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2015年2月10日火曜日

★第7回 宮古諸島ツアー2015

Journey To Miyako Islands 2015


佐野邦彦






障害者手帳もらった頃は、飛行機での旅行など考えられず、宮古も八重山もう14回も行って見ていない場所なんてほとんどないから行かなくていいやと言い聞かせてきたら、ついに宮古島と伊良部島を結ぶ日本最長の無料の橋、伊良部大橋が開通すると言うニュースが入ってきた。なんと長さは3540m。フェリーではレンタカーを「もっとつめて!」と言われるので少し緊張して乗船していたのに、これからはあっという間に橋で渡れちゃうんだ。宮古島に最初に来たのは2003年。工事は2007年から始まった。過去6回行った宮古でずっと出来ていく様を見ていただけに、この橋を渡りたくて、行こう!と決心する。

27日(土)

ネコがいるから社会人の子供が休みの土日しか行けず、宮古12日というもったいないプラン。でも伊良部大橋さえ渡ればいいのだ。もう泳げないしね。131日に開通、それから間もない2月7日の土曜日に出発した。天気予報は2日とも曇り時々雨。冬の沖縄はずっと天気が悪いのは有名で、12月から3月は、晴れを期待していてはいけない。
宮古で直行便はJALグループのJTAだけで、145人乗りボーイング737-400と小さいが、2月なのに満席である。朝の655分発なので、車椅子のこともあり、早めに出るつもりが少し遅くなり、環八走行中、首都高の指示が出たので思わず乗ってしまった。(障害者なので高速は半額で使いやすい)すると嫌な予感。大橋ジャンクション?これって霞が関近くまで行ってC1で回って羽田に行かせるつもりじゃあ...。予想は的中、これじゃ超大回り、ブーメランだ!とブツクサ文句を言うが、もうこれで行くしかない。おそらく環八を走ったのと同じ時間くらいで羽田空港へ着いた。羽田空港の駐車場は11500円と超ディスカウントしたので、2月、それも6時台なのに、空港までの通路がある4階はもう満車だ。

3階の障害者スペースに停めて4階へ上がると4階の障害者スペースは空いている...。引き返すのもめんどうなので南ウィングへ。車椅子のことを尋ねると「JALスマイルサポート」へ案内される。するとそこで車椅子を預かってくれ、空港内で使う小さい車椅子を貸してくれる。普通の荷物も預かってくれるようだったが、1泊2日なので預けるのは車椅子だけだ。
6時30分頃に今まで無縁だと思っていた「車椅子の方や妊娠中の方の優先搭乗を開始します」のアナウンスで、すぐに「佐野様ですね?」とCAさんが車椅子を飛行機の入口まで押してくれる。そこからは「少し歩けます」と言ってあったので、歩いて席へ向かうが、出入口近くの席が用意されていた。宮古空港には1010分に到着。乗客が全員出ると、もう車椅子が飛行機の出口に待っている。そして手荷物を受け取るカウンターへ行くと、別のCAさんが自分の車椅子の前で、笑顔で待っていてくれた。素晴らしい連携で感激だ。
;空港で宮古ではずっと使っているフジレンタカーという会社のレンタカーを使う。免責保障に休業補償のオプションを入れてもリッターカーで2日間7300円。同じ条件でトヨタレンタカーだと15000円、2割くらい登録すれば引いてくれるようだがまあ圧倒的に高いので、旅行会社で進められるレンタカーには絶対申し込まない。高いだけ。いつでもどこでも自分でネットを調べて予約する。だいたい小さい会社は、「傷の確認お願いします」とかうるさいことを一切言わない。大手はウザいので嫌い。
宮古空港が緩かった時は、返却は空港に適当に停めて鍵はダッシュボードに置いて鍵をかけずに帰ってよしという離島ならではの「乗り捨て」が出来て最高だったのだが、今は空港がうるさいそうでダメになった。(新石垣空港もダメになった)外へ出ると日差しが強く青空。お店の人に「昨日までずっと雨だったんですけど、こんないい天気は久しぶり」と言われ思わずにんまり。ここ何年かの闘病生活の神様のご褒美かな。
気温は20度を越え、陽射しが強く、上着なんて着ていられない。でも翌日は降水確率80%という予報、今日中に回らないと後悔するので、まずはすぐさま伊良部大橋へ向かう。昼食なんて後回しだ。
レンタカーに手動運転車などあるわけないので、宮古島でのドライバーはまだ初心者マークの妻に代わる。宮古に来て1年目という受付のお姉さんはまだ伊良部大橋に行ってないそうで、「久松のあたりから入れるけどカーナビにはまだ反映されてので、標識があるだろうからそれを見てください」とまあ、頼りない返事。パイナガマビーチなどがある宮古のメイン通りの390号線を進み、久松方面へ行く「久貝(北)」という交差点を曲がると久松地区へ。
標識は...と探していたらもう目の前に伊良部大橋が!橋へ行く一本道が出来ていたのだ。さっそく橋を渡る前に駐車して写真やビデオを撮影する。橋のたもとから遠く伊良部まで続く伊良部大橋を見ると直線ではなくかなりカーブしていて、さらに大きなアーチが2か所ある。伊良部島へつながる部分は遠すぎてよく分からない。頭の中に描いていた橋のイメージよりはるかに大きく、そして優美でもあり、圧倒された。
そして橋の下の海の美しい。珊瑚礁特有の翡翠色の海が左右に広がっている。フェリーで渡っていた時は碧い海だった。イメージがあまりに違ったが、考えてみれば橋は浅い海の部分を選んで作ったのだろうから、こういう珊瑚の海があることを知らなかっただけだったのだ。さっそく車で走り始める。アーチの部分はそそり立つように高く見えたが、車がカーブに入っていくと、特にアクセルを感じることがなく自然に上がっていく。


