2004年7月25日日曜日

★第3回 宮古諸島ツアー2004

Journey To Miyako Islands 2004


佐野邦彦


多良間島・ウカバ


旅行も3年連続ともなると、もうそこは慣れ親しんだ場所になる。心配は天気のみ。旅行ガイドは宮古の人が作った「んみゃーち宮古」、それと「るるぶ」「まっぷる」と揃えたものの、ほとんど目を通さず、当日を迎えた。天気はずっと晴れ時々曇りのマークが並び、まったく問題なし。昨年に続き、期待できそうだ。
時期は長男が高校生になったので終業式まで待ち、海の日を挟んだ連休に出発する。いつものフリープランを使うのだが、土日月の3連休ながら土曜出発だととても高い。よって日曜出発の3泊4日を選んだ。中二の二男の終業式が重なってしまうが、こちらは休ませることに。他の選択肢はない。なぜかと言うと、このスケジュールでも帰った翌日から塾の夏期講習が始まるからだ。厳しい塾なので、本人は休む気がまったくない。
前期講習、合宿、後期講習とまるで三年生のような態勢が組まれ、夏休みは僅か。気の毒だと、長男がしきりにささやいている。それだけに、哺乳類から昆虫まで生物が大好きな二男にとって、この宮古島ツアーは、最高の楽しみだ。昨年、新城海岸で海中の熱帯魚の群れを体験してさらに宮古は憧れの地なった。なにやらやるべきテキストを自分の荷物に持ち込んでいる。旅行にまでと思うが、色々と事情があるのだろう。
 さていつもの費用だが、年々、沖縄の人気が高まっているそうで、リーズナブルだったので2年連続利用したホテル・アトールエメラルド利用のプラン価格が上がっていて、その他のプランでも高すぎ過去の旅行会社はどちらも使えない。結局、オリオンツアーが主催する、宮古一の繁華街である西里通りに面しているビジネス・タイプのホテル「ミヤコセントラルホテル」利用のプランに決定した。
加えて宮古島でのレンタカーが3年連続のフジレンタカーで14,700円、さらに今回も訪ねていく多良間島への飛行機代が4人で48,640円、多良間での1日レンタカーが3,000円(ただしガソリン満タン返し)がプラスされる。ホテル・アトールエメラルドには、石垣島のホテル・ミヤヒラのような思い入れがなく、さらに西里から遠かったので、まったく問題なし。そして行き帰りとも那覇経由便のため滞在時間が短かった前年の大失敗の轍を踏まないよう、行き帰りともに直行便を申し込んだ。
羽田=宮古の直行便は羽田発が朝の7時30分、宮古発が夜の19時25分という目一杯遊べる最高の時間帯なのだ。オリオンツアーは、この直行便が指定できるからいい。3年目で初めて往復とも直行便というベスト・プランが組めた。




