Journey To Yaeyama Islands 2013
冒頭にいきなり書いておくが、この第8回八重山ミニ・ツアーは本当に危機一髪だった。というのも帰ってきた4日後に突如イレウス(腸閉塞)になり夜中に緊急入院。さらにその4日後に開腹の大手術、3月の開腹手術が非常に大きなものだったのでその影響らしい。たった2か月での開腹手術は非常に辛く、また入院中に見つかった新たな病変で現在やっと退院したのにまた再入院が待っていて本当にツアーのあとは散々である。
しかしだ。もし八重山の離島でイレウスになっていたらどうなっていたか分からない。入院しても遠い石垣島の病院で、一人で過ごさなければいけなかっただろう。だから運が良かったと考えることにした。
5月に9か月ぶりに職場復帰してたった24日でまた病院生活に逆戻り。このイレウスは本当に晴天の霹靂だったが、職場復帰して短期間でいくら2泊3日(実質2日のみ)とはいえ、なぜ八重山へ行こうとしたのか。
それは昨年の脊髄の腫瘍による長い長いリハビリに起因する。手術前は足も動かせなくなり、術後のリハビリもPTにつかまってもよろけてまったく歩けず、車椅子生活も覚悟した。
その後のリハビリ病院へ転院し、1日3時間、土日も正月もないリハビリ生活でようやく杖で歩けるようになった。その時にPT、OTに「夢はまた沖縄の白い砂浜を歩くこと」といつも言っていたが、返事は「そうなるといいね」という程度でしかなかった。
必死のリハビリで杖なしになり、毎日の散歩、次いで自転車の練習、自動車の運転練習とステップを踏み、1時間程度なら歩けるようになった。
だから沖縄のふかふかサラサラの白い砂浜を実際に歩いて、ずっと夢見ていたあの翡翠色の海を間のあたりにしたくなった。
多額の入院費の支払いでJALのマイルは10万マイルをとうに超えていたのでこれを使わない手はない。人気の6月後半~9月の特典航空券は直行の場合、取れる可能性はゼロに等しい。5月なら空いているのではと検索したら行きは午後だが、帰りは最終の直行便が2人ずつ予約できる。
このチャンスを逃す手はないとすぐに予約を入れた。
ホテルはじゃらんでビジネスホテル。動けるのは土日2日だけなので日曜の西表島だけレンタカーを取った。土曜の波照間島は電動自転車があるというので、行動が楽な自転車の予約を入れた。その他準備はあっという間に終わった。
☆5月17日(金)
沖縄は梅雨の真っただ中でずっと雨と曇りのマークばかり並んでいたが、願いが通じたか土曜と日曜は晴れ/くもりのマークにかわっていた。
飛行機は羽田14時15分発、到着は17時30分だ。着いたのは開港してほどない新石垣空港。前よりずっときれいになっていて店や食事をするオープンスペースも多く、とってもリーズナブル。
滑走路が1500mから2000mになったので、ANAも直行便を飛ばしたため、ますます八重山は栄えていきそうだ。タクシーでホテルのある離島桟橋へ向かうが、車中でタクシーの運転手に、多少おべっかを込めて「石垣島は宮古島に比べて栄えていますね」というと「宮古島の方が海はきれいだよ。(本当)石垣島も昔はきれいだったけどね」との返事。続いて「今回は波照間と西表に行くんですが」と話しかけたら「石垣島から出たことがない」というさらに驚く返事。「島の人間は上(沖縄本島かヤマト)へは行くけど、下(離島)の方へは行かないさー」だという。
我々ヤマトの人間はあの翡翠色の海だけで感動してしまうのに普段からその景色の中にいる島の人間はわざわざより不便な離島など行かないのだろう。ちょっと目からウロコ。
宿泊のホテルピースランド石垣は値段に見合った古いホテル。荷物を置いてさっそく焼肉「やまもと」に向かう。
ここは予約なしでは入れないのでしっかり電話を入れておいた。しかし退院してほどないので上カルビや上ロースは油が強すぎ、美味しかったが、次の日の予約はキャンセルしてしまった。やはりここは体調万全で来ないと。
今日は八重山で最も美しい海が見られる波照間島へ行く。便数の少ない波照間便は予約が安全なので事前予約をしておいた。空は快晴だ。文句なしのシチュエーション。海も穏やかで外洋に出てもほとんど揺れない快適な船旅。船窓から順に竹富島、小浜島、西表島が現れ、その後反対の船窓に黒島とパナリが過ぎ去っていく。
波照間港でレンタカーオーシャンズまで少し歩き電動自転車を借りる。予備バッテリーも籠に乗っていてこれは親切だ。坂を快調に上がり右へ曲がると「ニシハマ」の表示が出てくる。そこを右に曲がると目も覚めるような美しい翡翠色の水をたたえたニシハマが目に飛び込んできた。
いつもはレンタカーだったが、自転車で風を切って海へと下っていくのが心地いい。
まだ5月なので観光客も他に数えるほど。神様はどうしてこんな美しい色合いを与えてくれたのだろう。3時間ほど海を眺めていたが飽きることなどまったくない。
この白浜を歩く夢がかなったんだ。何か月も努力した甲斐があったなと感慨はひとしお。
