2010年9月26日日曜日

ネオGS再考~GoGo!Poodles<後篇>




ゲイリー芦屋氏(作曲家、ex土龍団)企画/インタビュー/文による
ネオGS再考~GoGo!Poodles<後篇>
前篇に引き続きGoGo!Poodlesの佐々木たま子さんにお話を伺う。プードルズの解散に至る過程からその後のレーベル・オーガナイザーとしての活動まで、最新作『Tamallel World』に至る足跡を辿る。

GoGo!Poodles マイスペース

ゲイリー芦屋(以下G);GoGo!Poodles(以下プードルズ)の数少ないライブはどの様な場所、雰囲気でやっていたのでしょう?

佐々木たま子(以下T);プードルズはレパートリーが少ないのでステージも20分くらいでした。基本はカラオケで歌うというスタイルですが、友達のバンドにバックをお願いして一度だけ生で演った事もあったかも...。ライブの企画はEgg-manとかでCHEESEと一緒に出る事が多かったですね。代々木公園(いわゆるホコ天)とかでもやった事ありました。(※筆者脚注;例えば85年のEgg-manでのプードルズデビューライブの競演者を見ると、坂本みつわ(ex東京ブラボー)、沖山優司、CHEESE、GO-BANG'S、ニャンコプラトニカといった面々。さらに87年6月のEgg-man、ミント・サウンド主催「ビート・ミンツVol.2」ではファントムギフト、CHEESEと競演している)。

【GoGo!Poodles(プードルズ)】 

G;プードルズのためにたま子さんが書き下ろした曲は「夢みるTammy」「レモンの気持ち」の2曲ですが、レパートリーの半分くらいをお書きになっていたCHEESE時代と比べて、よりティーネイジ・ポップス度が濃くなってる気がします。精度が上がってるというか...。
歌い方もCHEESEとプードルズでは大分変えていらっしゃいますよね?

T;いや、歌い方は変えてるつもりはないですね。ただプードルズでは意図的にキーを上げて作っているので結果的にそういう風に感じられたのではないでしょうか?

G;プードルズとして小西康陽さんの映画の仕事で歌った事がある...との事ですが、これはどんな話だったのかお聞かせ願えませんか?

T;イタリアのアニメーションの祭典に出品する映画の仕事でした。このお仕事もやはり小森さんから話しが来ました。実はね、私に直接オファーって来ないのです。一説によると私が変人なので、人前で喋るな!って(笑)。確か渋谷か六本木かその辺りの明るい雰囲気のスタジオだったかな。緊張していたのでまずはその作品を見せて下さったのを憶えています。
お魚や海藻等のパステルカラーが綺麗なアニメーションで、イカの踊り子姉妹が歌うシーンのボーカルを頼まれたんです。もうバックの音とメロディーはできていましたが、歌詞が決まっていない...。何回かメロディーを聴いた後、そうだ!「ビキニスタイルのお嬢さん」でやろう...って事になって一気に歌詞が出来上がりました。私達もすぐに覚えてしまえる程楽しい歌詞で、本当に楽しい録音でした。だけど小西さんが何故私達を呼んで下さったのかは謎なんです。なんでなんだろう?

