車へ戻り、島で唯一の設備の整ったビーチ、ふるさと海浜公園へと向かった。ようやく海の見える周遊道路へ出るが、ここは特に舗装がいい。
そう言えばこの多良間は人口が1400人もいて、八重山の多くが何百人台のことを考えると、開けた島、補助金も多い島なのだ。こんなに交通手段が不便(1日1往復の船便は片道2時間半かかる)だと、補助金でインフラを整えないと、どんどん過疎になってしまうだろう。
昭文社の「まっぷる」の地図では沖縄電力の近くが、パーキングのマークの付いた前泊海水浴場となっている。波照間でも見た風力発電の大きなエネルコンの羽が見えたので、もうこの近くだと探すが何も出て来ない。おかしいなとしばらく走ると駐車スペースが見えてきたのでそこに止めると「三ツ瀬公園」、とっくに通りすぎていてもう島を半周してしまっている。Uターンして、沖縄電力の近くに小さな木製の看板があったなと戻ると「ウカバトゥプリ」とある。
設備が何もないのでここではないとは分かっていたが、とりあえず車を止めて海へ出ると、そこは鏡のような海!波のない翡翠色の海が、静寂の中、佇んでいる。太陽光線は白砂のビーチからの反射もあって、まぶしく、肌には痛みを伴って突き刺さってくる。誰も、本当に誰もいない。緑と碧の絵の具が溶け合った海に、海底にある海草の黒い帯がアクセントを添え、水平線近くにあるリーフで白い波がかすかに砕けている。こんなに美しい場所があっていいのかと、ほうけたようにしばらく海を見つめていた。
車へ戻り、そう言えば港の前に人がいた所があったとさらに戻っていくと、シャワー施設とトイレを清掃している住人の方たちがいる。ちゃんとしたパーキングがあり、そこへ止めると「ふるさと海浜公園」とある。なんだ、ここが前泊海水浴場じゃないか、「まっぷる」の地図はまったく間違っているよ。
さっそく着替えて、トイレも済ませるが、ここは申し分なくきれいに整備されている。設備が整っていないビーチが多い宮古諸島では、ここは最高の場所と言ってもいい。この清潔さを維持している多良間の人達の日々の努力もあるはず。海へ出ると、先の"ウカバトゥプリ"と同じくらいの美しさだ。
それにここには木陰があり、ベンチもあり、海を見下ろしながら寝そべると心地よい風が吹き、まさに天国。そして海へ入り、羊水のような暖かい海水に包まれると、幸福感で心が満ちあふれてくる。今までで一番と思っていた竹富島のコンドイビーチを、波照間島のニシ浜を、多良間のビーチは一気に超えた。思わずそのまま飲んでしまいたくなるほど海の透明度、翡翠色と瑠璃色のグラデーション、波ひとつない静寂の海面。ナマコもいないし、木陰もある。この5年間の宮古・八重山旅行で、ベスト1は多良間のビーチだった。観光化されていないので、環境が守られているのだろうな。観光客の勝手な願いだが、多良間はこのままにしておいて欲しい、パックツアーなどではなく、意志を持ってやってきた人だけがこの美しさを味わえるようにと、心の中で思っていた。妻もここが一番と、やはり同じ意見。そして誰もいない。極上の海が貸し切りだ。海から出て、木陰で海を眺めていると、こんな場所にいられる事が最高の贅沢じゃないかと思う。物質の贅沢は、自然の贅沢にはるかに劣る。
帰りが14時25分と早い便だったため、後ろ髪を引かれながらビーチを後にした。途中のAコープで多良間名産と本に載っていた「ぱなぱんぴん」というお菓子を買う。実にシンプルな塩味のスナックという感じで、ビールのつまみにはとても合う。
売店のおばさんに「多良間の海は本当に美しいですね」と言うと「そうでしょう。多良間の海は最高よ」と誇らしげな返事。空港に車を止めて、また体重測定などの手続きをしていると、羽地さんに「もうお帰りですか?」と声をかけられる。さっそく多良間の看板に書かれていた日本語にはないカタカナ、つまりリに丸(◆"パ"のような要領)、小さいィに丸◆をどう読むのか聞いてみた。空港に置いてあった多良間の村役場が作った地図を広げ指をさして質問すると、一瞬何のことかとキョトンとされていたが、「ふるさと海浜公園」の看板にさらに大きく書かれていた地元での名前「トゥガリ(丸が付く◆)ラ公園」は、「ああトゥガッンラだよ。多良間の古い言葉さ」と笑顔でと答えてくれた。私には「ッン」に聞こえたが、後になって電話で多良間役場の人に確認したら、英語の"l(エル)"の発音と同じだとか。発音してみると確かに"トゥガッンラ"に聴こえた。小さい"ィ"に丸が付くものもあり、これは舌を前に少し出し"ウ"と発音するのだという。これは日本語では適当な文字がないからで、こう書いているのだそうだ。やはり日本は広い。言葉だけでも知らない事が山ほどある。
