるというストーリー。「バンダーブック」以降手塚は、翌年の1979年に手塚スターシステムを使ったドタバタ「海底超特急マリン・エクスプレス」、1980年には名作「来るべき世界」をご都合主義の駄作に貶めた「フウムーン」とガッカリ作品を作り続けていたので、この「ブレーメン4」は楽しめた記憶がある。傑作でないが、見られたということだ。翌1982年は竹宮恵子・光瀬龍の「アンドロメダ・ストーリーズ」が例学的に24時間テレビの枠で放送されたが1983年は手塚の「タイムスリップ10000年 プライム・ローズ」に戻った。マンガの「プライム・ローズ」の主人公は、露出度の多いコスチュームの美少女で、当時新進気鋭の吾妻ひでおを意識した作品とされる。昔、吾妻先生と話した時に、「手塚先生が俺ごときをライバル視したなんて…」と苦笑していたことを思いだした。ただこのシナリオでは198×年にある国の衛星落下によりアメリカのダラスと日本の九十九里浜が消滅、20××年にタイムコントロールが出来るようになってこの両都市は1万年後の世界に飛ばされ、それを胆原ガイという日本人の血を時間調査員が1万年後の九十九里へ飛ぶが、全ては1980年代の建物だったが廃墟になっていた…でシナリオは終わり。肝心な主人公のプライム・ローズが出てこない。20××年の現在の世界を支配するグロマン人と支配されているククリット人がいるが、この両民族のおこりはタイムスリップした両都市だとつきとめ調査にいく。プライム・ローズはグロマン王の王女だが、ククリットとの和平のために養女としてククリットに引き取られ、本人は根っからのククリット人だと思っている。ククリットでの名前はエミヤ・タチ。アニメでは彼女は最初からククリット人とされているそうだが見ていないので分からない。設定面からは見たら面白い話だった可能性が感じられる。「大自然の魔獣バギ」は1985年の24時間テレビスペシャルアニメだ、この作品は設定が現代で、主人合の母親が遺伝子組み換えの失敗で、米1粒で1万人殺戮ができる毒性米が出来たので破棄しようとするが大統領に細菌兵器として反対派に使うために量産を指示するが拒否したため殺されてしまう。その時に主人公が子供の頃に育てていた子猫、それはメスのアフリカライオンで、それに人間の遺伝子を組み合わせた実験動物が成長していて猫女のバギになっていたが、母親はバギに毒性米の集めたライスボールを事にいきさつの手紙と共に託す。主人公はバギが母親を殺したと勘違いし、数年後に出会ったバギと戦い刺してしまったバギが持っていたライスボールト手紙から犯人ではバギではなく真相を知る…という当時、懸念されはじめた遺伝子組み換え技術の悪用に警鐘を鳴らした手塚らしいストーリーのアニメだった。ただ本書に短く掲載されたシナリオは2本あって、妹の誘拐から科学者の父親に誘拐組織が要求するライスボールの存在を知り、ライスボールを送ったという熊本の博士の研究所でバギ(シナリオではジャガー女)に助けられる。アフリカでのライスボール争奪事件後、熊本で陰謀組織は要求をライスボールではなくバギとの交換に変更、首尾よく戦って逃げ全員脱出に成功、帰宅した家でTVキャスターの母親にこの事を話しても信じてもらえず、「これは夢物語じゃないんだ!」と主人公が怒鳴るところでひとつめのシナリオは終わる。2つ目は主人公と母親の環境を変えて同じようには話が始まるところでおしまい。手塚は第1作の「バンダーブック」の時から本業のマンガにかかりきりで毎回のようにシナリオが間に合わず、初回の「バンダーブック」から放送2か月前になっても絵コンテも原画がほとんど完成しておらず制作担当が失踪する有様。そのくせ出来上がった原画に放映一カ月前でも手塚は平気でリテイクを出し、スタッフのイライラは常にマックス。最後の3日間はスタッフ全員貫徹で、放送5分前に納品とか、放送中に後半納品というとんでもない回もあり、どんどん酷くなっていったとか。これでは3年以上かけてじっくりつくる宮崎アニメに勝てるわけなどない。不十分なままオンエアーするので、その後他局での放送では手直しするというマンガでは自分で切り張りすれば簡単だが、集団作業のアニメで行うという無駄な事をしていたというから呆れてしまう。他は手塚のライフワークの「火の鳥」が1987年に「黎明編」で実写化(一部アニメパートあり)されたあと、その後の未来編、宇宙編、復活編、望郷編を合体されたようなアニメーション用のシナリオを書いたものが収録された。これはきれいに完結しているが、手塚はこのフル・アニメで1980年に「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」として脚本、総監督を務めるが、話は大幅に変えられ、内容ももちろんだが、古臭い演出、シナリオが退屈、絵がキャラクターでバラバラ、フル・アニメを理解していないなど批判の嵐で終わる。評価されたのは樋口康雄の当時の最高の演奏者を集めたフル・オーケストラによるクラシック調の音楽で、手塚は「外国で質問が飛ぶのは冨田勲(ジャングル大帝、リボンの騎士など虫プロ前と虫プロ時代の音楽を数多く担当。オーケストラも多い)、そして樋口康雄ばかりだ」と言ったが、この点は手塚の類まれな作曲家の人選の良さであり、入魂の作品の音楽は常に最高のクオリティで作られていた。音楽は手塚がアニメで自画自賛出来る唯一のものだったろう。もうひとつは手塚の死の前日に公演されたミュージカルの舞台のシナリオ。「火の鳥(大地編)」とされているが、シナリオと上演されたものは違うそうだ。結局、手塚の死により、ライフワークの「火の鳥」の完結は読むことができなかった。手塚は「アイデアはいくつも浮かぶので、描く方が追いつかない」とこぼしていたマンガの神様、「火の鳥」の最終シナリオはきっと決めておらず、次々と話が思いついて最終編と決めたならば悩みに悩んで、単行本化の時には書き直していたかもしれない。(笑)その他は手塚がこだわった「ネオ・ファウスト」で古く虫プロ時代の1968年にアニメラマの企画で上がるがボツ、第3弾の時に日本物に翻案して「百物語」と企画されるがボツで「悲しみのベラドンナ」に変わる。1884年に劇場アニメとして企画されたシナリオ「ファウスト第1稿」と「ネオ・ファウスト(劇場版・未完成)」が本書で掲載されているが、これもボツになり、最後はマンガでと朝日ジャーナルで連載を始めるが病により絶筆で終わっている。その他では「ユニコ」は1979年のパイロットの短編1作と1981年。1983年に長編が2作、劇場アニメとして公開されたが、本書では劇場1作目のものはないが、短編と長編2作目のシナリオ3本が収められた。そして手塚の死後、1989年から1990年にNHKでTVアニメとして39話放送された「青いブリンク」の初出の初期資料や、1話から5話でのシナリオ(5話で絶筆となった)など現存するすべてが収録された。主人公の少女に助けられた青い雷獣ブリンクが、悪い皇帝にさらわれた主人公の父親を助け出す為、皇帝が次々送り込む刺客と戦うストーリー。主人公はすぐに弱い気持ちになるのでブリンクが体から雷球を送ると勇気が出て活躍でできる。しかし雷球には実際はそんな効果はなく、主人公自身の成長なのだ。しかし実際に、ほとんどこの時期の手塚アニメを見ていないので詳細は分からない。最後に「悪魔島のプリンス 三つ目が通る」で、1985年の24時間テレビで放送されるが、製作はそれまですべてを担当している手塚プロダクションではなく、唯一東映動画だった。手塚が自身のイースター島旅行に触発された書いたストーリーと言われている。マヤ民族の遺品の中にあった矛は重大な力を持っていて、第三の目が開いた写楽に、日本や世界を支配しようとする昔の三つ目族の力を知ったネオナチ組織にその力を使われそうになるが、人間にコントロールできるものではなく三つ目の写楽に収められ、そのすぐ後に写楽は親友の少女に第3の目を塞がれ、元の幼い子供の戻るというストーリー。なお手塚の死後の1990年から1991年に1年間テレビ東京で、手塚プロダクション制作のTVアニメでシリーズ化されている。

