2011年9月28日水曜日

★第7回 八重山諸島ツアー2011





Journey To Yaeyama Islands 2011

佐野邦彦


                          波照間島・みんぴかより見えるニシハマ









7月28日(木)




沖縄県八重山地方のみ、それも4つの部落だけで、非公開で行われる豊年祭がある。この豊年祭にはアカマタ、クロマタという来訪神が現れるのだが、この4つの部落全てで写真、ビデオ、録音、携帯電話、さらにはメモも取ることも禁止しているため、詳細は不明で、このインターネットの時代においても1枚の写真も見ることができず、完全な秘祭といえよう。

私はこのWeb VANDAの旅行記でもその存在について折に触れ書いてきた。行われているのは新城島(パナリ)、小浜島、西表島の古見、そして石垣島の宮良。パナリのアカマタ、クロマタは昭和30年代に撮影された写真が一部の本に掲載されていて、実は私はその異形な姿を見てすっかり心を奪われてしまったのだが、そのパナリはここ3年、島に住む方に頼んでいたものの、今年も一切、非公開と告げられ、断念せざると得なかった。小浜島と西表島の豊年祭の情報は非常に乏しい。(ただし古見の豊年祭は、古い雑誌にその写真が掲載されていた。アカマタ、クロマタに加え、シロマタも現れる古見は、これらの部落の豊年祭の原型と言われているが、その姿かたちはパナリのそれと大きく異なっていて、祭りでの行動もかなり違う)
その中、石垣島の宮良部落の豊年祭は、石垣市の中心から車で30分くらいの場所にあり、公開は一切していないものの、来る人をチェックし排除するまでには至らないようだ。これは脈がありそうだ。石垣市では宮良の豊年祭の日程をオープンにしている。2日のうち、後半の夜のムラプールに現れることは知っているので、その日は7月28日。もう7回目の八重山といいながら石垣島に友達がいるわけではないので、あてはまったくない。
しかし日程だけ分かれば、あとはすべてぶっつけ本番で、人に尋ねればなんとかなるのではと、飛行機の予約を入れてしまった。もちろんまだまだ持っているマイレージを使う。昨年の9月から、長崎、熊本・高千穂、北海道の道東、そして石垣島ともう4回もタダで行っている。日常の支払をクレジットカードにするだけでこれだけ行かせてもらえるのだからありがたいものだ。
妻にも見に行かないかと声をかけたが、木曜日なので職場がそんなに休めない、また私のように魅入られているわけではないので、行かないという。それじゃあ豊年祭が終わった翌日、金曜の夜から合流しようと話がまとまった。まずは頼れるのは地元の人と、宿泊するホテル、使用するレンタカーの会社に、ダメもとで宮良の豊年祭の情報を求めておいた。すると宿泊先のホテルの方が親切にも当日の時間、会場の場所などを、石垣市役所に尋ねて聞いてくださっていた。このホテルアイランドリゾート石垣島イン八島は、各部屋の中に洗濯機と乾燥機が置いてあるスグレもの。どのホテルにも洗濯機・乾燥機は設置されているものの数が非常に少なく争奪戦となり、それだけで一仕事だったので、これは特大ポイントだ。石垣島のリピーターには是非ともおすすめする。
さて、話は戻るが、会場の情報は「宮良の知念商会の近くの広場」というだけだ。駐車場があるかどうかは分からない。タクシーで...と勧められたが、東京と違って流しはないので帰りの保障がない。まずはとにかく下見と、車で宮良部落へ向かった。宮良川が出てきたので近い。ドキドキしてきた。すると道端の「ビデオ・写真・携帯電話 撮影・録音絶対ダメ!!」の看板が目に飛び込む。






やはりな。大丈夫かなと思ったがその横に「一般駐車場」の矢印が。一般...では部落の人以外でも大丈夫そうだ。さっそくそちらに車を進めて停車する。停まっていたのは他に1台のみ。まだ開始時間までには2時間もあるが、早くに行こうと思い、まずは道端にある知念商会を探す。
店はほどなく見つかったが、その商店の周りに広場らしいものがなく、人気もなく、途方にくれる。これはこの店の人に聞くしかない。ジュースを1本買ってレジで聞いてみたが、若い人だったので、こっちの方だと思います、というアバウトな返事。これじゃ分からないなと思ったら、奥から中年の主婦の方が出てきてくれて、この道を登っていけば広場が出てくるからと具体的におしえてくれた。