宮古へ戻る飛行機はまた風にすこし揺れながらのフライトだったが、島の住人と思われる人達はずっと寝ていたり、実に慣れたもの。この飛行機も10月10日には、新空港開設と共に39人乗りの飛行機にとって代わられる。今よりもずっと行きやすくなるだろう。願わくはあの海の美しさが損なわれませんように。
宮古へ戻ってすぐに向かったのは、池間島だ。池間大橋も本当に、何度見てもきれいだ。宮古側から見ると、右手にはポッカリと浮かぶ大神島、左手には西平安名崎の風力発電の4基のエネルコン、来間島とは違う味わいがある。島の周遊道路に入るが、来間島よりずっと舗装がよく、快調に飛ばすことができる。ここにはインターネットで「ひみつのビーチ」と呼ばれる、ロープで崖を降りたところにある隠されたビーチがあるらしい。標識がないので勘が頼り、時計回りで来てしまったので、灯台を過ぎ、そろそろかなと思ってゆっくり走ったが、海へ続くような道がある場所が出て来ない。そうしている内に一周してしまったので、Uターンしてもう一度、それらしい場所を探して走る。灯台の少し前に、左手が湿地帯で、車2台がなんとか停まれるスペースがある場所を見つける。1台は既に停まっていた。車を停め、道を渡ると白い道が見える。少し分け入ると、ロープが吊るされた5mくらいの崖があるではないか。やった!ここだと慎重に崖を降り(段があるので降りやすい)、インターネットで書かれていたように右の海岸を進んでいった。
岩場が多い浜をしばらく歩いていくと、海岸が途切れた所が、きれいな入り江になっていた。目の前に大きくフラットな岩が2つあり、その間から海が見える。あっこれは、三好和義氏の写真集「ニライカナイ 神の住む楽園・沖縄」にあった"竜宮城への入り口"と題された池間島の写真の場所ではないか!この場所を知りたかったのでなんだかとてもラッキーな気持ちになる。
浜には漂着物がけっこう流れ着いていて、外国のペットボトルもちらほらころがっていた。急いでその場で着替え、心地よい温度の海へざぶりと浸かると、青い空を気持ち良さそうにアジサシが円を描いている。多良間とは違う、ちょっと男性的な風景をしばらく楽しみ、この充実した1日を心の中で感謝していた。
7月19日(土)
今日はゆっくりと朝食を取り、10時近くになって東平安名崎へ向かう。そう、昨年初日に訪れたものの天気が悪く、絶景と呼ばれるその場所が少しも楽しめなかった因縁の場所だ。こんな晴れた日はどんな景色を見せてくれるのだろう。マティダ通りにあるホテルを出ると、まぶしい陽光が我々を迎えてくれる。命の力強さをはっきりと主張しているような濃い緑の樹木が蒼い空に伸びている。空には大きな白い雲が駆け足で流れていた。高い樹木の緑の間に見える赤いデイゴの花が愛らしい。
30分程度走ってようやく到着、昨年と同じ店でブルーシールの紅イモアイスを食べ(極上の美味さ!ブルーシールでないとダメだが、なぜか渋谷のブルーシールの店では紅イモが売っていない。そのため銀座のわしたショップで大きな業務用パイントを時々買いにいくほど美味)、灯台へと向かう。灯台は有料で、100段近い階段を上がって展望台へ出る。確かにここは宮古島でヘソの尾のように細く飛び出た場所だということがよく分かる。写真を取って直ぐに階段を降り、よく写真で紹介される、海の中に大きな石が連なって見えるような場所を探すことにした。灯台までの道では、人力車がサービスで乗客に三線の弾き語りを聴かせていたが、聴こえてきたのはビギンの"島人ぬ宝"。宮古でも愛されているんだなと、思わず嬉しくなってしまう。先の売店でその写真の場所を聞くと、しばらく戻った道沿いから見えると言う。3分ほど走ったところに車が停まっていたので、そこで降りると、海の中に転々と岩が並んでいる。ああ、ここだったのかと、確認をするかのように写真だけ撮り、今日の目的である「熱帯魚のいる海」へ向かった。
