2003年7月30日水曜日

V.A.:『The Many Moods of Smiley Smile』(Teenage Symphony / Dreamusic)


 アーティスト(音楽家)の本分は、その溢れ出すイマジネーションを自らの作品で表現する事だ。 
 本作は『喫茶ロックnow』、『Smells Like Teenage Symphony』の監修でお馴染みの非営利音楽愛好団体である、”Smiley Smile”(素晴らしいネーミングだ)が手掛けた最新作品集で、新たな才能を紹介する事に徹した理想的なコンピレーションである。とにかく、限り無くダイヤモンドに近いアーティストの含有率が高い事が注目に値し、以前もこのコーナーでも紹介したロビンズ、Lamp、ゲントウキ等の参加でもうなずける筈である。

 では気になったアーティストとその作品について紹介してみよう。
 冒頭のRide, Ride Blue Trainの「街にさよなら」は、オルタナ風ヘヴィー・サウンドに叙情的なメロディを乗せながら、サイケデリックな味付けも感じる。 サビのリフレインにはXTCの「Wake Up」のそれを思わせ、その余韻がこの作品集への期待を高ぶらせる。 
 ビューティフルハミングバードの「朝の友人」は曲もさることながら、特筆すべきはヴォーカリストの声の素晴らしさだろう。ジョニ・ミッチェル~吉田 美奈子ファンには強くお薦めしたい。 
 西村明正の「嘘つきケイティ」は、そのタイトルからしてスティーリー・ダンを意識している節は伺えるが、独特なコード進行と曲の展開、ウーリッツ ァー(エレピ)の刻み方、エリオット・ランドール風のギター・ソロ等サウンドの面白さは折紙付きだ。但しヴォーカルの個性がそれに負けている傾向があるので今後の課題として欲しい。

 Lampの「面影」は、日本的情緒とMORが溶け合った印象的な曲。純文学風の歌詞とその情緒性を拡大させる三声コーラスと間奏のアコーディオンのライン、コーダでヴォーカルがファルセットになる箇所等ディレクション能力も評価したい。
 彼らについてはデビュー前からその才能を買っており、1stの『そよ風アパートメント201』のレベルからすれば、この曲は佳作といえるので、まだまだ他の曲を聴いてみたい。因みに9月発行予定のVANDA29号では、彼らのインタビューを掲載するので興味のある方は是非読んで欲しい。
 トルネード竜巻の「ノーウェア・カーネリー 」は、実に不思議な音構造で、女性ヴォーカルとバック・サウンドのアンビバレンスな関係性は貴重といえ る。『Straight from the Gate』の頃のヘッドハンターズ等を彷彿させる知的系フュージョン・サウンド(但しギターはブリテッシュ系譜)に浮遊感溢れるVoが乗る。本当に形而上学且つ奇妙な曲であり、他の作品への興味も沸いてくる。
 bonobosの「Mighty Shine, Mighty Rhythm(SPC FINEST REMIX)」は、この作品集の理念からは少々外れるリミックス作品ではあるが、個人的には最もリピートして聴いた曲でもある。
 70年代にドナルド・フェイゲンは「今最もホットな音楽が作れるのは、優秀なスタジオ・ミュージシャン達だ」といみじくも語ったが、現在ではそれがDJやリミキサーに様変わりしているのは紛れも無い事実だ。それを踏まえると、ここでのインポータンスは、リミキサーによるテクニカルな技法なのかといえばそうでもない訳で、ファンキーでミニマルなバック・トラックから浮かび上がってくるのは、個性溢れるヴォーカルに他ならない。オケに対してアウト・オブ・コードになった事でメロディの存在感が際だった好例だ。 

 HAYDONの「期待」は、その曲の良さやサウンドのスタイルから最も一般的に受け入れ易いかも知れない。小沢健二的なヴォーカルやキャッチーなコーラスは女子に好感を持たれるだろうし、スライ&ファミリーストーン的なクールなファンクを基調としたリズム・セクションとビートルマニアたるギター・プレイのバリエーションにはニヤリとさせられる。
 つまり異なったファン層を獲得出来る良いトコ取りの美学。細かなサウンド面では、スネアとキックの固めのチューニングやラグドなドラミングが気になって何かと侮れない。
 ゲントウキの「夏の思い出(納涼編)」は、先にリリースされたシングル「素敵な、あの人。」のB面曲の別ヴァージョンだ。田中潤のソングライティン グ能力の高さはよく知られているが、詩情溢れる歌詞とそれを生かした曲作りの巧みさが群を抜いている。
 70年代のジェームス・テイラー等のシンガー・ソングライター的スタンスに近く、バンドなのだが極めてパーソナルな世界観を感じさせる。大サビからの突如メロウな展開になるパートには、ボビー・コールドウェルの匂いもするし(だからスチール・パンを入れたのか?)、全体に鏤めたペダル・スチールの配置等アレンジ面の演出も過不足無く素晴らしい。
 ロビンズの「未だ見ぬ街へ 」はある意味、最も”Smiley Smile”な興味深いサウンドだろう。細野晴臣~小山田圭吾系譜のフラットなヴォーカルと、淡々と進行するストレンジな音像は極めて独創的である。左チャンネルに定位したドラムとショート・ディレイをかましたオルガンやトリルを多用したシロフォン、アナログ・シンセによるアクセントは元より、コーラスの構成や配置等は、中期ビーチ・ボーイズにいかれた連中にしか成しえない技だ。このまま洗練なんかして欲しくない気がするので、”京都のルイ・フィリップとその一味”の称号を差し上げたい。(因みに”マーハ(横浜)のルイ・フィリップ”は、Like This Paradeことミサワマサノリに銘々済み) 

 最後に、このコンピレーションには限りない可能性を持ったアーティストが多く参加している事を理解してもらえたのではないかと思うが、これをきっかけに多くのリスナーが、日本のアナザー・サイドに潜む新たな才能に触れてくれる事を切に願うばかりなのである。 
(テキスト:ウチタカヒデ

2003年7月25日金曜日

Radio VANDA 第 40 回選曲リスト(2003/08/07)