下がる時は平たんな場所ではガードレールで遮られていた視界が一気に開け、翡翠の海が目に飛び込んでくる。時間にして6分ほどだったが、よくこんな凄い橋を作ったものだ。伊良部島へ入るとさっそく、伊良部島とほぼ地続きの下地島にある下地島空港へ向かう。その下地島空港沖の突端の道路に入るには巨石がゴロゴロと海にころがっている奇観で知られる佐和田の浜の道を進んでいけば空港フェンスが見え、周遊道路へ入っていく。そして突端へ。八重山・宮古の美しいビーチでも3本の指(他は多良間島のウカバと波照間島のニシハマ)に入る見渡す限り広がる輝く翡翠色の海は、いつ見ても本当に素晴らしい。


車を降りてしばらく眺めていたが、今まではJALANAの訓練飛行が行われ、巨大旅客機が轟音を上げてこの海の沖から我々の真上をかすめてタッチ&ゴーを繰り返す勇壮な光景が見られたのだ。DVDが何枚も出たほどの人気だった下地島空港。
しかし経費削減でフライトシュミレーターへ移行という理由でまずJALが撤退、そしてANAも撤退して、この海からジェット機が消え去ってしまった。たまに海保やRACのプロペラ機の訓練が行われることがあるそうだが、いつまで待っても一機も機影がなく、かつての賑わいを知っていただけに淋しさがつのる。
下地島空港は3000mもの滑走路を持ち、宮古空港、新石垣空港の2000mに比べはるかに大きく、那覇空港と同じで大型ジェットも使える。しかし伊良部大橋ができて宮古空港と車で30分ほど。人口5万の島に大きな空港2つ必要なはずもなく、島では物流拠点にと企画をあげるが応募などあるはずもなく、空港維持費の6億円の負担だけが重くのしかかる。中国軍への牽制のため、那覇より250㎞も国境に近い下地島空港に自衛隊配備の声が強いが、沖縄返還前の覚書で下地島空港は軍用では使わないとされていることがネックになって、今後の利用方法はまったく決まっていない。もったいない。
その後は今まで「魚が見られない」という理由で行っていなかった渡口の浜へ行ってみる。


