※曲名の後の(F)はフランス語、(E)は英語。邦題のものは日本語。
1975 「The Fugitive(Single Version)(E)」/「I Was Born To Love You(E)」(Polydor)※イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、香港でリリース
※1974年11月に日本で沢田研二11枚目のシングル「愛の逃亡者-The Fugitive-」のタイトルで発売された。内容は同一。
1975 『KENJI』(Polydor/2480240)全曲英語。イギリス、インドネシア、香港でリリース ※日本盤の『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』と同一
Fugitive Kind(E) /Go Susy Go/(E)Walking In
The City(E)/Saturday Night(E)/Run With The Devil(E)/Monday Morning Blues(E)//Juke
Box Jive(E)/Way Back In The Fifties(E)/Nothing But A Heartache(E)/I Was Born To
Love You(E)/L.A. Woman(E)/Candy(E)
1975 「Attens-Moi(F)」/「Juliana(F)」(Polydor)※フランス、ベルギー、オランダ、カナダ、スイス、スペインでリリース
1975 「Fou De Toi(F)」/「Ma Geisha De France(F)」(Polydor)※フランス、ベルギー、オランダでリリース
1976 『PARIS LONDRES TOKYO
KENJI SAWDA』(Polydor/2490130)(E)…英語、※日本盤の『KENJI SAWADA』と同一。3曲は日本語のままで、邦題で表記。
Mon Amour,Je Viens Du Bout Du Monde(「巴里にひとり」の原語版)(F)/Juliana(F)/ Seul
Avec Ma Musique(F)/Go Susy Go(E)/追憶/時の過ぎゆくままに//Fou De Toi(F)/Ma Geisha De France(F)/Itsumi(F)/Run
With The Devil(E)/ Attens-Moi(F)/白い部屋
1976 「Elle(F)」/「Seul Avec Ma Musique(F)」(Polydor/)※フランス、ベルギー、オランダでリリース
1976 「When The Lights
Went Out(E)/Fooling Around With
Love(E)」(Polydor)※イギリスでリリース
1977 「Julie Love(F)」/「Les Filles De Ce
Pays(F)」(Polydor)※フランスでリリース
1977 「Memories(E)」/「Long Ago And Far Away(E)」(Polydor)※西ドイツでリリース。日本では1か月遅れで沢田研二20枚目のシングルとして発売された。『沢田研二Single Collection Box Polydor Years』収録。
1977 「Tu As Change(F)」/「L'amour Esperanto(F)」(Polydor)※フランスでリリース
1977 「Rock’n’Roll Child(E)/「Belle Dame,Douce
Dame(Single Version)(F)」(Polydor)※フランスでリリース
1977 「Rock’n’Roll Child(E)/「You’re My Life(E)」(Polydor)※西ドイツ、ベルギー、オランダでリリース
1978 「In The City(E)」/「One Man And A
Band(Katte ni shiyagare)(E)」(Polydor)※西ドイツのみのリリース。B面は「勝手にしやがれ」の英語版。
1978 『Rock’n'Roll Child』(Polydor/2480447)※フランス、西ドイツでリリース
Rock'n'Roll Child(E)/Belle Dame,Douce Dame(F)/ Attends-Moi,Je
Reviendrai(F)…Attens –Moiと同じ/L'amour Esperanto(F)/Julie Love(F)/Les Filles De Ce Pays(F)//L'amour Esperanto(F)/ Tu As Change(F)/ Long Ago And Far Away(E)/In The City(E)/Elle(F)/ La Verite(F)/ Mon Amour,Je Viens Du Bout Du Monde(「巴里にひとり」の原語版)(F)
(制作:佐野邦彦)
初めまして。ジュリパラのツイッターから飛んできました。まとめ記事、当時に戻ったようで楽しく読ませていただきました。
返信削除記載されていない事項をいくつか。。。
PYG のメンバー、テンプターズからはショーケンと大口ヒロシです。ドラムの大口はPYG結成年1971年の8月[FREE with PYG]田園コロシアムライブのあと脱退し、原田裕臣が加入しました。同じ年の12月、ジュリーのソロ初の日生劇場リサイタルには井上グループとして原田裕臣が演奏しています。
カナダで発売された[Mon Amour, Je Viens Du Bout Du Monde]のB面は、[FIGITIVE KIND]のフランス語ヴァージョンです。これは、日本ではジュリーのラジオ番組[沢田研二の愛をもとめて]でレコーディング直後の帰国時に1回だけ放送されています。
[Mon Amour, Je Viens Du Bout Du Monde]はフランスでのヒットのあとスペイン語でも録音され、メキシコでシングル発売されているようです。
初のイギリスシングル[FUGITIVE KIND]は、当時のイギリスではカールダグラスの[カンフーファイティング]という曲がヒットしていて、そのオリエンタル風のディスコサウンドには、ウーッ、ハーッ、の声が多用されていたため、同じような系統と思われないよう、急遽ウーッ、ハーッを抜いてミキシングをやり直してシングル発売されました。シンプルでこっちのほうが好きです。
[One Man And A Band(Katte ni shiyagare)]は、香港を中心に東南アジアで発売されたLP[YESTERDAY TODAY]に[YOU'RE MY LIFE][FOOLING AROUND WITH LOVE]と共に収録されています。
日本では東芝EMIへ移籍直前のポリドール最後のシングル[アマポーラ]のカセットテープ版に[FOOLING AROUND WITH LOVE][MY LOVE IS YOUR LOVE]のロンドンスタジオ録音版が収録されています。
以上、懐かしさのあまりダダっと書いてしまいました。思い違いがあったら指摘してください。なにぶん40年前のことなので。。。。(汗)
素晴らしいです!、ここまでよくまとめられましたね。恐らく同世代の方ではないかな~と思います。拝見させて頂きました。ありがとうございます。
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