Radio VANDA は、VANDA で紹介している素敵なポップ・ミュージックを実際にオンエアーするラジオ番組です。

Radio VANDA は、Sky PerfecTV! (スカパー) STAR digio の総合放送400ch.でオンエアーしています。

日時ですが 毎月第一木曜夜 22:00-23:00 1時間が本放送。
再放送は その後の日曜朝 10:00-11:00 (変更・特番で休止の可能性あり) です。

佐野が DJ をしながら、毎回他では聴けない貴重なレア音源を交えてお届けします。

 
特集Beach Boys Alternate Version

1. All Summer Long ('64)
2. I Get Around ('64)
3. Wendy ('64)
4. Girls On The Beach ('64)
5. Little Honda ('64)
6. Why Do Fools Fall In Love ('64) ... Single Version
7. Hawaii ('63)
8. She Knows Me Too Well ('65)
9. Don't Hurt My Little Sister ('65)
10. Kiss Me Baby ('65)
11. When I Grow Up ('65)
12. Do You Wanna Dance ('65)
13. Good To My Baby ('65)
14. Please Let Me Wonder ('65)
15. Help Me Rhonda ('65)
16. Let Him Run Wild ('65)

 

 



2003年7月24日木曜日

★第2回 宮古諸島ツアー2003

Journey To Miyako Islands 2003


佐野 邦彦


                          最も美しいビーチである多良間島・ウカバ

 
 リベンジ。ちょっと古くなった言葉だが、今回の第2回宮古ツアーはまさしく、リベンジの旅だった。
昨年は台風の影響で快晴は1日のみ、海水温も冷たく、あまりに不完全燃焼だった。風の影響で島行きの飛行機も欠航、多良間島へは行くこともできなかった。これでは宮古は八重山に大きく差を付けられてしまう。子供達も次は八重山がいいと言っている。しかしあまりにフェアじゃない。天気が良ければ宮古はどれだけいい所なのか、石垣より美しい、沖縄一、いや世界一というその海を、自分の目でどうしても確かめなければいけなかった。


ただ長男が今年は中3で受験生、夏休みが始まると塾がびっしりと待ち構えているし、学校への影響も出来るだけ減らさないといけない。それで今回は夏休みの2日前、終業式前日と終業式を休ませる日程で、7月17日(木)から20日(日)までの3泊4日で決定した。
何故か、昨年よりJTBの「スペシャルフライト沖縄」はかなりの値上がりをしていて、他のプランを物色せざるを得ない。最終的に最もリーズナブルだったのはJTBサン&サンの「沖縄の島々とダイビング」で、宿泊先も昨年と同じホテルアトールエメラルド宮古島で申し込んだ。ただこの会社のプランは行きの早い便や帰りの遅い便は割増設定になっていて、昨年に比べて大幅なアップになったが、時期も夏休み直前だし、まあ仕方がないとあきらめる。
念願の多良間行きの飛行機は往復の片道が6,080円(早割りなどは一切なし)なので、4人で48,640円、これは予約だけ取ってチケットは空港で買うことに。というのも昨年、JTBで事前に購入しておいたところ、フライトがキャンセルになるとキャンセル料が8枚のチケットで確か2000円くらい取られてしまったからだ。こういう定額のチケットは空港で十分。予約だけなら、その場でやめてもキャンセル料はかからない。
宮古でのレンタカーは昨年と同じフジレンタカー、多良間ではガイドブックにはレンタカーはないと書いているものの、空港と村落を結ぶバス(といってもただのワゴン車)を運転している羽地バスに聞いたら、「ああ、車貸してあげるよ」と嬉しい返事、ガソリン込み1日4000円でOKとなった。羽田空港の駐車は空港内駐車のプランを前日に申し込む。
  ただ心配事があった。父だ。昨年から病気で自宅療養中の父の体調が5月に入ってかなり落ち、父の体にいいと思われるものは何でも入手しようと、私は東奔西走するようになっていた。このまま推移すれば、旅行どころではないかもとは思っていたが、その父は5月30日に、突然、逝ってしまった。その日に医者へ自分で歩いていき、夕食も食べたのに。あまりに急な事で衝撃も大きく、旅行のことはしばらく手付かずのままだったが、七七日忌は旅行の前の週、父は私達に「旅行に行けよ」と言ってくれたかのように全ての事柄を避けてくれていた。そういう状況だったので、旅行代理店の東急トラベルに私は一度も行かず、すべてを振り込みで済ませていた。
旅行1週間前にチケットが送られてきたのだが、なんと行きは到着が14時5分、帰りは集合が15時35分という、私が電話で希望した「出来るだけ早く行き、出来るだけ遅く帰る」という希望とは、まったく逆の時間帯で決定されてきた。すぐに東急トラベルに抗議するが、プラン内の時間にはギリギリ入っているので一切変更はできないと言われてしまう。確かにパンフレット上はそのとおりなのだ。しかし私の希望は一切考慮されなかったのかと、JTBサン&サンへ直接電話すると、行きは那覇乗り継ぎの時間が20分しかないが1時間ちょっと早い便があり、帰りも1時間40分遅い便がまだ空いているとの返事。東急にその件を伝えると、いったんキャンセルすればお取りできますと言われたが、それだと全体の3割、10万円近くが取られてしまうので、「空いている便があるのに取れなかったのはそちらの責任。だからフライト料金だけのキャンセル料で計算して欲しい」と強く要望する。しばらくして「本当はダメなのですが特例でやります」との返事、行きは乗り継ぎが20分だけだと、羽田の出発が遅れた時のリスクが大きいのであきらめ、帰りのみ変更してもらう。その手数料は4人で23,360円、また高くなってしまったが、特例を認めてくれた両旅行会社には、感謝を述べておきたい。実は行きは早朝直行便があったのに私が見落としたのが敗因だったのだが、父の件で旅行のパンフレットもほとんど開いていない状態だったので、これは仕方がないと、自分に言い聞かせて、あきらめた。

7月17日(木)