2004年7月18日

  7時30分出発ということは集合が6時30分、余裕を持って羽田に行きたいので4時30分に家を出たら、5時30分にはもう到着していた。これは余裕があっていい。チケットは6時10分に受け取ることができた。
JTA21便は定刻の7時30分に出発し、到着予定時刻の10時25分より10分ほど前に宮古の地に降り立っていた。東京より2000キロも離れた離島に、朝の10時に着いてしまうのだから飛行機は偉大だ。改めて思ってしまう。
空港にはフジレンタカーのいつもの女性が待っていて、今年は「お久しぶりです」と挨拶してくれる。空港配車・空港返しなので、1回ずつしか顔を会わせていないのだが、覚えていてくれたのは何となく嬉しいもの。車のキーを受け取ると、さっそく西平安名崎へ向かった。宮古島は、昨年9月の台風14号により600本以上の電信柱が倒壊し、西平安名崎の名物だった4基の風力発電機の3基が折れ、1本も羽根が全部吹き飛んでしまったという。どうしてもその台風の跡が見たかった。道の左右の電信柱は元どおりにきれいに戻っていて以前と何も違わないように見える。
しばらく走ると美しいエメラルドグリーンの海が見えてくる。池間大橋だ。何度渡っても、この眼前に広がる輝く翡翠と瑠璃の海は素晴らしい。景色を眺めながらゆっくりと橋を渡り、対岸の池間側から西平安名崎を見ると、1本だけ枯れ枝のように白い風力発電の柱が立っている。無残な姿だ。
西平安名崎まで言って直接その残骸を見るのは忍びないので、すぐにまだ訪れたことのないシュノケール・ポイントである吉野海岸へ向かった。ここに住み着いていた「吉野のオヤジ」なるサンゴの保護を訴えて一人一人注意していた人物は、先の台風以来いなくなってしまったのだそうだ。本土人だというから本土に帰ってしまったのかもしれないが、どんな人だか分からなかったので、ちょっと気が楽と言えば気が楽。
83号線にある吉野海岸への標識を折れ、海への道へ入るが、吉野の道は細いと聞いてはいたが、曲がりくねっていて見通しが聞かない上に相互通行がギリギリの細い道で、緊張感が走る。そして急坂の下にはたくさんの車がその狭い道の両側に停車しているのが見えた。たくさんと言ってもきっと30台くらいなのだと思うが、この狭い道にこの台数は凶悪である。バックミラーを見ると後ろに別の車につかれもう降りていくしかない。坂の一番下まで降りると、もうこれ以上無理、ここは空かないよと、複数の人が手でバッテンを送る。しかしUターンするスペースもない。そのため両脇に車が停まる狭い急坂をバックで上がって行くという難行苦行を強いられた。これはたまらない。
そうそうに退散して、すぐに新城(アラグスク)海岸へ向かった。新城の海への道も急坂だが、道路が広いので安心感がある。けっこう車が停まっていたが、吉野と比べると天国だ。考えてくれば今日は連休の真っ只中、日が悪かった。車の陰でそそくさと着替え、浜辺へいくと、木造で手作りの売店は何事もなかったかのように建っている。よかった。
後で聞くと側面はみんな吹き飛んでしまったので、その部分を新たに作ったのだそうだが、以前と変わらないイメージだった。昨年お世話になった新城さんがいなかったため、パラソルだけ借りてさっそく海へ入る。魚肉ソーセージをかざすと無数のスカイブルーのデバスズメが集まってくる。青く輝く愛らしいルリスズメや、極彩色のベラの仲間、口をとがらしたチョウチョウウオなど、これは楽しい。こんな浅瀬にこの魚影の濃さが魅力だ。


海から上がると、妻から新城さんが先程来てこちらへどうぞと言っていたよと伝えられる。さっそくビールを買って、お店に隣接するモンパの木の下のベンチへ行くと、新城さんが「元気でした?」と笑う。
一週間前にちょうどここへ私の職場の受付の女性が訪れていて、一人旅行の彼女は、2晩夕食を御馳走になるなど歓待を受けていた。「新城さん、佐野さんの事、覚えていたよ」と聞いてはいたが、実際に覚えていてくれたと分かるのは嬉しい。もう一人の地元の人が、海で捕まえてきたシャコ貝をさばいて、ふるまってくれる。シャコ貝を食べるのは初めてだ。ここが一番うまいよと貝柱をくれたが、シコシコしていて、食べられる。この微妙な表現は、身の部分はけっこう苦みがあること、醤油がなかったのでけっこう生臭かったことから起因する。
そのうち、貝の内臓をブツブツ、グチャグチャと切り始め、「これは豚の三枚肉よりもうまいよ」と勧められる。噂では聞いていた「ギーラのトーフ」だ。私より先に勧められた本土からの人も「これを食べるんですか」と言いながら、口へ運んでいく。味は...苦い、生臭い、油っこい。酒飲みにはいいのかもしれないが、私にはキツ過ぎた。ビールも無くなったので、そろそろ浜へ戻ろうかと思ったら、新城さんが新しいビールを持ってきて「どうぞ」と勧める。これ、売り物じゃないかー。これじゃあ商売はできない。宮古の人の、人の良さに感激してしまう。ああ、やっぱりここは今の東京と違っていい。人が暖かい。「また来ますね」と挨拶をして、ホテルへと戻っていった。
夜は子供達が前からまた行きたいと言っていたホテルの隣の喫茶店「レオン」でステーキ定食を頼む。かなり大きいステーキに、スープ、サラダ、山盛りのご飯でたったの1000円である。宮古の食事は本当に安い。
後でやはり子供が別の店で食べた天丼は、東京では見た事もない巨大なエビ天が4匹に、ゴーヤの天プラなど豪快に盛ってあり、これにアーサ汁に、ゴーヤの炒めものが一皿(一人分くらいある)付いて800円。いやー沖縄はいいです。食べ物もね。我々夫婦は、その後沖縄料理の店へ行く。子供達は先に帰ってテレビを見るのだという。こういう風に別行動がとれるようになったのかと、ちょっと嬉しくなった。