通行止めとなっている道を少し歩くと広場が出てきた。その広場の奥にパイプイスが並べてられていてのだが、まだ早いので地元のオバアが4人座っていたのみ。広場には赤と白の鉢巻をした着物姿のシンカと呼ばれるアカマタクロマタのお供の若い男性が放送設備のセッティング中、何も聞かずにええいと広場を横切って端っこのパイプイスにどっかりと座る。タブーは守るとの意志を表すため手ぶらで行ったのがよかったのか、誰にも声をかけられなかった。

会場の向こうの森からはドンドンドンという3連の太鼓の音がずっと聞こえている。あの森が、アカマタクロマタが生まれるというナビンドゥなのだろうか。夜の帳がおりてくると会場はいつしか500人くらいの人で埋まっていた。太鼓の音が聞こえる森からは女性や年配の男性達が列を作って会場へ集まり始め、赤い鉢巻、白い鉢巻の集団がそれぞれ100人くらいずつ、広場に分かれて座った。

夜の7時からは来賓の挨拶が続き、7時半に宮良公民館長から「聖地ナビンドゥより我々のニイル(ニイルピィトゥ=来訪神か?)の神様がやってこられます。その時は皆様、ご起立願います」とのアナウンスが入る。すると森の方からのぼりが2本現れ、その後ろのシンカの隊列の向こうに巨大な影が2つ見えてきた。

アカマタクロマタに違いない!この日は部落中の照明を落としているので、見えるのはほとんどシルエットだけ。これだけで凄い迫力だ。すると太鼓の音が突然ドドドドドドドンと連打に変わった瞬間、アカマタクロマタが広場に飛び込んできた。
でかい!高さは2.5m、横は2mはあるだろう。体中が草で覆われ、それぞれ赤と黒の巨大な面をつけているが夜光貝の目だけが夜の帳の中でキラキラ光り、その迫力はとても言葉では表現できない。子供が一斉に泣き出したという事実だけでもその衝撃が伝わるだろう。
すると鉢巻姿の村民が一斉に歌い始めた。歌は掛け合いで歌われ、みな声を限りに大声で歌っている。歌詞は一切分からないが明らかな沖縄の音階で、そのキーは高く、全身全霊をかけて歌う。歌に合わせてアカマタクロマタは上下に体を揺すり、2本の幟を持つ旗手は旗を互いクロスさせながら飛び上がるように踊る。そして後半、歌い手は一斉にアカマタクロマタを取り囲み、手を叩き、踊りながら、出会えた喜びを爆発させた。歌はユニゾンになり、宮良の夜を歌で覆い尽くした。演出の見事さ、歌の素晴らしさに私は感動して涙ぐんでしまった。祭りには出店のひとつもないが、この豊年祭をみな心から待っていたことが伝わってくる。畏敬の念にあふれ、これこそが祭りの本来の姿なのではないか。
ここでいったん、広場での儀式は終わる。この後、2つの神は、シンカと歌い手と共に部落を一晩中、朝までかけて一軒一軒めぐり、祝福を与えていくのだ。もうこれだけ見られれば十分だと思い、一般駐車場の方向へ向かうが、なにしろ暗いので人の後を付いていくしかない。
すると突然、あの太鼓の音が聞こえてきた。見ると脇の家に人が集まっている。集まった人の間をぬって前へ出ると、ちょうどアカマタクロマタが民家を訪れているところだった。アカマタクロマタは広場さながらにかけあいの歌に合わせて上下に体をゆすっている。歌は広場でのテンションを保ち実に見事だ。広場では正面にいながら暗くてよく見えなかったので、アカマタクロマタの顔をよく見たかったが、ちょうど横からだったので見られたのは横顔だけ。歌が終わるとシンカはアカマタクロマタをさっと取り囲み、慌ただしく移動していく。ここでも見られたのはよかった。
でもこの暗さではいったん国道へ出るしかない。一般駐車場は国道から入ったので、正確な曲がり角を知るにはそれしかないと、国道方面へ行こうとすると、シンカが道を封鎖し、通らせてくれない。この先で儀式をやるんだな。仕方がない。横道を回って国道へ出ると、警察が国道の車を止めている。道路は異様に暗い。
すると国道に面した神社にアカマタクロマタが入ろうとしていた。迎える家は全ての戸を全開にしてお迎えしている。家の中には20人以上いただろうか、アカマタクロマタが敷地に入ってくると全員が満面の笑顔になり、いかに待ちわびたか伝わってきた。国道側は人垣なのでよく見るために神社の横の脇道へ行き、低い塀越しに歌と踊りを眺めていた。
後日、石垣島で何回かタクシーで移動した時に運転手さんに聞いたのだが、この歌、昔から部落に住んでいる人、移住してきた人など、それぞれみな違うのだそうだ。ただ同じ石垣の人でも歌の内容は分からず、宮良の人に、いくら内容を教えてくれといっても絶対に教えてくれないし、せめて由来だけでも懇願してもそれもダメ。あそこの人にとっては神様だからさ、と苦笑していた。
今回も位置が横なのでアカマタクロマタの顔がよく分からない。こっち向かないかなと思っていたら、シンカの中でもリーダー格と思われる手に杖を持っている人がやってきて、血相を変えながら、ここはダメだ、あっちへ行けと、手で押してくる。
「早く早く!」と口走りながら押すので、道路の奥へ押し出されていくと、シンカの一団が小走りにやってきた。するとアカマタクロマタが自分のすぐ横を疾風のように通り過ぎていった。目の前で見られたし、意図せずに何度も儀式が見られたなんてなんてラッキーなんだろう。長年、恋焦がれていたから、神様がそうさせてくれたのかな。でもやっぱり横顔しか見られなかった。
駐車場へ行く道を見つけ、真っ暗な夜道を見上げると、空には降るほどの星。アカマタクロマタに出会えた喜びと、素晴らしい音楽に出会えた喜びではち切れてしまいそうな胸を、満天の星空がそっと包んでくれた。
 
