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2016年5月4日水曜日

今や年間20万人を超える来島者で賑わう軍艦島見学だが、廃墟マニアの聖地ではない。東京の9倍以上の人口密度の「端島」の映像と写真を見てから行こう。


廃墟の軍艦島だが、南北480m、東西160mの小島に最大で5267人もの人が住んでいた「端島」時代の映像や写真を見てからこそ、現在の軍艦島に、いにしえの過去に栄華を極めた古代都市を見るのに似た感動を得ることができる。そのために過去の端島時代の生活が見られる枚のDVDと、3冊の本の6点をセレクションしたので是非入手してよくご覧いただいてから、実際の軍艦島を見学して欲しい。するとただの廃墟の見学ではなく、そこに暮らしていた人達の生活を感じながら、見学することができるだろう。では最初は端島のDVD3点から紹介しよう。<br />

 
①    HASHIMA軍艦島2010』(NBC長崎放送)DVD 税込3500<br />

商店街で買い物をする主婦たちはと同じ、閉山の看板を外すところと島を去る人達でまずプロローグ。その後は炭坑内に入る炭坑夫達、トロッコ、排出される水の中での作業、コンベアで運ばれる土とパワーショベル(パワーショベルもと同じ)、石炭巻き上げのタワー、貯炭場の山、石炭を運ぶトロッコ、石炭を運ぶ船...とこれだけ「炭坑・端島」を映した映像は他にはない。台風の大波、閉山近くなのか少人数で授業を受ける児童、公民館でカルタをする子供達(モノクロ)、映画館で溢れるばかりの児童とバンド演奏と司会、これもモノクロだが草野球をやっている子供達で女の子が打ったボールが建物のガラスを割ってしまいみんなで割れてしまったガラスを覗いているフィルムは一番の傑作シーン。地獄段を駆け上がる中学生くらいの男子達、列を作って土の入ったバケツを持って日給社宅の屋上まで行きその土で屋上農園を作る子供達、モノクロで4人の子供がテレビを見入っているシーンはきっと隣近所でみんな出入り自由だったという端島のアトホームな環境からいって近所の子供も一緒に見ているのだろう。神輿をかつぐ男達、運動会で綱引きに必死になるお父さん達、入荷したキャベツに群がる主婦たち、バナナのたたき売りのおじさん、そして今では決して考えられない(ここは絶海の孤島、水深も半端ない)順番になって海へ高飛び込みしていく男子達...。島に暮らし炭坑で働いた加地英夫氏の説明と共に、ともかく貴重フィルムのオンパレード。長巻のシーンも多く、最も充実した昔の端島が味わえる。建物については軍艦島の建物をずっと研究している東京電機大学の阿久井喜孝先生が解説してくれる。
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②  『軍艦島オデッセイ』(O ProjectDVD 税別4700<br />

最近CSでも放送しているのでご覧になった方も多いのでは。このO Projectも、「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳さんと並ぶくらい昔から軍艦島にスポットを当てていた先駆者だ。端島小学校から出てくる児童と校庭で子供、端島病院の模様、島で最大の住居である65号棟の滑り台で遊ぶ子供、屋上で側転をする女子、アイスを買って食べながら歩く男子、地獄段を上るたくさんの児童達、商店街で買い物をする主婦たち(ここのみモノクロ)、端島神社にお参りする模様と海を眺める女子、在りし日の端島神社の全景と真っ白な幹部住宅、安全第一の看板の前を歩く女性達と映画館の値段(大人100円、こども50円)、、炭鉱の巻き上げ機やパワーショベル、閉山で島を去っていく人達が写る。バラエティに富んでいるが、回想シーンとしてのインサートなのでそれぞれ短く編集されているのがちょっと残念。モノローグで綴られる。
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③  「軍艦島よ 永遠に」(NHKエンタープライズ)DVD 税別3000<br />