2004年7月19日

  ミヤコセントラルホテルのロケーションは本当に最高だ。宮古島一の飲食店街の真ん中で便利な上に、ファミリーマートが目の前なので、何も不自由しない。ホテルで夜飲む飲み物も、使い捨ての水中カメラが切れても、日焼け止めが切れても、すぐにその場で調達できてしまう。
今日は昨年行って以来、恋い焦がれていた多良間である。昨年の後半に新空港ができたため、飛行機は10人乗りのBN2から39人乗りのDH11に一気に進化、飛行が安定したので欠航がかなり少なくなったと言う。体重測定もなくなっていた。大きくなった分、便は往復2便ずつに減ったが、行きが10時発の琉球エアコミューター891便、帰りを16時25分発の896便を選べば、かなりゆっくり滞在できる。飛行時間は20分しかないしね。
飛行機に乗るとなんとCAがいる。特に帰りの便のCAは美人で、まさに「雛には稀」。こんな小さな飛行機に妙にアンバランスだ。フライトは安定していて、昨年のBN2のようにフラフラしない。飛行機は安定感があるとやはりいいものだ。新多良間空港は、小さいながらきれいな空港で、何よりも建物にエアコンが効いている(以前は開け放しでエアコンなど無かった)のが嬉しい。
マイクロバスの運転席にいる羽地さんを見つけ、挨拶をすると、鍵を渡して自分の車を指さす。満タンにして返す約束でさっそく車に乗り込んだ。島の西側にある空港から、目指すは当然ウカバトゥプリである。ここ6年の八重山・宮古ツアーで、竹富島のコンドイビーチよりも、波照間島のニシ浜よりも美しい、完璧な美しさをたたえた最高のビーチである。車を走らせてほどなく人の姿を見つけたが、もうふるさと海浜公園(トゥガリラ)へ到達している。あっと言う間だ。この島の小ささを改めて思う。
5分ほどで、ウカバを見つける。昨年見つけた木の看板は、どこかへ行ってしまったようだが、海へ続くような小さな道を見つけウカバだと分かった。車を停め、白砂の浜に降り立つと、そこは一面の鏡の海。翡翠色と瑠璃色、エメラルドグリーンとターコイズブルー、そして底の海草のブラックが絶妙に織り成した美の神の贈り物だ。
普段、感嘆詞など少なく、ましてや誉めることなどめったにない長男が思わず「ここはきれいだな」とつぶやいた。そうだろう、ここは神が作った最高の芸術品だ。白砂の浜は、強烈な太陽の照り返しで、目を細めないではいられないほど、白銀に輝いている。私は夢中でシャッターを切り、そしてビデオを回していた。この広大な180度のパノラマに、誰ひとりいない。船もない。なんというぜいたくだろう。やはり費用がかかってもここへ来たかいがあった。多良間の遠さが、観光客を拒絶していた。知って欲しいが、来て欲しくない、とっておきの場所だ。


