佐野邦彦
甲賀と伊賀といえば忍術の二大流派として長年の宿敵であり、事あれば互いを抹殺すべく血で血を洗う、決して相容れない一党であったというイメージがある。
しかし史実は違い、甲賀と伊賀は協力関係にあり、徳川=豊臣の代理戦争で争った時期もあったが、徳川幕府時代は伊賀も甲賀も同心として徳川300年の権勢を守る力となったのである。
だが山田風太郎の「甲賀忍法帖」、横山光輝「伊賀の影丸」での壮絶な両派の戦いは、今も我々の血をたぎらせる。
私は東京より向かう電車の中で「甲賀忍法帖」を読み、ラストシーンに涙しながらここ甲賀へたどりついた
いかにもローカルな駅だ。
駅前にはほぼ何もない。食事をしようと店を探してもどこにも見当たらず、断念せざるを得なかったが、心の中でそれをよしとした。もともとは忍びの里だ。これでいい。
ふと見ると、消防署が作ったポスターに消火器を持った忍者の絵がある。まあよい。
甲賀忍者村へは「送迎バスあり」と書いてあったので電話をしたところ、しばらくしてワゴン車が現れた。これがバスであったのか。車で10分ほどで忍者村へ着く。875円(当時)の入場料を払い、中へ入ると広い敷地にまるで人の気配がない。やはりこの寒い2月にここまで訪れる人などいないのだろう。当然か。
歩くと忍者が使ったとされる術が3つ再現されていた。
まずは「足ばらい」。忍者は道にロープを張り、穴を掘ってこの中に入って待ち、敵が来たらロープを引いて足を引っ掛けて倒すということらしい。うーむ。
続いて「用害の術」。これは単なる落とし穴である。上に枝を並べその上に枯葉を乗せる、子供時代に誰でも作った超スタンダードなもの。ただ説明を読むと「股が穴の角に当たり、穴の底で足裏が傷がつく」のだそうで、急所を狙うとはまさしく手段を選ばぬ忍者である。けっこうだ。
そして「捕者の術」。上からバサリと網が降ってくるドリフの忍者のような仕掛けで、この術は秘伝で一子のほかには伝えてはならないという重要な術のようだ。でもこんなものに引っ掛かるのはよほどの間抜けとしか思えないのだが...。
そして忍者博物館へと入ると十種あるという手裏剣、まきびし、忍者装束、秘伝書など色々なものが並べられている。手裏剣は当たったらこれは痛そうだ。通常は夜間に敵の頭部を狙って、あらかじめトリカブトの毒を塗った手裏剣を投げるのだそうで、当たったらひとたまりもない。マキビシは思ったよりも大きく3cmほどの針があり、踏んだらそこから一歩も動けないであろう。痛ててて。
忍者の使った暗号というのも興味を誘う。
分解文字、女の文字が「くノ一」と分解されるのは有名だが、男が「田力」、山伏が「山人犬」、人形つかいが「人がたつかい」というのは誰でもわかりそうな気がする。
最も今でも判読不能という「●○○二つ●●●●○●●●●●」(実際は●の下のバーは上に来ます)というのはたいしたものだ。もっとも口伝を主とする忍術のことだから、秘伝書に書いてあるこのような文字はまったく意味のないものだったかもしれないが。
石の上などに置き連絡に使うという緑、黒、黄、青、赤の「五色米」。
これは非常に目立つが他の忍者に見られてもいいのだろうか。「色染めした米は鳥も虫もけものも食べない」のだそうだ。
そして興味深きは忍者が食したものとされる兵糧食である。製法を書いておくのでお試しになっても良いかもしれない。ただし責任は持てない。
続いて目指す甲賀の忍者屋敷へ向かった。
甲賀忍者屋敷
ここは実際に近年まで人が住んでいた屋敷をそのまま持ってきたのだそうで、見た目はただのわら葺の農家である。
戸は閉まっているし、入って良いものか案じていると後ろに人の気配。どこからともなく現れた事務所の人(あとでお土産店のレジにも移動していた)が、ご説明しましょうと案内してくれる。取材だと言ったらカメラまで撮ってくれた。
土間の入り口にまず落とし穴。土間の階段は武器の隠し場所でその端は抜け穴になっている。
部屋へ上がると居間の囲炉裏がスライドする。ここから縁の下へ抜けられるのだ。板壁は押すとどんでん返しに。同じ方向には回転しないように工夫されていて、連続して入れない。そこを抜けた後は隣の部屋の掛軸の裏に空けてある穴より脱出できた。また別の居間の真ん中は畳は落とし穴になっている。
壁はどんでん返し
掛け軸の裏も抜け道
人は部屋に入ると真ん中に立つ習性があるそうで心理分析も鋭い。
はね階段を使って屋根裏へ行くとここが広い。客が初めに入る部屋は天井裏に穴が空いていてここから下が覗けるようになっていた。
天井の節穴(天井板が厚いので足音がしない)
この天井板は厚さが2cm以上もあり、上に乗ってもギシギシ音がしない。
驚いたのは客間だ。なんと天井がつり天井になっていて、ヒモを引くと天井が落ちて下の人間をつぶす仕掛けだ。
ひもを引くと落ちるつり天井
その他にも色々とからくりがあり、まったくよく考えたものだ。さすが忍者屋敷!
