VANDAというミニコミ作りはアフターファイブのワークスだったが、趣味レベルではなかった。何しろ1991年から3年は年4冊、1994年から2年は年3冊出すのだから本作りだけで、てんてこまい。私は音楽部門が主なので、いかにコレクターを納得させるレベルの原稿が書けるかになる。インターネットがなく、個人のパソコンもない時代なので、情報は主に洋書などを読むことなので時間がかかる。レコードコレクターズ誌がアーティスト特集を始めた頃なので、ともかく最初は「レココレよりも先に特集する」ことを零細のくせに勝手に目標にしていた。原稿はワープロ、それを打ち出して直接版下に使う。写真はアミ分解しないといけないが、お金がないので、そんな委託に出せない。そのため透明な板に小さな穴が開いているものを買ってそれをコピーの時に写真の下に引いて無理矢理アミ分解しようとしたが、写真のクオリティは下がるだけだった。その三か月に一度の入稿日は、千葉にあった印刷所はシャッターに鍵をかけずにいてくれるので、夜中にシャッターを開けて店内で作業(コピーし放題なので助かる)をさせてもらい、明け方に入稿のメモを置いて、そのまま職場へ行った。当然いつも徹夜である。営業ではこの写真はコミケ。その前の10年間、「漫画の手帖」というミニコミをやって1回はコミケ売上1位なんという成績をあげたので、壁を背にした「壁サー」の地位を自動的に与えられ、楽をさせてもらったが、ジャンル違いのコミケにまで売りに行っていたのだ。なにしろ直売りは仕切りがないので助かるから。
年4回のネタ探し…の中で、大物は1994年には片付き、それまで知らなかった隠れた大物のワークスに出会う。特に60年代から70年代にかけて全英トップ20ヒットを38曲も書いたTony Macaulayと、25曲書いたRoger Greenaway=Roger Cookに関しては、金の鉱脈を見つけたようなものだった。高揚感のあるキャッチーなメロディと、輝くハーモニー、素晴らしい曲が山ほど見つかるのにまったく他では無視状態だ。この頃は行きつけの下北沢のレコード店に週に何度も行っては片っ端から聴かせてもらってこれはというレコードを見つけては買っていた。二番煎じは絶対NGなので、影響力のある青山のレコード店には一切寄り付かず、渋谷系のレコード店もその影響下にあると判断し行かなかった。(※一時期、ソフト・ロック系を渋谷系などと言われた時期もあったが、渋谷界隈は常に避けていたのでアホなこと言うなと常に思っていた)既にRoger Nicholsは初歩であるSmall Circle Of
Friendsをとうに離れ、それ以外に作曲したレコードを追うのが日常に。オールディーズ扱いだったTeddy
Randazzoは1964年から67年の作品はめくるめく転調と弓に矢をつがえて放つような「タメ」の華麗なプロデュースで大注目、Little Anthony & The ImperialsやRoyalettesなどの素晴らしいアルバムがり再評価をスタートする。Barry Mannもそうだ。特に彼の場合は70年代の売れなかったソロアルバムを中心に評価したかった。彼の歌声が好きだったのだ。それ以上に強烈なインパクトがあったのは70年代のNeil Sedaka。オールディーズ歌手としてアメリカでお払い箱になった彼はイギリスに渡り、持ち前の作曲家のとしての才能を一気に開花させる。その実力に驚いた10CCやThe Sectionがアルバムごとバックを担当し、イギリスでヒットが生まれてくる。そしてその中の「Laughter In The Rain」が全米でも1位になり一気に全米でも再ブレイク、大人気となる。これらはみな大物なのにレココレでは興味の対象外のようで特集など組まれず、もう日本の音楽マスコミを気にする必要は一切なくなった。Jimmy Webbにしても私が最も高く評価するのはまったく売れなかったがアルバム全部をコンセプトアルバムにした5th Dimensionの2nd『The Magic Garden』であり、曲ではGlen Campbellの60年代の大ヒットや5th Dimensionの「Up Up And Away」。ところがレココレ等世間一般で評価され特集されるのはその後のシンガーソングライター時代で、私はこの時代は興味が持てない。他に世間一般との大きなギャップを感じたのはTerry Sylvester。Graham Nash時代のHolliesが好き…これは多くの人と共通する。しかしGraham Nash脱退の後に加入したTerry Sylvesterの評価で、Holliesの中で彼が書いた曲はせいぜい3割くらいしかいいと思える曲はなかったが、ソロとして出したシングルなどを集めた『Terry