☆7月29日(金)


今日は夜の7時に妻を迎えに行くまでフリーだ。マイレージのチケットなので数少ない直行便は手に入らず、那覇での乗継便なので、昨日もそうだったが到着時間は遅くなる。
今日は石垣島の近くの竹富島へ行ってレンタサイクルで島を回ろう。そう決めていた。ただ問題は新しく買ったばかりのビデオカメラだ。行く2日目にチェックしたら今まで使っていた古いデジタルビデオのカメラのバッテリーが寿命になっていたことが分かり、古い機種なので、新品のビデオカメラをインターネットで注文、翌日に届いていた。しかしバッテリーを充電しようとするとすぐにエラーが出て充電できない。もう時間がなく石垣島へ行ったら問い合わせようと、結局この日の朝、サービスセンターに電話をした。するとこれは充電器の回路異常らしい。東京でもそうだが充電器は特注なので売っていないため、困ったな、せめてビデオカメラのレンタルも...とホテルのパソコンで検索していたら、ベスト電器でバッテリーの充電サービスをやっていると書いてあった。
さっそく持っていき1回500円で充電してもらったが、充電するのに2時間はかかると言うので、竹富島は午後へ回して、時間つぶしに昨年訪れてよかった明石集落のビーチへ向かう。昨日も通った国道390線だが、宮良を過ぎ、白保を過ぎると、新石垣空港の開港も近いので、道路が急ピッチに整備されていることが分かる。道は広いし、立体になっている部分もあるし、離島とは思えない。宮古島はずいぶん差がついたな。
明石の看板を右に曲がり、昨年通った砂浜の直前まで続くジャングル道に入ろうとすると、石垣土木事務所のバリケードが組んであって通行止めになっている。ここに車を止めて悪さをした奴がいたんだろう。仕方がないと戻って公民館の前の駐車場へ止め、歩いてビーチへ行く。相変わらず人っ子一人いない、プライベートビーチだ。(写真は2009年)






観光客が多い石垣島でこれは贅沢だな。きれいだし、空に時折、近くの山からのパラグライダーが舞っているくらい。しばらくぼうっと海を眺め、公民館の所で買った冷たいジュースを飲み干すと車へ戻った。このまま戻ればちょうど2時間だ。
フル充電のバッテリーを受け取り、竹富島へ到着した。所要10分なのであっという間。港には4台のワゴン車が並び、みなレンタサイクルなのだが、一番奥に止めていたため誰も客が来ていないショップを選ぶ。ショップまでワゴン車へ移動、地図をもらってさっそく出発した。
しかし天気がいいので日差しが熱い!沖縄は風が常にあるので日陰にいれば涼しく、東京よりもはるかに快適なのだが、日差しの強さは半端でない。熱いというより痛いのだ。はじめ、カイジ浜へ行ったが、見事に干潮で、もともと砂浜の部分が少ないので岩がむき出しになって少しもきれいではない。大好きだったコンドイビーチまでの浜伝いの道を途中まで行ってみたが、こんなに干上がっていてはつまらないので引き返す。そこで一度も行ったことがなかった西桟橋へ向かう。西桟橋には先客がいたが、私が来るとほどなく引き揚げ、他に誰もいなくなった。