インターネットでは、隣接する新城(アラグスク)海岸と吉野海岸にリーフが発達していて、かつ安全という最高のポイントを付けていた。ただ吉野海岸には、"吉野のオヤジ"と呼ばれる勝手に住み着いたじいさんが、来る人来る人にサンゴの保護を訴える説教をするのだと言う。言っている事は正しいのかもしれないが、うっとうしそうので、新城海岸へと向かった。海岸への道は、手作りの木の看板でシンプルなもの。その道に入ると、直ぐに眼下に見事なコーラルグリーンの海が広がっていた。
これは期待ができるぞ。海岸まではもの凄い急坂で、車でなければとてもたどり着けないような高低差がある。トイレはあるものの、シャワーはなく、水は外のホースで水量も少しだけ。ただトイレはいくつかあるので何とか着替えられる。男性は車の中で十分だが。
ここには売店があり、さっそく空いているパラソルを借りる。値段は1000円と安い。これで安心だ。何しろビーチに何もなしで座っていたら、直ぐに下の白砂の反射でこんがりとローストになってしまう。いや、ローストどころか、やけどだ。紫外線プロテクト度が50と最も強いローションを常に塗っているのに、私や長男は肌が赤くなっていて、ローションを塗るもの痛いほど。
海へ入ると肩くらいの浅さの海が波打ち際から数十メートル以上続いているのに、サンゴが群生していた。魚肉ソーセージを持っていると、数え切れないほどの空色のデバススメダイが群がってくる。これは凄い!枝サンゴにはコバルト色のルリスズメ、そして黄色と黒のチョウチョウウオ、カラフルなベラやニザダイ、底にはカエルウオやハゼ、そして目の前を1mくらいの大きな魚が横切っていく。ダツだ。夜釣りでは光りに向かって突進し、死者も出すことがあるという尖った魚だが、ここでは悠々と泳いでエサを狙っている。この海の魚の濃さは本当に凄い。
足が着く浅瀬で水中メガネだけでこれだけの魚が見られるのは、西表島の星砂の浜以来だ。(ただし星砂の浜には所々にかなり深いプールがある。そこでイラブチャー(ブダイ)などの大型魚が見えるのだが)そしてその数から言えばここが文句なしのベスト1。今まで次は八重山で、西表に行こうね、なんて言っていた、生きものを見ていれば幸せな次男は、ここが決定的なポイントになって次も宮古にしようと、180度転換したほど。何しろ海から何時間も出て来ないのだから、その気に入りようたるや尋常じゃない。しかしそれだけの価値のある海だった。
長男は売店にジュースを買いに行く。あれ、戻ってこないなと思っていたら、売店の人達が休んでいるアダンとモンパの木の木陰で、何やら三線を習っている。店の人にちょっと弾いてみたらと声をかけられたのだ。しばらくして、その店の別の人が、海に行って魚をしとめてみない?と、水中モリを持って長男と一緒に海へ入っていく。私と次男はそれを海から見ていたが、次男はすぐに「僕もやろう!」と二人の方へ泳いでいってしまった。私は海からあがり、パラソルの下で妻と一緒に3人の漁をながめていた。そしてビールを買いに行って、どうもありがとうございますと挨拶すると、一緒にこっちでどうですかと、長男が先ほどまで座っていたベンチへ案内された。日焼けで赤銅色に輝く店の人は、飲みましょうと、残った泡盛の一升瓶に冷水をどぼどぼと入れ、コップに入れてどうぞと渡してくれた。ベンチは木陰で、涼しい風が実に心地よい。
ここ、宮古で大事なのはこの風だ。どんなに直射日光が強くても、日影に入れば、涼やかな風が頬をなでていく。だからどこにいても暑さにうだることがない。アスファルトの輻射熱と車とクーラーの放射熱の熱風が、ねっとりとからみついて離れない東京とは比較するべくもない。大都市が吐き出す巨大な二酸化炭素を、宮古島の緑が酸素に変えてくれている、そんなことも頭に浮かんだ。
宮古のベンチは天国である。泡盛も美味く、美しい海を眺めながらこれは最高の贅沢だと、ここに住む人がうらやましくなった。隣に座っていた、昨年、宮古に来て以来、すっかり宮古の魅力に取り付かれ、ついに会社をやめて東京からこちらへやって来たという、タトゥーを入れた若者が、「三線、弾いてみますか」と三線を渡してくれた。