きめ細かい白砂に囲まれたきれいなアーチ型のビーチで、駐車場から歩いて100mちょっとだったので、歩いて波打ち際まで行ってみた。白砂の上もなんとか歩け、1年前では夢だったビーチを歩いている自分に我ながら信じられない思い。これも定期的な化学療法と、週2回のリハビリの賜物、泳ぐことは考えられないが、海を目の前で見られるだけで十分だった。次に伊良部島側から伊良部大橋がよく見える絶景のスポットを道路際で見つけ、アダンの木をフレームに入れながら記念撮影。



残る目的は前にも紹介した「うずまきパン」だ。このうずまきパンは、ロールケーキのように中心にクリームが渦をまいたように入っているが、バタークリームにグラニュー糖がたっぷり入っているのが特徴だ。元祖の伊良部島の「まるそう」のうずまきパンは、クリームの量も圧倒的に多いし、なによりもグラニュー糖のジャリジャリ感が半端ない。このジャリジャリがなきゃうずまきパンじゃない!と一度食べると多くの人ははまってしまい、今や大人気になっている。値段は一個125円、見た目は袋入りのただの大きな菓子パンだ。いつも買っていたCOOPには1個もなく、聞くとファンがごっそり買っていってしまうのだとか。やられた!コンビニにもまるそう以外のものしかなく、これ以上探しても無駄なので、昔から置いてあった宮古空港の売店に賭けることにして伊良部島を後にする。
反対側から見る伊良部大橋の景色も趣が違い、これは明日も渡らないと。宮古島では昼食用にコンビニ弁当を買って車中で食べ時間短縮、さっそくうずまきパン探しを再開する。参考にするのはネットで見つけた「元祖うずまきパン名鑑」というサイトだ。宮古・八重山でのコンビニといえばココストアだが、そこの松原南店にはあるという。さっそく向かうと3個のまるそうのうずまきパンが。もちろん全部買うがこれではまったく足らない。東京では何人ものうずまきパンファンが待っているのだ。


新しく出来た宮古島の特産品を集めた大きな「道の駅みやこ」というスーパーのような店では、まるそうのうずまきパンのコーナーだけひとつもない。うーむ、これは手強いぞ。祈る思いで宮古空港へ行くと大量に置いてある店があり、自分が食べる分も欲しいので12個購入、これでやっと目的が達成できた。
もう日帰りしてもいいくらいの気分。(まるそうのうずまきパンは日持ちしないのでネット販売はないし、東京のわしたショップでも売られていない。宮古島でしか入手できない)未だ16時頃だったが、もういいやと宿泊するホテルサザンコースト宮古島へ向かった。
途中、油断してビデオのバッテリーチャージャーを忘れたためバッテリーの充電のため、ベスト電器へ寄って充電してもらう。たったの500円で充電してくれ、石垣島のベスト電器でも同じサービスがあるので、もし同じような場合があったら是非諦めずにここでチャージして欲しい。

28日(日)

翌日、朝食のバイキングを食べてロビーにあるパソコンでネットを見ていると、後ろにオリックス・バファローズのユニフォームを着た人が座っているではないか。レプリカ?と一瞬思ったがこれはどうみても本物のユニフォーム。よく見たら、ホテルの前に大きな「ようこそ!オリックス・バファローズ」の幕が張られている。そう、ここはオリックスの2軍の宿泊所だったのだ。このホテルは明らかなビジネスホテルで、1軍は宮崎。2軍だからこのホテルなんだ...とまあ納得。
自分はリゾートホテルなんて高いだけで繁華街から遠く、無駄という理由で一切チョイスしないようにしている。このホテルも宮古一の繁華街、西里へタクシーでワンメーターの距離で、好きな店で自由に食事や買い物ができる。何万も払って不便なリゾートホテルに泊まる人の気がしれない。深夜は大雨だったが、朝になると雨は止んでいた。しかし曇天。さらにかなりの強風。でも昨日に撮影は終了しているので、もう時間つぶしで1日過ごすだけだ。
まずは「紅いも餅」という絶品の餅が食べられる池間島のたもとにある「海美来」という店へ向かう。宮古島と池間島を結ぶ池間大橋も1425mあり、最高に美しい翡翠色の海を切り裂いて進んでいく。今日は曇りでいつもの色ではないが、それでもきれいだからたいしたもの。紅イモ餅はこの店の手作りで、その場で食べるしかない。紅イモの餅の表面にゴマがびっしりとまぶしてあり、アンコなど入らず、紅イモ本来の優しい甘さが味わえる。1200円だが十分に大きく、絶対にお勧めの一品である。お口直しにサザエのつぼ焼きを食べるが1150円と安い。
食べたらすぐに宮古島へ戻り、西里のA&Wへ。ここのルートビアは、東京で缶を買って飲んでもさしておいしくないのに、宮古でジョッキで飲むと美味しい。その後は再び伊良部大橋へ。この日は風速15m以上の強風で、ハンドルが取られるそうだ。この強風の中、宮古島内もそうだが、多くの完全装備のトライアスロン用のコスチュームに身を包んだ自転車乗りが数多く走っている。車に乗っていると実に邪魔。宮古島はトライアスロンのレースで有名で、今年からはコースに伊良部大橋も入るので訓練しているのだろうが、この強風、そして急坂、途中でこっちへ倒れてこないかとヒヤヒヤする。トライアスロンとか興味がまったくないので、こういう「チャリダー」は嫌いだ。
伊良部に着いたら牧山展望台へ行ってみるが、せっかく着いたのに工事中で入れず、表示が実に不親切。まだ沿道で桜が咲いていたので、それが見られただけ良しとするか。