  出発は午前9時15分のJAL901便。昨年は道路も、荷物を預けるカウンターも全て混んでいてとてもあせった事を思い出し、集合時間の2時間前に家を出るが、今度はまったく混雑せずちょっと拍子抜け。那覇へは定刻の11時45分に到着、前述のあきらめた20分後に出発の宮古行きのJTAには悠々間に合っていたのでちょっと悔しいが、先手は打っておいたとまた自分に言い聞かせた。
その先手とは、レンタカーの空港配車だ。13時20分発のJTA511便は出発が15分遅れて到着が14時20分になったが、預けた荷物を受け取る間に、私はレンタカーの鍵を受け取ることができた。先に代金を払ったので、返却はこの空港に鍵をつけたまま車を置いていけばいいという、離島ならではの方式(石垣でもあった)で、これは時間短縮がさらにできると思わずニンマリ。
  天気は晴れだ。沖縄よりさらに雲がない文句なしの晴れ。ああ、この強い陽光が迎えてくれなければやっぱりダメだ。宮古はずっと晴ればかり続いているので、この4日間持つかちょっと心配だが、予報上は問題ない様子。2回目ともなると馴染みのようになった道を、一路来間大橋へと向かう。目的は来間島の長間浜だ。インターネットには、観光ガイドにはない宮古のスポットが紹介されており、そのひとつ、昨年橋を渡っただけだった来間島で、美しく、魚の多いこの浜をまずは目指した。来間大橋はやはり見事な美しさだ。左右に広がる翡翠色の海、その間にゆるやかなアーチを描く道路、まさに絶景だ。人工の建造物が、自然と見事に調和している。
 来間島へ入ると、宮古と変わらないサトウキビ畑が続くが、その中に黄色い小さな木の手書きの標識に「長間浜」の矢印。途中からはぐっと道が細くなり、この先に本当にあるのか不安を抱きながら走り続ける。そうすると3回ほど「長間浜」の標識が出て来て、ようやく海の近くと分かる道が出てくる。車を止めるスペースがあった。そしてその先に獣道のような道。インターネットの記述のとおりだ。着替える場所などないので車の中で済ませ、その獣道を抜けると、コーラルブルーとグリーンの海が現れた。
サンゴの白砂からの照り返しが肌に突き刺さり、眩しくて目を細くしないといられない。ビーチの前にある潮だまりに足を入れると、暖かく、ぬるま湯のよう。ついに来たぞ、これだ、これだと嬉しくなった。用意しておいた魚肉ソーセージを持っていくと、10匹程度の熱帯魚が集まってくる。リーフ内にしては少し波があるせいか、カラフルな魚は少なかったが、最初のビーチにしてはかなりポイントが高い。
着替えとシャワーを浴びるために、設備の整った来間大橋を渡ってすぐの前浜(マイパマ)ビーチへ向かう。白砂が延々と続く「東洋一」と表される美しい海だ。この海に浸かりながら、やっと戻ってきたな、また楽園に来られたとちょっと感慨にふけっていた。見上げると遥かに、遥かに空は高い。

7月18日(金)

 今日は1年間待ちに待った念願の多良間だ。急いで食事を済ませ、宮古空港へ向かう。天気は非常にいいが少し風が強いかも。9時発の琉球エアコミューターなので、8時30分にカウンターへ着いた。チケットを買い、隣の搭乗手続きカウンターで荷物台に荷物をのせると、その上に一緒に乗って下さいという。体重を計られるとは聞いていたがこうやって計られるのか。荷物と一緒の体重はカウンターの女性の持つチケットに大きく赤いマジックで書かれ、「えっこんなに体重が増えていたの?」と妻に突っ込まれる始末。ずっと内緒にしていたのに...座席は何か計算した後に、その半券に丸を付け渡される。
何々、えったったの9人乗りなのか!長男は1A、なんとパイロットの隣じゃないか。やったね。飛行場に出ると双発のBN2が止まっている。案内されて乗るとこれは小さい。左右前後がギリギリで、百キロ超級の人は無理だろう。エアコンもエンジンがかからないと動かない。

いよいよ出発となる。プロペラ機独特のブーンという高回転になると短い距離でフワリと離陸する。風で多少フラつきながらどんどん高度が上がっていく。すごい迫力だ。ジェットコースターに乗ったような感覚すらする。これは飛行機嫌いの人は無理だろうなあ。
海はコーラルグリーン左手に見える来間大橋が実に美しい。薄い雲をつきやぶり、ようやく水平飛行に入った。フライトはたったの25分だ。十数分するともう多良間島と水納島が見える。多良間島は本当に平べったくて丸い。島の回りにはリーフが発達し、碧い海が鈍い光を放って我々を誘っている。これは期待ができそうだ。着陸のために旋回し、高度を下げていくとまた多少フラつく。目の前に見える多良間空港は本当に滑走路が短く、この飛行機が限界ということが上からも見て分かるほど。着陸するとすぐにブレーキがかかり、正直ちょっとホッとした。
地上に降りると、多良間空港はまるで田舎の小さな駅。思わずシャッターを切ってしまう。新飛行場がこの10月にもオープンで、それからは39人乗りの飛行機が就航するのだという。今までより欠航が少なくなれば、地元の人にとってのメリットは大きいだろう。しかしこの9人乗り(パイロットを入れちょうど10人)のミニ飛行機は、観光客にとっては(観光客自体ほとんどいないと言うが)それだけで魅力だ。この飛行機を体験することが、多良間行きの大きな目的だったのだ。
 空港へ出ると、ワゴン車が止まっていて、小柄で太ったおじさんが立っている。この人が電話に出た羽地さんかも。声をかけるとそのとおりで、道端に止まっているライトバンを指さし、「エアコンかけてあるから。帰りはまたここに鍵をつけたまま置いておいて。」とキーを渡された。
涼しい車内がちょっと嬉しい。道はきれいに整備されていて、観光化されていない島のイメージとは違う。ただし通り過ぎた車のナンバープレートが、車体に付けられなくて、窓のところに見えるように置いてあったのが、いかにも離島だ。民家は見当たらず、サトウキビ畑が続く。島で唯一の信号が出てきたので、めざす八重山遠見台はもうすぐだろう。地図を見ながらこっちかなと走っていくと、なかなか到着しない。小さい島だから間違えたとしてもとうに海が見えるはずだ。変だな、こっちかなとしばらく走ると、また信号が見えてきた。あれ?どこかで一周したんだとキツネに化かされかのよう。
今度は外で働いている、全身日焼けで赤銅色に輝く大工さんに道を聞き、集落を抜けて、ようやく八重山遠見台へ着いた。案の定、誰もいない。らせん階段を上がって上へ出ると、かなり大きく石垣島が見える。宮古と石垣の中間に位置するこの島だが、見た目の近さは70km近いその距離を錯覚させる。宮古へも70km近く、大きな両島の中間にありながら、小さくて遠いこの島は、行き来が不便なため、観光化されなかった。