Sylvester Complete Works 1969-1982』は、この頃のHolliesとは全く違うメロディアスな曲をハーモニーと共に甘いヴォーカルで歌い、極上の曲が並ぶ最高のアルバムだった。どっちがいいのかは私にとっては言うまでもないこと、ただ世間では私のような評価はこの頃は少数だった。
そしてほぼ無名、もしくは実力があって仕事しているのに知名度が無いミュージシャンを数多く発見したのは、この「ソフト・ロックA to Z」の中核のひとつになった。その代表格はRod McBrienだろう。彼が作ったワークスの中で最初の発見はSalt Water Taffyで、その親しみやすいサウンドとキャッチーな曲はVANDAで紹介するやすぐに人気盤になり、私はその中心人物と目されたRod McBrienのワークスを追い始め、その他の売れなかったが良質なシングルを探すコアな旅は、宝物の山だった。その他ではアメリカのセッション・シンガーで、作曲やプロデュースもできるRon Danteのソロ・ワークス。ArchiesやCuff Linksのリード・ヴォーカルの成功は有名だが山のようなソロではヒットは生まれなかった。イギリスのセッション・シンガーはTony BurrowsでTony Macaulay、Cook=Greenawayはもちろん、John Carter、Arnold=Martin=Morrowなどのブリティッシュ・ポップの中心人物の曲を数多く歌い多くのヒットを飛ばした。Edison Lighthouse、White Plains、First Classなどのリード・ヴォーカルが有名だ。しかし自分の名前を出しての数多くのソロ・シングルにヒットは無い。その他ではやはりヒットはないものの、クールで高度なサウンドとハーモニーで一気に注目されたFree Design。再評価の中でその中心人物のChris
Dedrickのワークスまで人気を博した。イギリスのBrian Wilsonと呼ばれたTony Riversも60年代のHarmony Grassなどの華麗なハーモニーで一気に注目株になる。
そしてヒットを数多く生みながら、自作自演ではないポップ系グループと言う事でマニアックな取り上げ方を一切されないGary Lewis & The PlayboysやClassics IVもセレクトして聴くと最高の曲をたっぷりと楽しめた。そしてそこには前者にはプロデュースにSnuff GarrettとアレンジャーのLeon Russell、後者にはJames Cobb & Buddy Buieという優れたミュージシャンが支えていたので、ハイ・クオリティだった事に気付かされる。
一部に批判を呼んだのは、既にヒットを多く生み、評価もされていたグループをカテゴリーに入れたことだ。例えばAssociationだが、「Never My Love」に触れずに、4thの『Birthday』を最高傑作に置くことで「ソフト・ロック」の狙いを理解してもらうことができる。超大物ながら日本ではまったく人気が出なかったFrankieValli & The Four Seasonsもしかり。Vee-Jay時代を外しPhillip時代、曲では「Dawn」や「I'm Gonna Change」、アルバムでは『Rag Doll』、そしてトータルではMotown時代をベストとすることで、日本で根強いオールディーズイメージを払拭できる。Neil Sedakaもそう。70年代のNeil Sedakaで統一し、オールディーズ時代の60年代は捨てて、元々優れたソングライターであるNeil Sedakaのさらなる進化した曲作りにクローズアップし、いかに70年代の彼が素晴らしいか、VANDA1冊を使って紹介した。Teddy Randazzoもオールディーズの歌手時代は一切無視、オールディーズ時代を払拭した1964年以降に絞って作曲家・プロデューサーとして絶賛だ。バンドでも転調を駆使したメロディ、高度なハーモニーを持ち、そしてビートもあるHollies、Zombies、Moody Bluesは当然のごとくに入れた。しかし究極の理想の曲である「Hello Goodbye」や「Penny Lane」があっても、Beatlesをこのカテゴライズに入れるのは反発を恐れて外した。アルバム『Sell Out』を抱えるフーや、『Face To Face』からの一連のアルバムもあるキンクスは、曲的には十分なのに大物過ぎて外した。しかしBeach Boysに関しては本を最初に出した1996年では『Pet Sounds』や『Today』にまだ高い評価を得ていなかったという理由で、初版のみ入れてしまったことに選考基準に中途半端さが生まれたことは否めない。その中CD化が進みだしたLovin’ SpoonfulやRascalsは中堅扱いなので入れていた。