干潮だったが、ここはカイジ浜よりは干上がっていないため、海は空と同じ薄いブルーに輝き美しい。右には石垣島、向かいには西表島、そして左には島のビーチが見える。あのビーチは...そうだ、コンドイビーチだ。満タンに充電したばかりのバッテリーでビデオを撮り、デジカメを撮って、それからこの静かな誰もいない贅沢を味わって、自転車へ戻った。
その後は竹富島の集落を走ってみたが、あのきれいなサンゴを敷き詰めた道は意外と走りづらい。タイヤが埋まってしまうのだ








島唯一の展望ポイントであるなごみの塔の横も通ったが、待ちの人が相当数並んでいたのですぐに諦める。2時間半くらい滞在したところで自転車での暑さもあり、帰ることにした。
夜の7時に妻を石垣空港へ迎いに行き、そのまま、琉球の爺という沖縄料理の店で食事をする。アダンの天ぷらとかオオタニワタリの炒め物とかおいしい。こういうものはここでしか食べられない。ジーマミー豆腐(ピーナッツの豆腐)、ソーミンチャンプルー(そうめんをごま油などでさっと炒める)そして八重山そば(宮古なら宮古そば、味は一緒だが、麺のコシは八重山そばが最もある)など沖縄の食べ物はうまいものが多い。特にナーベラー(ヘチマとポークランチョンミートを味噌炒めにして食べる)なんてあんなにおいしいのに東京ではまったく売っていない。仕方がないので銀座のわしたショップで買っているのだが、ゴーヤがあんなにメジャーになったのに、ナーベラーはなぜ売らないのか、本当に不思議だ。明日はいよいよ波照間島である。
 
☆7月30日(土)


昨年に続き、3回目の波照間だ。昨年は天気がイマイチだったので、どうしても晴れた日のニシハマを見たかった。幸い、晴れなので期待できそうだ。波照間海運の最新船、パイパティローマ(波照間のこと)号は、夏休みの土曜日なのにガラガラ。昨年はだいぶ揺れたので覚悟していたらほとんど揺れずに到着する。こんなに快適な波照間便でいいのかな。
波照間港でレンタカーを借りるが、ガソリン代込みなので手間がかからなくていい。波照間はけっこうアップダウンがあるのでレンタサイクルだときつい。道はシンプルなのに直角に交わっていないので分かりづらく、昨年同様、少し迷ってニシハマに着いた。
坂を下りると目指すニシハマが見えてくるのだが、ニシハマが見えてきた途端、思わず息を飲んだ。




この輝く青色のグラデーションは、まさに神からの贈り物だ。多くの人が最も美しいビーチとしてこのニシハマをあげていて、その美しさは「ハテルマブルー」と呼ばれているが、この絶妙な色合いと輝きはニシハマのものでしかなく、確かにナンバーワンかもしれない。ニシハマはビーチからよりも、ビーチへ降りる前の高台から見た方が美しいので、写真を撮ったりビデオを回したり、しばらく高台に留まっていた



なにしろ昼前には干潮になるため、しばらくすると、下の砂地が見えてきて美しさが損なわれてしまうからだ。ビーチへ行くには干潮時間を調べておくのが必須である。少ししてビーチへ降りるが、沖をすべる船を眺めていると1枚の絵のよう。


沖へ行くほどハテルマブルーは群青に変わり、その彼方に大きな西表島がどっしりと腰を下ろし、海鳥の楽園というひょうたん島のような仲御神島がアクセントを添える。持ってきたシュノーケリングのセットで泳ぎまわったが、サンゴがないので魚はほとんどいなかった。まあこれだけきれいなら、魚なんていなくても十分だが。






2時間近くいると干潮で海の真ん中あたりの海の砂地の色が見えてくる。こうなるともう美しくないのでニシハマを後にした。

その後は毎回行く「モンパの木」という雑貨店で、Tシャツやアクセサリーを買う。シンプルなデザインだが、ここのオリジナルでどこか引かれるあたたかみが魅力だ。毎回、ついつい買ってしまう。ご主人の人柄もいい。

食事はすぐ近くにある「みんぴか」で食べる。デザートに頼んだ黒蜜のかかった杏仁豆腐がメチャクチャ美味しい。冷たいサンピン茶との相性がピッタリだ。座っている席からはピンクのハイビスカス越しにニシハマが見える。今回の旅行記の冒頭の写真だが、これもまた1枚の絵のようで見とれるばかりだった。まったくこんな場所に住めるなんて、なんという贅沢だろう!