G;という訳でプードルズ篇も佳境ですが、解散に至る過程を教えて下さい。

T;解散と言っても妹ですからねぇ。個人的な契機で言うならばペイズリーブルーのライブを見た時に、私はポップスしか歌えないからダメだなって思っちゃったんですよね。と同時に、にわかネオGSみたいな人達が増えネオGSもどきのバンドがライブをやったりってのを見かけるようになってガッカリした事も大きいかも。
ミント周辺のバンドは勿論みな本気で頑張ってる人達なのですが、ムーブメントとして認知され出すと業界ぶった人が流行りに便乗してしゃしゃり出て「自分がムーブメントの先駆け、裏の仕掛人」的な顔をするのが嫌でした。私はMilkshakesが好きだったので、そういう人達にああいう泥臭くてだらしない、不良っぽいシーンを崩されて行くのが嫌だったんです。もっともそういった便乗組の人達は新しい音楽が出るとすぐにそっちへ移行して行きましたが...。
それからネオGSというシーンがメジャーになる事によってサロン化し、選民思想的な雰囲気になっていった事...、アレはちょっと嫌だったなあ。やはり美大系の人が多かったからか、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというか、アンディ・ウォーホルとファクトリーみたいな空気になって、みんな勘違いしてその気になってしまっていたような気がします。例えばイーディー・セジウィックが一時期もてはやされたけど、他の素材が見つかれば皆一気にそちらに群がる...みたいな扱いでしたよ。こちらは真剣に音楽をやっているのに、そういう事を受け止めてくれた人がどれだけいたでしょうか。そもそも取り巻きやお客さんが一体となってまず暗黙のドレスコードがあって、60's的な踊りや立ち居振る舞いを強要する場の空気があったし、結局最後までそういう場に馴染めなかった私たちはただでさえ浮いていたと思うから尚更ですね。シーンがメジャーになってくると、純粋にバンドをやりたくて頑張ってる人達の中にそんな薄っぺらなファッション感覚みたいな空気が入り込んで来る事が悲しかった。ネオGSというシーンは若いパワフルなバンド達が作っ たもの以外の何者でもないのに...。そんなネオGSというシーンとの距離感、小森さんとの音楽的方向性のズレ、自分のやりたい音楽の居場所のなさ、そんな中で「もう止めよう、やるだけ1人よがりだ」と客観的に思ってしまったのです。

G;たま子さんにとって、ネオGSというムーブメントを総括するとどの様なものだったのでしょう?

T;あの時代、ネオGSとは...「小森さんが選んだガレージ・サウンドの集結」だった様な気がします。本当にどこかのガレージでマイク立てて一発録りみたいな...。音質悪いんだけれどバンドの蒼いエネルギー爆発してる音楽、って事でしょうか。ネオGSの方々には、最高の時代だった筈です。だって60年代さながらに古着着ておめかしした女の子達が、前のめりになって キャーキャー叫びながらライブを楽しんでいましたからねぇ。私はと言えば、ネオGSの中に居るという感覚は全くありませんでした。そりゃ好きなグループもありましたよ、コレクターズの前身のバイクとか。ネオGSファンの女の子と友達になったりもしましたが、バンドの横の繋がりは全くありません。さっきも言いましたがシーン自体の雰囲気に馴染めなかったんです。
私はどっちかというと人見知りで家に引きこもっていたり、とにかく1人で良く考え事してましたね。ネオGSの独特の雰囲気は私とは全く別ものでした。そしてこの中に居るのは違う気がしていたし、私のやりたい事は決して実現できない事を思い知らされた「諦め」の時代でもありました。

G;プードルズを解散後、音楽活動再開に目が向く事はあったのでしょうか?
それとも解散以降はたま子さんは自ら主体となって創作する(歌ったり演奏したりという)現場から完全に降りてしまった?

T;プードルズを止めて暫くはライブは見る方に徹していました。その後一切の音楽、音を耳に入れなくなりました。ずっと心の中にやりたい音楽がありましたが、諦めたのです。私が思い描く音楽と周囲の絶賛する音楽はかなり違っていたから...。かと言って新しいシーンを切り開く程の力もない...。とあるガールズ・バンドをプロデュースしようと録音までしていましたが原盤権で揉めて嫌になってしまい、「もう音楽はやらない!」とかって決めて逃げ出したのです。

G;たま子さんの表現手段の中で自分で歌うより他のいいガールグループを世に出したい...というプロデューサーとしての方向性があって、それが今年リリースされたたま子さんプロデュースのオムニバス『Tamallel World』まで繋がってると思いました。初めて聴いた時にプードルズだった方がこれをリリースするとはなんとブレてないんだ...とちょっとした衝撃だったのです。
というわけで『Tamallel World』のリリースまでの時間軸を埋めていきたいと思うのですが、まず『Tamallel World』は、たま子さんのレーベルであるGirl Friend Recordsからのリリースですが、品番がGFR-2となっています。という事はGFR-1というレコードがあったのでしょうか?

