Journey To Yaeyama Island 2006
佐野邦彦
2006年7月26日
ついにやってきた。石垣空港は風が吹き、雲間から時折,弱い光が指していた。あの肌に痛い強い太陽光線は迎えてはくれなかったが、完全な曇りではなく、ましては雨ではないので、これで十分。というのも台風5号がつい最近まで八重山へ向かっていたからだ。台湾方面に進路を変えてくれたので、無事に来ることができたのだが、その台風の影響で、天気予報では、今日、明日と曇り時々雨と書かれていた。よし、これは幸先がいい。予定どおり小浜島へ行けるぞと、自然と足が早くなった。
昨年は散々だった。2回八重山旅行を計画したものの、どちらも超大型台風が石垣島を直撃し、全てのフライトがキャンセルになった苦い思い出がある。6年続いた八重山&宮古ツアーは昨年で切れてしまった。
ただ、昨年は二男が高校受験で、どちらの日程も過密な塾のスケジュールをぬって計画していたため、深夜に帰宅、早朝から合宿というハード・スケジュールもあり、体調面の危惧があった。しかしその二男が最も楽しみにしているのが八重山ツアーであり、気分転換の意味でも実現させてあげたかった。しかしお天道様だけは仕方がない。これは行くなという、神さまの思し召しとすぐに気持ちを切り替えて、近場の旅行へ切り替えた。そのおかげか、かねてから念願だった第一志望校に合格し、私としても人生で最も嬉しい瞬間を味わわせてもらった。
今回はレンタカーを借りていない。というのも石垣島で行きたいところはないからだ。石垣島には宮古島ほどの美しい海はない。だから車は不要だった。でも石垣島は離島桟橋へ行けば、魅力的な他の8つの島へすぐに渡ることが出来る。そこが石垣島の大きな魅力だ。
そしてその離島桟橋のある石垣港近辺は、宮古島のメインである平良に比べ、イメージ的に10倍くらい都会であり、便利で快適なエリア。まあ都会といっても東京や那覇のそれとはまったく違い、渋滞や混雑はないが、活気があるし、垢抜けている。そこが宮古島と決定的に違う。宿はこの離島桟橋に程近いアビアンパナというホテルにした。今までの常宿だったミヤヒラにしたかったのだが、最近安さで利用しているオリオンツアーの中でも、このアビアンパナは特に安かった。宿に金をかけるよりも、その日その日のミニ・ツアーに金をかけたかったので、節約した次第。
荷物をホテルに預け、昼食をゆっくり食べて、それでもまだ午前中。朝6時30分発のJTAの直行便は、乗るのはきついが乗ってしまえば1日を十分に使えるので選択肢はこの便しかない。小浜島へは12時発の八重山観光フェリーで向かった。僅か25分の船旅だ。
小浜島港では、レンタカー結の人が待っていた。レンタカーの申し込み書類を書き、免許証番号を記入したが、こういう離島にしては珍しくキッチリしている。道は本で読んだとおり、起伏がある。これは自転車ではつらい。レンタカーで正解だ。さっそく島で最も高い大岳の展望台へ向う。海抜99mだが、海面から頂上まで一気に上がるような階段は、踊り場もなく、けっこうつらい。空は曇りで風が強く、日差しがないので、助かった。頂上は確かに絶景で、近くに黒々と山を連ねる西表島、目の前に小さくペラペラな無人島カヤマ島、水平線に平たい黒島、新城島、竹富島、鳩間島、西表の反対側には山が連なる石垣島が見える。波照間島は見えないな。とにかく与那国を除く八重山がここからは一望できる。
雲が切れ、青空から陽光が注ぐと、海が輝きだし、あわてて写真を撮る。八重山の中でまだ来たことがなかった小浜島は、ここへ来る事が目的だった。