 車へ戻り、島で唯一の設備の整ったビーチ、ふるさと海浜公園へと向かった。ようやく海の見える周遊道路へ出るが、ここは特に舗装がいい。
そう言えばこの多良間は人口が1400人もいて、八重山の多くが何百人台のことを考えると、開けた島、補助金も多い島なのだ。こんなに交通手段が不便(1日1往復の船便は片道2時間半かかる)だと、補助金でインフラを整えないと、どんどん過疎になってしまうだろう。
昭文社の「まっぷる」の地図では沖縄電力の近くが、パーキングのマークの付いた前泊海水浴場となっている。波照間でも見た風力発電の大きなエネルコンの羽が見えたので、もうこの近くだと探すが何も出て来ない。おかしいなとしばらく走ると駐車スペースが見えてきたのでそこに止めると「三ツ瀬公園」、とっくに通りすぎていてもう島を半周してしまっている。Uターンして、沖縄電力の近くに小さな木製の看板があったなと戻ると「ウカバトゥプリ」とある。
設備が何もないのでここではないとは分かっていたが、とりあえず車を止めて海へ出ると、そこは鏡のような海!波のない翡翠色の海が、静寂の中、佇んでいる。太陽光線は白砂のビーチからの反射もあって、まぶしく、肌には痛みを伴って突き刺さってくる。誰も、本当に誰もいない。緑と碧の絵の具が溶け合った海に、海底にある海草の黒い帯がアクセントを添え、水平線近くにあるリーフで白い波がかすかに砕けている。こんなに美しい場所があっていいのかと、ほうけたようにしばらく海を見つめていた。
車へ戻り、そう言えば港の前に人がいた所があったとさらに戻っていくと、シャワー施設とトイレを清掃している住人の方たちがいる。ちゃんとしたパーキングがあり、そこへ止めると「ふるさと海浜公園」とある。なんだ、ここが前泊海水浴場じゃないか、「まっぷる」の地図はまったく間違っているよ。

さっそく着替えて、トイレも済ませるが、ここは申し分なくきれいに整備されている。設備が整っていないビーチが多い宮古諸島では、ここは最高の場所と言ってもいい。この清潔さを維持している多良間の人達の日々の努力もあるはず。海へ出ると、先の"ウカバトゥプリ"と同じくらいの美しさだ。
それにここには木陰があり、ベンチもあり、海を見下ろしながら寝そべると心地よい風が吹き、まさに天国。そして海へ入り、羊水のような暖かい海水に包まれると、幸福感で心が満ちあふれてくる。今までで一番と思っていた竹富島のコンドイビーチを、波照間島のニシ浜を、多良間のビーチは一気に超えた。思わずそのまま飲んでしまいたくなるほど海の透明度、翡翠色と瑠璃色のグラデーション、波ひとつない静寂の海面。ナマコもいないし、木陰もある。この5年間の宮古・八重山旅行で、ベスト1は多良間のビーチだった。観光化されていないので、環境が守られているのだろうな。観光客の勝手な願いだが、多良間はこのままにしておいて欲しい、パックツアーなどではなく、意志を持ってやってきた人だけがこの美しさを味わえるようにと、心の中で思っていた。妻もここが一番と、やはり同じ意見。そして誰もいない。極上の海が貸し切りだ。海から出て、木陰で海を眺めていると、こんな場所にいられる事が最高の贅沢じゃないかと思う。物質の贅沢は、自然の贅沢にはるかに劣る。
 帰りが14時25分と早い便だったため、後ろ髪を引かれながらビーチを後にした。途中のAコープで多良間名産と本に載っていた「ぱなぱんぴん」というお菓子を買う。実にシンプルな塩味のスナックという感じで、ビールのつまみにはとても合う。
売店のおばさんに「多良間の海は本当に美しいですね」と言うと「そうでしょう。多良間の海は最高よ」と誇らしげな返事。空港に車を止めて、また体重測定などの手続きをしていると、羽地さんに「もうお帰りですか?」と声をかけられる。さっそく多良間の看板に書かれていた日本語にはないカタカナ、つまりリに丸(◆"パ"のような要領)、小さいィに丸◆をどう読むのか聞いてみた。空港に置いてあった多良間の村役場が作った地図を広げ指をさして質問すると、一瞬何のことかとキョトンとされていたが、「ふるさと海浜公園」の看板にさらに大きく書かれていた地元での名前「トゥガリ(丸が付く◆)ラ公園」は、「ああトゥガッンラだよ。多良間の古い言葉さ」と笑顔でと答えてくれた。私には「ッン」に聞こえたが、後になって電話で多良間役場の人に確認したら、英語の"l(エル)"の発音と同じだとか。発音してみると確かに"トゥガッンラ"に聴こえた。小さい"ィ"に丸が付くものもあり、これは舌を前に少し出し"ウ"と発音するのだという。これは日本語では適当な文字がないからで、こう書いているのだそうだ。やはり日本は広い。言葉だけでも知らない事が山ほどある。
宮古へ戻る飛行機はまた風にすこし揺れながらのフライトだったが、島の住人と思われる人達はずっと寝ていたり、実に慣れたもの。この飛行機も10月10日には、新空港開設と共に39人乗りの飛行機にとって代わられる。今よりもずっと行きやすくなるだろう。願わくはあの海の美しさが損なわれませんように。

 宮古へ戻ってすぐに向かったのは、池間島だ。池間大橋も本当に、何度見てもきれいだ。宮古側から見ると、右手にはポッカリと浮かぶ大神島、左手には西平安名崎の風力発電の4基のエネルコン、来間島とは違う味わいがある。島の周遊道路に入るが、来間島よりずっと舗装がよく、快調に飛ばすことができる。ここにはインターネットで「ひみつのビーチ」と呼ばれる、ロープで崖を降りたところにある隠されたビーチがあるらしい。標識がないので勘が頼り、時計回りで来てしまったので、灯台を過ぎ、そろそろかなと思ってゆっくり走ったが、海へ続くような道がある場所が出て来ない。そうしている内に一周してしまったので、Uターンしてもう一度、それらしい場所を探して走る。灯台の少し前に、左手が湿地帯で、車2台がなんとか停まれるスペースがある場所を見つける。1台は既に停まっていた。車を停め、道を渡ると白い道が見える。少し分け入ると、ロープが吊るされた5mくらいの崖があるではないか。やった!ここだと慎重に崖を降り(段があるので降りやすい)、インターネットで書かれていたように右の海岸を進んでいった。

岩場が多い浜をしばらく歩いていくと、海岸が途切れた所が、きれいな入り江になっていた。目の前に大きくフラットな岩が2つあり、その間から海が見える。あっこれは、三好和義氏の写真集「ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄」にあった"竜宮城への入り口"と題された池間島の写真の場所ではないか!この場所を知りたかったのでなんだかとてもラッキーな気持ちになる。
浜には漂着物がけっこう流れ着いていて、外国のペットボトルもちらほらころがっていた。急いでその場で着替え、心地よい温度の海へざぶりと浸かると、青い空を気持ち良さそうにアジサシが円を描いている。多良間とは違う、ちょっと男性的な風景をしばらく楽しみ、この充実した1日を心の中で感謝していた。

7月19日(土)