T;はい。86年にリリースしたオムニバス・アルバム『Amusement Park』がそれです。もっとも当時はまだプードルズ活動中でしたし、レーベル・オーガナイズなんて言えるレベルではありませんでした。ナゴム・レーベル、地引雄一氏、高護氏、そして小森さん等、皆さん本格的に運営されてる方々の隙間にポチンと佇んでいる感じでしたね。とにかく斉藤美和子さんの声質と言葉遊び満載の詞に魅せられて、斉藤美和子さんの「Lonely Stardust Dance」という曲を世に出す為に作ったようなものです。周囲のバンドに声がけをして、皆様快く引き受けて下さいました。D-DAY+沖山優司、少年ナイフ、EVA-1等が入ってます(EVA-1のバックは初期ヤプーズ)。もっともこのアルバムを出すにあたり、「イヤ、まだ私らしさが出せていない」と欲張りな気持ちが芽生えたのも事実です。 (※筆者脚注;『Amusement Park』は95年にテイチクよりCD再発)

G;私は「Lonely Stardust Dance」を知らなかったのですが、イントロから「I Wonder」なこの曲はまさにジャパニーズ・ウォール・オブ・サウンドの傑作ですね。もし聴いた事がない方がいらっしゃったら是非聴いてみて下さい。

話を戻しまして...、ガールフレンドの1枚目から今年の2枚目までの間のリスナーとしての音楽的変遷を教えて下さい。「そういえばあんなのにハマった時期もあったな」とか...。

T;かなり長い間、音楽を受け入れられない時期が続きました(MAD3だけは聴いていましたが...)。世の中の音楽も変わり果ててしまい、まあ色々な音楽がはやりすたりしましたが、安室、華原、倖田等のavex系などは勿論全く受け入れられませんでした。やはり60年代が一番肌に合うのでしょうね。色々と逡巡しては最後に60'sのガールズに戻ってしまうんです。あっ、つんくの「チュッ!夏パ~ティ」をテレビで見たときは、やりたい所全部やってるなぁとは思いました。 歌う子の顔、衣装、踊り、曲のサビの切ないコード進行、「あ~、アタシもこんな曲一曲あるんだけどなぁ」って...。そんなぐらいです。

『Tamallel World』(2010年) 

Girl Friend Records マイ・スペース(『Tamallel World』収録曲の試聴ができる。動画も有り)
http://www.myspace.com/tamallel

G;『Tamallel World』を作ろうというきっかけは何だったのでしょうか?いつ頃から画策し、どのような経緯でリリースまで漕ぎ着けたのでしょうか?。

T;『Tamallel World』はプードルズをやっている時から、「いつか私らしいアルバムを作りたい!」と思い描いていた完成形の1つです。言葉では上手く表現できないのですが、ずっと胸に残ってしまう様な曲をレコードにしたかったのです。そういう音楽にたまたま20年後に出会っただけなんですよ。だからゲイリーさんに「一貫性がある」と思われたのでしょうね。
『Tamallel World』を作ろうとしたきっかけは、やはり「CHEESEのCDを作ろう」と言う作業がきっかけでした(※筆者脚注;『ハイ!チーズ』2009年8月、ミント・サウンドより発売、CHEESEのソノシート既発音源に加え当時の未発表音源を網羅したコンプリート版CD)。

『ハイ!チーズ 』(2009年 コンプリート音源CD) 