あとは集落へ行って、おばあの店と書かれている大石商店へ行って小浜島の記念になるようなものを探してみよう。集落へ向うと、「ちゅらさん」の舞台となったこはぐら荘が目の前に出てきた。ただ番組を見たことがなかったので思い入れがなく、車窓から覗いただけ。おばあの店は、小さな店だが、愛想がよくついでに営業もうまいそのおばあが出てきて、ついつい色々と買ってしまう。名刺までくれた。たくましいぞおばあ。
車に戻り、一直線に続く道が気持ちいいというシュガーロードを走る。ここは自転車で走るのが気持ち良さそうで、車ではすぐに通り過ぎてしまう。海へと向うと、遠浅なトゥマールビーチは干潮で干上がりすぎてただの干潟、これは石垣島の底地ビーチと同じで、満潮以外来ても意味がないビーチのようだ。
そして有名なはいむるぶしへ向う。レストランやお土産店の利用はできるというのでちょっと立ち寄ってみた。園内はきれいに整備され、別世界のよう。広いロビーを抜けおみやげ店に入るが、気のきいたものがあるので手に取るとメイド・イン・ハワイとある。よく見るとハワイの品物が多く置いてある。いったいここまで来てハワイのものを売るなんてとすっかり興ざめし、早々に退散する。きれいだが、ここには二度とくることがないだろう。
その後、島内を走るが、特に見たいところもなく、約束の時間よりも1時間以上前に車を返し、石垣島へ帰った。一日に2つの船会社で24往復も船便がある小浜島だが、7年前には1社だけで9往復しかなかった。全て「ちゅらさん」の影響だ。全国放送のテレビの力は本当に凄いものがある。とにもかくにもこれで小浜島は完了。今回の目的である八重山全島制覇のひとつがこれで終わった。
2006年7月27日
朝から青空が覗き、今日は晴れだ。「曇り時々雨」という予想は外れで、台風の後の天気は、こうしてしばしば外れてくれる。天気がいいと、昨日行った離島桟橋の光景も活気づいて見える。輝くエメラルド・グリーンの石垣港の海、次の便を待つ多くの観光客、次々と入ってくる高速船、この活況は離島桟橋ならではだ。浮き浮きしてしまう。今日は7年前と5年前に2度行って、二男が気に入っていた西表の星砂の浜で過ごす予定なので、上原港行きの船に乗った。
見る見るうちに客が乗り込んできて完全な満席になる。こんなに船が混むことなど以前は一度もなかった。改めて最近の沖縄・離島ブームを感じる。7年前に八重山に行った時、沖縄本島のオマケではなく八重山(と宮古)に絞ったガイドブックは「やえやまガイドブック」と「まっぷる」の2種類しかなかったのに、今は定期刊行されるもので「るるぶ」と「ベストガイド」が加わり、八重山の特集では「アイランドガイド」、「てくてく歩き」、「わくわく歩き」、「琉球ブック」、「沖縄の島遊び」、そしてビーチだけにターゲットを絞った「沖縄ビーチ大全」など、情報が溢れかえるほど増えた。最も似たような場所しか載っていない本が大半なので、満足とは言えないのが現状だが、知ってほしくないスポットもあり、複雑な気分。
高速船はすべるように上原へ着き、八重山観光と書かれたマイクロバスに乗った。西表ではこうして船に合わせて、主要な観光スポットへ運んでくれる無償の車を船会社が出しているのだ。4回目の八重山で初めてこの事を知った。帰りもバスのように時刻表が書いてあり、八重山観光と安永観光の2つの船会社がマイクロを出してくれるので、それに乗って港へ戻ればよい。相変わらず星砂の浜は休憩する場所がなく、日陰になりそうな場所を探したが、ここにはフナムシが動き回っている。白砂は熱いし、白砂以外の場所には必ずフナムシ、どうやってもフナムシからは逃れられない。仕方がないのでフナムシの少なそうな草場にシートを置いて、さっそく海へと向った。