このように色々な有名・無名・業界では有名ながら裏方扱いで一般では無名という異なるパターンのアーティストによるポップな曲の数々を、「ソフト・ロック」という言葉で呼んだ。これらをまとめたVANDA18号が瞬時に売り切れ、増刷をかけてもそれもすぐに品切れに。この状況を見ていた音楽之友社より単行本化の打診があり、VANDAとは別の単行本「ソフト・ロックA to Z」を1996年に出版できた。もうひとつの自分のライフワークであるビーチ・ボーイズに関しては翌1997年にシンコーミュージックより「The Beach Boys Complete」で単行本化。ともかく手抜き本を作って後世に後悔することのないようにという決意だったので、自分の椅子の後ろには布団をひいておいて、毎日、限界になるまで原稿を書いてそのまま倒れこむように寝ていた。まともな寝具で寝ない生活を続けると、当然体はボロボロになる。30代前半だからこなせた芸当だった。色々な本を作ってきたものの、その反響の大きさは「ソフト・ロックA to Z」にかなうものはなかった。それまでまったく無名のアーティストや、自作自演ではないポップ系ということで無視されていたバンドや、そのアーティストの曲を作ったプロの作曲家、プロデューサー、そしてアレンジャーへの再評価だったからだ。これらの登場人物は多くの音楽ファンには初耳だったはず。特にポップ系で多くのヒットを生み出していた作曲家やプロデューサーに、耳目を集めさせたのは本懐。日本ではロック至上主義が蔓延し、音楽評論家はポップ系を下に見る輩が多く、そういう人達にうんざりさせられていた。その中でポップ、特に商業ポップ重視の潮流を作れただけで個人的には大満足である。
「ソフト・ロックA to Z」は再販に再販を重ね、さらに3回の改訂版まで出る大ベスト・セラーとなり、日本だけでなく海外の多くのディストリビューターやリイシュー・メーカーが「参考書」代わりに入手していった。前にも書いたが、この本の初版にソフト・ロックの名盤として60数枚のアルバムを紹介したがこの時にCD化されていたのはたったの数枚。ところが現在ではCD化されていないアルバムが2,3枚残るだけみなCD化された。紹介当時はあまりに無名すぎ、CD化など考えられないなと思っていたアルバムも多かっただけに、振り返ってみると全世界的な再評価の流れを作れた。なお日本のレコード会社でもリイシューはあるが、気持ち的に語りたくないので一切無視させていただく。日本が一過性だったのには理由がある。①会社によっては担当者が一定数のハケを期待できない場合は躊躇しいつまでたっても出さない。②日本のリイシューメーカーからライセンス許諾の依頼があっても許可を躊躇して出さない③担当者が変わると、リイシュー専門家のような人がやってきて一連のリイシューの再発を提案し、リリースされる。同じものが何度も廉価盤になって出るのはその理由。そんな日本の状況など置き去りにして海外では怒涛のリイシューラッシュが始まった。
海外のレーベルでリイシューが始まった時、社長さんから手紙をいただいたのはイギリスのCherry
Redと、アメリカのVarese Sarabandeだった。その中でもCherry Redが質・量ともに他のリイシュー・メーカーを圧倒し、アルバムとアルバム未収録シングルを入れるのは当たり前、さらに未発表曲まで入り、こういう良質なリイシュー・メーカーを動かしたのは、本を出した甲斐があったというもの。このCherry Redにはリイシューを受け持つRev-Ola、Now Sounds、RPMと3つのサブレーベルがあり、それぞれどれだけリイシューされたのか紹介しよう。まず「Rev-Ola」レーベルではPeppermint Rainbow、Eternity’s Children、Sundowners、Fun & Games、October Country、Gordian Knot、そして複数のアルバムがあるアーティストではTommy Roeは「It’s Now Winter’s Day+Phantasy」、Tokensは「Intercourse」、Fifth Dimensionは「The Magic Garden」、Don & The Goodtimesは「So Good」と最重要盤をチョイス、さらにRoger Nichols &Small Circle Of Friends、Millennium、Ballroom、Sagittarius、Innocence、Tradewindsなどの定番を押さえた。加えて企画ものでTokensが作ったレーベルのB.T.Puppy StoryやWhite Whale レーベルStoryなど超マニアックなオムニバスをリリースする充実ぶり。