2011年4月24日日曜日

☆Simon & Garfunkel:『Bridge Over Troubled Water(Deluxe Edition)』(ソニーミュージックジャパン/SICP3040-2)

サイモン&ガーファンクルの『Bridge Over Troubled Water』の40周年記念盤がリリースされた。1970年代で最も偉大なアルバムは?と問われれば、私はためらいなくこのアルバムを挙げる。
このアルバムがリリースされたのは1970年。ビートルズが解散し、そのビートルズを人気投票で蹴落としたレッド・ツェッペリンが人気を博し、ウッドストックの自由の風を全身に受けたスーパーグループ、CSN&Yが躍り出て、また数多のプログレッシヴ・ロックのグループがチャートを賑わした極めて重要な1年だったが、40年経って最も価値あるアルバムとして残ったのはこの『Bridge Over Troubled Water』だった。アルバムの素晴らしさは幾ら語っても尽きないので、ここでは書かないが、このアルバムと、収録曲の多くが披露されたライブ・アルバム『Live1969』という既発のCD2枚に加え、初めてDVD化された1969年11月にCBSで放送されたS&Gの特別番組『Songs Of  America』と、サイモン、ガーファンクルらのインタビューで綴った『Bridge Over Troubled Water』のメイキング・ドキュメンタリー『Harmony Game』がDVDでセットされた。何といってもこのDVDが素晴らしく、このためにこの40周年盤は買う価値がある。いや買わなければいけない最重要の映像だ。『Songs Of  America』はベトナム戦争の最中で、公民権法が成立しても黒人差別がなお続くアメリカで、反戦、平等という普遍的価値をS&Gははっきりと打ち出している。保守派が大きな力を持っていて、実際に暗殺も続く当時のアメリカでは大きな勇気だ。映画の中でサイモンとガーファンクルは自分達の考えをはっきりと語っているが、ひりひりとした空気があり、彼らの若さが眩しいほどだ。しかし何よりも間で披露されるライブやレコーディング風景が素晴らしい。リハーサルでは「Bridge Over Troubled Water」がまずは目玉。三番でサイモンがハーモニーで加わるがマイクに不満があり「僕のマイクは!」とどなる部分など緊張感がある。逆にベッドに腰掛けた二人が「Feelin' Groovy」を歌うシーンはほっとさせられる。ガーファンクルの歌う「America」がいい。コンサートの最初の曲は「Mrs.Robinson」だったが、ライブで聴いてもこの曲のグルーヴ感は凄い。まさにロックであり、「Jumpin' Jack Flash」と比較しても少しも劣らない。待望の「The Boxer」は短く編集されてしまった。ガーファンクルの声の素晴らしさを堪能できるのが「For Emily,Whenever I May Find Her」。サイモンのギターも美しく、アコギ一本でこれだけのクオリティを出せるのはS&Gしかいない。「The Sound Of Silence」も同じだ。
そして内容的にはより感銘を受けたのが『Harmony Game』である。特にサイモンとガーファンクルのお互いを評するコメントだ。二人の言葉には愛が満ちていた。若いときのトゲがすっかりなくなり、偉大なこのアルバムを成しえたことへの尊敬と、辛さを共に乗り越えた戦友といったような共感が、言葉の端々から感じられる。もっと昔の映像では、サイモンは「Bridge Over Troubled Water」について、この稀代の名曲をガーファンクルが歌った後、常に万来の拍手に包まれることに対し、「俺が書いた曲だ!」とくやしい気持ちがある、といったようなことを語っていたが、今回は「あまりにも近くにいたので分からなかったが、彼の声は唯一無二。昔から特別な存在でおざなりに聴くことなどできない」と大きく変わっていた。曲はサイモンが全て書いていたのでスタジオではクリエイティブな仕事はサイモンが仕切っていると思っていたが、昔の映像を見るとガーファンクルは常に提案しアドバイスし、サイモンに対してまったく引かずに音楽理論を戦わせていた。スタジオに一人で行き、バックトラックのレコーディングに立ち会うなど、立場は対等だ。だからサイモンはアルバムつくりに関して「僕とアート(ガーファンクル)で」と常に複数形で語っていた。いや3人形かも。というのもエンジニアのロイ・ハリーがサウンド作りの核となっていて、ジョージ・マーティンに近い存在であり、2人と同じ程度のコメントもあることからも分かるとおり、S&Gは「僕たちとハリーの3人は」という3人形で語られる部分が多かった。「The Boxer」の「ライ・ラ・ライ」の部分はそのコーラスだけをハリーの提案で教会で録音、さらにエンディングの雷鳴のようなハル・ブレインのドラムはエコーのかかり方が一番いいとハリーはコロンビア・レコードのエレベーターホールにドラムを持ってきて録音、銃声と勘違いした警備員がエレベーターの扉を開けたなんていうエピソードが披露された。また「Bridge Over Troubled Water」は曲を書きあげたとたん、サイモンは、これは特別な曲だと確信していたが、小さな賛美歌のつもりで2番の歌詞で終えるつもりだった。しかしガーファンクルとハリーが、未来へとつながる3番を書くべきと強く主張し、サイモンは異例中の異例でスタジオで急遽3番を書き、そのことがこの曲を永遠の名曲にした。
その他ではジョージ・ハリスンの歌で知られる「ブルー・ジェイ・ウェイ」に住んでいたS&Gはプライベートなパーティーでみんなが盛り上がってリズムを取り始め、それを面白いとサイモンが録音、その中で出来のいい1分15秒間をハリーに頼んでループにしてもらい、そのテープをバックトラックのリズムセクションにしてあの「Cecilia」を書いたとか、「The Only Living Boy In New York」のTomとはTom&JerryのTom、つまりガーファンクルのことで、映画「キャッチ22」でメキシコへ単身渡ったガーファンクルに対してサイモンが送った極めてパーソナルな歌だとか、興味が尽きないエピソードが次々披露され、楽しくてわくわくしながら見ることができた。ハル・ブレイン、ジョー・オズボーンらのバックング・クルーの証言も素晴らしく、お互い尊敬しながらレコーディングしていたことが分かった。このアルバム作りで意見を戦わせ続け、そのことに疲れ果てた二人はこれを最後に離れていってしまうが、サイモンはこのまま次のアルバムを作れば『Bridge Over Troubled Water』を超えることは無理だから非常に辛いものになっただろうと語っていた。一番、いい時期に解散していたのだ。(佐野)



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