ゲイリー芦屋氏(作曲家、ex土龍団)企画/インタビュー/文による
ネオGS再考~GoGo!Poodles<前篇>
皆さんはGoGo!Poodlesという80年代、東京で活動していたガールグループをご存知だろうか?音源としては87年4月にミント・サウンド・レコードからリリースされたネオGSのオムニバスアルバム『Attack of...Mushroom People!』に「TokyoNight」というエレキ歌謡風の1曲が収録されたのみ。そう、GoGo!PoodlesはネオGSというムーブメントの中にあったグループなのだ。
筆者は当時この名盤の誉れ高い『Attack of...Mushroom People!』をすり切れんばかりに愛聴していたのだが、中でもストライクスやワウワウ・ヒッピーズなどを抑えて最も繰り返し聴いていたのがこのGoGo!Poodlesの「Tokyo Night」。しかしネオGSガイド本「いかすビートにしびれるサイケ(近代映画社)」に紹介ページはあるものの音源としては自主制作のカセットのみリリースで、なおかつ88年当時は既に流通は停止、入手は不可能とまで書かれていた。「Tokyo Night」があまりに素晴らしい名曲だったので是非他の曲も聴いて見たいとずっと思っていたのだが、聴ける術もないままに23年...しかし今年の春に偶然GoGo!Poodlesのマイスペースなるものを発見、そこに当時のカセット音源が全てアップされているではないか。恐る恐る聴いてみる...と、オリジナル、カバーともに「これが当時聴けてたら!」という素晴らしいティーネイジ・ポップス&ガールグループ・サウンドだったのだ!早速メンバーの佐々木たま子さんに連絡を取って当時の話、現在の活動など色々聴かせて頂いた。
GoGo!Poodles マイスペース
http://www.myspace.com/thepoodles1225
GoGo!Poodlesは佐々木たま子、恵美姉妹によるザ・ピーナッツ的な形態のボーカルグループ。結成は85年、解散は自然消滅的な形なので明確ではない(が88~89年辺りだろう)。
ご存知の通りネオGSというシーンはその後の渋谷系と地続きなシーン。だがある日突然ネオGSなるシーンが降って湧いた訳ではなく、そこに至る前史として東京ロッカーズからニューウエイブに流れた人脈が大きく関わっている。その辺りの事情についてはアスペクト社刊行の「ナイロン100%」を併読して頂けると更に歴史認識のイメージが膨らむと思う。という訳でGoGo!Poodlesだ。姉の佐々木たま子はプードルズ以前にやはりネオGSに括られたCHEESEというガール・バンドのギタリストとして活動しており、件のネオGSコンピにおいてもCHEESEのキャンディー・パワー・ポップな名曲「恋のダンスホール」が収録されている。
まずはCHEESE時代の話から聴いてみよう。
CHEESE マイ・スペース
http://www.myspace.com/haicheese
ゲイリー芦屋(以下G);CHEESEの結成はいつ頃だったのでしょう?そして音楽性はどのようなものでしたか?
佐々木たま子(以下T);81年、同じ高校の同級生4人で結成しました。その時のバンド名はジェニー。83年にボーカルの子が抜けて3人編成になり、そこからCHEESEとグループ名を変えたんです(※筆者脚注;メンバーは宇野美里=b・Vo、松村町子=Dr・Vo、佐々木たま子=g・Vo)。音楽的には外道やジューシーフルーツ、ルースターズのコピーなどから始めてその後オリジナルを作るようになりました。外道はあのバカバカしさに惹かれてレコードを買ったのでしょうね。今も外道はCHEESEにとって大きな影響を残したバンドと思っています。外道はアルバムよりライブですね。あの迫力、変な衣装やMC、パフォーマンス、そして演奏に比べポップなメロディー。ある意味ゲイリー・グリッターの様に悪趣味で見たく無いんだけど見ちゃう、みたいな。
G;なるほど、パンクやパワーポップをかわいく...といった辺りがCHEESEの当初目指した世界なのですね。CHEESEのオリジナル曲はどれも大好きなのですが、その中でたま子さんの曲はやはりどこかティーネイジ・ポップスやフィンガー5、LAZYの様な歌謡曲経由の洋楽(どちらも都倉俊一の手がけたグループ)の香りが漂っているように感じます。音楽的なルーツとか作曲法とか教えて下さい。
T;特別に楽器を習った事はありません。最初の音楽的な記憶は2歳ぐらいの頃に両親が買って来た童謡のアルバムセットでしょうか。あとよく友達のお兄さんやお姉さんの部屋に入り込んでは勝手にレコード聴いたりしてましたね。ビートルズやツェッペリン、カーペンターズ、ボブ・ディランとか憂歌団とか...。60年代ポップスは、きっと子供の頃普通にテレビやラジオで流れていたので、当たり前の様に耳に入っていたのでしょうね。普通にアイドル好きでしたから、BCRやショットガン、LAZY、エアロスミス、ジェフ・ベック、スタンリー・クラークなんて流行りの曲も聴いていました。まあ子供の頃から思春期にかけてはあまりにも沢山の音楽が飛び交う時代でしたので、雑食の私には逆に決め手がありませんでした。 ギターを始めたのは16歳かな?独学で覚えたので、知ってるコード数が少ない日本一単純なギタリストだったかも。曲を作るのは本当に「夢の世界」に行かなければならないので大変時間がかかります。まずストーリーを考えて、頭の中で映画化します。すっかり入り込んだら一つ節を作りひたすらその節ばかりずっと脳内で繰り返して、後でピアノでバックの音の和音を弾きながらメロディーをつけていく...そんな感じです。
G;CHEESEはどういった経緯でネオGSというシーンに取り込まれていったのでしょうか?