そして「Now Sounds」レーベルも凄い。Mark Eric、Twin Connexion、Holy Mackeral、CrittersはKappとProject3の両レーベルをそれぞれコンプリート、Gary LewisはJack Nitzscheプロデュースの「Listen」をStereo&Mono仕様、Associationは1~4枚目までMonoでリイシュー、Parade、New Wave、Sugar Shoppe、Cowsillsは1stと3rd、Paul Williamsは「Someday Man」がチョイスされた。そして残るRPMレーベルは後述するTeddy RandazzoのワークスであるRoyalettesと、Tony RiversのHarmony GrassやCastawaysをリリースというもう筆舌に尽くしがたい充実したラインナップだった。当初ソフト・ロック系に熱心でアメリカで牽引役だったVarese Sarabandeは、70年代のNeil SedakaのRocketレーベルのアルバム3枚のCD化や、セッション・シンガーのTony
Burrowsのワークス物、そして初期の「Sunshine Days」のコンピにはまさにA to Zからの曲をセレクトしていた。
大手が自社ものを出すのは当たり前なので大手レーベルを除外するとして、その他のリイシュー・メーカーではマニアックな内容で他をリードしたイギリスのCastle/Sanctuaryレーベルも特筆したい。なんといっても全英20ヒットを38曲も書いたというイギリスでトップの実績がありながらVANDA以外誰も注目しなかった作曲兼プロデューサーのTony Macaulay(共作のJohn Macleod含む)のワークスを集めた「Buttercups
& Rainbows」という夢のようなコンピを始め、Pickettywitch、Paper Dolls、Jefferson、Flying Machine、Long John BaldryなどTony Macaulayが作曲したワークスを集中してリリースしてくれた。アメリカのSundazedは、伝統的に強いBruce & Terry、Rip ChordsそしてJan&Deanの「Save For A Rainy Day」というコアな部分をしっかり押さえつつ、Yellow
BalloonやWendy & Bonnieに加えBuckinghams、Cyrkleの全アルバムをリリースした。そしてZombiesの全曲+未発表曲集『Zombie Heaven』のボックスを作り出したBig Beatは、そこのボックス以外のリイシューでZombiesのシングル、モノ、ステレオとあらゆる仕様で出し無敵状態。このBig BeatはAceの傘下であり、Aceは昔、Frankie Valli & The Four Seasonsを一手にリリース、シングルオンリーまできちんとカバーしてくれていた。なにしろFour Seasonsの扱いは海外でも軽く、Ace だけが救いの神だったと言えよう。TaragonはGary Lewis & The Playboysの2イン1や、ベスト盤のClassics IV、Foundations、Fortunesとそこそこ出しつつSpiral StarecaseはComplete Recordingsという快挙を達成する。BGO(Beat Goes On)は数少ないながら最重要なCDを2イン1でリリースしていて、Neil Sedakaは70年にイギリスに渡ってから10CCやThe Sectionをバックに従えながら再ブレイクを果たすまでのUK時代の4枚と、あとは1964年~67年、作曲家兼プロデューサーとして無敵だったTeddy Randazzoの最重要ワークスのLittle Anthony & The Imperialsのアルバム4枚をしっかりリリースしてくれた。大手傘下ながらマニアックな仕事では前述メイカー以上ともいえるクオリティを誇るのがまずUniversal傘下のHip-O-Select。Frankie Valli & The Four Seasonsの中でも最も好きなのに最も売れなかったMotown時代の全音源を未発表音源まで入れて「The Motown Years」としてリリース、さらにSpanky & Our Gangの3枚のスタジオアルバムだけでなくライブやベスト盤、さらにデビューシングルまで入れた「The Complete Mercury Recordings」という誇るべき作品集があり、Frankie