最後に宮古島と来間島を結ぶ来間大橋で〆だ。この橋も1690mもあり、特に来間島へ渡って展望台から見るとこの橋がかかる海の美しさに息を飲むほど。翡翠色から群青色に変わっていく色だ。ただし今日は曇りだから魅力は半減以下。何度もきれいな景色を見ているので、一瞬見てすぐに宮古島へ戻る。
来間島には小さい店はあるが池間島みたいに駐車場付の大きな店が無く、また宮古島の店の多くは日曜日が休みで、さらに冬季休業とか、雨天休業とか、ゆるいというかやる気がないのだ。まあそこが魅力なんだけど、行こうと思っていた店は案の定休みだったのですぐにとんぼ帰りする。
最後は西里にある、島では珍しい24時間営業の喫茶店レオンでのステーキ定食で夕食だ。ステーキとライス、スープ、サラダがセットで1250円。2003年の時は1000円だったが、それにしても安い。もちろん霜降り肉ではないが、霜降りとか大トロとかしつこいだけで好きではないので赤味の肉の方が美味しい。何よりも肉にかけるタレが絶品なのだ。毎回行くたびに食べているのでこれで7回目だが相変わらず美味しいのでおすすめである。

空港へ着く頃にわずかに雨がフロントガラスに付いたが、降水確率80%と書いてあったのに雨はなし。宮古島のタクシーの運転手に昔、「天気予報なんて当たらないから誰も信じていないさー」という言葉を思い出す。島の空は予報などできないようだった。羽田行の直行便は1955分発だったが、羽田で昼ごろ落雷があって機種を変更したとかで1時間の遅延となる。
2055分に出発となり、羽田には2325分と遅い到着となった。帰りは飛行機から荷物を受け取るゲートまで遠いが、15分くらいの道のりを、空港の男の係員さんがずっと車椅子を押して行ってくれる。こんな遠い距離なのに本当に親切だ。やはり到着すると車椅子がちゃんと用意されていて、すぐに乗り移ることができた。日本の障害者サービスも相当のレベルに来たなと、感謝と嬉しい気分。また飛行機でどこか12日で行って見ようと思えたサービスだった。
翌月曜は、私は体力的に職場に休暇を出していたので、帰りの運転は自分が担当する。相変わらず環八への入り方が分からずにカーナビの指示もメチャクチャで空港を3週してようやく環八に入ることができた。木曜からはまたいつもの定期入院。今度はマイルがたまっているのでマイルで予約できるような場所を探していきたい。予算もないしね。宮古・石垣の直行便は空きがなく、マイルでの予約は不可能に近いので、どこか他の場所になると思うけど...。足が悪いから山坂がダメだし、なかなか候補が難しい。でも今回の旅行で自信が付いたので、また行ってみよう。(佐野邦彦)

 














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