その時に80年代当時、作りたいと考えていたガールグループのレコードの事も思い出したんです。あの時負け犬の如く逃げた自分が恥ずかしい!これは出さなければ一生情けない思いが残る!...と考えたのです。しかし、誰と話してもCDは売れないよ、との答え。それでも形にして見ようと決心しました。リサーチは簡単でした。ネットでガールグループとか60年代とか検索すれば沢山出て来ます。約1ヶ月片っ端から見て行きました。例えばK.O.G.A Recordsはかなり私の好きな路線で参考になりました。『Tamallel World』のA面に収録されている札幌のマーガレッツはここでリリースしています。いくつかグループをピックアップした中から、ホームページの写真、衣装、内容を吟味して、「おっ?!」って感じたバンドをYou Tubeで聴いたり、そもそもどの辺りの人脈と繋がっているのか等も重要な点で、そのグループの音楽仲間の曲なども丁寧に確認しました。 そして選びに選んだ2組、マーガレッツとリコッツにメールを出してレパートリーを送って貰ったんです。その時点で既に私の中ではこの2グループを出したい!と確実に決定していたのですが...。

G;たま子さんはマーガレッツ、リコッツのレコーディング、選曲にどの程度かかわっていらっしゃいますか?

T;マーガレッツ、リコッツとも先に音源をもらっていましたのでそこからの選曲ですね。マーガレッツには「必ずオリジナルを入れて欲しい」とお願いしました。本当にDEVO君はいい曲書くなぁ、と陶酔していましたので...。リコッツのオリジナルは、もう全て入れても良いくらいどれも素晴らしかったので選曲はおまかせしました。「好きよ」を最後にいれてくれれば!と願っていたら、やはり最後にまわしていてくれたのでとても満足しています。

G;最後の質問です。『Tamallel World』はどういう人に聴いて欲しいですか?。
年代、どんな音楽を好きな人...などなど。

T;60年代の文化・風俗が好きな方、パワーポップ、そして歌謡曲好きの方には是非聴いて頂きたいです。このアルバムを何度か聴いていく中で、楽曲の完成度の高さを感じ取って下されば幸いです。何年か過ぎ、再度聴きなおした時に、新鮮さと懐かしさが交差する事を願っています。

筆者はリアルタイムでネオGSシーンを体験できた世代ではあるが、残念ながらプードルズのライブを実際に目にする事はできなかった。ただ「Tokyo Night」1曲だけが手許にあっただけで、後は自分で勝手に想像するしか手はなかったのだ。たま子さんとの数ヶ月に渡るやり取りの中で、当時録音した全音源を聴かせて頂いたばかりか、なんとプードルズのデビューライブのDVDまで見せて頂いた。まさに想いは時を超える...って奴。23年かかったけど。結局、筆者が拘り続けていたプードルズはまさしくネオGSというムーブメントの根幹に関わるグループであり、たま子さんへの取材は実は改めてネオGSとは何だったのか問い直す作業でもあったのだ。
GSと銘打ってはいるがオリジナルのグループ・サウンズとは全く別次元の音楽でありその単純な比較は意味がない。ネオGSの「GS」には「ガレージ・サウンド」だけでなく「ガールグループ・サウンド」の意味も込められていた。散々言われている事ではあるが、パンク~ニュー・ウェイヴを通過しガレージ、パンク的解釈でそういった音楽を体現して見せたネオGSというシーンは、あの時代に於いて回顧としてではない60年代の文化・風俗への正しい再評価の眼差しであったのだと思う。その視線はたま子さんの中で純粋培養され、今年『Tamallel World』という形で結実したのではないだろうか。最後にここまで本稿にお付き合い下さった皆様へ、是非『Tamallel World』を聴いてみて下さい。また筆者としては、名著「ナイロン100%」と去年刊行された「THE GROOVY 90'S~90年代日本のロック/ポップ名盤ガイド」を埋めるミッシングリンクとしてこの辺りのシーンを纏めた書籍を読んでみたいものです。

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