2本のNHKで放送された短編作品の2イン1。なんといっても貴重なのは、昭和30年に放送された端島のドキュメンタリー「緑なき島」だ。時代からモノクロ作品、ナレーションで住民が4700人とあるので既に採炭は最盛期を迎えていた事がわかる。1955年のこの作品、閉山が1974年なのでその19年前の端島が映し出されているのだが、上記の2つのフィルムよりも明らかに古く、小学校が木造だったり、建物でも木造の部分が多く見られる。真水が海底送水(昭和32年)になる前なので、毎朝来る給水船から各家庭にホースで水が供給され、バケツに貯めた水で、洗濯板で洗濯している姿などいかに真水が貴重だったか分かる。朝一番に到着する船には生鮮食品が多く積まれていて、すぐにビルの間に青空市が立ち、主婦たちが買い物に集まる姿に生活感があった。その次の便には郵便や日用品が届きまた賑わう。月に一度というマネキンが立つ衣料品の市も映っていた。一方、男たちの姿が新鮮だ。朝8時に入るという一番方を追うが、機械化されているのは炭坑の底までで、そこからは多くの坑夫は、ふんどし一丁のような上半身裸の姿で、四つん這いで切羽(炭坑の掘削面)まで行き、発破をしかけ、後はトロッコに石炭を集め、四つん這いのままトロッコを手押しして、ベルトコンベアまで移動させていた。ここが人力というのは衝撃で、「楽園」と言われた端島の暮らしだが、坑夫の仕事は大変だったんだなと改めて感じた。そんな男たちの唯一の憩いの場である映画館とビリヤード場も映る。子供達は遊具の近くに僅かにある土を触って遊び、高学年は屋上へ行き女子はボール遊び、男子は階段でメンコに夢中になっていた。そして小学校で母親も一体になって応援する運動会の模様など、僅か20分のドキュメンタリーだが全てが初めての映像で夢中になって見た。もう1本は閉山5年後の端島を舞台にした「風化する軍艦島」で、閉山後からずっと端島のコンクリートの劣化を調査し続けている①の東京電機大学の阿久井教授と学生達の調査を追ったもの。海砂を使ったコンクリートの早い劣化を見て、このフィルムからさらに37年経った現在は崩壊の危機にあることがよく分かる。映像の中にはまだ神社に神輿がそのまま残っていたり、昭和34年のお神輿をメインにした島の「山神祭り」のカラー映像がインサートされていた。後者はカラーである。 <br />

 


