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2016年4月24日日曜日

☆消えた『スマイル』を探し求めた40年:ポール・ウィリアムズ著(シンコーミュージック)


病気で行く事は出来なかったが、ブライアン・ウィルソンが11年ぶりに来日し、『Pet Sounds50周年の記念ツアーを行い、多くのファンに感銘を与えたばかり。そして歴史にIfがあったら来年は『SMiLE50周年であり、次回はこれで…などというファンの方もいたくらい。しかしその今からその50年前に、『Pet Sounds』の価値を正しく評価し、ビーチ・ボーイズ、いや、ブライアン・ウィルソンをビートルズと匹敵する存在として見ていた音楽評論家がどれだけいただろうか。本書を書いたポール・ウィリアムズ、始めに断っておくが、ロジャー・ニコルスの共作者、シンガーソングライターとして超有名な同名の人とはまったく別人である。著者だけ見ると多くの人が勘違いしているようだ。この著者が『Pet Sounds』に出会ったのはまだ17歳の大学生で、661月には「クロウダディ!」という音楽評論誌を自主出版した。ティーン向けのアイドル誌やチャート誌ではなく、本格的なロック評論を行った初めての雑誌だったと言えよう。当時、『ペット・サウンズ』はミリオン・セラーを達成できなかった「売れない」アルバムであり、メンバーのマイク・ラヴや、キャピトルの重役たちは、ブライアンの進化を理解できずにアルバムを嫌悪した。ブライアンはその後に『SMiLE』をスタート、試行錯誤を重ねながら発売予定の66年末を超え、67年になっても完成できず、5月にキャンセルされた。その時、ビートルズは『SGT.Peppers’s Lonely Hearts Club Band』という特大ホームランを放ち、ビーチ・ボーイズは『SMiLE』の残り物をラフなプロデュースで作り直し、カール曰く、「バンド」を狙った『Smiley Smile』で評価を一気に落としてしまう。以降のアルバムだが、評価はともかくとしてチャート上の低迷は特にアメリカで悲惨なものになった。そんな時代の中、このポール・ウィリアムズはブライアンの才能と意欲的な活動を一貫して支持している。何しろ661月に創刊したばかりの「クロウダディ!」の編集人という実績はあったとしてもまだ商業的成功などまったくないその年の12月に、まだ18歳になったばかりの若物を、ブライアンは快く自宅に招き入れている。そこで制作中の『SMiLE』のアセテート(すべてインストだったという)を聴かせてもらっているのだから驚きだ。翌日は『SMiLE』用の録音で、ブライアンの指示で寝転がってみんなで豚の泣き声などの面白い声を出したものを録音している。ビーチ・ボーイズのメンバーも一緒で、そこではカール・ウィルソンがイギリスで聴いて惚れ込んだスペンサー・デーヴィス・グループの新譜の「Gimmie Some Lovin’」のアメリカ盤シングルを聴いたところ、ラジオ用に勝手にリミックスされ台無しにされたと怒ってそのシングルを膝で叩き割り踏みつけて粉々にしてしまった現場を見ている。そしてポールはそんなカールに惚れ込んだ。その後『SMiLE』が葬られたあとの196711月と683月に、『SMiLE』の制作過程を目の当たりにしてきたデヴィッド・アンダールにインタビューしている。ここの下りも詳細に書くと長くなるので省略するが、ブライアンが惚れ込んだヴァン・ダイク・パークスという異能の才人は、お互い興奮させあう関係が続き、アンダールはこれでは長続きしないと確信したという。案の上、「The Elements」の「Fire(Mrs. O’Leary’s Cow)」の一件でブライアンはそのテープを恐れて消去(実際は消去されていないので2011年に『The SMiLE Sessions』で公式リリースされたが)、それ以降トラブルが続いて19672月にパークスが去り、『SMiLE』の作詞家はパークスと決めていたのでブライアンにその穴埋めは出来ず、アルバム制作を中断して、懸案であるブラザー・レコードのビジネスに一時傾注する。時間はどんどん経ち、メンバーのイギリスツアー後にブライアンが多くのトラックを完成させていたものの、あまりのサウンドの変貌にメンバーから不満が続出、キャピトルは長期間出ていないシングルを要求し、ブライアンは『SMiLE』を遂に封印、「Good Vibrations」以来9か月ぶりとなるシングル「Heroes And Villains」をリリースするが、それは新たに再録音されたものになってしまう。