この2冊を読むと、1978年の「バンダーブック」以来、1982年を除いて24時間テレビでの手塚アニメスペシャル2時間(実タイムは約90分)で1986年にも「銀河探査2100年 ボーダープラネット」と9回中8回で手塚アニメが組まれた。そして手塚の無くなった1989年に古いマンガの宇宙編を病床の前年に手塚がシノプシスを書くが、完成を見ることなく、その「ぼくの孫悟空 手塚治虫物語」で計9回の日本テレビ24時間テレビの手塚アニメスペシャルは終わっている。(翌年に「アンパンマン」が同枠で放送されたが最低視聴率だったため、アニメ枠も消えた)

手塚の死後、日本テレビは宮崎駿&ジブリに完全にシフトする。1980年に放送した「ルパン三世カリオストロの城」がいきなり21.%の高視聴率を取り以降15回放送されている。「風の谷のナウシカ」は、1886年の最初は16,5%だったが17回放送される中2000年には23.5%、「天空の城ラビュタ」は初回の1988年こそ12.2%だったが翌年には22.6%15回の放送のうち5回が20%を超えた。そして1989年の「となりのトトロ」は初回から21.4%で、15回放送中10回が20%超というオバケ番組、以降13回放送の「魔女の宅急便」は1990年の初回で24.5%11回放送の「紅の豚」は1993年の初回20.9%9回放送の「もののけ姫」は初回の1999年になんと36.1%9回中5回が20%超えた。そして8回放送の「千と千尋の神隠し」は初回の2003年に46.9%という不滅の記録を樹立。5回放送の「ハウルの動く城」も初回の2006年に32.9%を記録した。以降、宮崎アニメは賓作で3回放送の「崖の上のポニョ」は2010年の初回が29.8&、長編引退作(最近撤回したが)の「風立ちぬ」は201519.8%だった。その他のジブリ作品も軒並みリピートされているが、手塚の24時間アニメ9作が再放送されたなんて記憶にない。

手塚本人の思いはいくら他に負けなくても、アニメーションでは宮崎駿に完敗しているのが現実だ。実際、クオリティが段違いなので比較の対象にならない。マンガの神様はアニメの神様にはなれなかった。ただしこの本の前の虫プロからは出崎統、杉野昭夫、安彦良和、富野喜幸、杉井ギザブロー、坂口尚、笹川ひろし、宮本貞雄、鳥海尽三、荒木伸吾、金山明博、月岡貞夫など凄いメンバーが名を連ね、虫プロ後に東京ムービー、日本サンライズ、タツノコプロダクション、東映動画などで大きな成功を収めている。このことから手塚のアニメへの強い思いは無駄ではなかったのだ。

(佐野邦彦)

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