 今日はゆっくりと朝食を取り、10時近くになって東平安名崎へ向かう。そう、昨年初日に訪れたものの天気が悪く、絶景と呼ばれるその場所が少しも楽しめなかった因縁の場所だ。こんな晴れた日はどんな景色を見せてくれるのだろう。マティダ通りにあるホテルを出ると、まぶしい陽光が我々を迎えてくれる。命の力強さをはっきりと主張しているような濃い緑の樹木が蒼い空に伸びている。空には大きな白い雲が駆け足で流れていた。高い樹木の緑の間に見える赤いデイゴの花が愛らしい。
30分程度走ってようやく到着、昨年と同じ店でブルーシールの紅イモアイスを食べ(極上の美味さ!ブルーシールでないとダメだが、なぜか渋谷のブルーシールの店では紅イモが売っていない。そのため銀座のわしたショップで大きな業務用パイントを時々買いにいくほど美味)、灯台へと向かう。灯台は有料で、100段近い階段を上がって展望台へ出る。確かにここは宮古島でヘソの尾のように細く飛び出た場所だということがよく分かる。写真を取って直ぐに階段を降り、よく写真で紹介される、海の中に大きな石が連なって見えるような場所を探すことにした。灯台までの道では、人力車がサービスで乗客に三線の弾き語りを聴かせていたが、聴こえてきたのはビギンの"島人ぬ宝"。宮古でも愛されているんだなと、思わず嬉しくなってしまう。先の売店でその写真の場所を聞くと、しばらく戻った道沿いから見えると言う。3分ほど走ったところに車が停まっていたので、そこで降りると、海の中に転々と岩が並んでいる。ああ、ここだったのかと、確認をするかのように写真だけ撮り、今日の目的である「熱帯魚のいる海」へ向かった。
 インターネットでは、隣接する新城(アラグスク)海岸と吉野海岸にリーフが発達していて、かつ安全という最高のポイントを付けていた。ただ吉野海岸には、"吉野のオヤジ"と呼ばれる勝手に住み着いたじいさんが、来る人来る人にサンゴの保護を訴える説教をするのだと言う。言っている事は正しいのかもしれないが、うっとうしそうので、新城海岸へと向かった。海岸への道は、手作りの木の看板でシンプルなもの。その道に入ると、直ぐに眼下に見事なコーラルグリーンの海が広がっていた。

これは期待ができるぞ。海岸まではもの凄い急坂で、車でなければとてもたどり着けないような高低差がある。トイレはあるものの、シャワーはなく、水は外のホースで水量も少しだけ。ただトイレはいくつかあるので何とか着替えられる。男性は車の中で十分だが。
ここには売店があり、さっそく空いているパラソルを借りる。値段は1000円と安い。これで安心だ。何しろビーチに何もなしで座っていたら、直ぐに下の白砂の反射でこんがりとローストになってしまう。いや、ローストどころか、やけどだ。紫外線プロテクト度が50と最も強いローションを常に塗っているのに、私や長男は肌が赤くなっていて、ローションを塗るもの痛いほど。
海へ入ると肩くらいの浅さの海が波打ち際から数十メートル以上続いているのに、サンゴが群生していた。魚肉ソーセージを持っていると、数え切れないほどの空色のデバススメダイが群がってくる。これは凄い!枝サンゴにはコバルト色のルリスズメ、そして黄色と黒のチョウチョウウオ、カラフルなベラやニザダイ、底にはカエルウオやハゼ、そして目の前を1mくらいの大きな魚が横切っていく。ダツだ。夜釣りでは光りに向かって突進し、死者も出すことがあるという尖った魚だが、ここでは悠々と泳いでエサを狙っている。この海の魚の濃さは本当に凄い。
足が着く浅瀬で水中メガネだけでこれだけの魚が見られるのは、西表島の星砂の浜以来だ。(ただし星砂の浜には所々にかなり深いプールがある。そこでイラブチャー(ブダイ)などの大型魚が見えるのだが)そしてその数から言えばここが文句なしのベスト1。今まで次は八重山で、西表に行こうね、なんて言っていた、生きものを見ていれば幸せな次男は、ここが決定的なポイントになって次も宮古にしようと、180度転換したほど。何しろ海から何時間も出て来ないのだから、その気に入りようたるや尋常じゃない。しかしそれだけの価値のある海だった。
 長男は売店にジュースを買いに行く。あれ、戻ってこないなと思っていたら、売店の人達が休んでいるアダンとモンパの木の木陰で、何やら三線を習っている。店の人にちょっと弾いてみたらと声をかけられたのだ。しばらくして、その店の別の人が、海に行って魚をしとめてみない?と、水中モリを持って長男と一緒に海へ入っていく。私と次男はそれを海から見ていたが、次男はすぐに「僕もやろう!」と二人の方へ泳いでいってしまった。私は海からあがり、パラソルの下で妻と一緒に3人の漁をながめていた。そしてビールを買いに行って、どうもありがとうございますと挨拶すると、一緒にこっちでどうですかと、長男が先ほどまで座っていたベンチへ案内された。日焼けで赤銅色に輝く店の人は、飲みましょうと、残った泡盛の一升瓶に冷水をどぼどぼと入れ、コップに入れてどうぞと渡してくれた。ベンチは木陰で、涼しい風が実に心地よい。
ここ、宮古で大事なのはこの風だ。どんなに直射日光が強くても、日影に入れば、涼やかな風が頬をなでていく。だからどこにいても暑さにうだることがない。アスファルトの輻射熱と車とクーラーの放射熱の熱風が、ねっとりとからみついて離れない東京とは比較するべくもない。大都市が吐き出す巨大な二酸化炭素を、宮古島の緑が酸素に変えてくれている、そんなことも頭に浮かんだ。
  宮古のベンチは天国である。泡盛も美味く、美しい海を眺めながらこれは最高の贅沢だと、ここに住む人がうらやましくなった。隣に座っていた、昨年、宮古に来て以来、すっかり宮古の魅力に取り付かれ、ついに会社をやめて東京からこちらへやって来たという、タトゥーを入れた若者が、「三線、弾いてみますか」と三線を渡してくれた。
前から弾いてみたいと思っていたので「教えてください」と、基本的な指の動きを習う。フレットがないので、勘で弾くしかないが、"もしもしカメよ"を練習してみてというので、それをつま弾いていたら、「ギター弾いたことありますね?」と。彼は別の三線を持ってビギンの"オジー自慢のオリオンビール"を達者に弾き初め、「僕はギター、弾いたことなかったんですよ。でも半年でこのくらい弾けるようになりました」と笑顔で話した。「ビギン、大人気ですね」と言うと「明日の夜、ビギンがオリオンビール祭りで宮古へ来るんですよ。みんな行きますよ」と嬉しそう。あさっての帰りだったら行けたのに。残念。
その彼は失業率が高い島で暮らすため、貝と白砂を利用した万華鏡を作っていて、それで商売しようと考えているのだという。憧れだけでやってきたのではない所に期待が持てる。水中モリを持って案内してくれた"自衛隊"と呼ばれていた青年は、埼玉出身で、自衛隊に4年勤めた後に見切りをつけ、この夏、宮古にやってきているのだそうだ。そして、席に誘ってくれた方は地元の新城さんといい、「ペンションあらぐすく」を経営しながら、昼間はここで海の売店、電気工事も営み多角経営を手掛けていた。
新城さんに昨日、多良間に行った話をすると、多良間行きの飛行機と船はすぐに欠航するので、行ったらいつ帰れるか分からないため、多良間の旅行ができれば一人前なんだよと笑う。彼は多良間と水納島を結ぶ海中ケーブルの工事で1カ月半ほど多良間に行っていたので、友達がたくさんいるのだそうだ。車を借りた羽地さんの話をすると、「面白いオヤジだよ」と懐かしそうに答えた。「多良間の海は本当にきれいですね」と言うと「そうだよ。でも水納の海はもっときれいだよ」との答え。確かに写真で見る水納の海は目映いまでに美しい。昨日多良間のビーチで水平線に薄べったく見えた水納島に住んでいるのは一家5人だけ、観光客もほとんど訪れず、環境は理想的なまでに守られているのだろう。
 話をしていると、地元の年配の人がベンチに座る。すると二人は地元の言葉で話始めた。神経を集中して何を話しているか理解しようとしたが、一語一句何も分からない。結局5分くらいの会話は、完全な"外国語"だった。それは理解がまったく不可能という点で、与那国で聞いた会話と何も変わることはなかった。沖縄の言葉、宮古の言葉、八重山の言葉、与那国の言葉はそれぞれ津軽弁と薩摩弁以上に違うということは以前に書いたが、この4つの言葉は根本的に共通語と単語自体が違うから、本土の人間には、理解不能なのだ。しかし、文法上や言葉の成り立ちでこの4つの言葉は日本語の流れにあり、その日本語は本土方言と琉球方言の二つに大別されるのだという。日本は均一な国家(どこかのバカな政治家が日本は単一民族国家と言っていたが)ではなく、多様な文化と言葉を持った国なのだということがよく分かる。
 会話が終わると、「地元の人と話す時は、共通語を使うと、なんだか恥ずかしいんだよね」と笑ってすぐに共通語でこちらに話を戻してきた。まるでバイリンガルだ。カッコいい。
いつしか人が増え、宮古の人で今、川崎に住んでいるという人や、伊良部島出身の地元の人がきていて、コップを回し始めた。オトーリだ。一つのコップで回ってくる酒を飲み干して、親役の人が酒を注いで、隣の人に回し、それが一周続くと、親が隣に移る。これを延々続けていく、宮古島独特の酒の飲み方だ。本では読んでいたオトーリを、体験できるのは、私にとっては嬉しいばかり。宮古の人は、いい人ばかりで、車で来ているので(車で来ていない人はいないのでみんな同じだが)と言うと、コップに少しだけ注いで回してくれる。この人達は毎日ここで、この美しい海を眺めながら、三線をつま弾きながら、この木陰でオトーリを回しているのだ。なんて豊かな毎日なんだろう。ここに座っていると時間という概念がトロトロとなくなっていってしまう。途中長男は水中モリでミーバイと呼ばれるハタを捕ってきたが、さっそく焼いてふるまってくれた。気が付けばもう6時、子供達は7時間以上海に入りっぱなしだ。ではまた来ますねと席を立ち、車でゆったりとホテルで戻っていった。


