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2015年7月30日木曜日

☆Castells etc:『The Castells And Beyond 1964-1966』(Teensville/1012)

ロニー&ザ・デイトナスのCDの紹介で、初期のゲイリー・アッシャーのワークスは低い評価をしていたが、このチャック・ギラードがいる場合は話が別だ。『The Castells And Beyond 1964-1966』は34曲中24曲がチャックのグループで、キャステルズのEra音源のCDは出ていたが、一番内容のいいその後のWarnerDeccaの音源が揃ったのは本当に嬉しい。特にフォー・シーズンズの「An Angel Cried」のカバーは出来がよく、必聴。彼はブライアン・ウィルソンとも関係が深く、本CD収録のキャステルズの名曲「I Do」は有名だ。そして在籍していたホンデルスの「Little Honda」はシングル発売権をもらって全米4位と大ヒット、続く「My Buddy Seat」もブライアンの曲で快作だった。ホンデルスはATMから4枚のコンプリートCDが出て、ゲイリー・アッシャーが「化ける」のを堪能できた。本CDはゲイリー・アッシャー・プロダクションが主眼なので、CastellsのあとKeith GreenDevonsChuck & Joe(Castellsのメンバー2人)NeptunesBeverly Williamsに未発表だったTerry Melcher & Chuck Girardなど未発表5曲を含む貴重なシングル曲34曲で構成され、これは購入すべき1枚だ。まず冒頭のブライアン・ウィルソン作の「I Do」はEraCDにもオマケで入っていたし、何よりも本家の未発表だったビーチ・ボーイズのヴァージョンが公表されてしまっているので、お馴染みなので、ビーチ・ボーイズと比べても差が分からないほど。というのもブライアン・ウィルソン自身がプロデュースしているから完璧なスコアで歌わせていたのだろう。間奏のポンポンというコーラスが違うくらいか。どちらにしても名曲。B面は一転してホワイト・ドゥ・ワップ。ハーモニーもいいし出来は悪くない。次のシングルA面もそうだが、B面は完全にフォー・シーズンズ・スタイルを狙っている。ビーチ・ボーイズとは犬猿の仲と言われたが、ゲイリーには関係ないということが分かる。3枚枚のシングルもサーフィン&ホットロッド色はなく、ファルセットのハーモニーを生かし強いて言えばフォー・シーズンズに寄っているのかもしれない。Deccaに移って最初のシングルはついにフォー・シーズンズの「My Angel Cried」で、忠実なカバーで実に爽快な出来だ。5枚目のシングルはカフ・リンクスの「Tracy」でも知られるP.Vance-L.Pockrissの書いた「Life Goes On」で、快調なポップ・チューン。B面はもうフォークロックだ。そして未発表のバリー・マン作の「Remember Me Baby」が嬉しい。ハーモニーを生かした快調なチューンのデモだ。キャステルズの13曲にはゲイリー・アッシャーが3曲、チャック・ギラードが3曲書き、どれもきれいなメロディを持つがキャッチーさがないので、みなヒットには至らない。続くのはゲイリーがプロデュースしたKeith Greenだ。キース・グリーンはわずか11歳。しかし3枚のシングルで4曲を書いていて天才だ。その曲もゲイリーが書く曲以上のレベルで、彼は後にCCMへ舞台を移しヒットを飛ばすが、僅か28歳で飛行機事故で夭折している。注目されるのは2枚目のシングルでビーチ・ボーイズの「Girl Don't Tell Me」のカバーだ。まだボーイ・ソプラノなので女性シンガーと思ってしまうが、原曲にはないハーモニーも入れ非常に快調な仕上がりになっている。後半のハンドクラップはゲイリーのフォー・シーズンズ好きが出たか。The Devonsはチャックがいたグループで最初のシングルはホットロッド、2枚目はボブ・ディランのカバーだが歌い方まで似せてしまってバーズと違って失敗作、3枚目はA面はフォー・シーズンズを狙ったような作品だった。Chuck And Joeは前述したキャステルズの2人だが、2枚のシングルと未発表曲は、基本的にR&Bを狙っていて他とは気色が違う。さて、ここで注目が未発表のTerry Melcher & Chuck Girardの「I Made An Angel Cry」。曲想もサーフィン系でもフォー・シーズンズ系でもなく、ロックテイストの強いナンバーで面白い。解説を読むとコーラスパートにはブルース・ジョンストンも参加しているそうだ。テリー・メルチャー&ブルース・ジョンストン、そしてゲイリー・アッシャーとチャック・ギラードなんてちょっとした夢の1枚。The Neptunesの「Shame Girl」はサーフィン&ホットロッド系のゲイリー作の中ではレベルの高い曲で、ヒットはしないだろうが楽しめる。最後のBeverly Williamsの「He's Hurtin' Me」はチャックが曲を書きゲイリーがプロデュースしていて、彼女はなんと12歳!堂々とした歌いぷりで、1966年のシングルだけあってもうプロデュースもメロディもオールディーズ調はなく、時代に添ったポップ・ナンバーでこれは聴きもの。(佐野邦彦)