T;取り込まれたという感じではないですね。そもそも「ネオGSという括り」は完全なる後付けでした。CHEESEはEgg-manで自分たちの企画ライブをよくやってました。キャ→、D-DAY、ピンクキャッツなど女の子バンドに声をかけて...。機材も自分たちで買ってたし意外に自力で行動するパワフルなバンドだったんですよ。集客力もなかなかあったと思うし、誰もが知ってる某大手の音楽事務所から声かけられたりしましたね。そんな中でミント・サウンド・レコードの小森敏明さんがCHEESEのライブを見て声をかけて下さったのが一つのターニングポイントですね。
G;その後、件の『Attack of...Mushroom People!』はじめ、数々のネオGSのグループのアルバムをリリースしてたミント・サウンド・レコードですね。ミント・サウンドの小森敏明さんといえば言うなればその後のネオGSというかガレージ・シーンを語る上でのキーパーソンですよね。その辺りの小森さんのパッケージ戦略とか、ミント・サウンドと関わるようになってどの様に音楽性が変化したのかなど教えて下さい。
G;なるほど、その辺りのガレージサウンドとCHEESEの音楽性は通じるものがありますね。小森敏明さんといえば、ミント・サウンド以前は81/2(はっかにぶんのいち)のギタリストとして活動されてましたが、東京ロッカーズ~ニューウエイブシーンについては当時ご存知でしたか?
T;全く知らないです。貧乏高校生にはツバキハウスは敷居が高いし、三つ編みしてオボコイわたしなぞとーても行ける場所じゃないですよ。80年代初頭のアンダーグラウンドな音楽シーンはどんな感じだったのか、私も知りたかったです。
T;ミントに出入りするようになって色んな音楽を聴かせて貰っていたのですが、自分の出来る音楽はCoolsoundには程遠い歌謡曲...。ゆっくり考える時間も、聴き分ける気持ちの余裕もなくて段々と毎日が色褪せてきたんです。音楽性の相違なんて大それた理由じゃ無いんです。
あんまりにも刺激的な海外の音楽と、自分のできる音楽が一度に頭に入らなくて自爆してしまったのです。それから半年くらいは引きこもりになって音楽を聴いていました。(※筆者脚注;佐々木たま子脱退後のCHEESEはドラムに平ヶ倉良枝を加え第2期CHEESEへと移行。平ヶ倉良枝はその後、フリッパーズ・ギター、コーネリアス、オリジナル・ラブ、L⇔Rなどのサポートやレコーディングに参加、トラットリアからソロデビューもしている)。
G;そしていよいよ85年9月にプードルズの結成となる訳ですが、結成に至るまでの過程を教えて下さい。
T;プードルズを始める前に小森さんから「Tokyo Night」を歌って欲しい、と依頼があったのです。「Tokyo Night」はそれ以前から暖めていた小森さんの曲なんです。 まぁ、やって見ようかな?くらいの軽いノリで歌入れしながら始まったのがプードルズです(※筆者脚注;ここで録音された「Tokyo Night」は後に『Attack of...Mushroom People!』で発表されたテイクとは全くの別テイクで、よりソリッドなガレージ感溢れる仕上がりで歌詞も長い)。
グループの命名は小森さんで、私も子供の頃からプードルを飼っていたので即決定しました。曲作りについては、当時小森さんの自宅には8トラックのマルチレコーダーがあって簡単な録音ができる環境だったので色んなミュージシャンが出入りしていたんですね。プードルズの曲の下地を作りつつ、スタジオを訪れた人に「一曲やりませんか?」みたいな感じでサラリと弾いて貰ってました。それらを最終的に小森さんと私でまとめる...それがプードルズでした。そうそう、それからボーカルはやはりハモリたいナァと思ったので、妹の恵美を連れて来てどんなもんか歌ってみました。下のラインを歌って貰ったのですが、ハモる初めの所だけ私が音決めしてフンフンと歌うと真似して歌う。次に私がメロディーを歌うと勝手に下を作って歌い始める...ハイ、出来上がり! 恵美参加決定!ってな感じです。
G;小森さんのスタジオに遊びに来た色んなミュージシャンの手が加わっているのですね?例えばどの様な方が参加されていますか?