あまりの光の強さ(上からではない。白浜の照り返しがキツイ)に長くはいられない。
ウカバを後にして、更衣室とシャワーがあり、木陰もあるふるさと海浜公園へ戻った。やはりここも誰もいない。海の日なのにもかかわらず観光客の姿がゼロ。なんて素晴らしいんだろう。きれいなトイレも完備したここは、宮古諸島一の設備がある。それなのに誰も来ないという、旅人にとってベストのロケーションのこの海で、二男は弾けるようにパッと着替えて飛び込んでいった。ここの海はウカバよりふ翡翠色が強くまた海草も多いので、ウカバとは違う趣がある。
木陰の下にビニールをひき、そこに腰掛けると、爽やかな涼しい風が頬を撫でていく。日蔭に入り、さらに白砂の浜から離れると、照り返しもなく、快適この上ない。常に風があるからだ。
沖縄の最高気温は常に32度くらいであり、東京のように39度などということは決してない。沖縄は暑いと思っている人は大間違い、こちらは逆に避暑に来ているのだ。二男の大きな呼び声を聞いて、鏡の海に足を踏み入れると、なにやら魚の影が見える。この愛らしい顔、鮮やかな色は、クミノミだ。今はニモと言った方分かりがいいか。海面から10センチくらいの浅瀬にあるイソギンチャクを守るように泳ぎ回っていた。
長男と私も海に入ると、引き潮で海面はどんどん下がっていって、この極端に遠浅の海は、海底を露にしていく。取り残されたのか、我々3人はハリセンボンを追い回して、嬌声を上げていた。空には大きな白い雲が急ぎ足で次々に頭を追い越していたが、特に大きな雲が覆うと、それはスコールになって地上へと届いた。なんとも気持ちのいい雨だ。
食事は、車で10分くらいのところにある島内唯二(2店並んでいる)の売店に買いに行ったが、弁当も菓子パンもほぼ皆無で、調理が必要な生活物資だけが並んでいた。その中で端に置いてあったなんとか食べられそうな寿司とお菓子、飲み物を買って、ちょっとさみしい昼食を、最高に贅沢な景色の中でほおばった。
あっと言う間に3時を過ぎたので、帰り支度を始める。飛行機は瞬時に宮古島へ連れ戻してくれ、今晩は洗濯(すぐ近くのコインランドリーで毎日洗濯をしている)も時間があるし、夕食もゆっくりできるねと、西里へ戻っていった。
夕食は、二男が大のお気に入りの「なみ吉」という居酒屋。子供は待ち兼ねていた好物を注文していたが、メインとは別に頼んだソーメンチャンブルーがことのほか美味しく、追加で注文し、さらに翌日も食べるという大のお気に入りになってしまった。これは絶対におすすめ。

2004年7月20日

 今日の目的はただひとつ、初日に行けなかった吉野海岸である。朝食はホテルのバイキングだが、ホテル・アトールエメラルドと違って宿泊客が少ないので種類はかなり少ないが、私と妻の大好物であるナーベラー(ヘチマ)の煮物が出ていて大喜び。それだけで喜んでしまう。
平地続きで分かりづらい宮古の道は、3年目になってようやくコツがつかめてきた。地図の見方のポイントが分かったのである。何号線という数字と、標識に表示される地名を組み合わせて判断するのだ。そしてほぼ完璧に吉野への道を進んでいった。
10時半頃に吉野海岸の標識に到着、あの狭い道に進んでいった。すいていてくれよと少しドキドキしながら下っていったら、一昨日とは違い、駐車している車は十台ほど、あまり奥へいくと帰るのが大変かなと思い、ちょっと上の曲がり角の空きスペースに駐車した。浜辺に続く道には3つのレンタル店がある。パラソルとシュノーケル、ライフジャケットなどを貸す露店だ。取り敢えずパラソルだけ借りてビーチへ出た。海はきれいな翡翠色に彩られていて、けっこう近い沖のリーフに波が砕けている。


少し進むとすぐに深くなり、足が着かなくなった。水泳部でカッパ状態の長男と、泳ぎの得意な妻は何の問題もないが、泳ぎに自信のない私と、私より上手なもののまだ泳ぎに不安のある二男は、ライフジャケット(1000円)を借りてきた。足の着かない場所を越えると浅くなり、そこここにサンゴが群棲していて、足を着ける場所もある。シュノーケルで水中を見てみたら、まるでそこは竜宮城。