7月20日(日)

 今日は帰りの便を遅くしたので、ほぼ一日たっぷり遊ぶことができる。まずはもう一度あの橋を渡りたいと、池間大橋へ向かった。大きな風力発電のエネルコンが4基も並ぶ西平安名崎へ行き、ちょうど横から池間大橋を見ることができた。その後、池間大橋を渡り、売店を抜けて下の海岸に降りて行った。昨年も行ったが、この下からの景色がまた素晴らしい。翡翠色の海と水平線に浮かぶこんもりとした大神島、一直線に伸びる池間大橋、対岸の西平安名崎にある風力発電の4つの羽が順に並んでいる。ここでもそうだが、宮古・八重山はすべてサンゴの白砂の海岸ばかりなので、光の反射が凄く、目にまぶしいだけではなく、写真を撮ると露出オーバーで常に白茶けた写真になって、海の色がきれいに再現されない。
分かっていても何枚か写真を取り、次に来間大橋へ向かっていった。
 来間大橋は、渡り切った来間島から見下ろした景色を撮ることが目的だ。ここには竜宮城展望台というところがあるのだが、観光施設なので、もっと人のいないポイントはないかなと思っていたら、島の道路に入ってすぐ右に曲がったところに駐車スペースがある。見ると階段を上がっていく展望台がある。ここだ、と車を止め、その階段を上がると、そこは見事なパノラマ。上から見下ろすと海のターコイズブルーが信じられないほどの輝きを放ち、流麗な曲線を描く来間大橋、左の対岸には前浜の白砂の海岸が広がっている。絵葉書だ。このままポストカードにして売り出せるほどの絶景だ。来てよかった。
この景色を眺めながら、途中で買って来た弁当を食べ、今度の旅の最後の目的地へ向かう。それは昨日行った新城海岸に決まっている。あんなに熱帯魚がいて、きれいなビーチにもう一度行かなくては話にならない
途中、近道をしようと、外周道路に入らなかったのが失敗で、行けども行けどもサトウキビ畑になってしまう。たまに民家があっても、昼時に外へ出ている人などいるはずもなく(暑いからみんな家の中)、困ったなとしばらく走っていると、家の前で上半身裸で車の近くに立っているおじさんがいた。助かった!道を聞いて、外周道路へ出ることができた。しかし新城海岸の曲がり角は先に書いたように手書きの看板だけ、見落として吉野海岸の曲がり角まで行ってしまう。あわててUターンしてようやく新城海岸へ到着した。
すでに服の下は水着、次男は一直線に海へ飛びこんでいく。昨日の売店の人に、また来ましたと声をかけ、パラソルを借りると、どうぞ、どうぞとまた昨日オトーリした席へ誘われる。「今日、東京へ戻るんで、お酒はまずいんですよ」とやんわりと断わると、「さっき僕に道を聞いたでしょう」と横に座っているおじさんが笑う。あっ、そう言えば昨日いた地元のおじさんだ。ここからは距離もあるし、道を聞いた時はお互い気づかなかったんだ。これこそ奇遇。大笑いして、その後は残る時間を惜しむかのように海へ入った。ああ、海がやさしく、暖かい。魚もいっぱいだ。海の中は色とりどりの熱帯魚の群れ、海面に顔を出して目をやれば翡翠色の美しい海、蒼い高い空には力強い白い雲がアクセントを添えている。海岸のアダンやモンパの木の緑も力一杯、命の輝きを見せている。来年はやっぱり宮古かな、言われていたように海は宮古が一番きれいだと、実感できた。本当にもう一度来てよかった。今度の旅は天気が最高だった。ここ2年、台風がかすめ、天気が良くない日があったので、喜びもひとしおだ。
 この旅は、父親がプレゼントしてくれたんだ。本当は今年の始めに父母にこの海を見せようと宮古・八重山の旅行を申し込んでいたが、父の体調がすぐれずキャンセルした経緯があった。見せたかったな。見えるかな。ありがとう、オヤジと心の中で何度もつぶやいた。
 浜に上がり、売店のみんなに「来年また来ますね」と挨拶すると、「今年の夏の終わりにもう一度来いよ」と先のおじさん。握手を求める新城さんには、「本作っているんで、宮古の事を書いたら送りますね」と伝える。シャワーは滞在していたホテルアトールエメラルドが貸してくれたので、さっぱりとできる。18時55分発のJTA522便で那覇へ、21時発のJAL932便で羽田到着は23時30分。荷物を受け取るともう0時を回っていた。
「旅行っていいものだよな」と長男がつぶやく。次男は次も宮古と主張している。八重山にももう一度行きたいと思っていたが、どうやら次も宮古になりそうだ。石垣は美崎町に夜出るのも楽しみのひとつだったが、平良の西里(ニイザト)もなんだかとっても馴染みの町になってきたし。1年間、あれこれ考える日々がまた始まった。
 









