2016年11月7日月曜日

☆「手塚治虫表紙絵集」(玄光社)


「手塚治虫表紙絵集」は、これはマンガファン、特に手塚ファンにとっては涙ものの本だ。フルカラーで掲載1200点以上。この本に掲載された本の総額は数千万円は間違いなく、逆に1億払っても揃えられない、要は幾ら払っても手放すコレクターがいないウルトラ・レア本がずらりと揃っていて驚いた。単行本の表紙は時系列に並んでいるので前半にそのウルトラ・レア超高額本が揃っている。これらは拝むだけでいい。出版社の変更、そして初版・再版・3版で表紙も裏表紙も完全に変わっている単行本がいくつかあって、手塚治虫の大ファンだが手塚コレクターではない自分にはこの昭和20年代の単行本はとても手が出せない高値の花だったので初めて見たものもある。

自分がマンガに目覚めたのは遅く、高217歳、1974年の時だ。体調が悪く自分が病気と思い込みあらゆる病院を回っていた。ドクターショッピングだ。心身症になってしまったので、治らない。高校は病院へ行くので欠課の嵐、高2、高3でそれぞれ200時間以上欠課していた。よく卒業させてくれたものだが、大病院の待ち時間は長く、そこで何か時間つぶしで楽しく読めるもの…と思い、自分のお金で最初に買ったマンガ単行本が「W3」だった。理由はアニメは見なかった(裏番組が『ウルトラQ』だったのでほとんど見た人がいない不遇なアニメ)がタイトルを知っていたから。さて読みだしたらあまりの面白さに順番待ちなんて逆に早く呼ぶなと思うほどで、最後のタイムパラドックスの絶妙なエンディングに、感動で震えてしまってマンガって何て面白いんだ、手塚治虫って天才だとその日から手塚マンガを貪るように買って読み始めた。手塚作品の中でも最も好きな本を最初に買ったなんてこれは運命としかいいようがない。まだ講談社の手塚治虫漫画全集が出る前だったので秋田書店と朝日ソノラマしか単行本がなかったがそこで「ノーマン」「どろろ」と未だに手塚マンガで好きなトップ5に入るマンガを読めたのでますます夢中になる。この当時、ある程度揃っていたのは小学館の手塚治虫全集で1968年~72年に40冊出たが既に絶版、虫プロ商事の倒産で虫コミックス7冊の市場から姿を消し、絶版になったばかりなのに既に古本屋では高かった。まあ中目黒の書店兼貸本屋みたいな店で店の隅の最下段で見られない棚に手を突っ込んだら大量の虫コミックスが出てきて定価で買えることもあった時代だった。思い出すのは、期末試験の時に気分転換にとふと「火の鳥」を読みだしたら、再読なのにあまりの面白さに止まらなくなり、朝になってしまって、勉強できなかった上に徹夜なってしまった失敗談だ。長編に手を出しちゃいかんね。

自分は手塚の入手できる本を買えるだけ買ったあと、その頃、渋谷のディスクポートの本屋で買っていたので手塚の隣が石森章太郎、そのとなりがちばてつやで、絵柄が1968年までが好みと分かりそれ以前のものは手塚と同じく面白く大好きで一気に集めたが、ただ手塚が違うのはどの時代も全て面白かったところだ。手塚は講談社の手塚治虫漫画全集400巻が1977年から始まり、手塚はこれで読めると、古本のコレクティングは他にシフトしていく。というのもすっかりマンガコレクターになった自分は、古くは水野英子、新しくは吾妻ひでお、諸星大二郎、大友克洋や、萩尾望都などの24年組の少女漫画など集めるようになっていたので、高額な手塚治虫本に手を出せなかった。高校卒業後3年間も大学に行かず、友人達と毎日古本屋、貸本屋を回っていたが、勝負はその頃週に1度デパートで開催された古書展だった。ここではオリジナル単行本や雑誌が当時の古本屋より安価で買えたし、何より出る時は大量に手に入った。(今は高額な60年代のミュージックライフやティーンビートも数百円だったので、今考えるともったいないが、音楽雑誌は必要な部分だけばらして保管してしまっていた)この古書展ではライバルの早大グループがいて、ひとりは手塚治虫しかコレクティングしないクールながらフレンドリーなT1君、もう一人は吾妻ひでお専門の若干とっつきづらいT2君だった。T2君とは最近の『ワンダーAZUMA HIDEOランド2』の制作過程の最後の方で、出版社経由で協力を依頼しメール交換をしていたが、私が本の内容に口を出し過ぎると出版社に嫌われ以降これっきりのまま。ただのアイデア提供でおまかせ…程度の仕事なら出版社とする必要もないのでもうどうでもいい。そしてT1君とは今でも年賀状のやり取りを続けていたが、この本の協力者に名前があってとても嬉しかった。高松直丘さんだ。高松さんは特に昭和30年代の雑誌を集めていたと思うが、少女クラブなどに水野英子が載っているとバッティングしてしまっていたが、重複したものを手にしたときは回していた。この頃の古書展はその手の本が出るのはだいたい1~2店くらい、一人で総取りしてしまうので、そこはトレードや分配もある。しかし一番乗りを果たすためデパートの店員の制止など一切無視、エスカレーターを駆け上がり、早く上がった方が勝利をほぼ引き寄せていた。