しかし海の中は茶褐色の死んだ珊瑚ばかりで、魚で鮮やかな色彩を見せるのは僅かなコバルトスズメくらいで、地味な色の魚ばかり。時々深くなっているプール状の場所には以前はブダイなどいたのに何もいない。しばらくするとあれほど楽しみにしていた二男が海から出てきて、ぼうっと海を眺めている。何も言わないが、肩を落としているのは一目瞭然で、期待していただけによほどガッカリしたようだ。
これは長居しても仕方がないと判断し、「撤収~」と告げ、昼食を食べ、石垣島へと戻った。そしてすぐに竹富島行きの切符を買う。午後は美しさで有名な竹富島の町なみを見てみようと、水牛車観光をしてみることにした。私が好きなコンドイビーチからカイジ浜への浜歩きは「魚がいない」、「暑い」と賛成する者がいないので、残念ながらパス。まあ干潮の時間だから行ってもつまらないのだが。竹富港へは高速船でたった10分、一日39
往復も船が出ているので、こうやって時間の隙間にも行けるのが便利。水牛車は満席状態でゆっくりゆっくり進む。確かに竹富の町なみは美しく、赤瓦の屋根、珊瑚で作られた黒い石垣、白砂がしきつめられた道路、家を囲む防風用のフクギの緑が絶妙にマッチしている。
港の周りはよく整備されており、樹木の下は芝生のようになっていて、木陰で観光客がみな横たわって海を眺めている。海を渡る風が心地良く頬をなでてくれるので、日陰に入ればクーラーなどまったく入らない心地よさ。八重山の海から常に吹きつけてくる風は、翡翠の海からの贈り物だ。
ここにもっと長居したかったが、出航の時間となり、後ろ髪を引かれる思いで西表へ戻っていった。西表で降りたのは、我々ともう1組で、さらにシュノーケリングを続けるグループは船に乗ったまま鳩間の沖へ向っていった。
陸で待っていたのは若い男性のガイド。ワゴン車に乗り込み、ヒナイ川へと向う。車から降りると各自オールを持ち、まず簡単な漕ぎ方の練習。そして川のほとりからカヌーを引き出し、一人用のカヌーに乗って川へと入っていく。
これは自転車を借りて歩いた方が気持ち良かったかも...と思ったが、こういう有名なイベントに参加したのも一興か。2日目も予定をこなしただけで終わった。本番は明日からだ。
2006年7月28日
朝起きるとすぐにカーテンを開ける。青空だ。予想通りだが嬉しいもの。今日は、西表の「いるもて丸」に乗って、「とくとくツアー」に参加する。
この「とくとくツアー」はまずは珊瑚だけで出来たバラス島へ行ってシュノーケリング、その後、鳩間島へ渡って昼食、午後は西表へ戻ってカヌーで川を下りその後はピナイサーラの滝までトレッキングするというものだ。まだ行ったことがない鳩間島に行けること、そして西表でカヌーができること、という一石二鳥のプランで、昼食・1ドリンク付きで一人8500円は安い。
昨日と同じ上原行きの船はやはり満席だった。上原では「いるもて丸」のスタッフが待っていて、まずはいるもて荘へ行ってシュノーケリングの道具を合わせる。ここは高台で海が見下ろせ、気持ちのいい宿だ。
その後、上原港へ戻り、「いるもて丸」へ乗り込む。同乗者は、カップル以外はお母さんと子供達、お父さんと子供達というなぜか片親がいない家族連れ2組だった。
バラスにはすぐに到着した。既に他の船がいくつも先に到着していて、けっこう人が多い。死んだ白いサンゴが山になっているこの島、どうしてこんなに大量のサンゴが海の真中に集まったのか、不思議な光景だ。ライフジャケット着用が義務ということで、はじめてフィンも着けてシュノーケリングをする。魚はあまり多くない。昨日の星砂の浜よりはいるが、これでは宮古島の吉野海岸の方がはるかに上だ。でもこうやって海を浮遊しているのは心地良い。海面でゴーグルを取ると、見渡すかぎりのエメラルド・グリーンの海。青い空には、東京にはない、羊の群れのような白い雲が並び、ああ、やっとここに帰ってきたなと、やっと八重山を実感できた。