2015年7月29日水曜日

『ミシェル・ルグラン自伝』(アルテス)




本書は2013年にフランスで刊行されたミシェル・ルグランの自伝の日本語版である。ルグランに丹念なインタビューを行ってそれをもまとめたのはステファン・ルルージュ。日本語版の監修は日本のルグラン研究の第一人者、濱田高志氏である。濱田さんはルグランの信認が厚く、ルグラン邸に招かれ宿泊したほど。そんな濱田さんだが、私が濱田さんと知り合った時は一介のファンだった。私が1990年頃、「VANDA」という音楽のミニコミを始めた頃、その前の「漫画の手帖」という頃から読んでいただいたようで、私に「VANDAでミシェル・ルグランの特集を希望します」という手紙を送ってこられた。その手紙を読んで並々ならぬ知識と熱意が伝わってきたので、私の方から「ご自身でVAMDAにルグラン研究の連載をお書きになりませんか」と提案したところ快諾をいただき、それ以来、毎回ルグランの連載が始まった。その連載を目にとめた方が、ルグランが来日した時に濱田さんを呼び、ルグランにその研究の資料を見せたところ、大変に驚き、以降、ルグランは日本での様々な仕事の際に濱田さんをスーパーバイザーとして重用するようになった。その信頼の醸成が進んでついにはルグランの家に呼ばれるまでになる。泊まった際に、ルグラン邸の広大な敷地に灯る別の家の明かりは、ルグランの使用人のものだった...などの話を濱田さんから聞いて、一介のファンだった方が、最も憧れた、それも外国の方にこれほどの信頼を勝ち得てフランスまで呼ばれていて宿泊するなんて...とあまりのサクセス・ストーリーに我ながら仰天したものだ。まさにマンガの中でしか出てこないようなエピソード。ルグラン以外、日本の作曲家の研究に合わせたCDのリイシューあど多方面でご活躍の濱田さんの一面だが、今でもルグランが中心にいるのは間違いない。さて、申し訳ないが、ルグランに関しては、私は門外漢に近い。子供の時に、こんな美人がいるのかと憧れたカトリーヌ・ドヌーヴから知った『シェルブールの雨傘』。スティーヴ・マックイーンの『華麗なる賭け』のテーマの「風のささやき」などはもちろん大好きで知っているが、その程度。超ロングヒットという『ルグラン・ジャズ』は聴いたことがなく『I Love Paris』もしかり、この本を読んでチェックしたくらいなので、紹介するのが申し訳ないレベルなのだ。でも本を読むとサウンドトラックの仕事でその妥協しない姿勢、特に『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』などでの盟友ジャック・ドゥミの依頼を脚本の内容が納得できないと自家用機でドゥミの元までいって激論を戦わせ結局引き受けないなど、映画業界のやり取りはルグランも相手方も非常にシビアな戦いだ。「風のささやき」を歌ったノエル・ハリソンが、歌詞の内容を気に入らずヒットするはずないとまったく乗り気でなかったのに実は映画と合わせメガヒットとなり、ルグランに素直に謝罪しるなど興味深いエピドードもたくさんある。クラシックのきちんとした教育を受けていたルグラン、恩師達はジャズをバカにしていたが、ルグランはアメリカのジャズ、R&Bのシンガー達に深いリスペクトと愛情を持っていて、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスなどとの仕事は夢のように語る。またハリウッドで活躍するヘンリー・マンシーニと知り合いルグランを気に入ったマンシーニがハリウッドの仕事を紹介していってくれたとか、もうキラ星のような人達と仕事を進めていくようになる。4つのアカデミー賞、5つのグラミー賞を獲得するなど、その活躍はもの凄い。ただ文中の映画や映画人の名前に疎いし、ジャズに関してはまったくの門外漢でどんな凄腕のミュージシャンが集まってもその凄さがわからない。ただそういう事を抜きにしても着飾った伝記とは違って「人間ミシェル・ルグラン」が読んで分かるので、読み物としても十分楽しめる。この本を読んで文中の知らない曲は、昔ならリップ・サービスで「買って聴いてみようと思う」など書いていたところだが、今はYou Tubeで本当にすぐに聴けるので、私のようなレベルの人でも是非購入して、知らない部分はYou Tubeで補いながら読み進めていこう。本書の出版元もアルテスは元・音楽之友社の木村元さんの作った会社で、木村さんとは音楽之友社時代『ソフトロックA To Z』などを一緒に作り、VANDAの版下を作ってくれた人が結婚で辞めた時は、木村さんが丸ごと1VANDA26号を無料で版下作りの全てをやっていただいた恩人なのだ。この本が濱田さんと木村さんのコラボというのも強い縁を感じる。最後にルグランは、今でもいくらでもメロディが浮かんでくるそうで、まさに天才だ。手塚治虫がマンガのストーリーはいくらでも浮かぶが描く時間がない...とう事を言っていたと思うが、こういう人達が真の天才というのだろう。(佐野邦彦)