しかしこんな家に近年まで普通の人が住んでいたという事にも驚かされる。つり天井の部屋なんかによく寝られたものだ。
忍者屋敷を出ると折しも雪が降り始め、あたりは一層の静けさに包まれた。寒い寒い。
さて、翌日は伊賀へ向かった。
伊賀上野より近鉄で3駅目、上野公園の中に目指す伊賀の忍者屋敷がある。
伊賀忍者屋敷(消失前)
上野市は甲賀よりはるかに開けていて、店も多く、舗装道路には忍者のマークが埋め込まれていた。
450円(当時)の切符を買うと忍者屋敷の中からピンクの忍者装束に身を包んだくノ一が「いらっしゃいませ!」と飛び出してきた。あっけにとられて中に入るとくノ一が4人に、黒い忍者装束の男もいる。
説明が手際よい。「はい、お上がりください。はい、そこでお待ちください。こちらを振り返ってください」とまあ、威勢がいい。
甲賀と同じようなどんでん返しの板壁があるが、こちらはぐるぐる勢いよく回転する。回転扉はタイミングを見て入らないと危険なのでそこを狙ったものなのだそうだ。こちらにも利がある。
白壁を押すと外を監視する小部屋へと行く 床板の下に刀
白い壁も押すと開く仕組みになっていて、その奥の小さな部屋から外の様子をうかがえるようになっている。仏壇の下の白壁も押すと開いて抜け道に。また板敷きの床木の1枚の端を押すと「てこ」の仕組みで上に板が跳ね上がり、その下に刀などが隠されていた。
仏壇の下の白壁は抜け穴
その横の障子の敷居の一部もはめ込みで、上にあげると敷居の隣の床が開いて外へと逃げられる。
伊賀の忍者屋敷も工夫されていたが、甲賀VS伊賀の忍者屋敷対決、やはりつり天井の圧倒的ポイントで、甲賀の勝ちとしたい。
部屋を出るといろりの回りで火を囲んでいた4人のくノ一の写真を撮ろうとカメラを向けたところさすがくノ一、見事に逃げられてしまった。
あとは忍者博物館に。
充実した伊賀流忍者博物館
甲賀よりもはるかに立派な作りであるが、やはりこういうものは古い方が趣がある。甲賀と同じようなものが並べられていたが、忍者道具ははるかに多い。
くノ一が使った中に刀が仕込んである「こうがい」、刀の形をした秘伝書入れなどが目を引く。水の中でも消えないたいまつがあり、これはNHKで実験していたが、確かに水の中に入れて火が消えたように見えるが外へ出すとまた火がつくという見事なものであった。
人形がモデルになった忍術の紹介が目にとまる。
おお、木の葉隠れの術!伊賀の影丸の最大の術だがはたして真実は?なんと木の葉や草の影に身を隠すというだけのものであった。うーん、横山先生。
その他の術もすべて木の上に登るとか水中に潜るとか、身を隠すだけのものであって、やはり超能力のような忍術は存在しないのであった。ワハハハ、お前らなどに分かってたまるものかと、天井に貼りついていた忍者の人形が語っているかのような気がした。
こうして伊賀の里をあとにして東京へと向かったが、甲賀玄之助や、伊賀の朧がいた舞台だと想像をめぐらすとまた味わい深い。
新鮮な空気をたっぷり吸った後の新幹線は、背広姿の帰京するサラリーマンでごったがえし、たばこの煙(当時)とビールのげっぷに送られて家路に着いた。
(1991年2月記)
別表 忍者の兵糧食
① 飢渇丸
人参40匁、そば粉80匁、小麦粉80匁、もち米80匁、甘草(はこべ類)4匁、よくい仁 (はとむぎ)40匁。以上を粉末とし酒2升に漬けて放置、2~3年後酒が酒が乾ききっ たら握り飯の大きさに丸く固める。
※3粒服すれば心力労することなし。
② 水渇丸
梅干しの肉4匁、氷砂糖8匁、麦角冬4匁。細粉末にした上酒で固めて丸薬とする。
※用水に渇したるときの妙法。
③ 兵糧丸1
麦粉80匁、もち米30匁、人参10匁。粉末にして混ぜ合わせ、はつみつと上酒を加えてとろ火で煮、小丸粒にして乾かす。
④ 兵糧丸2
人参40匁、もち米10匁、麦粉2匁、もち米80匁、甘草3匁、しょうが1匁、卵の黄身10匁。以上を混ぜ合わせ、梅焼酎を加えてとろ火で煮固め丸薬とする
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