しかし、長く楽しめる場所ではなく、迎えより先に陸に上がり、船がここへ戻るのを待っていた。そしていよいよ昼食を取りながら鳩間島へ向う。鳩間の港に近づくと、海の色が一気に変わる。群青が翡翠色になるのだ。
海の色に見とれていると、もう港に到着していた。1時間ほど時間があるので、まずは鳩間の灯台へ向う。ゆるやかな傾斜の坂道を上がっていくと、「鳩間中森」と書かれた階段があり、そこを上がると灯台だった。丘の頂上にはさらに石を積んだような高い場所があり、おそらく展望台がわりに作ったのだろうが、その上の狭いスペースから鳩間島を見下ろすことが出来る。ただ目の前には大きな灯台、その周りの木も生い茂り、海が見えるのは一部だけだ。絶景とはとても言えない。
海の色に見とれていると、もう港に到着していた。1時間ほど時間があるので、まずは鳩間の灯台へ向う。ゆるやかな傾斜の坂道を上がっていくと、「鳩間中森」と書かれた階段があり、そこを上がると灯台だった。丘の頂上にはさらに石を積んだような高い場所があり、おそらく展望台がわりに作ったのだろうが、その上の狭いスペースから鳩間島を見下ろすことが出来る。ただ目の前には大きな灯台、その周りの木も生い茂り、海が見えるのは一部だけだ。絶景とはとても言えない。
港へ戻ると、鳩間の港の美しさに目が奪われる。浅い部分は淡い翡翠色、沖へ行くに連れ藍が入り、そしてその先には大きな西表の山々の緑が並ぶ。鳩間港は白砂の浜なので、色がより映えるのだ。
港の周りはよく整備されており、樹木の下は芝生のようになっていて、木陰で観光客がみな横たわって海を眺めている。海を渡る風が心地良く頬をなでてくれるので、日陰に入ればクーラーなどまったく入らない心地よさ。八重山の海から常に吹きつけてくる風は、翡翠の海からの贈り物だ。
ここにもっと長居したかったが、出航の時間となり、後ろ髪を引かれる思いで西表へ戻っていった。西表で降りたのは、我々ともう1組で、さらにシュノーケリングを続けるグループは船に乗ったまま鳩間の沖へ向っていった。
陸で待っていたのは若い男性のガイド。ワゴン車に乗り込み、ヒナイ川へと向う。車から降りると各自オールを持ち、まず簡単な漕ぎ方の練習。そして川のほとりからカヌーを引き出し、一人用のカヌーに乗って川へと入っていく。
ところがだ。まっすぐ進まない。まず漕ぎ出したところで1回転。なんとか元へ戻して川を進むが、少しずつ左右にぶれる。その都度方向を修正して進むのでどうしても遅くなる。ガイドと家族の姿は少しずつ遠くなり、それにもかかわらず持ち込んだビニール袋からカメラやビデオを出して撮影していたら、いつしかみんなの姿は視界から消えていた。あせって追いつこうとするが、あせるとまたぶれる。カーブをショートカットしようとインで曲がったら浅瀬に乗り上げたりと、ヘタなことこの上ない。
まあいいやとマイペースで漕ぎ出すと、まったく流れのないぬるい川をゆっくりと音もなく自分のカヌーが進んでいくのが分かる。左右から茂るマングローブの木々の間に遠く見える山の上から、一筋の滝が糸のように落ちているのが見える。以前、山道を歩いてマリウドの滝へ行ったことがあったが、秘境・西表を実感できるのは、こうやって体を使わないとだめだ。遊覧船からマングローブを眺めるミニ・ツアーだけでは、西表の魅力はわからない。