2015年7月26日日曜日

☆Classics IVのプロデューサー兼ソングライターのBuddy Buie死去

Classics IVAtlanta Rhythm Sectionのプロデューサーであり、それぞれのギタリストだったジェームス・コブと大半の曲を書いたソングライターでもあるバディ・ビューイ(Buddy Buie)が7月18日に亡くなった。74歳だった。この両グループ、どちらも大ヒットを連発してきたが、私にとっては圧倒的にクラシックスIVだ。バディ・ビューイとジェームス・コッブの書く美しく憂いのあるメロディ、独特のアタックのギター、そしてデニス・ヨストのハスキーな魅惑のヴォーカルによって最高に魅力的なクラシックスIVのサウンドが生み出された。このグループはマイク・ポストがキャピトルでプロデュースした時の2枚のシングルはフォー・シーズンズの真似で、まったくヒットしなかった。そしてインペリアルに移籍してプロデューサーがバディ・ビューイに代わる。彼は、自分が所属するビル・ローリー・プロダクションズのサックス奏者であるマイク・シャープの「Spooky」を最初のシングルに選ぶ。そこでサウンドは180度変わり、デニス・ヨストのヴォーカルを目一杯生かしながら、ブルージーなマイク・シャープ本人のサックス・ソロをフィーチャーし、あのジェームス・コブの伝説のアタックの効いたギター・リフに乗せてこの曲はみるみるチャートを駆け上がり1967年に全米3位となる。この曲はビューイ=コブの作品ではなかったが、以降はこの2人で曲を作っていく。ヘヴィな「Soul Train」のあとは続く哀調を帯びた1968年の「Stormy」は5位と大ヒット、都会的で洒落ていてどこかブルーな雰囲気のクラシックスIVのサウンドが凝縮した個人的にも一番好きな曲のひとつだ。そして続く1969年のメロウで見事な転調をみせる「Traces」は全米2位、甘い「Everyday With You Girl」は19位と快進撃が続いた。この時にはスマッシュヒットに終わったが「Midnight」という哀調とドラマティックさと密度のあるサウンド、そして素晴らしいデニス・ヨストのヴォーカルという最高傑作を生み出している。クラシックスIVのアルバムは1968年の『Spooky』と『Mamas And Papas/Soul Train』、1969年の『Traces』、1970年の『Song』、そしてMGM Southへ移籍しての1973年の『What Am I Crying For』の5枚だけでカバーの多い1stを除いては全てビューイ=コブが大半の曲を書いた傑作揃い。しかしなぜか1枚もオリジナル・アルバムのCD化がない。その当時はゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのオリジナル・アルバムのCD化もなく、東芝EMIの担当者にリイシューを強く進言したが「5000枚売れますか?」の条件に「いや、そこまでは無理」と返事をせざるを得なかった。じゃあそのかわりベスト盤を好きに選曲していいですよということで作ったのが『The Very Best Of Classics IV』と『The Very Best Of Gary Lewis & The Playboys』だった。ヒット曲を入れるのなんて当たり前で、いかにアルバムの名曲をチョイスするのが腕の見せ所。クラシックスIVは当時、CapitolLegendary Master Series、オーストラリアのRavenのコンピがあったが、どれも選曲がイマイチで、「The Comic」という名曲はどちらも入っていないし「Rainy Day」とか「Traffic Jam」など漏らさず入ったコンピを作ってコアなファンの方にも満足していただいた。ちなみにゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズもあの「土曜日の恋人」にインスパイアを与えた「We'll Work It Out」や、ロッド・マクブライエン、ボブ・リンド、パレードの書いた曲などを入れ、特にこのCDでしか未だに聴けない「Sure Gonna Miss Her」のシングル・ヴァージョン、これはシンコペーションの効いた木琴が全編に入ったまったく違うテイクで非常にカッコいいヴァージョンなのだが、『The Complete Liberty Singles』なんていうCDも平気でアルバム・ヴァージョンを入れている有様。ちなみにこのコンピは山下達郎先生が「サンデーソングブック」で絶賛していただいてとても嬉しかった記憶がある。ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズはデビューから全米トップ10入りシングルが7曲連続という輝かしい実績があるので後に2イン1、3イン1でアルバムが出たものの、中間に出た『Hits Again』だけCD化されないという中途半端さが悲しい。まあそんなことで、特にクラシックスIVはベスト盤だけでオリジナル・アルバムは未だにゼロという有様なので、バディ・ビューイも浮かばれない。この機に再評価が進むことを期待したい。(佐野邦彦)
Buddy Buie.jpegBest Of Classics Iv