ただ1時を過ぎると波照間の店は昼休みになってしまうので12時過ぎにニシハマを後にして、まずは毎回行く雑貨店「モンパの木」へ。
貝殻のブレスレットやTシャツを買い、この店のセンスの良さに満足。店のご主人と最初にあったのは今から13年前だが、長髪だった店主も今は丸坊主。自分も太ったり痩せたり。そしてほぼ隣にあり前回行ってすっかりファンになった喫茶・軽食の「みんぴか」へ行き、「黒糖杏仁豆腐」を注文する。サンピン茶との相性も抜群でこれほど美味しい杏仁豆腐に出会ったことはない。絶対お勧め。
その後、食事できる店を探すがつぶれてしまったようで他に店がなく、ニシハマの近くの屋台でカレーを食べる。
腹ごしらえをしたところで昨年車だと道が分からずたどり着けなかった底名溜池展望台へ向かう。自転車で行っても道は非常に悪路でこんなところに展望台を作るなんて信じられない。ようやく到着したがカタツムリのような階段を上がって見えたのは、灰色の海だけ。雲が多くなっていたこともあるが、こんなところに2年越しできたのかとガッカリして1分もいないですぐ後にした。その後は自転車で集落の売店へ行き、飲み物など買って公園で休憩。最後にニシハマに一度戻ったが、午後は干潮なのであの光り輝く海ではなく、すぐに港へ戻った。夜はラーメンで簡単に済ませる。
☆5月19日(日)
今日も天気はまずまず晴れ。
便数の少ない西表の上原港行の船は早く乗らないと窓際はすぐ埋まる。今日は昨日とは逆の位置に巨大な西表島が現れ、鳩間島も目に飛び込んでくる。
遊歩道が整備されたので行きやすいがアップダウンがあり、リハビリ後の足でどうかと思ったが難なく歩くことができた。ここまで回復できたなんて本当に感謝するしかない。道程は片道1㎞、うっそうとして湿気の高い森の中を歩いて炭坑の遺構に到着した。
石炭を運び出したレールを支えたコンクリートの橋脚やレンガの支柱にはガジュマルが何重にも絡みつき、まさに天空の城ラピュタ。人工物が自然の力でもとの土くれに還っていく姿は侘しいがどこか美しい。しばらくこの姿を呆然と眺めていた。行き帰りで出会った人はただ一人でまだまだ観光地化されていない。昔はここに大勢の住宅が立ち並び、売店や映画館もあったというが、それらは全て土に還っていた。
これらの西表島の炭坑はジャングルの奥に幾つかあったが、炭坑夫の多くは騙されて連れてこられ、金ではなく炭坑券という兌換券だけを渡されそれで飲み食いをしていた。
マラリアの巣窟だった当時の西表の環境は過酷そのもので逃げ出す者は数多く。
しかし島の港や石垣の港には炭坑の人間が待ち構えていて、連れ戻されるとリンチが待っていたという。
まさにタコ部屋。炭層が薄いので男は手掘りで腰を屈めて掘り進め、その高温多湿さに一緒に働いていた女は腰巻ひとつで胸もあわらにしていたほどだという。
労働基準法で最も罰則が重いのが強制労働だというのもこういう過去があったからだ。そんな悲しい歴史を帯びた炭坑ももうジャングルの彼方に消えていく。
この後はまだ立ち寄ったことのないトゥドゥマイ浜(月ヶ浜)へ行ってみる。きれいな弧を描いた穏やかな浜で左の彼方には大きな岩が島のように立っていた。
右は半島が飛び出ている。誰も来ない静かな浜で、時期も良かったのかもしないが、石垣島の明石集落のビーチのようにプライベート感覚たっぷりで収穫だ。散策に向いているだろう。
そして数度訪れた西表で一度も行ったことがない有名な由布島へ行く。30分置きに出発する水牛車にちょうど間に合い、ゆったりとうっすら海水が覆った由布島へ渡っていく。
ここは植物園、売店、食堂ととても観光化されていて、案内のインストラクターの話も面白く、よく出来ている。こんな何もない小島をこれだけ隆盛させた島の創始者である西表正治夫婦の努力はさぞや大変だっただろう。たくさんいる水牛はとても大事にされていて、仕事のない間は水の中に浸かっていて実にかわいらしい。
そして残りの時間で南風見田の浜にあるという「忘勿石」を見に行ったが、満潮でその石のある側へたどり着けず、岩を乗り越える脚力もないため、見ることを諦め後にした。
この石は終戦末期に日本軍の軍曹によって波照間島の島民はみな強制的にこの浜へ移住させられ、マラリアが蔓延する西表で大勢の島民が命を落とした。海の向こうに見えるマラリアのない故郷の波照間島を見て島民がどのような思いで過ごしたのだろう。その悔しい気持ちを掘り込んだのがこの石だった。こういう強い思念がこもった石なので見なくてよかったのかもしれない。
帰りは大原港で車を乗り捨て、石垣島へ戻った。新石垣空港はお土産が充実していたので、みやげは空港で十分。夕食はタコライス。
19時10分に石垣を出て、羽田には22時到着。石垣は見事に晴れていたのに羽田は大雨。やはり2000㎞離れていると全く天気が違うなとその距離を痛感。短い旅行だったが、見どころは多く、満足な気持ちを抱えて家へ向かった。
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