ようやく目指す川岸に着き、カヌーを縛ると、今度はその遠く見えた滝を目指してトレッキングの開始となる。熱帯雨林のような薄暗いジャングルのような道を登っていくのだが、実はそれほどきつい道ではない。しかし日頃、運動をしない私にとってはけっこうこたえる。いつしか無口になってなんとか滝まで到達できた。
ピナイサーラの滝は落差が55mもあり、豪快に水しぶきを上げている。ガイドから渡された缶ジュースを一気に飲み干して、一息つく。このドリンク・サービスは本当にありがたかった。子供達はまだ飲まずに滝つぼに入れて冷やしている。やはり体力差は歴然だ。この滝つぼは流れがなく、また大きな岩が下にあるので、みんなサブザブ水浴びをしていた。私はみんなの興じる姿を見ながら、滝の上から落ちていく水の流れをしばらくぼうっと眺めていた。
2006年7月29日
カーテンの外は青空、よし、これで完璧だ。今日は上地観光のツアーのため、上地観光の車が迎えに来てくれる。フロントに荷物を預け、ホテルを後にするが、ここの従業員の女性はみな若くてきれいなのにおよそ愛想がない。ミヤヒラのホスピタリティに比べその差は歴然、「スマイル0円」と書いてある某店もあるが、笑顔は料金の内なのだろうか。
上地観光は7年前にはじめて八重山にきた最終日に「体験フィッシング」をやったところだ。案内されると、見覚えのある船体、これはきっと同じ船だろう。今日のプランは「パナリ島(新城島)シュノーケリング」という一人昼食・1ドリンク付11000円のツアーで、この新城(アラグスクと読む)へ到達すれば、今回の目的である「八重山全島制覇」が完成する。ただ、こんなことにこだわっているのは私ひとりで、家族にそのことを話しても反応がない。4年越しの計画なのに、まあ、みんな形ではなく内容ということかな。船に乗ると船長が上へどうぞと船室の脇のはしごを指差す。はしごの上、つまり船室の上の屋根にベンチが作られていて、5人座ることが出来る。我々家族以外に、10年前より数え切れないほど八重山・宮古に来ているというひとり旅行の男性がその屋根の客になる。
ベンチの横には低い手すりがあり、船長は目の前の第2操舵室と言えばいいのだろうか、普通の操舵室よりはるかに高い位置に作られた舵を握る。船が進み始めると他の船の波を受けてけっこう揺れる。思わず手摺りにつかまるが、はじめちょっと怖かったその高さが、逆に船自身の波を視界にほとんど入れない眺望を確保しているのだと言うことが分かる。そして高速船が脇を通る時と、時折、石西礁湖(石垣島から西表島へ続く世界有数の珊瑚礁)から群青色の外洋に変わった時に現れる小さなうねりが横から船体に当たった時だけ揺れると分かったため、すぐに美しい八重山の海を満喫するようになった。
様々に海は色を変えていくが、翡翠色に輝く海が現れるとあまりの美しさにため息しか出なくなる。高速船ではないので、うるさいエンジン音もないし、この航海だけで十分に満足してしまった。
船は50分ほどで、西表島の下、地図で言うと鳩間島と西表島を挟んで反対側に位置する新城島へ到達した。新城島がなぜパナリ(離れ)と呼ばれたかというと、実はこの島は上地島と下地島のふたつに分かれているからだ。それぞれ人口は6人、2人と現在はほとんど無人島のようになっていて、島の内部の草原で牧畜を営んでいるという。この2つの島は、干潮時はリーフの上を歩いて渡ることができるそうで、二つで一つという存在なのだろう。
そして船は下地島の海岸へ到着した。船長は「ここでシュノーケリングをします。あまり沖に行くと、(リーフの外からくる)潮に流され、あちらの西表まで流されてしまいます。もっとも途中でサメに食われますが」と笑いを誘いながら、注意事項を知らせてくれる。