スカイブルーのデバスズメがまず無数に集まってくる。カラフルに彩られたベラの仲間、黄色と黒の口をとがらせたツノダシ、サンゴの間には目にも鮮やかなブルーに光るルリスズメがいる。下を見ると間の抜けた顔の大きなバラフエダイ、青いイラブチャーと呼ばれるアオブダイ、水面近くには鋭くとがったダツが悠々と泳いでいる。
クマノミも可愛らしい顔を覗かせていた。これがダイビングではなく、足の届く場所でのシュノーケリングで楽しめることが凄い。昨年は新城で驚かされたが、吉野の規模ははるかに上。引き潮になる午後は歩きながらリーフの近くまで行けるし、シュノーケルひとつでこんな凄い魚影に出会えるのは奇跡のようだ。
実際、小学生やそれ以下の子供が、安全に、カラフルな熱帯魚たちに出会えるビーチは、石垣島にはどこにもなかったし、八重山へ範囲を広げても西表島の「星砂の浜」以外、浅瀬に熱帯魚が群れるビーチはなかった。しかしそこにはところどころ深いプール状の穴がある(ここには大きな魚がいて魅力的なのだが)ので、あまり小さな子は無理だろう。ライフジャケットを付ければ吉野は終日、何も付けなくても午後の吉野と、新城は、親子共に安全に、存分に楽しめる究極のビーチと言えよう。
こういう重要な情報はどんな旅行ガイドでも、どのインターネットのホームページでも紹介されていない。「まっぷる」はある程度詳しいが肝心な吉野海岸が載っていないし、「るるぶ」に至っては「前浜ビーチ」「砂山ビーチ」「パイナガマビーチ」だけというお粗末さ。
まあ、あまり観光客が増えるのも混雑するし、サンゴも壊される可能性が高くなるので、紹介されない方がいいことも間違いない。子供達は夢中になって、使い捨ての水中カメラで魚を撮影していたが、干潮になる午後は、どんどん干上がってサンゴの頭の部分は海面に出てしまっていた。ここはサンゴの密集地帯なのだが、偶然か誰かが意図的に作ったのか、奥へと行ける道ができている。サンゴとサンゴの間を擦り抜けて先へと進んでいくが、時折ぶつかって擦り傷を負ってしてしまう。
食事は、コンビニにあらかじめ買って来たサンドイッチと、浜辺のワゴン車の移動売店で作ってもらった「金ちゃんヌードル」を食べる。この「金ちゃんヌードル」は、味はカップヌードルなのだが、宮古・八重山ではこれが定番である。会社は徳島なのでどうして沖縄でメジャーなのかは分からないが、けっこう美味しいので、ビーチで見つけるとつい注文してしまうのだ。
そして3時頃にはかなりの干潟になったので、明日もここにする?と子供達に確認すると、もちろんとの返事。簡単に着替えて、飲み物を飲もうと、近くにある東平安名崎へ向かう。昨年も行ったところなので、ここの突端には、いくつかの売店があること知っていた。子供達はブルーシールの紅イモアイスと飲み物、私と妻は、受付の女性から美味しいときいていたマンゴーのシャーベットを頼む。これは完熟したマンゴーをそのままスライスして冷凍したもので、冷たくて甘くて美味しい。
まだ時間があるので、「んみゃーち宮古」に載っていた、来間島の、きれいな貝殻が拾えるという「ムヌムン浜」へ向かった。来間大橋も、池間大橋と並んで格別に海が美しい。ただ夕方は海面の太陽の反射がきついので、ここは午前中に行くのがベストタイムだろう。来間島の道は農道のようなせまい道なので、ゆっくりと考えながら進んでいく。地図を見ながらこの道かなと進んでいくと、猫の額ほどのビーチへ出た。もちろん誰もいない。木の看板にはパラソルのレンタルなど書いてあるが、店などどこにもなく、電話番号のみ。きっと電話をかければ届けにくるのだろうが、横幅30メートル程度しかないビーチにきてパラソルなんて立てる人などいるのだろうか。貝殻などかけらもなく、むだ足だったねと言いながらホテルへと戻っていった。