Fernanda Porto:『Fernanda Porto』(TFCK-87325)


 「耳触りが良い」という言い方は日本語として間違っているそうで、この音楽を文章で表現する時には大変不便である。誤解しないでほしいのだが「耳触 りが良い」イコール「おとなしい」という意味では断じて無い。
 食感で例えよう。「クリスピー」とか「クランキー」とか呼ばれる、あの感じである。
 本作随一の楽しさは、鼓膜を軽く弾ませるような、クリスピーな新食感(新「聴」感)リズムにあるのだと思う。 ブラジルから、全く楽しい未体験の「歯ごたえ」の提示である。

 しかしながら、それだけに滞まらないのがこのアルバムの凄いところ。驚くなかれ、楽器とプログラミングのほとんどがフェルナンダ自身の手によるとのことだ。第一の食感「歯ごたえ」にあたる軽快なリズム・アプローチはもちろんのこと、スリリングなコードワーク、真摯で存在感ある歌声、そして卓越した様々な楽器演奏技術という具合に、第二、第三と用意されている心地よい食感刺激----。 
 そのほとんど全てが彼女自身によるものだというのだから、その実力の高さに圧倒される。そして、甘さに流されず抑制の利いた個々の刺激の組合わさりが、まさに料理と呼ぶに相応しい統一感と説得力とを持っているのだ。 これはまさに五つ星シェフによる仕事である。味付けはもちろん甘さ控え目のサウダ味。ちょうど手動のコーヒーミルで豆を挽いた時のような、香ばしい 匂いと心地よい振動を体験出来るのが本作品だ。

 2001年に『Sambassim』が大ヒット、昨年末には本国ブラジルのデビューアルバムがゴールド・ディスクに輝いた。新食感を追い求める日本人にとっても、これはたまらない新しい味覚に違いない。
(テキスト:石垣健太郎 / QYPTHONE)

カセットコンロス:『カプリソ』(HARRIER REC. SPPCL1004)


 音が出た瞬間、「あれ、これライヴ盤?」と思ってしまった。 約2年振りの本作は、大阪にてわずか数日間で録音されたらしい。ライブ・バンドのCDを聞いて「あれれ」となったり、またその逆のパターンも多い訳で。つまりは音をパッケージするというのはとても難しく、危険なことであるわけです。完成度を求めて何度も録り直すのか、はたまたノリを最優先に一発録りでいくのか…。 
 今回コンロスが選択したのは後者。これは大正解! 確かに演奏の粗いところも少々あるのだが、そんなの問題なし。ノリも勢いもそして何よりも、コンロスの楽しさをパッケージすることに大成功。 これ、勝手に“セミ・ライブ・アルバム”と呼ばせていただきます。

 独特な響きのテナー・ギター(いい音だな)に、やんちゃなホーン隊(個人的にファン)、土っぽいリズム隊。人懐っこいヴォーカル。いいですねえ、コンロスの音は。実に人懐っこい。ルーツ音楽をやっているバンドは他にもたくさんあるけど、どこか取って付けたような、どこか借り物のように聞こえるものが少なくない。その点、コンロスは異国のリズムに、日本語が違和感なく乗っかっている。
 「こういうのは何ていうジャンル?」いやいや、そんなことはどうでもいいのですよ。だってこれがカセットコンロスという音楽だから。
 ゴジラのテーマを作曲した伊福部昭さんの言葉によると「アイヌの音楽は、言葉と音、そして踊りが一体になっていた」のだそうだ。それは祈りであり、祭りであり、感情の自然な表現だった。カラオケ用の歌?踊るためだけの音?機能食品?音・詩・踊、三つ揃えば尚楽しい。アイヌの音楽じゃないけど、コンロスはもはやコンロス印のルーツ音楽なのです。 

 そしてもう一つ、コンロスのライヴは夏の野外が最高らしい。今年は野外コンロスを観るチャンスがいっぱいあるらしい。 最後に、勝手ではありますが、今年の夏は日本全国「カプリソの夏」に決定!とさせていただきました。
(テキスト:ナカモトコイチロ / bonjour)

2003年7月10日木曜日

Like This Parade : 『a hand reaches e.p.』 (Fairground  FGCD0003)


 ソングライターを志した者なら、誰もが最初のデモ・テープを録音した時のトキメキを忘れる事はないだろう。
 溢れ出すイマジネーションは河となり、その流れから掬った一杯の水というべき本作にも同じトキメキを感じさせられるのだ。 セルフ・プロダクションという独特な空間によって描かれる、メンタリティーな世界観は実に瑞々しく美しい。