軍艦島を長崎県が管理し、公式に上陸できるようになったのが2009年、そして2015年に世界文化遺産に認定され順調に観光客が増えている。2009年から2011年までの3年で275千人だった上陸者数が、201410月から20158月までの10か月だけで205千人と飛躍的に増えていて、今や長崎を代表する観光スポットになった。合わせて書籍やDVDも大量に出版されたが、内容のいいものは限られる。映像も写真集も「廃墟の軍艦島」だけをターゲットにしているのは、「廃墟マニア」という特殊な趣味の方達のもので除外。本は何冊も読んだが、端島に暮らしていた人達の手記は、史実としては面白いがやはり当時の写真と一緒でないとリアルな島の生活が伝わってこない。閉山寸前の単身者の手記なども読んだが、こちらは侘し過ぎた。
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④   「軍艦島 海上産業都市に住む」(岩波書店)伊藤千行:写真、阿久井喜孝:文 本体2300<br 本書は、この軍艦島の上陸が公式に許されていなかったはるか昔の1995年に出版された、東京都の人口密度の9倍と言う端島の生活を、多数の高品質な写真と当時の島民の暮らしの証言ともにまとめた、文句なしの最高の書籍である。まずは内扉の海から見た夜の軍艦島の不夜城のような照明に目が釘付けになるはず。そして次ページでは朝一の船で届いた生鮮食品がビルの谷間の青空市場に並び、そこに買い物に来た主婦達の賑わい、地獄段と呼ばれた高層階へ続く階段の前の家族連れの多さに、この端島が、いかに活気のあった島だったかと言うことが写真だけで伝わってくる。写真で古いものは昭和28年ぐらいものもあるが主に昭和30年代後半で、昭和40年代の写真もある。購買会の豊富な品数には、そこに僻地という雰囲気は感じられない。特に当時の最新のファッションに身を包んだOLがビルの谷間を颯爽と歩くカットは特にファッショナブルだった。端島小中学校は既に7階建ての鉄筋コンクリートに作り替えられていて、とてもきれいだ。子供達が遊ぶ写真は多くないが、それよりも色々な建物での主婦たちが洗濯を干している姿や、そのビルに針の山のように立つ各家庭のTVアンテナなど、生活感を感じる写真が多くて新鮮だ。毎日届く生活物資の荷卸し作業の写真も多かった。もちろん探鉱作業の写真もまとめられていて、大事故がなかった端島炭坑だが、坑内事故の犠牲者は存在したわけでその搬送の写真もあった。中でも迫力満点なのは台風が来た時に端島に打ち付ける大波だ。7階建てのビルをも乗り越える巨大な波を眺める女性たちの姿、台風一過の跡の破壊された島の無残な傷跡は、台風に苦しめられ続けたという島の歴史を、説明なしで伝えてくれる。その1枚あとには島の縁に腰掛け釣りをしている島民のシルエットが実に平和で、その対比もいい。最後の島民の対談では「島はひとつの家族」という言葉のように給与面も含めて待遇が良かったことが分かる。本書中の最後の、97枚目の写真は、昭和30年代後半の鉱員の住宅での団らんが映っていたが、テレビにステレオ、そして洋酒のラックがご主人の後ろに映っていて、高度経済成長時代の成功者の姿だった。
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「軍艦島の生活<1952/1970>」(創元社)住宅学者西山卯三の端島住宅調査レポート 本体2500<br />
2015年に出版された本だが、京都大学の西山教授が、外部の研究者として、三菱の企業体そのものの端島に歓迎されざる取材を許され、窓口の三菱の社員からは笑顔ひとつない歓迎ぶりだったそうだが、1952年と1970年の2回にかけて端島の詳細な調査を行った。写真はその2年のどちらかのものなのだが、その8割は初登場の写真であり、何よりも貴重なのは1970年に撮影され、この本に掲載された76枚ものカラー写真である。カラーの写真と言うのは極めて珍しく、端島の生き生きとした姿がはるかに身近に感じられる。このカラーのために絶対入手すべき本といえよう。ただ④の写真は島民が撮ったもののため、島民が多く映り込み、生活感のある端島という点では④の写真がはるかに上だ。というのも本書の写真は取材許可時間内の写真なので、人が映り込んでいない。生活感という点では物足りないが、1970年という閉山4年前の、最も施設設備が整った時代の端島が、唯一分かる本だと言えよう。地獄段や、大正5年に完成した日本最古の鉄筋コンクリートの住居の30号棟、真ん中に児童遊園のある端島最大のアパート65号棟とそこで遊ぶ子供、端島神社、屋上庭園、端島小中学校の内部施設、そして閉山後あっという間にバラバラになってしまった数多くの木造の施設がカラーで見られるなんで驚きだ。この頃は生産性も上がって鉱員数は少なくて足りていたことから一軒の家庭で二軒分を使っており、立派な家具が並び勉強机、テレビ、冷蔵庫、ミシンなどゆったりと置かれていて古い端島の写真と今昔の感がある。木造のマーケットと、そこをいる人達のカラー写真は、子供の頃にどこかで見た景色の気がした。文章は大学の先生の調査なので客観的であり、④とは少し違う端島が見える。
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「あの頃の軍艦島」(産業編集センター)皆川隆 本体2000<br />
文のないモノクロの写真集で、島民である著者が撮影したスナップの数々は④⑤のようなクオリティはないかもしれないが、そこには端島での生活が映っており、最も端島での暮らしを切りとった写真集と言えるだろう。主婦や子供、そして鉱員が映っているが、どれもポーズを取った写真がなく、90枚を超える写真から端島での生活の息吹が伝わってくる。台風来襲の準備で窓に木を打ちつける夫婦、セミを捕まえた(木が無いのにセミがいたとは)男の子、アイスキャンディ屋に群がる子供達など味わいがある写真が多い。昭和32年に立て替えられる前の木造の旧校舎が写っていることから昭和30年頃のスナップが多いのでは推測される。



 
このDVDと本で事前学習をした後はネットで観光船の予約をしよう。船からの上陸ではA班、B班に分けられ、3か所ある見学ポイントをそれぞれ123、321の順に回りながら見学することになる。1は右手奥に端島小中学校跡、目の前に貯炭場ベルトコンベアが見える場所、2はレンガが崩れた総合事務所跡、3は奥に大正5年に建てられた日本最古の7階建て鉄筋コンクリートのアパート30号棟が奥に見えるポイントで、それぞれ旧島民の人が説明してくれる。ただし、我々が知る軍艦島の姿はアパートが林立する姿で、この最も軍艦島らしい風景は帰りの洋上からしか見ることができず、船の進行方向右側をいち早く確保しないと人の頭越しに景色を見ることになってしまう。船員の人達も良く分かっていて、降りる時に荷物を置いて場所を確保するのは禁止とはっきり告げられるので、先取りは無理。よって最後の説明は、もう終わるかと言う前に他の客の戻りに巻き込まれず真っ先に船に戻り、席を確保することが大事だ。これ、重要なポイントなので、お忘れなく。(佐野邦彦)<

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