2004年7月21日

 今日も朝食のバイキングにナーベラーが出て来たので、喜んでたっぷりと取ってきた。バイキングって何か楽しい。子供が持ってきた納豆の中にはワサビが入っていて驚く。東京ではカラシが定番なので、地方の味の違いが興味深く感じられた。
今日は最終日、まったくあっと言う間だ。この4日間、天気がよかったのでそれが最高のプレゼントになった。初めて宮古島に来た2年前は、台風が沖縄本島を通った影響で、完璧に晴れた日は1日しかなく、その不完全燃焼のくやしさが今でも思い出される。荷物をホテルに預け、さっそく吉野海岸へ向かっていった。今日も停車している車は10台ほど。今度は一番先の駐車スペースに停めることにした。もちろんバックで出やすいように。まだ午前中で水深が深いので、二男と私はライフジャケットを借り、海へ向かった。
やはり午前中の海がハイライトだ。シュノーケルで呼吸しながら、魚肉ソーセージをかかげると、色とりどりの無数の熱帯魚が集まってくる。午前中だと大型の魚もいるので、楽しみが大きい

サンゴの上に水面があるので、移動も楽だ。見上げるとはるかに高い空、そして沸き立つ白い雲のコントラストが素晴らしい。ここ宮古や、八重山に来て思うのは、海だけではない、雲の素晴らしさだ。東京暮らしの私達にとって360度開けた空だけでも貴重なのに、そこにモクモクと陰影がある力強い雲が水平線からは沸きたち、千切れた雲は次々と頭の上を音もなく通り過ぎていく。この雲も、沖縄の海の大きな魅力のひとつだろう。いつも最終日は海の中からこの空を眺め、また来年来られますようにと、小さく祈っている。
干潮の午後は、数人の人がリーフの上を歩いている。これはサンゴの上を歩いているのであり、生きているサンゴも踏みながら歩いているのではないだろうか。いなくなってしまった吉野のオヤジ。彼がいたら彼らにどう言うのだろうか。この素晴らしい環境を守る人がここには必要だったのかもしれない。ただサンゴ自体は、ここ数年のエルニーニョ現象(海中温の異常な上昇)によってかなりが死滅している。ただ青サンゴを中心に復活してきており、今が大事にしていかないといけない時なのだ。生きているサンゴを傷つけないよう気をつけて泳いで回る。
午後3時には切り上げ、吉野では満足な着替えする場所とシャワーがないので、簡単に着替えて前浜ビーチまで行き、そこの更衣室でシャワーを浴び、髪を洗ってようやくさっぱりとできた。
平良へ戻り、西里通りを歩きホテルから荷物を受け取るが、来年もここへ来られるかなと考えてしまう。二男は、吉野海岸の素晴らしさを知って、ますます宮古派になって、次も宮古と主張する。私としては「また来ますね」と言っておきながら行かなかった新城海岸の新城さんに挨拶にしなければいかないし。
長男は、一回はホテル・ミヤヒラにまた泊まりたい、そしてそこで石垣牛を食べたいと言う。八重山はまだ小浜島にまともに行っていないし、なんといっても西表島で行きたいところが幾つかある。陸路がなく、船でしか行くことができない手付かずの場所だ。シュノーケル・ポイントでもあるそうだし。次回は八重山という可能性があるな。あの高速船にも乗ってみたいし。
でもその後は宮古に絶対に戻ろう。宮古はいい。時にお子さんがいる方には、絶対に宮古島の方がおすすめである。八重山に比べても魚が豊富で、海がきれい。ただ、来年は二男が受験生なので、行かれない可能性もある。楽しみは先にと言うが、毎年、この旅行をメインの楽しみにしている私にとって、さぞや味気無い一年になるのだろうな。
JTA22便は10分遅れの午後7時35分に出発、午後10時頃には羽田に着いてしまった。鼻のアレルギーがある二男は、宮古滞在中は一度もクシャミをしなかったのに、こちらに戻ってくると何度も鼻をかんでいる。やはり宮古の空気は違うのだろう。こうして戻ってくると、名残惜しさはあるが、旅行の責任者としてやはりホッとしてしまう。
家には昨年の旅行の時にはいなかった新しい家族のネコ2匹(ベルとノエルと言います)が待っている。母親に頼んで面倒を見てもらったが、さみしがっていなかったかな。家の前に着くと、みんなネコの名前を呼びながら入っていく。やはり家っていいね。






0 件のコメント:

コメントを投稿