 Like This Paradeは、ブラスを生かした独自のスタイルによるR&B~ソフトロック・テイストのグループbonjour(ボンジュール)で、ヴォーカルとキーボードを担当するミサワマサノリが2002年にスタートさせたソロ・ユニットであり、本作がデビュー・ミニ・アルバムとなる。
 サウンド的にはアコーステック・ギターとシンセサイザーを中心として、一人多重コーラスをフューチャーした音作りで、昨今の打ち込みでプログラミングされたものとは一線を画す。生楽器とアナログ・シンセが共存したヒューマンな感触が懐かしくもあり、未来的な小宇宙が展開されるのだ。

 冒頭の「air」は、アコギのアルペジオにジョージ・ハリソン風の抑えた感じのヴォーカルがのる印象的な小曲。アルバム中最もソングライティングに優れた「book」や実験的な「An Inaccurate note」には、ポール・マッカトニーの1stや『Smiley Smile』時のビーチ・ボーイズ(ブライアン・ウィルソン)、そのフォロワーたる80年代のルイ・フィリップ等もイメージさせる傑作。英国風で牧歌的なコーラス・アレンジが際だって素晴らしい。 「We know」でも英国の薫りプンプンで、サイケデリックな色彩も加味されている。カンタベリー系サウンドの他、トッドが手掛けたXTCの『Skylarking』が好きなリスナーをも刺激するだろう。
 主な曲はラフ・スケッチ風の小曲で繋がれており、コンセプチャルなトータル感も漂っている。 bonjourではラウンジやカーステ等で聴く、ハッピーなボディー・ミュージックを展開しているが、そのメイン・ソングライターの一人である彼のLike This Paradeは、部屋でひっそり聴いて楽しむヘッド・ミュージックといえる。 こんなバランス感覚を持った日本人クリエイターの登場を大歓迎したい。

 因みにLike This Paradeことミサワ君は、bonjourのメンバーとして、9月発行予定のVANDA29号にも登場してくれるので、こちらもお楽しみに。

 (テキスト:ウチタカヒデ)

2003年7月2日水曜日

☆Hurricane Smith:『Don't Let It Die』(Celeste/6194)



ちょっとノスタルジックでお洒落な音楽、そう、ハーパース・ビザールや、スパンキー&アワ・ギャング、そしてニルソンが好きな人ならハリケーン・スミスのこのアルバムはきっと愛聴盤の1枚になるに違いない。
ハリケーン・スミスことノーマン・スミスはビートルズのチーフ・エンジニアを経て、新人だったピンク・フロイドのプロデューサーとなり、他にもプリティ・シングスの『SF Sorrow』のプロデューサーを担当するなど、裏方のプロだった。
そんな彼は自ら曲をずっと書き溜めていて、担当するピンク・フロイドのレコーディングの最中の空き時間を使って "Don't Let It Die" のデモを録音する。
72年のことだ。ジョン・レノンが歌ったら似合うだろうと考えていたそうだが、これを聴いたミッキー・モストが自分で出したらと助言、ハリケーン・スミスのクレジットでリリースするやいきなりヒットし、次の "Oh Babe,What Would You Say" は73年に全米3位と大ヒットを記録する。
新人だが、なんとノーマン・スミスはこの時に50歳になっていた。
後のシングルはヒットはしなかったが、ノーマン・スミスはひょんな事からハリケーン・スミスとして表舞台に登場し、きっと持ち続けていただろう夢を叶え、またノーマン・スミスに戻って裏方で活躍を続けた。
幸せな人だ。声はダミ声だが、ノスタルジックで美しいメロディ作りのセンス、オーケストレーションを含めたアレンジのセンスは実にモダンで洒落ている。
まさにプロ中のプロ。絶対に満足できる内容だ。
そしてこの CD はイギリスでのデビュー・アルバムの11曲に、アメリカでのデビュー・アルバムで加えられた5曲 (4曲外されたが)、シングル曲8曲を加えた贅沢な作り。
これはお勧めだ。(佐野)
Don't Let It Die: The Very Best of Hurricane Smith

☆Eternity's Children:『The Lost Sessions』(Gear Fab/GF200)

エタニティーズ・チルドルンの待ちに待った未発表曲集がリリースされた。嬉しいことに、公式にシングルがリリースされていながら、 LP 、 CD に入らなかった5曲全てが収録され、レアリティーズ作品集にもなっていので、これは絶対「買い」である。
まずそのレアリティーズから紹介しよう。
"Rumours/Wait And See" は、Tower契約以前にA&Mからリリースされたデビュー・シングル。
A 面はブルース・ブラックマンとキース・オルセンの共作の軽快な洒落たナンバー、B 面はあのデビッド・ゲイツが書いたサイケデリックな色彩を帯びた作品。
次に "Living Is Easy" は VANDA28号でも紹介したリンダ・ロウリーのソロ・シングルで、片面はRev-Olaの CD に収録されていたが、肝心要のこの曲は未 CD 化だった。
曲はトニー・ハッチが書きそうな高揚感のあるメロディを持ち、転調も見事、そしてバッキングのピアノが実に効果的なこれぞソフト・ロックというべき傑作中の傑作。
この1曲のために本ん CD を買う価値があるといっても過言ではない。
曲はリンダとマイク・マクレインの共作。
そしてカントリー・タッチのポップな "Laughing Girl" と、ロジャー・クック・テイストの乾いた "Railroad Trestle In California" はチャールズ・ロス三世のソロ。
他の66年から71年に録音された11曲の詳細は不明だが、ライナーで分かるとおり、 "Mrs.Bluebird" までグループの中核だったブルース・ブラックマンが書いた頭の3曲は、初期のものであることは間違いない。
緊張感のある "Time And Place" など歪んだギターのなど全体的にサイケタッチで、ロック色が強い。
"A Taste Of Honey" とホリーズの "Hard,Hard Year" だが、前者でリンダのヴォーカルが聴こえることから、おそらくセカンド以降の録音だろう。
前者は少しつっかかったようにリズムがアレンジされていて、なかなかシャープ。ホリーズのカバーも快調な出来だ。
そして注目はジム・ウェッブのカバー2曲で、フィフス・ディメンションで知られる "Girl's Song" は、ストリングスもフィーチャーしてとても爽やかな仕上がり、リチャード・ハリスで知られる "Didn't We" のカバーもストリングスが入る聴かせるバラードで、どちらもリンダのヴォーカルが実に素晴らしく、彼女がこんなに声量があったのかと驚かされた。
この2曲も本 CD の目玉だ。
他の曲はセカンド・アルバムの延長上にあるポップでパワフルなナンバーばかりで、出来はいい。ランディ・ニューマンやローラ・ニーロのナンバーも歌い、ヴォーカルもソウルフルだ。
演奏も充実している。
やはりこのグループはカート・ベッチャーから離れてから、セカンド・アルバムからが本領発揮と言えよう。(佐野)


Lost Sessions