前から弾いてみたいと思っていたので「教えてください」と、基本的な指の動きを習う。フレットがないので、勘で弾くしかないが、"もしもしカメよ"を練習してみてというので、それをつま弾いていたら、「ギター弾いたことありますね?」と。彼は別の三線を持ってビギンの"オジー自慢のオリオンビール"を達者に弾き初め、「僕はギター、弾いたことなかったんですよ。でも半年でこのくらい弾けるようになりました」と笑顔で話した。「ビギン、大人気ですね」と言うと「明日の夜、ビギンがオリオンビール祭りで宮古へ来るんですよ。みんな行きますよ」と嬉しそう。あさっての帰りだったら行けたのに。残念。
その彼は失業率が高い島で暮らすため、貝と白砂を利用した万華鏡を作っていて、それで商売しようと考えているのだという。憧れだけでやってきたのではない所に期待が持てる。水中モリを持って案内してくれた"自衛隊"と呼ばれていた青年は、埼玉出身で、自衛隊に4年勤めた後に見切りをつけ、この夏、宮古にやってきているのだそうだ。そして、席に誘ってくれた方は地元の新城さんといい、「ペンションあらぐすく」を経営しながら、昼間はここで海の売店、電気工事も営み多角経営を手掛けていた。
新城さんに昨日、多良間に行った話をすると、多良間行きの飛行機と船はすぐに欠航するので、行ったらいつ帰れるか分からないため、多良間の旅行ができれば一人前なんだよと笑う。彼は多良間と水納島を結ぶ海中ケーブルの工事で1カ月半ほど多良間に行っていたので、友達がたくさんいるのだそうだ。車を借りた羽地さんの話をすると、「面白いオヤジだよ」と懐かしそうに答えた。「多良間の海は本当にきれいですね」と言うと「そうだよ。でも水納の海はもっときれいだよ」との答え。確かに写真で見る水納の海は目映いまでに美しい。昨日多良間のビーチで水平線に薄べったく見えた水納島に住んでいるのは一家5人だけ、観光客もほとんど訪れず、環境は理想的なまでに守られているのだろう。
話をしていると、地元の年配の人がベンチに座る。すると二人は地元の言葉で話始めた。神経を集中して何を話しているか理解しようとしたが、一語一句何も分からない。結局5分くらいの会話は、完全な"外国語"だった。それは理解がまったく不可能という点で、与那国で聞いた会話と何も変わることはなかった。沖縄の言葉、宮古の言葉、八重山の言葉、与那国の言葉はそれぞれ津軽弁と薩摩弁以上に違うということは以前に書いたが、この4つの言葉は根本的に共通語と単語自体が違うから、本土の人間には、理解不能なのだ。しかし、文法上や言葉の成り立ちでこの4つの言葉は日本語の流れにあり、その日本語は本土方言と琉球方言の二つに大別されるのだという。日本は均一な国家(どこかのバカな政治家が日本は単一民族国家と言っていたが)ではなく、多様な文化と言葉を持った国なのだということがよく分かる。
会話が終わると、「地元の人と話す時は、共通語を使うと、なんだか恥ずかしいんだよね」と笑ってすぐに共通語でこちらに話を戻してきた。まるでバイリンガルだ。カッコいい。
いつしか人が増え、宮古の人で今、川崎に住んでいるという人や、伊良部島出身の地元の人がきていて、コップを回し始めた。オトーリだ。一つのコップで回ってくる酒を飲み干して、親役の人が酒を注いで、隣の人に回し、それが一周続くと、親が隣に移る。これを延々続けていく、宮古島独特の酒の飲み方だ。本では読んでいたオトーリを、体験できるのは、私にとっては嬉しいばかり。宮古の人は、いい人ばかりで、車で来ているので(車で来ていない人はいないのでみんな同じだが)と言うと、コップに少しだけ注いで回してくれる。この人達は毎日ここで、この美しい海を眺めながら、三線をつま弾きながら、この木陰でオトーリを回しているのだ。なんて豊かな毎日なんだろう。ここに座っていると時間という概念がトロトロとなくなっていってしまう。途中長男は水中モリでミーバイと呼ばれるハタを捕ってきたが、さっそく焼いてふるまってくれた。気が付けばもう6時、子供達は7時間以上海に入りっぱなしだ。ではまた来ますねと席を立ち、車でゆったりとホテルで戻っていった。
7月20日(日)
