皆さんの多くが劇場で見たであろうビートルズのドキュメンタリー映画『Eight Days
A Week』のBlu-rayがやっと届いた。私のような寝たきりの人間はソフトが出るまでひたすら待つしかなく、当然、今回が初見だ。もうさんざん内容については語られているだろうから、今までのBlu-rayの紹介と違って、自分の感想中心に書こうと思う。といいながらアップが遅くなったのはビートルズだからだ。ビートルズは自分にとって永遠のNo.1であり、書こうとすると思い入れがありすぎて時間がかかる。一言で言って見ていてとても幸せになったドキュメンタリーだった。というのは4人が一番仲が良く、お互いをリスペクトし、音楽的に向上していこうと常に前を向いていた時代で終わるからだ。何か決める時にはメンバー4人全員の同意が必要という理想のバンド像がこの時期にあった。曲作りはジョンとポールで協力しながら作り、ジョージのギターもリンゴのドラムも欠かせないものとしてメンバーみんなが語る。出会いの頃も素敵だ。ポールによるとジョンと出会った頃にお互いサッカーに興味がなく、好きなのは作曲と聞いて一緒にやっていけると思ったという。ジョンはポールを初めて見た時にその腕前に驚き、こういう才能のあるメンバーを入れると自分のイニシアチブが取りにくくなると分かっていながら、ポールを加入させた。ボーナスディスクとの話が混じるが、ビートルズの音楽性の豊かさはロックンロールやブルース、R&B以外のジャンルの音楽も好きだったことだ。ポールは当然として、ポールいわくジョンがゴリゴリのロック野郎と思っている人が多いだろうが、初めて出会った時にジョンは好きな曲で「Little White Lies」を挙げていた。エラ・フィッツジェラルドのジャズ・バラードだ。「Love Me Do」が大きなヒットにならずにビートルズは他作曲家の「How Do
You Do It」を与えられたがメンバーはそれを拒否、レノン=マッカートニーのオリジナル曲をやりたいと、当時としては勇気ある主張をし、次に作った「Please Please Me」がナンバー1ヒットになってビートルズ神話がスタートする。2人で作った初期の曲でポールは「From Me To You」での画期的なコード進行をあげるが、ジョンも「Please Please Me」「From Me To You」の時に、「黒人音楽とはサウンドが違う。育った環境が違っているからね。これが自分達のロックンロールだ」とコメントしていた。ビートルズにとって曲作りは全てにおいて第一で、常に進化しようとしていた。ライブが基本にあり曲作りは進化よりも原点回帰を大事にするローリング・ストーンズとは対照的だ。でもビートルズもライブがメンバーの実力をアップさせてきた。デビュー前の下積み時代の話だ。4人で一部屋という厳しい条件化で1日8時間以上のライブを続けたハンブルグ時代。でもイギリスで大成功を収めた後、ライブで訪れたアメリカで信じられないほどの歓迎を受け、逆に人気が出過ぎてホテルで1フロア貸し切りながらも4人で過ごすしかなかった。でもこの頃も4人一緒でも楽しそう。右利きのジョンと左利きのポールが二人でギターを持ち、「鏡のように(ポール談)」に並んで二人で曲を作っていく様はファンには夢の光景だ。最初の訪米でファンに取り囲まれホテルに缶詰めになったジョンは、その前の全英ツアーで仲良くなったロネッツのヴェロニカに電話して彼女の手配でホテルを脱出、黒人の彼女はメンバーをニューヨークのハーレムに案内し、ハーレムではまだビートルズはまったく知られてなく、誰にも気づかれずハーレムを満喫した。この映画で個人的なハイライトは、アメリカ南部のジャクソンビルでのコンサートで、当時の南部で当たり前に行われていた人種隔離政策に公然と異をとなえ、黒人と白人を別の扱いにするのはおかしい、そうするならコンサートに出ないとはっきり意思表示し、これを皮切りに他の南部諸州もコンサートでのアパルトヘイトを止めたことだ。しかしそれだけの勇気を持ってアメリカ社会を変えさせたライブも、外出できずに籠の鳥、金切り声で自分の声も聴こえないライブはひたすら苦痛になっていく。この映画はライブをやめた1966年のキャンドルスティック・パークのあと4人が一番望んでいた曲作りに専念できるようになり『Revolver』で実験の粋を凝らした「Tomorrow Never Knows」で全音楽ファンの度肝を抜き、『SGT.Peppers Lonely Hearts Club Band』を作り上げたところで映画はいったん、終わる。エンディングは4人によるキャンドルスティック・パーク以来の「ライブ」である『Let It Be』の「ルーフトップ・コンサート」。実に巧みな編集に感銘を受けた。『SGT.Peppers…』の次のホワイト・アルバムは、特に音楽評論家に人気が高いが、自分はあのバラバラ感が好きではない。各自持ち寄りでグループとして一体感が薄いからだ。この映画に女の影はほとんどない。当然、みんな家庭を作り、環境が変わっていくのはどのバンドでも同じだが、ビートルズにはヨーコがいた。ジョンによってヨーコは必要不可欠な存在だったが、ヨーコはビートルズを壊していく。ここであらかじめジョンを『ジョンの魂』へ持っていったヨーコの力は除外して話を進めたい。まずホワイト・アルバムの『The Continuing Story Of Bungalow Bill』でのヨーコの声が不快だった。なぜメンバーでない人間の声が一部でもリード・ヴォーカルを取るのか。セッション・シンガーか他バンドのヴォーカルという実力者以外、バンドではあり得ないことだ。映画『Let It Be』でジョンの横からピタリと離れないヨーコと、その場でセッションするメンバーの寒々とした雰囲気は見ていて辛い。だからこそヨーコの姿が見えない「Two Of Us」からのスタジオ・フィルム、そして何よりも4人(ビリー・プレストンはサポートでいたが)だけでライブ演奏したルーフトップ・コンサートで、映画をやっと解放された気持ちで見ることができた。この映画はライブという括りで巧みにこのビートルズの崩壊過程を見せなかった。だから冒頭に書いたように「見ていて幸せな映画」だったのだ。(佐野邦彦)
PS:エルヴィス・コステロが、ビートルズがアメリカのチャートで1位を取ることが自分達の代表のようで何よりも嬉しかったと語っていたが、映画『The
Wrecking Crew』ではジミー・ウェッブが、ビーチ・ボーイズがビートルズに対抗できるアメリカの代表で誇りだったと語っていたことに重なり、それぞれ自分達を投影して聴いていたんだなとなんとなくほっこりした気分になれた。自分もビートルズをバカにした黛敏郎の発言を知って、決して黛が司会の「題名のない音楽会」は見なかったし、同じく團伊玖磨の番組も決して見なかった。ファンとはそういうもの。
最後にボーナスディスクで完奏のライブが収められたがたったの5曲なのは寂しい。「Washington D.C.」のDVDは出ているがどこか怪しいし「Shea Studium」もまだだ。せめてスウェーデンのTV「Drop In」の完全ライブとは出してほしいなあ。あと浅井慎平のインタビューはいらなかった。
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