T;ブラボー小松さんやROGUEのギタリスト、香川誠さんなどですね。ブラボー小松さんのギターは例えられないほどの感動がありました。「こんなギターが弾けたらなあ」という尊敬と嫉妬のような気持ち。香川さんはROGUEでミント絡みのバンドとライブをやったりしてたから、多分その流れでチョロッと寄った時に弾いて貰った...って感じじゃないでしょうか。
G;例のネオGS本を見ると「音楽的アドバイザーのSTINKYとガールグループ・サウンドをやろうという事で意気投合」とあります。このSTINKYなる人物はどういう方なのですか?
また「Tokyo Night」の作者としてもクレジットされているToshiさんという方は?
T;そのSTINKY君こそ、小森さんですよ。Toshiというクレジットも小森さん。自分なりに色々と使い分けていらっしゃるようなのでそっとしておいてあげましょう(笑)。
G;なるほど!やはりそういう事だった訳ですね。話を戻しますが、活動を始め
たプードルズは具体的にどの様な音楽を志向してどんな活動をされていたのでしょうか?
T;ライブは余りやっていなくて、どちらかというと録音に重点を置いたグループでした。オリジナルを作ったり、小森さんの持ち曲をピックアップしたり、オールディーズのカバーやってみたり...色々です。グループのコンセプト的にアネットはかなり意識しました。「パジャマ・パーティー」と言う曲をイメージしています。女の子が夜、友達の家でお喋りしたり、お化粧の練習をしてみたり、ボーイフレンドの話しをしたり。このイメージを広げたかったんですね。レパートリーだった「イチゴの片思い」なんかはナンシー・シナトラ版をお手本にしました。
ナンシー・シナトラの甘えん坊っぽい歌唱は、フルーツシリーズを考えていた私にはとっても参考になりました。あとリンダ・スコットも潜在意識に働きかける程何度も聴き込み、スターシリーズも作ろうかな?って...。その他参考にしてたのは、アン・ルイスの『チーク』と言うアルバム、それから歌謡曲のポピンズや高見知佳も捨て難いし...ガールズはどこまでもイメージが広がります。
G;プードルズとして録音された曲は全部で16曲でした。Delmonasの「Peter Gunn Locomotion」のカバーに代表されるガレージサウンドとティーネイジ・ポップスのカバー、そして両者を繋ぐようにたま子さんと小森さんのオリジナル曲が混在している...という印象を受けました。プードルズは結局どっちのベクトルを追求したかったのでしょうか?
T;何故ガレージとSWEETが混じっているか?ガレージは小森さんがやりたかった事でしょう。私はガレージをやる必要は無いと考えていました。そもそもプードルズのボーカルは私じゃダメだ、とさえ思っていたのです。もっとティーンの女の子の甘ったるい声...例えばロビン・ワードのような声をイメージしてましたし、曲もコニー・スティーブンス「Sixteen Reasons」みたいな曲を作りたかった...。
ガレージ系はやる人が沢山居ましたし、私の入る隙間は無い。でもラモーンズみたいなポップなパンクならやれるかも...でもそこまでやる必要が?みたいな気持ち。とにもかくにも迷走してましたね。そんな中で小森さんと私のズレは次第に明確化してきたんです。結局自分のグループなのか、小森氏のやりたい事の一部分なのかを明確にせずスタートしてしまったツケがまわって来た、という感じでした。それに当時の音楽シーンは勢いのいいバンドサウンドやガレージ、モッズ系などが主流で私の居場所は皆無でした。ティーンエイジLOVEな音楽はかったるい時代だったんでしょう。
G;当時リスナーだった僕の感覚で言わせて頂ければ、実はそこには垣根はなかったと思ってます。映画「さらば青春の光」でモッズ達がロネッツ「Be My Baby」で踊る象徴的なシーンがありましたよね。ネオGSというシーンはそういうリスナー感覚まで再現していた、と感じています。結果として僕はプードルズの音楽に嵌ってしまった訳ですし...。実は需要は大きかった筈ですよ。
取りあえず前篇はここまで。この後、ネオGSブームは終焉へと向かい、プードルズは解散。佐々木たま子さんは自らのレーベル、Girl Friend Recordsで良質なガールグループ・サウンドを送り出す事になる。丁度この取材を始めた頃にリリースされた最新のGirl Friend Recordsのカタログ、『Tamallel World』はマーガレッツ、リコッツの2グループをフィーチャーしたオムニバス・アルバムで、現在進行形の良質なガールグループ・サウンドを堪能できる傑作であった。後篇ではプードルズの解散からその後の佐々木たま子さんのレーベル・オーガナイザーとしての活動を掘り下げ、『Tamallel World』に至る足跡を辿る。是非ともこの機会に最新作『Tamallel World』も併せて試聴してみて頂きたい。最後にVANDA読者向けマメ知識を一つ。CHEESEといえばメイド・ファッションのコスプレが有名ですが、それはPaper Dollsに影響を受けてやっていたとの事。なるほど!
Girl Friend Records マイ・スペース(『Tamallel World』収録曲の試聴ができる。動画も有り)
http://www.myspace.com/tamallel
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