今日は帰りの便を遅くしたので、ほぼ一日たっぷり遊ぶことができる。まずはもう一度あの橋を渡りたいと、池間大橋へ向かった。大きな風力発電のエネルコンが4基も並ぶ西平安名崎へ行き、ちょうど横から池間大橋を見ることができた。その後、池間大橋を渡り、売店を抜けて下の海岸に降りて行った。昨年も行ったが、この下からの景色がまた素晴らしい。翡翠色の海と水平線に浮かぶこんもりとした大神島、一直線に伸びる池間大橋、対岸の西平安名崎にある風力発電の4つの羽が順に並んでいる。ここでもそうだが、宮古・八重山はすべてサンゴの白砂の海岸ばかりなので、光の反射が凄く、目にまぶしいだけではなく、写真を撮ると露出オーバーで常に白茶けた写真になって、海の色がきれいに再現されない。
分かっていても何枚か写真を取り、次に来間大橋へ向かっていった。
来間大橋は、渡り切った来間島から見下ろした景色を撮ることが目的だ。ここには竜宮城展望台というところがあるのだが、観光施設なので、もっと人のいないポイントはないかなと思っていたら、島の道路に入ってすぐ右に曲がったところに駐車スペースがある。見ると階段を上がっていく展望台がある。ここだ、と車を止め、その階段を上がると、そこは見事なパノラマ。上から見下ろすと海のターコイズブルーが信じられないほどの輝きを放ち、流麗な曲線を描く来間大橋、左の対岸には前浜の白砂の海岸が広がっている。絵葉書だ。このままポストカードにして売り出せるほどの絶景だ。来てよかった。
この景色を眺めながら、途中で買って来た弁当を食べ、今度の旅の最後の目的地へ向かう。それは昨日行った新城海岸に決まっている。あんなに熱帯魚がいて、きれいなビーチにもう一度行かなくては話にならない。
途中、近道をしようと、外周道路に入らなかったのが失敗で、行けども行けどもサトウキビ畑になってしまう。たまに民家があっても、昼時に外へ出ている人などいるはずもなく(暑いからみんな家の中)、困ったなとしばらく走っていると、家の前で上半身裸で車の近くに立っているおじさんがいた。助かった!道を聞いて、外周道路へ出ることができた。しかし新城海岸の曲がり角は先に書いたように手書きの看板だけ、見落として吉野海岸の曲がり角まで行ってしまう。あわててUターンしてようやく新城海岸へ到着した。
すでに服の下は水着、次男は一直線に海へ飛びこんでいく。昨日の売店の人に、また来ましたと声をかけ、パラソルを借りると、どうぞ、どうぞとまた昨日オトーリした席へ誘われる。「今日、東京へ戻るんで、お酒はまずいんですよ」とやんわりと断わると、「さっき僕に道を聞いたでしょう」と横に座っているおじさんが笑う。あっ、そう言えば昨日いた地元のおじさんだ。ここからは距離もあるし、道を聞いた時はお互い気づかなかったんだ。これこそ奇遇。大笑いして、その後は残る時間を惜しむかのように海へ入った。ああ、海がやさしく、暖かい。魚もいっぱいだ。海の中は色とりどりの熱帯魚の群れ、海面に顔を出して目をやれば翡翠色の美しい海、蒼い高い空には力強い白い雲がアクセントを添えている。海岸のアダンやモンパの木の緑も力一杯、命の輝きを見せている。来年はやっぱり宮古かな、言われていたように海は宮古が一番きれいだと、実感できた。本当にもう一度来てよかった。今度の旅は天気が最高だった。ここ2年、台風がかすめ、天気が良くない日があったので、喜びもひとしおだ。
この旅は、父親がプレゼントしてくれたんだ。本当は今年の始めに父母にこの海を見せようと宮古・八重山の旅行を申し込んでいたが、父の体調がすぐれずキャンセルした経緯があった。見せたかったな。見えるかな。ありがとう、オヤジと心の中で何度もつぶやいた。
浜に上がり、売店のみんなに「来年また来ますね」と挨拶すると、「今年の夏の終わりにもう一度来いよ」と先のおじさん。握手を求める新城さんには、「本作っているんで、宮古の事を書いたら送りますね」と伝える。シャワーは滞在していたホテルアトールエメラルドが貸してくれたので、さっぱりとできる。18時55分発のJTA522便で那覇へ、21時発のJAL932便で羽田到着は23時30分。荷物を受け取るともう0時を回っていた。
「旅行っていいものだよな」と長男がつぶやく。次男は次も宮古と主張している。八重山にももう一度行きたいと思っていたが、どうやら次も宮古になりそうだ。石垣は美崎町に夜出るのも楽しみのひとつだったが、平良の西里(ニイザト)もなんだかとっても馴染みの町になってきたし。1年間、あれこれ考える日々がまた始まった。