☆Ronny & The Daytonas:『The Complete Recordings』(Real Gone Music/RGM0376)

サーフィン&ホットロッド・ファンの中で人気が高いロニー&ザ・デイトナスの未発表4曲を含む1964年から1968年に発表された全48曲のコンプリート作品集がリリースされた。1965年のアルバム『Sandy』を頂点として、ソフトロックにも通じるような洒落たサウンドとメロディの曲も多いが、傑出したものはない。ブライアン・ウィルソンを頂点としてそれを10とすると、ブルース・ジョンストン・ワークスが8、その下のジャン&ディーン・ワークスが6でそのあたりのレベル。ただし4程度のゲイリー・アッシャーのワークスよりはずっといい。(ただしここでいうゲイリー・アッシャー・ワークスとはスーパー・ストックスなどの粗製乱造のサーフィン&ホットロッドバンドの事で、その後のサジタリアスになると一気にレベルがあがり逆転しているので誤解のないよう)耳触りはいいのだが同じようなサウンドの曲が並ぶので48曲を通して聴くとちょっと辛い。このグループの中心は、文句なしにバッキー・ウィルキンことジョン・ウィルキン。1964年の「G.T.O.」が全米4位という大ヒットなり華々しいデビューを飾ったロニー&ザ・デイトナスは同年、同タイトルのアルバムを出すが、記憶に残る曲はなかった。1965年にバッキー・ウィルキンはメンバー外で多くの曲を共作したバズ・カーソンとBuzz & Bucky1枚シングルを出していた。歌の入ったA面より、美しいメロディを持つB面のインストの「Bay City」の方が印象に残る。この年の凡庸なサーフィン&ホットロッドのシングルを出した後にいよいよ「Sandy」をリリース。このメランコリックなメロディを持つウィルキンの曲は27位と再びチャートにランキングされた。本CDにはアルバム未収録のB面のインストもきちんと入っているのが嬉しい。そして1966年に名盤『Sandy』をリリースする。全編がドリーミーで「Nancy」のようなソフトロック系ともいえる転調を生かした曲も多く、サーフィン&ホットロッドを脱却し、フォークロック系にスタンスを移していた。声をはりあげないボソボソとした歌い方も曲にマッチしていた。ただし1966年ではこれでも良かったのだが。さて、このCDでは嬉しい事にその後のシングルまで追っていく事ができる。『Sandy』以降1968年までの13曲は、ロックレヴォリューションの時代に突入した中、ドゥワップ調、ロック調、ボイス&ハート風、サイケなどと迷走、その片面はいつものウィルキン調が多く聴きやすいのだがヒットするとは思えず、後半はもうオリジナルでは勝負できないとカバー曲に一気にシフトしている。限界がはっきり伝わってきた。4曲の未発表曲・テイクはまあそれなりの出来で、やはり落ち着くウィルキン調の「Angelina」が一番いいかな。(佐野邦彦)
The Complete Recordings