つぶれた貸本屋もねらい目で、ある時本はみな倉庫にしまってあるというので頼み込んで連れて行ってもらったら開けると3mくらいの高さまでマンガの貸本が積みあがっている。みなA5版と古くまるで金の鉱山だ。その山によじ登って上から穴を掘るように探すとまあ98%はゴミ(貸本劇画は無知だったのでいいものがあったはず)だったが、手塚本を見つけたり、埃まみれになりながら午後の数時間、至福の時を送らせてもらったこともあった。金の大鉱脈はなかったが、金を探すという貴重な体験を送ったという意味だ。

高校を含めると5年間もロクに学校に行かず、古いマンガ三昧の日々を送ったことは今も少しも後悔していない。日課のようにまず高田馬場と早稲田の中間にある古本街へ行き、神田の古本屋街も少し見る。神田(お茶の水)は専門書中心、高田馬場は一般書が多く圧倒的に高場馬場が良かった。まんだらけが出来てからは中野へ行き、さらに八王子など中央線の古本屋を狙う。もちろん遠征も多数。古書展がある日は1日のスタートはそのデパートから。事前に店の配置を下見して、エレベーターの方が速い場合があるのでそのシュミュレーションもしておいた。回る順番でお昼はお茶の水の書泉グランデ先のキッチン南海のカツカレーを毎度のように食べていたが、今もまだ残っていて名店として行列店だそうだから驚かされた。

集めるだけでは満足できなくなり、1980年代はマンガとアニメのミニコミを10年間に30冊作って多くの著名なマンガ家やアニメーターに会えて色々協力いただけたからだ。コミケも10数年出店、いわゆる壁を背にする「壁サー」だったのでコミケもずいぶん楽だった。

90年代以降は音楽ミニコミのVANDAをはじめ、社会人になって十数年、まあよく両立できたもの。月1回の職場の半休はRadio VANDAというスカパーの番組の収録のためのもので、そのおかげで、家族4人で10年以上沖縄離島へ旅行できた。もちろん職場にはナイショでね。年休は20日使用しないと間に合わず、年休を使わない部下には最低月に1日使えと言っていたっけ)

ただし古書展で昭和20年代の描き下ろし単行本は出てこない。この当時から非常に高額で、手塚一本じゃないと集められるようなものではない。その当時、神田の中野書店という所が常設店では先駆けだったが、ほどなく中野ブロードウェイに小さな店舗のまんだらけが出現、ここは今までの古本屋は11冊の値踏みをせずまとめていくらなどのいいかげんな買い入れをしていたが、まんだらけは、11冊値段を付け、手塚など高額で売れる本は他の店を圧倒する高額で買い取ってくれた。そのため全国から手塚の高額本が集まるようになり、店はどんどん拡張していった。店主の古川さんの家も昔行ったことがあるがその頃は国領の小さなアパートだったが、今はプール付きの豪邸だというからまさにサクセスストーリー。それもやはりいいものは高額で買うという姿勢と目利きが生み出したものだ。

さて、ずいぶんと思い出が長くなってしまったが、この表紙だけの本に興味を持ってもらうためと勘弁していただきたい。

昭和20年代のB6単行本は目も眩むほど貴重だが、描き版だったり絵の魅力という点では個人的にはイマイチだ。「漫画少年」連載の「ジャングル大帝」の単行本から魅力が出てくる。以降は雑誌の時代になり、雑誌付録表紙も網羅しているので絵を見ていても実に楽しい。そして1958年から1963年まで鈴木出版で刊行されたA5の手塚治虫漫画選集は25冊まで出たが、これは表紙も最高に美しく、そして冒頭が色指定だが42色が交互で作られ、個人的には一番魅力的だった。自分も昔集めたので非常に懐かしかった。1980年頃だったと思うが池袋西武デパートで3日連続サイン会があり、初日の手塚が先着20名、2日目の石森章太郎が先着50名、3日目の松本零士が先着100名で3日並んでみなサインをもらった。手塚先生には確か鈴木出版の「虹のとりで」を持っていって友人が「バンビ」を持っていきそれぞれ凄いねーよく持ってるねと声をかけていただいたが、美本マニアの友人は、手塚先生のサインが裏抜けして本が汚れたと後悔していたのを思い出す(笑)石森先生にも曙出版の「少年同盟」を持っていき「君はISFC(石森章太郎ファンクラブ)でしょ!」などすごく声をかけてくれたが、松本先生は本人が嫌いな少女漫画の「銀の谷のマリア」を持っていったので無視された(笑)今は「少年同盟」しか残ってなくどこかへ行ってしまった。知識のない自分は手塚治虫が単行本を出すたびに大幅に加筆訂正するのを知らず。全集が出ると資金稼ぎに貴重な古い本をみな売ってしまった。今となっては惜しい限りだが、もう集めなおすことなど不可能なのでこの本を見て我慢しよう。講談社の全集の表紙全部まで入っているという徹底ぶりだ。絶対におススメしたい。(佐野邦彦)

 

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