アンダールはこの67年の時点で「『SMiLE』にはアルバム3枚分のトラックがある」とその具体的なトラック量を知っており、「Surf’s Up」という今までの人生の中で聴いた最高の傑作があるのにいつ発表されるのか分からないなど、その失ったものの大きさを惜しむ。そしてあの後の再録音版『Smiley Smile』をみじめな失敗といい、続く『Wild Honey』も全く実験がないとアンダールは嘆く。しかしポールは『Wild Honey』を、『SMiLE』の残滓から離れた伸びやかな傑作として高く評価、事実、アンダールの2回目のインタビューではアンダールは『Wild Honey』を支持するように変わった。本書はこういうインタビューや評論を集めたものなので、時間軸は時に大きく空く。ただ読んでいて分かるのは、ポールはリアルタイマーとして『Pet Sounds』『SMiLE』(後に『Smiley Smile』も一定の評価)『Wild Honey』『Friends』『20/20』『Sunflower』『Surf’s Up』までを高く評価するが、その後のブライアン初のソロアルバム『Brian Wilson』で大きな感銘を受けるまでの17年間を混乱の時代といって評価していない。ただし2枚の例外があり1977年にブライアンはほとんどの曲を書いた『Love You』と、ブライアンがプロデュースと曲提供をしたブライアンの奥さんのマリリンら姉妹達のスプリングの『Spring』は傑作として強く支持している。ここまで読むとポールは『SMiLE』への思い入れが非常に強く、『Wild Honey』『Friends』は『SMiLE』のくびきから離れたアルバムとして評価するが、『20/20』から『Sur’s Up』までは『SMiLE』の重要曲含んだアルバムとして評価していた感が強い。以降のアルバムには『SMiLE』の残滓はなくなってしまうが、ブライアン・ウィルソンのクリエイティビティを発揮したのが前述の『Love You』と『Spring』で、ある意味分かりやすい。そしてソロになってから高い評価をしているのは『Brian Wilson』『Imagination』『I Just Wasn’t Made For These Times』である。その反面『Orange Crate Art』『Gettin' In Over My Head』の評価は低い。ポールは『Imagination』『I Just Wasn’t Made For These Times』でのビーチ・ボーイズ・ナンバーのリメイクを、より良い仕上がりになったことに対して積極的に評価している。また『Brian Wilson』『Imagination』のラスト・ナンバーにおける『SMiLE』的なアプローチもお気に入りだ。反面、芯がないと感じられたビーチ・ボーイズやブライアンのソロは評価せず、ポールの姿勢はぶれない。ヴァン・ダイク・パークスが全曲を書いた『Orange Crate Art』も、ブライアンの歌声を通して感情を伝達する力を生かしていないと、控えめに否定している。『SMiLE』を追い続けたポールにとって嬉しいレビューとなったのは初めて『SMiLE』の中核音源がまとめて発表された1993年の『Thirty Years Of Good Vibrations』、そして若年性アルツハイマーで2000年代後半には執筆もできなくなっていたというポールにとって神様の贈りものと言える2004年のブライアンの『SMiLE』へのレビューが最後に配置され、これが絶筆とすればポールは幸せな人だった。なお、1995年にブライアンとポールの対談があるが、ポールがブライアンに対して期待したCDとアナログとどちらが好きだという質問に、ブライアンはあっさりCDの方がいい、キュートで小さいしとCD完全擁護の返事。それに驚いたポールはCDではアナログの音質が再現できないと必死でブライアンに具体例を挙げてアナログの良さへの賛同を求めていくあたりがなんとも微笑ましかった。私はこの業界に多いアナログ派ではないので、便利でコンパクト、曲も飛ばせるしというCD派のブライアンの屈託のなさが妙に嬉しかった。だいたい自宅でアナログの音質の良さを体験できる人というのは、ある一定の広い家にいいオーディオを持っている恵まれた人。こっちはそれだけのお金があるなら1枚でも多くCDかレコードを買う(入手できるならアナログも何の問題はない)と言うのが信条なんで、あしからず。(佐野邦彦)

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