その後は底名溜池展望台へ行こうとしたが、見える方向の道を進むと貯水場になってしまって道は終わり。100m以上狭い道をバックして、ようやくもとの道へ戻れた。地図を見ると先にある別の道から回り込んでいくようだが、その先の道も狭いので、断念した。そしてお決まりの高那崎にある日本最南端の碑へ向かう。




毎回ついつい行ってしまうが、与那国島の日本最西端の碑と同じで、「端っこマジック」は確かにある。高那崎から見える海は、そこなら先に日本はなく、フィリピンまで続いているのだが、ここの深い青も印象に残る。この後は最南端のビーチへ行ってみることにした。ニシハマは漢字で書くと「北浜」で実は島の北側にある。南にはペムチ浜があるのだが、遊泳禁止だし、行く人などほとんどいないようだ。時間があるので行ってみたが、ビーチへ下りるまともな道がなく、なんとか降りたが、標流物などが流れ着き荒涼とした光景に早々にビーチをあとにした。
石垣島に戻ってからは、極上の石垣牛が激安で食べられる「やまもと」で夕食を食べる。ここに行くのももう恒例だが、店は移転していた。前と違って広くこざっぱりしている。見るとおや?カウンターの後ろにあった大量の「虎グッズ」がひとつもない。あれ?と見渡すと、上の方のガラス戸の棚にこじんまり虎グッズが並べられていた。相変わらず店主はタイガース・ファンを続けているようである。
 
☆7月31日(日)

今日は黒島だ。黒島も3回目だが、過去2回とも天気が悪く、初回にいたっては波の高さが4mの時に船に乗ってしまい、船よりもはるかに大きな波に翻弄されスリル満点の航海をしてしまった苦い経験もある。一度も晴れた黒島へ行っていないので楽しみだ。今日も海は穏やかで快適。
黒島港でレンタサイクルを借り、まずは黒島展望台へ向かう。天気がいいので自転車だと日差しを遮るものがなく、汗が滲み出てくるが、風があるのでなんとか凌げる。日陰にさえ入ればそこはパラダイスなので、暑くなったら木陰へ飛び込めばよい。展望台自体は人工物で風情はないが、上から見るといかに黒島が平坦かよく分かる。見渡す限り牧草地帯が続き一瞬ここがどこなのか忘れてしまうが、彼方には翡翠色の海が横たわっているので、そこで八重山だと気づく



牧草地帯を横切ってみたくなり、島を縦断する道を走ってみる。緑が続き、気持ちいい。アップダウンがないので黒島はサインクリングがベスト・チョイスだ。その後は以前行った伊古桟橋へ向かう。桟橋は途中が完全に崩れてしまって先へは進めなくなっていた。ここもしばらくすると誰もいなくなり、プライベートな空間になった。


竹富島の西桟橋より海の色合いが少し深く、空に浮かぶ雲をアクセントに添えて実にきれいだ。やはり離島はいい。すぐにプライベートになれるから景色を独占できる。その後は初回に行ったきりの西の浜へ足を運んだ。砂利道を走ること数分、小さな坂を上がると西の浜が眼下に広がってきた。ここの景色は素晴らしい。なによりも海がビーチからみると青いラグーン色、少し上から見ると翡翠色で飽きることがない。






真正面は大きな西表島、左には平坦なパナリが見える。遊泳禁止なのがもったいないが、ここで泳ぐと沖で外洋まで一気に流されてしまうのだろう。少し前にパナリから西表にシーカヤックで渡ろうとして流され、行方不明になってしまっ
た事故があった。右手に大きな岩があり、そこへ登ってみる。






すると前述したように海の色が翡翠色に変わった。群青と翡翠のコラボレーションにため息が出る。やはり黒島は晴れると美しかった。

美しいビーチといえば波照間島のニシハマ、多良間島のウカバを筆頭に下地島空港の海、宮古島のマエハマ、竹富島のコンドイビーチが浮かぶが、船で沖へ出ると黒島沖の海の色が深く輝く群青でベスト。黒島は美しい海に囲まれていた。その後は、一気に島を突っ切って黒島灯台へと向かう。
途中、仲本海岸に寄ってみたが、この日は水着を置いてきたので上から眺めただけ。ここはシュノーケリング・ポイントと言われているが、浅すぎて宮古島の吉野海岸や新城海岸のように数多くの魚に出会えることはない。でも晴れているからちょっと入ってみたかったな。牧草地帯をひた走りようやく黒島灯台へ着いた。海は干上がっていて下地の岩がむき出しになり海自体に魅かれるものはなかったが、振り向けば灯台の脇から真っ白な雲が湧き立っていていい風景だ。



