沢田研二の1975年5月5日オン・エアーの「白い部屋」から1990年2月21日オン・エアーの「DOWN」まで、フジテレビの超人気番組だった「夜のヒットスタジオ」の全102回にわたる出演シーンを、歌だけでなく恒例の冒頭のオープニング・メドレーまでDVD6枚に収録したファン感涙のボックス・セットである。全部で589分と10時間分もある究極のコレクターズ・アイテムと言えるだろう。まだ激太りをする前であり、美しいJULIEを堪能できて幸せだ。男でも惚れ惚れしてしまう。JULIEは自分にとって日本のミュージシャンの最初のヒーローだった。
小学校時代GSで目覚めたもののブームは失速、その中で残ったのがJULIEである。何しろ、まだ洋楽的なものは日本の音楽シーンで主流ではなく、ましてやロックは日陰の存在だった。その中で洋楽の香りがありロックを歌っていたJULIEは自分の世代の代弁者だった。今では分からないだろうが、1973年に「危険なふたり」が五木ひろしの「ふるさと」を抑えて歌謡大賞を獲得した時に私はテレビの前で万歳をしたのを思い出す。私の親はロックを否定することなどまったくなかったが、自分の世代が旧世代に勝ったという気がして、自分のことのように嬉しかった。このボックスでは1977年10月のヴァージョンを見ることができるが、ビートもあってキャッチー、JULIEはメチャクチャカッコいいし、ほんと、最高である。ちなみにこの曲は作曲がワイルド・ワンズの加瀬邦彦、シングル盤の演奏は井上堯之バンド(当時)でギターの井上堯之とキーボードの大野克夫はスパイダース、ベースの岸部修三がタイガースと、GSの仲間がみんなでJULIEを支えているのが嬉しかった。ちなみに加瀬邦彦と大野克夫はずっと沢田研二の曲を書き続けたし、ブルー・コメッツの井上大輔も後に曲を書いていて、JILIEの存在がGS仲間を強く結びつけていた。そしてさらに「夜のヒットスタジオ」の司会はスパイダースの井上順である。JULIEが出演した時のこの二人のコミカルなやり取り、仲の良さを見るのも大きな見どころである。JULIEのファッション、そして後にメイクを見るのも、このボックスの大きな見どころなのだが、個人的にはやっぱりJULIEは歌であり、個人的なハイライトは1975年の初登場で歌った「巴里にひとり」だった。この曲は数あるJULIEの曲でもベスト3に入る名曲中の名曲であり、洒落た転調と美しいメロディは日本のソフトロックとしても白眉の出来栄えである。この曲はフランスでもヒット(作曲はフランス人)して当時、全仏チャートの4位に輝いている。ちなみに「危険な二人」の年にリリースされたアルバム『JULIE VIある青春』は、名曲揃いで、今でも私の愛聴盤、聴いたことのない人はこの機会に是非聴いてほしい。(佐野)
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