Valli & The Four Seasons を始め超豪華なミュージシャンによるオムニバス盤「And This World War Ⅱ」もここが出していた。Warner傘下のRhino HandmadeはMonkeesのボックスものリイシューで知られているがMonkeesをソフト・ロックの中には入れていなかったため、それ以外となるとJan &
Deanの幻の「Carnival Of Sound」や、CDではないがTV全話をDVD化してくれたThe Bugaloosは最高の贈りものだった。(日本のものは紹介しないと書いたが、Vivid SoundはライセンスをとってBugaloosのアルバムと、Heaven Bound with Tony ScottiのアルバムをCD化しており、これは特筆しておこう)。あとNeon Philharmonic OrchestraのComplete Recordingsもある。アメリカのCollectableは解説もなく資料軽視の作りのCDも多いが、特筆すべきワークスは何と言ってもAndy Williamsの全アルバムのリリースと、Gary
Lewis & The Playboysの2イン1,3イン1を出し、Sunraysに関しては全曲+未発表デモに詳細な解説入りというという究極のBoxを出してくれた。フランスにはMagicがある。Tokensの愛弟子のHappeningは師匠以上の洗練されたサウンドでヒットを生み、アルバムはMagicからリイシューされた。このMagicはユニークなCDを作るメイカーとして知られていて、HolliesのコンピではこのMagicのCDでないと聴けない貴重なライブ音源が入ったものが複数あるほどだ。そしてC5というレーベルでは、Marmaladeの『Falling Apart At The Seams Plus』がある。このアルバムにはタイトル曲を始めTony
Macaulay作の最もキャッチーで、最もハーモニーの効いた軽快なポップナンバーが4曲も入っていて最高の1枚と言えよう。現在でもこのディスクでしか聴けない。また70年代のポップ・ロック・バンド、Pilotのアルバムも、真っ先にCD化していた。サイケ系ではAlan LorberのワークスのOrpheusとChameleon ChurchはAkarmaから、Rod McBrienのワークスでもあるAstral
ProjectionやCurt Boettcher関係のBards、そしてOxfordsはGear Fabというメーカーから地味にリリースされた。その他では再々リイシューくらいのタイミングで出だしは遅かったがFree Design関係の全リリースを行ったLight In
The Atticというレーベルがあり、他ではHoney LTDもリイシューしていたが、ここの社長さんも何度も手紙をくれ熱心なレーベルだった。韓国のBig PinkではRod McBrienのGooglesや、CreamレーベルのCollage(※日本ではSmashレーベルの同名グループのCDが出ているが内容は劣り、本で取り上げるレベルではないので外した)そしてInner
Dialogueという渋いところをリリースし、日本のVivid Soundが独占的に帯解説を付けて日本盤の用に販売していた。あとこのソフト・ロックのリイシュー・ムーブメントとは関係のないリイシューだが、特筆しておきたいのはBear Familyで、Neil SadakaのRCA時代の全音源集『Oh Carol』は、全曲+未発表曲集に止まらず例えば外国語ヴァージョンだけでもイタリア語から始まって日本語の未発表、ヘブライ語に至るまで全てを網羅、レコーディング日までわかり、CD8枚組という究極のリイシューBOXを出してくれた。海外のリイシューレーベルは本当に底知れぬ力がある。
ここに列挙した以外でもドイツのRepertoireは古くはEdison LighthouseのベストCDとTurtlesの全CDをリリースするなどの有力なリイシュー・メーカーがゴロゴロしていて次々発掘されていくのに、日本では許可が出ず、リイシュー・メーカー自体数少なく、リイシューも同じものばかり廉価盤、紙ジャケと姿を変えるだけでのリリースしかないのは残念なことだ。ただし、日本ではRolling Stones、Paul McCartney、Who、Small Faces、Brian Wilson、Holliesといった超大物に関しては、「日本のみのボーナストラック」「日本のみ収録可の音源」を入れてのリリースになるので、こと大物に関しては海外よりも恵まれていることも付け加えておこう。(佐野邦彦)
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