夏の離島の魅力は海だけではなく、雲にもある。雲の下半分が一直線で、水平線から浮かんだように続く雲を見るとああ、ついにここへやってきたなと思うが、遠く見える島の上に湧き立ち、雲の下から灰色のスコールの帯を落とす姿も生命感があって魅かれる。私は小学校の頃から雲が大好きだったので、東京では見られないこういう雲を見るのも、楽しみのひとつだ。黒島港へ早めに戻り、石垣島でぶくぶく茶を飲んでみようと店に行ったがちょうど煮だし中、それならとパンフレットに載っていたミルク(弥勒のこと)のアクセサリーを作っている店にも行ったがそちらは休みで、空振り続き。石垣からの乗継便がうまく取れなかったので今日は那覇まで行って一泊だ。
 
☆8月1日

沖縄の離島に12回も行っていながら沖縄本島はこれが初めて。那覇空港からゆいレールでホテルに向かった時、ビルが立ち並ぶ光景にガッカリして、やはり八重山か宮古に限るね、なんて話をしていた。今日の観光は飛行機の便の関係で午前中だけ。ゆいレールで終点まで行き首里城へ向かう。
駅に降りるとタクシーの呼び込みの人に、歩くと遠いからタクシーはどう?と声をかけられ、なにしろ沖縄のタクシーは安い(初乗り500円。450円の会社もある)ので、乗ることにした。すると人懐っこい運転手さんから、今日、午後1時までに空港へ着くなら、このあと観光案内してあげるから貸切で5千円でどう?と提案される。他に何かいい場所があるのかなと迷っていたら、「斎場御嶽(セイファーウタキ)とか」という言葉に妻がすぐに反応し、それじゃお願いしますと貸切が決定する。「セイファーウタキって何だ?」と思ったが、その質問はしないうちに首里城へ着いた。
まずは有名な守礼門で運転手さんが2ショット写真を撮ってくれたが、この「守禮之邦」という文字は、沖縄は中国の皇帝から朝鮮のように属国として冊封されていたので、中国からの冊封使が来ている間、礼を守る国ですと、掲げていたのであって、普段は「首里」に変えられていたのに、と思いながらこの門を眺めた。



そういえばこの門が描かれた2千円札は、5千円札よりも多く刷ったと言われているけど今、いったいどこに?首里城は観光客用によく作られていた。中国からの冊封使が来た時の模型などを見ると、国王がひざまずいているので、本当に属国だったんだなと思う。しかし実際は薩摩に支配されていて、こうやってなんとか小国は生き延びてきたんだと感じた。
その後はその斎場御嶽へ。相当な距離があり、タクシーでないと決して行けない場所だった。実はこのセイファーウタキは女性誌では超有名な最強のパワースポットだそうだ。旅行のあと、職場でセイファーウタキにも行ったと言ったら、隣の女性職員に非常にうらやましがられたので、その知名度の高さを改めて知ったほど。
ウタキへの石畳は非常に滑りやすく、昔は這って進んだとか。琉球王国最高のウタキであって男子禁制、国王であっても女装しないと入れなかったそうなので、こうやって私が入れるのは有難いことなのだ。
いくつか廻ったがみな岩と石だけのシンプルな場所でうっかりすると見逃してしまうほど。その中で印象に残るのは琉球王国で最高聖地とされている久高島を望めるサングーイ(三庫理)という場所で、強大な岩がもたれあって三角になった岩の間を抜けるとそこから久高島が見えた。


この風景はなかなか見ものである。最近になって家の近くの神社へ行くと、結界というか、他とは一線を画した凛とした空間を感じられるようになり、1月に行った高千穂の天岩戸神社などは強くそれを感じたものだったが、セイファーウタキは意外とさらっと過ぎてしまった。やはり男子禁制の地、男は関係ないのかも知れない。
帰りはバツ2という運転手さんの女性にまつわる失敗談など楽しく聞いたが、なにしろ明るいのがいい。失敗してもふられても、なんくるないさで進んでいく沖縄の人はいいね。やはりこの海があるんだもの。この海を見ていればそういう気持ちになるさー。ああ、自分も早く移住したいなあ。