そして「この島は下地島といって人口は1人だったか、2人だったか、とにかく順繰りに住んで牧場をやっています...あっ今その一人が来ました」というと桟橋へつなぎの服を着たおじさんがスタスタとやってきて、何やら船長から物を受け取っている。定期便のないこの島では、こうした観光客を連れて毎日のように現れるミニ・ツアーの船が、生活物資を運んでくれる足になっているのかもしれない。
真っ白な浜辺では、上地観光のスタッフが人数分の椅子を並べ、パラソルを立ててくれている。目の前には西表島の山々が大陸のように横たわる。海は手前の淡い翡翠色から瑠璃、藍、群青へ色が変わっていく。南の島特有の下が平らで上が盛り上がった白い雲が,真っ青な空のカンバスに広がっている。ああ、なんて素晴らしい景色なのだろう。他に人がいないので、余分な音がない。いや、遠く潮騒が聞こえる。見ると上地島との間をつなぐ遠いアウトリーフに、白い波が砕けている。その音だ。この音には聞き覚えがある。そうだ、20
年前に新婚旅行で行ったタヒチのボラボラ島でずっと聞いていた音だ。アウトリーフに囲まれたあの楽園としかいいようがないボラボラは、未だに私の憧れの地だが、このパナリも同じように美しい。八重山最後の島は、最も美しい海を持っていた。
上地観光のスタッフに呼ばれ、浅瀬でシュノーケリングの講習が始まる。一人一人練習させられ、正しいシュノーケルとフィンの使い方を教えてもらったのは大きな収穫だ。泳ぎの下手な私も長く潜っていることが出来るようになった。
そして上地島と下地島の間のシュノーケリング・ポイントへ船で進む。インストラクターの後について泳いでいくと、珊瑚が盛り上がった見事なポイントが目の前に広がった。魚もきれいだが、美しい青珊瑚が生い茂った場所が最も気に入った。高校の水泳部員である長男は、ライフジャケットを付けていないので、魚のようにもぐっていく。ふと下を見ると自分の下で仰向けで泳いでいたり、自由自在だ。まったくこのくらい泳げればどれだけ楽しいだろう。二男や妻も泳ぎはかなり達者だし、ここでも私一人がドンくさい。でも、シュノーケルだけでずっと呼吸が出来るようになったし、自分としても収穫の多い楽しいひとときだった。
その後はしばらく陸に戻るが、ひとりでちょっと島の中へ続く道へと入ってみる。緑が濃く、密度が高い森だ。アダンがパイナップルのように樹上に並んでいる。しばらくすると草原になり、やはり牧場だったと確認して、すぐに戻っていった。
帰りの船も実に心地よい。翡翠色の海の先に西表島、黒島、小浜島、竹富島が順に現れて消えていく。潮風が心地よく、いつまでもこの船に乗っていたいと思っていたら、目の前に石垣島が近づいてきた。離島桟橋の周りにはホテルが立ち並び、まるでハワイを見ているかのよう。
こうして充実した4回目の八重山ツアーは終了した。それまで宮古島の吉野海岸などに魅せられ、すっかり宮古派だった二男も八重山はいいな、また行きたいという。宮古のビーチでぼうっとしているのがつまらない、大学生になったらもう行かないよと言っていた長男は、カヌーと深い海でのシュノーケリングが面白かったと大満足。来年は宮古島へ行って、シュノーケリングのツアーに入って八重干瀬でシュノーケリングをやろう、その次は西表でシーカヤックをやるか、というとみんなうなずいている。これは来年も楽しみだ。19時30分石垣空港発の継由便
で羽田着は23時20分、家に着いたのは次の日になっていた。家では母に面倒を見てもらっていたが4日ぶりの帰宅に愛猫のベルとノエルは警戒気味。しかしいつしか寄り添ってきた。やはり自宅もいいね。
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